村田真/原久子 |
|
10/29-11/23 |
|
|
|
|
萬鉄五郎記念美術館[岩手] |
|
|
|
|
某誌の「個人美術館への旅」の取材で、岩手県へ日帰りの旅。新花巻駅から釜石線に沿って東へ車で10分ほど走った東和町土沢が、萬鉄五郎の出生地。美術館はその小高い丘の上に建つ。1984年の開館というから個人美術館としては早いほうだが、画家の死後半世紀以上たっていたせいか、めぼしい作品はすでに岩手県立美術館など収まるところに収まっていて、残念ながらここには代表作といえるものはない。だけど生まれ育った場所であり、コレクションも初期作品や日本画や素描が充実しているので、萬のモダニストとは別の土着的な顔も見えてくる。それが地元の個人美術館ならではの醍醐味というものだ。
[11月17日(月) 村田真] |
|
|
|
|
宮沢賢治記念館[岩手] |
|
|
|
|
花巻まで来たならやっぱ宮沢賢治。鉄筋コンクリートの落ちついた和風建築のなかで、資料や写真、映像などで賢治の業績を紹介している。でもなんか違うんだなあ。建物もディスプレイも中途半端というか。宮沢賢治の記念館だったら、やはり建物はロマネスク様式かなんかで、古くさい陳列棚に鉱石や植物の標本を博物学的に並べるか、さもなければ超モダンな立方体か球体の建物で、すべてヴァーチャルに体感させるかのどちらかでしょう。勝手な意見ですが。
[11月17日(月) 村田真] |
|
|
|
|
第35回日展
11/2〜24 東京都美術館[東京] |
|
|
|
|
午前10時前、上野の森美術館の前を歩いていたら、ホームレスのおっちゃんに「ここ通れないよ」と止められた。美智子さんがピカソ展を見に来てるそうだ。ミッチーがしばしば美術館の開館前におしのびで展覧会を見に行くのは公然の秘密。もっと大っぴらに見てくだされば美術の地位も少しは底上げされるかもしれないのに。それはともかく、都美術館でもういちど「大英博物館展」を見ようと駆けつけたら、すでに15分待ち。そこで恒例の日展見物を先にする。こちらも大英展と同様どんどん人が吸い込まれていくけれど、なにしろ会場が大英展の15倍以上もあるから余裕だ。日展では、日本画が洋画化し、洋画が日本画化して両者の区別がつきにくくなっているといわれて久しいが(私がいってるだけかと思ったら、朝日新聞11/13でも都築響一が似たようなことを述べていた)、もちろん違いもある。日本画から洋画部門に行くと、まず匂いが違う。逆にいえば、風邪を引いてたりしたら違いはわかりづらい。でもつぶさに見ていくと、モチーフもわずかに異なっている。日本画のほうに多くて洋画に少ないのは池や水面などの水ものや動植物、つまり自然ネタで、逆に洋画に多くて日本画に少ないのはピエロや操り人形といった死語ネタや、自画像、アトリエ、制作風景などの内輪ネタ。つまり洋画のほうがいくぶん自己言及的といえる。画中画が多いのもそのためだろう。おもしろいのは、そのアトリエにはたいていオウム貝が置かれていること。日展入選の必須アイテムか。いずれにせよ彼らにとって制作のモチベーションはただひとつ、「日展入選」だけしかないのではないか。そのための「傾向と対策」が存在しているかのようなのだ。会場を出ると、大英展の列は館外にまで伸びて待ち時間は80分だというので今日はあきらめる。
[11月18日(火) 村田真] |
|
|
|
|
旅
10/28〜12/21 東京国立近代美術館[東京] |
|
|
|
|
いまどきなんで「旅」なのかといえば、移民・難民・亡命者も含めて「『ここではないどこか』を生きるため」であり、それはまた美術のもつ力と重なるからだそうだ。出品は、瀧口修造が知人に贈った《リバティ・パスポート》をはじめ、大岩オスカール幸男のニューヨークでの新作絵画、ビル・ヴィオラのビデオインスタレーション、エリック・ファン・リースハウトのダンボール製の映像小屋……と書きながら、最後の部屋の雄川愛の作品を見逃したことにいまごろ気づいた。チケットやチラシはボーディングパス、カタログはパスポート仕立てで旅情を誘う。なわけないけど、カタログの「『旅』をめぐるキーワード」がおもしろくてタメになる。
[11月18日(火) 村田真] |
|
|
|
|
あかり
10/28〜12/21 東京国立近代美術館[東京] |
|
|
|
|
イサム・ノグチの「あかり」。見慣れすぎたせいもあるけど、「あっそう」って感じ。イサム・ノグチは人生はすこぶるおもしろいけど(ドウス昌代の伝記は強烈だった)、作品は関根伸夫の先輩といった風情で、造形的なおもしろさ以外なにも感じないのだが。
[11月18日(火) 村田真] |
|
|
|