学芸員によるリレー形式のインタビュー連載「もしもし、キュレーター」(通称「もしキュレ」)。展覧会を企画することに留まらない多様な角度から、人や地域への美術のひらき方を日々模索・実践するキュレーターに会いに行き、現場での素朴な実感や言葉をすくい上げる企画として2021年に始まり、現在も続く本連載は、(ゆっくりなペースながらも)これまで美術業界の内外で多くの人に読んでいただいてきました。



今回は特別に、過去に登場したキュレーターたちと近い領域で奮闘していたり、ひとりの読者としてこの連載に触れてきた方々に、過去の「もしキュレ」のなかでとりわけ印象深かった言葉をピックアップしていただきました。テキストを寄せていただいたのは、国際芸術祭「あいち」の特色のひとつである個性豊かなラーニングプログラムに近年尽力されてきたアートマネージャーの野田智子さん、アーティゾン美術館の学芸員として教育普及を担い、美術と人の多様な関わり方の模索を重ねる細矢芳さん、そして「もしキュレ」の濃密な対話のディテールを、連載初回から的確かつユーモラスに視覚化し続けてくださっている、イラストレーターの三好愛さん。
美術館という場所の持つ役割や、人々にとっての学びのあり方も変化を続けてきたこの数年。まだコロナ禍の状況にあった連載開始当時からこれまでの「もしキュレ」の一部を、改めてプレイバックします。(artscape編集部)


企画協力:杉原環樹

[執筆者]
野田智子(アートマネージャー/Twelve Inc. 取締役)
細矢芳(アーティゾン美術館教育普及部学芸員)
三好愛(イラストレーター)

 

野田智子(アートマネージャー/Twelve Inc. 取締役)

多様な考えがあることをまずは知ったり、アーティストが持ち込んでくる異質な価値観を自分はどう捉えるかを考えたり、隣の人と話したり。美術館は、市民がそういう考えを耕すレッスンの場所
(森山純子/水戸芸術館)

元の記事:
第7回 森山純子(水戸芸術館)×赤井あずみ(鳥取県立博物館/HOSPITALE)[後編]|自分の言葉を発していい、考えを表明していい、ライフラインとしての美術館(2023年04月01日号)


[イラスト:三好愛]


「自分の場所」としてそこに関わる

この言葉の意味を、実体験を伴って深く理解したのは2025年の秋、国際芸術祭「あいち2025」の現場でのこと。私は「あいち」のラーニングに、前身である「あいちトリエンナーレ2019」から携わり、これまで三度の芸術祭を内側から経験してきた。「あいち」には1000人規模のボランティアが関わり、回を重ねるごとにラーニングキュレーターやチームのメンバーによってその活動やプログラムが積み重ねられてきた。今回の「あいち2025」では「ラーニング・ボランティア」という区分を新設し、ボランティアが主体となって学べる仕組みづくりに取り組んだ。会期中には、その学びを発揮するプログラムとして、ボランティア自身が来場者を対象とした自主企画を立案し実施するという初の試みも行なった。鑑賞を深めるものや芸術祭のテーマに関連するもの、対話を促すものなど、それぞれが自分の関心を“かたち”にして誰かに届けることに挑戦した。

特に印象的だったのは、企画を終えたあるボランティアが「私は(この活動は)奉仕ではなく、自分のためにやっている」と語ったことだった。ボランティアとして関わることは、芸術祭を手伝うことではなく、芸術祭を「自分の場所」として関わることでもあるというのだ。

森山純子さんが語る「考えを耕すレッスンの場所」とは、まさにこうして一人ひとりが自分の関心を持ち込み、他者と出会いながら考えを深めていく場のことなのだろう。そして、この芸術祭が始まって15年という節目に、芸術祭を自分事として果敢に楽しむたくさんのボランティアの姿に出会えたことは、この芸術祭が誰かにとって「自分の場所」となり得る場であることを実感する機会でもあった。これからも、このような場を育てていくと同時に、それをまだ見ぬ人にもひらき続けていかなければならないと感じるのだった。

のだ・ともこ
岐阜県生まれ、京都府在住。2020年よりアーツプロダクション「Twelve Inc.」を共同設立し、アートの環境創造とアーティストとの協働を行なう。アーティスト・コレクティブ「Nadegata Instant Party」メンバー。主な仕事に「あいちトリエンナーレ2019」ラーニングセクションマネジメント(2018-2019)、国際芸術祭「あいち」ラーニングコーディネーター(2021-)、「アートサイト名古屋城」プロデューサー(2023-)がある。

■国際芸術祭「あいち2025」のラーニングを、多角的な視点から読み解くドキュメントブックがこちら[PDF]に公開されました。あわせてぜひ。(編集部)


細矢芳(アーティゾン美術館教育普及部学芸員)

畑井:教育普及の現場というのは、[中略]その都度ごとの社会との接点を考え、変わっていくことができる場だと思います。つながりを減らしていくのではなくて、「じゃあこうしよう」と、アメーバのように変わっていくことができる。
[中略]
──やっぱり、畑井さんにとって「つくりかけ」はキーワードなんですね。
畑井:ある種のやわさというか、遊びとか、変化とか。
(畑井恵/千葉市美術館[当時])

元の記事:
第1回(プロローグ):畑井恵(千葉市美術館)|生きることは変わること。アメーバのような美術館の「揺らぎ」について (2021年04月15日号)


[イラスト:三好愛]



一人ひとり、少しずつ異なる体験をしている

「もしキュレ」の連載のなかで印象深いキーワードとして、第1回の畑井恵さんのインタビュー(聞き手:杉原環樹さん)より「やわさ」を挙げたい。美術館活動(展覧会やプログラム)が、権威ある堅牢なものとしてあるのではなく、自在に形を変える揺らぎや変化を許容することの切実さを指す言葉として受け止めた。

私は、美術館で働き始めて数年経った頃、小学校から届いた美術館見学の感想文集を読んでハッとしたことを思い出す。当然ながら、書かれていたのはこちらが提供した作品解説や質疑応答に基づく感想だけではない。見学前日のワクワクあるいは不安、スケッチをした感想、絵の前で想像したこと、帰りの電車の中での話題など。その日その時、本当に思っただろうことがそのまま自己表現になっていた。美術館での体験は、教室での学びに比べて多様な情報に溢れており、興味関心の幅が広い。一人ひとりが、皆と記憶を共有しつつ少しずつ異なる体験をしている豊かさを改めて教えられた。

一般的に美術館は、企画者の解説に沿って静かに作品を鑑賞する。そのことで、どこか敷居の高さや正解を学ぶような空気があるかもしれない。それに対し、「やわさ」のある場とは知識や答えの提示を前提とするのではなく、揺らぎ、変化しながら共に考える姿勢を示している。そこに必要なのは、多声の語りが歓迎され、違いを受け止め合いながら共に学び合う姿勢と言えるだろうか。美術館のリソースがあるからこそ多様な人が関わり、文化が循環する土壌になり得る。私も「やわさ」という言葉に込められたしなやかさと豊かさを意識して、試行錯誤を続けていきたいと思っている。

ほそや・かおり
アーティゾン美術館教育普及部学芸員。2012年より現在のアーティゾン美術館(旧ブリヂストン美術館)に教育普及担当学芸員として勤務。学校団体やファミリーから一般まで、さまざまな対象に向けたラーニング・プログラムに従事。主な担当展やプログラムに、ファミリープログラム「水めぐり」(2025)、「アートを楽しむ」展(2023)、「みる誕生」鑑賞会(2020)など。

 

三好愛(イラストレーター)

人はコミュニケーションのなかで育つけれど、人間だけを相手にするのはしんどいときもある。
(石田智子/高松市美術館)

元の記事:
第13回:石田智子(高松市美術館)×藏座江美[後編]|作品=モノと対話することでしか育たない感覚(2025年11月05日)


[イラスト:三好愛]


良い逃げ場がやっと見つかった、という安心感

美術を好きになる以前、私はまさに人間関係のなかでしんど〜となっていました。

小学生から高校生あたりまで、友達という存在を重要視しすぎていたように思います。学校生活のなかで、友達と円滑な関係を築くことに心をくだき、授業と授業のあいだの5分休みに誰とどんな話をするか、理科室や家庭科室までの教室移動を誰とするか、いかにひとりきりにならないか、というのが最重要課題で、それがうまくいったときに初めて見出せるのが自分という存在なのだと思っていました。誰かに話しかけて返ってくる言葉のなかに、自分が友達として認められている手応えのようなものをいつもさがしていました。

美術系に進むことを決めたときに思ったのは、やりたいことを見つけた、という充実感よりも、良い逃げ場がやっと見つかった、という安心感です。予備校で静物デッサンのモチーフを前にしたり、美術館で作品と対峙していると、向こうから言葉を待たずとも、こちらのペースで、自分の感情を発露することができるような気がしました。

「もしキュレ」に関わって約5年(5年も!)、通して思ったのはざっくり、美術って広いんだな~ということで、その広さというのは、すごすぎてついていけないようなものではなく、鑑賞者側が思っているよりも美術ってふところが深いんだ、とふっかりしたものに顔をうずめたくなるような心地です。私は挿絵を通しての立場ですが、これからもそのふっかり具合を、静かに広めていきたいな、と思います。

みよし・あい
1986年東京都生まれ、在住。東京藝術大学大学院修了。イラストレーターとして、挿絵、装画を中心に多分野で活躍中。主な仕事に伊藤亜紗『どもる体』(医学書院)装画と挿絵、川上弘美『某』(幻冬舎)装画など。著書にエッセイ集の『ざらざらをさわる』(晶文社)と『怪談未満』(柏書房)、絵本の『ゆめがきました』(ミシマ社)がある。


 

連載「もしもし、キュレーター?」これまでの回一覧

【第1回】畑井恵(千葉市美術館[当時])
プロローグ:生きることは変わること。アメーバのような美術館の「揺らぎ」について
(2021年4月公開)

【第2回】藤川悠(茅ヶ崎市美術館) 聞き手=畑井恵
美術館での心の動きが、個々の日常に還っていくまで
(2021年8月公開)

【第3回】尺戸智佳子(黒部市美術館) 聞き手=藤川悠
地域のことを考えないと、美術館自体が成立しない
(2021年12月公開)

【第4〜5回】赤井あずみ(鳥取県立博物館/HOSPITALE) 聞き手=尺戸智佳子
前編:どうせ学ぶのであれば、誰かと一緒に学びたい
後編:その町で一人ひとりが能動的になること、活性化すること
(2022年10〜11月公開)

【第6〜7回】森山純子(水戸芸術館) 聞き手=赤井あずみ
前編:「ひとりの人間として扱ってもらう」経験に出会う場所を
後編:自分の言葉を発していい、考えを表明していい、ライフラインとしての美術館
(2023年3〜4月公開)

【第8〜9回】奥脇嵩大(青森県立美術館) 聞き手=森山純子
前編:美術を辞めて日常に戻る人の背中が、もっと見たくなってしまって
後編:美術館を出て考える、人が「ここ」で生きている意味
(2024年1〜2月公開)

【第10〜11回】藏座江美 聞き手=奥脇嵩大
前編:出会った人たちから受け取った、歴史からこぼれてしまうものを共有する
後編:つくることや見せることを、もっと「普通」にできたら
(2025年3〜4月公開)

【第12〜13回】石田智子(高松市美術館) 聞き手=藏座江美
前編:「来てもらう」ではなく「出かけていく」からこそ見える景色
後編:作品=モノと対話することでしか育たない感覚
(2025年10〜11月公開)

※本連載はまだ続いていきます。今後とも引き続き「もしキュレ」をよろしくお願いいたします!