小吹隆文/福住廉 |
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3/26-4/2 |
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花森安治と「暮らしの手帖」展
2/4〜4/9 世田谷文学館[東京] |
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家庭雑誌『暮らしの手帖』の創刊から30年にわたって編集長を務めた花森安治の展覧会。直筆の原稿や表紙原画、イラストをはじめ、かの有名な商品テストや社員旅行を撮影した映像まで、花森のものづくりを網羅的に展示している。なかでも孫の陽子ちゃんに宛てた絵手紙は、現在の絵文字を多用したメールを先取りする想像力を駆使しており、その原初的な手わざが孫への惜しみない愛情をひしひしと伝えている。
表紙の装丁から自社広告のデザイン、カット絵まで手掛ける多彩ぶりを堪能したあと、展覧会の最後に現われるのが、花森の思想を簡潔に体現したともいえる「見よぼくら一銭五厘の旗」という詩だ。たかが兵隊は一銭五厘の葉書でいくらでも召集できるという戦時中のエピソードをもとに、同じ葉書を使って庶民が投書することにより、暮らしの民主々義の快復を説く、いわばアジテーションの色合いの濃い詩だが、それが過度に政治的に見えないのは、この詩が花森による一連のものづくりの延長線上に置かれているからだろう。花森が同誌を通してアピールしたのは、料理はもちろん、洋裁やアクセサリー、家具にいたるまで「自分で作る」生活様式だったが、それはただたんにDIY文化の普及を目指していただけではなく、その根底ではひとりひとりの庶民が自分の言葉を獲得するというヴィジョンを提示していたのではないだろうか(実際、同誌の醍醐味は読者による投稿欄にある)。
だから今日、花森が残したものから受け継ぐものがあるとすれば、それは世俗的な政治から隔絶した良識的で禁欲的なライフスタイルではなく、だからといってエゴとエコを両立させながら消費に邁進するロハスの源泉でもなく、あるいは瀕死の政治運動を甦らせるための特効薬でもない。そうではなく、それはもっと原始的な、ぼくら自身が自分の言葉で自分の暮らしと政治を丸ごととらえるパースペクティヴにほかならない。「新しい幻覚の時代」を迎えている今だからこそ、陽子ちゃんへの絵手紙から政治を見なければならない。
[3月26日(日) 福住廉] |
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横井弘三ふすま絵展
2/15〜4/16 信州新町美術館[長野] |
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横井弘三は明治22年生まれの絵描き。二科展で樗牛賞を受賞するや「日本のアンリ・ルソー」として華々しくデビューするものの、その後画壇と決別し、日本のアンデパンダン展の嚆矢ともいえる「理想大展覧会」を企画したり、生活苦から露店商となって古本屋をはじめたり(この体験は「露店研究」と題された本にまとめられ、優れたエスノグラフィーとして今も楽しく読める)、絵本や玩具の創作も手掛け、はたまた漆絵や焼絵、乳夢版といった新たな手法や画材の開発にも勤しむなど、たんに都落ちした画家として切り捨てるにはあまりにも惜しいほど豊かな活動を繰り広げた。同展は、横井が戦中に疎開してそのまま住みついた長野で寺のふすまに描いた水墨彩画を一挙に見せる展覧会だ。
ふすまには日蓮上人の誕生から入滅までが、絵物語のように生き生きと描き出されている。大きな特徴は、人間の描写が等しく凡庸なのにたいし、雲や樹木、海といった自然の描写をマンガ的に誇張することで、異様な生命力を表現している点だ。また、ふすまの地の模様がそのまま残されている上、遠近法もかなりいい加減で、文字が混在しているから、これをタブローとして見ることはまずできない。絵筆のタッチからいえば、洋画というより、前近代の日本絵画に近いが、だからといって狩野派のように様式化された技法を駆使しているわけでもなさそうだ。稚拙といえばそれまでだが、この「洋画」にも「日本画」にもあてはまらず、かといって「マンガ」というわけでもない、得体の知れない画は、たとえば炭坑画で知られる山本作兵衛(明治25年生まれ)や昭和新山を記録した三松正夫(明治21年生まれ)などの同時代人と通底する、近代(絵画)の縁に立ってはじめて到達できる画境にほかならない。
近代の隘路に陥った現代絵画の窮状を打開するには、それが排除し抑圧してきたさまざまな潜在的な可能性を顕在化させなければならない。そのいわば近代美術史のオーバーホールは横井らの多様な活動が端緒となるはずだが、それと同時に、何よりもぼくら自身が「絵画」の圏内から積極的に離れようと努めるべきだろう。
[3月28日(火) 福住廉] |
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木村祐一展・キム兄屋敷──キム兄のええモン見せたる
3/24〜4/3 PARCO MUSEUM[東京] |
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今、「お笑いアート」が熱い。といっても、かつて「芸術は僕発だ!」という珍言を残したことのある藤井フミヤが、似たようなノリで「大地の塔」をおっ立てたことではない。劇団ひとりはネタの世界観を活字で表現することに成功しているし、先ごろ東京都写真美術館で催された「私のいる場所」展では、みうらじゅんが「バカネタ」を出品して1人勝ちを収めた。それと同じ「街ネタ」でいえば、ダーリンハニー吉川の「東京フィールドワーク」は、時折文学的になりすぎるきらいがあるにせよ、身体の皮膚感覚で都市を地図化するプロジェクトとしては芸人の余興を超えた高度なレベルに到達している。同展は、そうした「お笑いアート」のなかでも、もっとも芸人として活躍しているであろう、キム兄こと、木村祐一の「写術」を中心に構成されている。
「写術」とは、街中の珍奇な看板や建築を発見し、写真に収め、それに「つっこみ」を加えていくキム兄の持ち芸のこと。それをスライドショーとして見せるところも、みうらじゅんの「バカネタ」とかぶっているし、アートの文脈からすれば、路上観察学会や木下直之の「ハリボテの町」などの前例があるため、とくに目新しいものでもない。だが、たとえばみうらじゅんといとうせいこうによる「ザ・スライドショー」と比べてみると、キム兄の眼差しの特異性がよくわかる。とりわけ、いとうせいこうが「爆笑」をねらっているせいか(みうらじゅんはそれほどでもない)、「ザ・スライドショー」が無駄に騒々しいのにたいし、キム兄の口調はいたって温厚だ。それはたんに芸風のちがいにすぎないのかもしれないが、より根本的には、前者の笑いが対象との距離を保ちながらそれを蔑む「嘲笑」であるのにたいして、後者のそれは対象と自分の距離がほとんど密着しているがゆえの「照れ笑い」に近いともいえる。珍妙な日常風景から自分を切り離せないことを前提にしているといってもいい。それは物件への偏愛からある種の「笑い」を醸し出す路上観察学会とも異なる、キム兄独自の「貧しい笑い」だ。
キッチュで醜悪で、どこか物悲しくも、愛すべきニッポンの風景。笑い飛ばされるのは、このなかで生きているぼくら自身である。
[4月2日(日) 福住廉] |
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