村田真/原久子 |
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9/19-9/24 |
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福島栄利子 encounter
9/14〜19 アートスペース虹[京都] |
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メキシコ留学から帰国したばかりの福島は、学生時代から一貫して白い作品をつくってきた。白い壁に透明の円形シールを貼った輝く壁、光に反応する塗料を用いたタブローなど3種類の異なる方法で制作した作品を発表した。一番興味をひいたのは、気泡を撮った写真のようにみえる作品。写真ではなく、実際にアクリル板の裏側に不透明なメディウムを塗って泡状のマチエールをつくっている。アクリル板を通すことで、最近よくある密着加工の写真作品にみえたのだが、写真より当然のことリアルなのである。
[9月19日(日) 原久子] |
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中比良真子展
9/14〜19 ニュートロン[京都] |
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中比良の作品はこれまで機会があるごとに観てきたが、毎回かなり変化がある。若い作家だし、変ることは、おおいにいいことだとは思う。だが、どうも今回の花が髪や顔面の一部から生えてきたような人物のペインティングは、「花」の意味するところがわからない。次回作を続けて観なくては、この「花」の意味が私には理解できないかもしれない。
[9月19日(日) 原久子] |
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星野高志郎×青野卓司
9/7〜19 ギャラリーはねうさぎ[京都] |
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いったん活動を休止していたギャラリーはねうさぎが、今年6月に閉じたギャラリーココの場所で再開した。オープニング記念展は、以前から作品を扱っていた星野高志郎と青野卓司。天井から吊り下げた青野の作品は毛糸を編んだ真っ黒な円錐状の造形物。星野はグリーン&ブルー系に染めた紙でトンネル状のインスタレーションを設置。狭い隙間を通ると、人の動きで起こる風をはらんでトンネルが膨らみ、紙が身体にまとわりつかない。ココでやっていた作家とは異なるテイストの2作家だったので、まだココの展示の印象が強く残っていて頭がなかなか切り替えられずに少し困惑した。でも、きっとすぐにはねうさぎの色にスペースが染まっていくのだろう。
[9月19日(日) 原久子] |
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ヤノベケンジ+ART ZONE
Mammoth Project Office OPEN
9/18〜23 ART ZONE[京都] |
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「ヤノベケンジ+ART ZONE マンモス・プロジェクト・オフィス OPEN」という展覧会があった。継続して行なわれるので、1週間の展示のみのプロジェクトではなく、blogページなどもある。20世紀の文明を支えた鉄の廃棄物でできたマンモスが21世紀の町を歩き回るという設定。ヤノベの作品には壮大なストーリーがいつもある。展示は高さ1mほどの通路をはいつくばって移動しながら観るという趣向を凝らしたものだった。過去のヤノベ作品のミニチュアやビデオを導入として、マンモス・プロジェクトが行なわれるに至る過程を紹介する地下世界があって、地下の穴から地上の世界をのぞくと、縮小サイズのマンモスが町のジオラマのうえに立っている。このマンモスがいつか町を歩き回ることがあるのか、これからも見守ります。
[9月19日(日) 原久子] |
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visible bodies [exsistense] イエナ(佐々木亮太郎)
9/18、19 ヴォイス・ギャラリー[京都] |
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9月のヴォイス・ギャラリーでは週末のみ、ファッションを切り口に制作している若いアーティストたちが展覧会を開いていた。作業用の「つなぎ」をイメージしてしまうようなオールインワンの服と、それらを着たモデルたちの映像が流れるモニターが展示されている。一点ものなのか、値札にはかなり高額の価格がついていた。その値段の価値があるものかどうか、評価するのはお客さんなのだろう。価値がないと思えば買わないのだから。
[9月19日(日) 原久子] |
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明和電機 ナンセンス=マシーンズ展
7/31〜10/11 広島市現代美術館 |
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音を奏でる楽器、なんの役にも立たないがそれなりの機能はもっているマシーン。明和電機の作品はナンセンスで、そして、ちょっと人に媚びている。でも、土佐社長って頭いいなーと思う。笑いを誘う作品はシリアスな作品づくりよりもよほど難しいから。しかし、なんだかいろんな疑問がわいてくる。貸出し用の制服を着て、写真なんか撮ってもらったりして遊んでみたが、でも釈然としないものが残ったまま会場を後にした。
[9月20日(月・祝) 原久子] |
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大兵馬俑展
9/25〜2005/1/3 上野の森美術館[東京] |
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地下から発掘された8000体ほどの兵馬俑のうち20体ほどを展示。ほかに壷や武器、装飾品など。エジプトの埋葬品もそうだが、たったひとりの死者(秦の始皇帝)のためにこれだけのものをつくり、そして埋めてしまったことに興味をもつ。美術品として見せるわけじゃないのに、ここまでつくりこむかなあ。でも地中に埋めたからこそ保存され、いま美術品として見られるのだから皮肉な話ではある。西洋でいえばヘレニズムの時代。人体彫刻として見ると動きは乏しいし、なで肩だし、筋肉質じゃないし、ひとことでいえばカッコ悪い。でもそれだけに無気味な魅力がある。ちょうど日本のサラリーマンのようだ。
[9月24日(金) 村田真] |
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