村田真/酒井千穂 |
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9/7〜9/8 |
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久保昌由展──もうひとつの風景
9/3〜9/15 gallery wks.[大阪] |
キャンバスをつないだひとつの長い平面作品が壁面からはみ出すようにコの字に展示されていた。会場に入ってすぐは、色彩や構成された色面のバランスの印象からか、なにかの模様が描かれているようにも見えた。全体をゆっくり見ると、足下で風に揺れてざわざわと動く木漏れ日の陰のような不安定さもある。大きく流れるようなリズムはあるが、描かれているうねりに規則的なものはない。作家は日頃走っている山道に入ると癒されるような気分になるそうだが、これは、日頃接しているその自然の景色のなかに見たイメージというよりも、そこで頭の中にすっと入ってきた情報なのだと言う。全体的に心をとらえる美しさがある。帰り道に、ホリスティックという言葉がふと頭に浮かんだ。
[9月7日(金) 酒井千穂] |
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居城純子展──もうわかっていたことなのに、言葉になるのはずっとあと
9/1〜9/30 PANTALOON[大阪] |
今年開催された大阪府立現代美術センターでの個展も記憶に新しい居城純子の個展。デザインの仕事を手がけるスタッフが運営する古い長屋を改造した吹き抜けの空間で、ぼんやりとしたイメージの中に漂うような「風景」を展開していた。会場正面に展示された、水の感触や水面の揺らめきを想像する巨大な絵画とモビールは、見上げて眺めたときと、階段を上り俯瞰するように観るときとでは異なる感覚を喚起させる。作品の印象が違って見えるというよりも、自分自身のスケールや眺めている視界という身体感覚がいつのまにかズレていくことに気づく。階段を降りても、形の定まらないものに気持ちを引きずられて凝視してしまうように、何度も振り返って見てしまう。
[9月7日(金) 酒井千穂] |
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水内義人展──小学23年生
9/4〜9/23 複眼ギャラリー[大阪] |
ミュージックシーンでも活躍する水内善人。ドアを開けると足下に白いシートが敷いてあり半円の弧を描くようなさまざまな色のマジックペンの線跡がある。なんだこれは?!と後ろを振り返ると、扉の内側に10本以上のペンがセッティングされていた。分割したヤカンの半分は床に埋めるように置いてあり、もう半分は立てられた棒の先端につけられて枯れ木のように設置してある。ついでにその陰も黒い布で壁面に表現。よくある緑色のホースでつながれて、徐々に長靴の中に溜まっていく水が突然ガタン!ジャーッ!と激しい音を立ててコンテナボックスの中に流れ込む機械仕掛けの装置もあれば、巨大な飛びだす仕掛け絵本(もどき)を作ろうとしたが、ページを開くには重すぎて危険なのでこの会場では開く事ができなくなったという本当か嘘か解らない大型の立体作品もある。そんなものが所狭しと置かれている会場では足下にも注意が必要。言葉遊びを含めて、水内の馬鹿馬鹿しさいっぱいのジャンク空間は苦笑が漏れてもどこか愉快だ。
[9月7日(金) 酒井千穂] |
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起きて半畳寝て一畳──植松美早展/二宮幸司展
9/4〜9/9 ギャラリーはねうさぎ[京都] |
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二宮幸司展
《Primitive Range》(原始的なレンジ) |
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起きて半畳寝て一畳というが実際にはゆとりも大切。そこで、そのスペースでどれだけの(どのような)ゆとりを作れるか、というギャラリーオーナーからの課題に二人の作家がそれぞれの空間を作り出した。二人展ではなく、同じギャラリー内の二つのスペースで開催された二つの個展だ。植松作品は白い家の形。布製でコンパクトに畳むことができ、持ち運びも簡単のようだ。屋根の部分を木に留めて、川沿いの並木道でくつろぐ写真が展示されていた。空間の内側と外側には透明ポケットが沢山ついていて、内部のポケットには作家の少女時代だろうか、古い写真が入っていた。外側には花が生けられていた。一方、二宮作品の外観は巨大な電子レンジだが、その本格的な木造の空間は、小屋というよりも小さな家を建てたと言ってもいいくらい。ドアを開けると中は古い日本家屋のように中心に囲炉裏。そこで調理したものを食する映像もギャラリー壁面に映し出されている。作家同士で事前に話し合ってのことだったのかは解らないが、自らが外に出ていくための一畳と、ただいまと言って帰ってくるホームのような一畳は、ドラえもんのどこでもドアと、こっそりとどら焼きを食べる寝床の押し入れのように対照的で、想像を広げるのが楽しい。ユニークな課題と二人の答えに拍手。
[9月8日(土) 酒井千穂] |
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寺田就子展──ひとときの虹
9/4〜9/15 gallery16[京都] |
夏に届いたリリースの「いろんな思い出は泡の中につめ込まれている」という彼女のテキストを読んで、ああ解る、と楽しみにしていた寺田就子の個展。ガラスレンズを合わせた中に収められた桜貝や小さなスーパーボール、タンポポの綿毛。半透明のガラス板に挟まれたテキストの断片など、そのどれもが密やかで、繊細で儚い。過去の作品に使われた素材と同じものも多いのに、その印象は見事に違う。見慣れた珍しくもないモノをここまで透明に、そして感情を揺さぶるものに変えて見せるその技とセンスには惚れ惚れする。手に取ることもできるのに触れられないような、尊い思いすら湧いてくる。
[9月8日(土) 酒井千穂] |
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