小吹隆文/福住廉 |
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4/17-4/24 |
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ART WAFERS──21世紀絵画の重層性
4/18〜30 海岸通ギャラリー・CASO[大阪]
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個展と平行してグループ展活動も行うUNEA SINESS(芦谷正人、岩澤有徑、大澤辰男)が、信頼を寄せる泉依里と田村実環を誘い、更に2人が推薦する久下典子、林嘉一、塩賀史子を加えた8人で展覧会を開催。特定のイズムを標榜するのではなく、多様性から現在の平面表現を切り取ろうというもの。会場が広いスペースを有するため、各人の出品数も多く、その点でも見応えがあった。
[4月18日(火) 小吹隆文] |
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小高敦子 別々の時間
4/17〜30 TOKI Art Space |
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年老いた手が握手をしている映像。手のシワから別々の人間の手であることがわかるが、一方の手が呼吸や脈動でわずかに動くのにたいし、もう一方の手はまったく動かない。というより、動作することを意図的に拒否しているかのようだ。その気持ちを欠落させモノと化した手が、コミュニケーションの象徴形式であるはずの「握手」に隠れるディスコミュニケーションを顕在化させ、切なくさせる。
[4月18日(火) 福住廉] |
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TORBJORN RODLAND Fantasies Are Facts
4/15〜5/27 児玉画廊[大阪]
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ビートを刻むリズムに合わせて植物や身体が脈動する映像作品。流行の映像のツボをおさえているせいか、詩的なミュージック・ビデオにも見えるが、単調といえば単調で、滑稽にも見えた。
[4月18日(火) 福住廉] |
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石川九楊の世界展
4/13〜25 大丸ミュージアムKYOTO[京都] |
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書の世界は不慣れだが、石川九楊の作品は前から一度見たいと思っていた。抽象絵画や前衛音楽の図形楽譜を思わせる作品は、書かれている文字がちっとも読めない。だから絵として楽しむことにした。すると、書のはずが星雲に見えたり、森に見えたりするから不思議。言葉という人間の知性が宇宙の法則と融合して、頭の中で無限的に広がっていくのが快感だ。
[4月20日(木) 小吹隆文] |
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菊地賢
4/17〜22 ギャラリー山口[東京] |
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ギャラリーに入ると巨大な臀部の模型が目前に迫り、イヴ・クラインのお尻バージョンのような、尻ペインティングの痕跡が壁や床のいたるところに残されている。全体的にパンク的な投げやり感が強いものの、そうであればその徹底性が十分でないようにも思えた。[4月20日(木) 福住廉] |
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京都美術地誌案内
4/4〜5/21 京都市美術館[京都] |
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近代京都の美術史を、戦前は官vs.反官の視点で、戦後は団体展〜個々の活動の視点で紹介している。個人的には、平井楳仙や植中直斎ら戦前の帝展、文展入選作に興味をそそられた。スケールが大きく技量も高い。戦前の帝展系の企画展があったらぜひ見たいと思ってしまった。サブタイトルに「反・画壇の系譜」とあるのだが、現代に近づくほど「画壇」の意味が曖昧になり、それにともなって展示も散漫に感じられた。
[4月20日(木) 小吹隆文] |
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浅野竹二 展「新京名所・新大阪風景」
4/24〜5/6 大阪府立現代美術センター[大阪] |
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1930年代の京都、大阪の街並や名所を描いた版画連作を展示。線描・彩色とも柔らかく、たおやかな叙情に満ちている。表現よりも描かれた内容(道頓堀川でのボート遊びなど)や、当時の界隈の様相を今も残る建築をたよりに想像することで、一人静かに盛り上がってしまった。
[4月23日(月) 小吹隆文] |
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奥田文子 展
4/25〜29 ギャラリーDen[大阪] |
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これまで作品をきちんと見たことが少なかったが、今回個展を見て「この人結構やるなー」と感心してしまった。写真を元に複数の風景を組み合わせて、曖昧な記憶のような景色を描き出している。薄い色彩を重ねて空気感を作ったり、濃い色のベタ面でもダルくならない所に好感。なにより、精神がリフレッシュするような爽快感が良い。自宅に飾ってじっくり付き合いたくなる。
[4月23日(月) 小吹隆文] |
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これが板橋の狩野派だ!
4/15〜5/21(前期) 板橋区立美術館[東京] |
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同館所蔵の狩野派をまとめて見せる展覧会。毎回展示には趣向を凝らしているが、今回の見ものは狩野一信の《源平合戦図屏風》。『平家物語』から印象的な場面を抜き取り再構成した屏風だが、それとは別に画中の情景を説明する解説文が併せて展示されており、そこでは登場人物の台詞がマンガのフキダシのようにあてがわれている。そのせいか、この巨大な屏風が、マンガというよりむしろある種の見世物として描写されていることがよくわかる。
[4月23日(月) 福住廉] |
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