2007年に期待される建築家として、まず藤本壮介と石上純也の名を挙げよう。
二人とも筆者がコミッティをつとめるKPOキリンプラザ大阪において、展示を企画することを依頼した。注目すべき新世代の建築家だと思っているからだ。そして期待を裏切ることなく、いずれもすぐれた作品を生みだしている。
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藤本壮介《K-HOUSE》
(c)KAZUO FUKUNAGA
写真提供:キリンビール株式会社 |
藤本の作品の多くは北海道にあって、なかなか訪れる機会がなかった。しかし、2006年、《T-HOUSE》と展示のために制作した1/1スケールの《K-HOUSE》を実見することができた。いずれも昔から存在しえたような建築でありながら、まったく新しい空間の質を獲得している。遠いことと近いことが同時に発生する情報空間のメタファーというべき作品だった。オルレアンのアーキラボ2006に出品された《東京アパート》は驚異的なプロジェクトである。久しぶりに驚かされた模型だった。いわば、西沢立衛の《森山邸》の各ブロックに三角屋根をつけて家型に変え、それらを垂直に積み重ねた形式である。実現に向けて動いているというから楽しみだ。
石上は、まだ個人名の事務所で実現した建築がないにもかかわらず、すでに学生の卒計やアイデア・コンペの作品にも大きな影響を与えている。石上風があまりに多いことが問題ではないかと言われているが、もちろん彼の責任ではない。まねをする学生が悪い。これまではテーブルや椅子などの小さな建築としての家具を軸に展開し、現代美術の分野でも注目されていたが、2007年からはいよいよいくつかの物件が竣工を迎え、建築家としても勝負の年となるだろう。ニューヨークでは、リノベーションによるヨージ・ヤマモトの店舗が完成する予定だ。またTEPCOの住宅プロジェクトやホテルの改装も控えている。どれも非凡な形式を提示しており、その才能は美術界からも注目されている。
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石上純也作品 (c)石上純也建築設計事務所
写真提供:キリンビール株式会社
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ここでは詳細を書けないのだが、とあるプロジェクトで協力をお願いし、石黒由紀と平田晃久のデザインの姿勢にも感銘を受けた。二人は対照的なアプローチである。石黒は与えられた課題に対し、知的かつ論理的な方法論をストイックなまでに徹底させることによって、すぐれた回答を導いた。言うまでもなく、それは敷地の条件から固有の構成を発見していく彼女の作風ともつながっている。一方、平田は鋭い直観力とともに強い作家性を発揮し、ねじれたトポロジーの空間をつくりだす。しかも奇抜な形態のようでありながら、それが自然に受け入れられる説得力をもつ。
ちょうど『住宅特集』2007年1月号では、1970年以降に生まれた若手建築家39組を紹介しており、やはり藤本、石上、平田が入っている。同特集では、中村拓志と吉村靖孝の活動も興味深い。いずれも建築の枠を拡張していくからだ。中村は、構法や装飾のレベルで細かい操作を試みているが、建築オタク以外にも通じるデザインを切り開く。1月からはプリズミック・ギャラリーにおいて彼の展覧会も開催される。吉村は、建築にまつわる制度を問題として顕在化させる。そうしたシステムの限界と隙間から、いわゆる計画学とは違う、新しい可能性が浮上する。
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ところで、伊東豊雄は、中崎隆司の『ゆるやかにつながる社会──建築家31人にみる新しい空間の様相』(日刊建設通信新聞社、2006)のオビに「無風ニッポンのサザナミケンチクカ達」というキャッチコピーを寄せている。同書のラインナップでは、藤本、石上、石黒、平田らの4人も含まれる。辛辣とも思える伊東の言葉は、かつて槇文彦が、早川邦彦、相田武文、長谷川逸子、富永譲、石井和紘らを「平和な時代の野武士達」と命名したことを意識したものだろう。戦国時代の後の、主なき武士たち。花の41年組をさしており、当然、伊東も同じ世代に含まれる。しかし、その後、野武士たちは出世し、安藤忠雄や伊東は、大将というべき地位を獲得した。「平和」から「無風」へ。「野武士達」から「サザナミケンチクカ達」へ。ゆえに、さざ波の中から誰が一歩先に出て、大波を起こすことができるのか。その行方を注視したい。 |