村田真/原久子 |
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9/3-9/7 |
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大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2006
7/23~9/10 新潟県十日町市+津南町[新潟] |
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オープニングに出たときは日帰りだったので、今回はBankARTの細淵車に乗せてもらって1泊2日で見に行く。ただし翌朝には細淵車が帰ってしまうので、見てまわれるのは実質今日1日だけ。見たものを順に列挙すると、井出創太郎+高浜利也、青木野枝、ボルタンスキー+ジャン・カルマン、彦坂尚嘉+《気》派、ビリ・ビジョカ、杉浦久子+友哉、レアンドロ・エルリッヒ、キナーレ、眞田岳彦、開発好明、旧三ツ山分校(山口啓介、橿尾正次、本間純)、春日部幹、丹治嘉彦+橋本学、フクタケハウス、ムタズ・ナズル、倉谷拓朴、中村敬、中瀬康志、リチャード・ディーコン、マーリア・ヴィルッカラ、BankART妻有(みかんぐみ)など。このうち廃校を含めて空家を使ったプロジェクトは12件、前回見たのを合わせると18件にもなる。なかでも倉谷拓朴とマーリア・ヴィルッカラは、そこにある素材を用いて静かに語りかけるようなインスタレーションを見せ、好感がもてた。一方で、悪評ふんぷんだったのがフクタケハウス。ベネッセの福武社長が小山登美夫やヒロミヨシイら現代美術ギャラリーに校舎を提供し、若手作家が競作しているのだが、「越後妻有らしくない」「東京をもってきただけ」と散々だった。でも出品作家の千葉正也にしろ泉太郎にしろ、その場所で発想しその場所でつくったその場所ならではの作品だし、ちょっと空家プロジェクトに食傷気味だったこともあって、逆に新鮮に映ったのは事実。
[9月3日(日) 村田真]
今回が第3回目となった「大地の芸術祭」。ジェームス・タレル《光の館》といった大型で宿泊機能をもつ建物までつくった第1回目(2000)と、廃校となった教育施設や空き家を用いたプロジェクトが主になった今回の内容を比べるのは難しい。だが、日本大学芸術学部彫刻コースの《脱皮する家》に象徴されるような名作も生まれたわけで、異なる条件のなかでも地域に根付いた催しになってきたことで、その役割をまっとうしているように思う。「つまり」というだけで通じるくらいにアート界では浸透度もある。前回に出かけたのと同じ3人のメンバーで出かけたが、とても楽しい旅であり、屋外設置の作品などは雨のなかで巡って行ってもそれぞれのよさに触れることができた。2009年に4回目が開催されることを切望する。
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左上:ジャン・リュック・モーマンは地震でできた建物の亀裂部分にも壁画を描いた
右上:《フローティング・バンブー》中澤克巳
下:脱皮する家 |
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[9月4日(月)、5日(火) 原久子] |
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アロマロア エロゲロエ
9/2,3 アイホール[兵庫] |
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高嶺格が構成・演出したパフォーマンス。この作品については内容よりも先行して「チラシ作るの、やめませんか?」という矛盾をかかえたチラシを出して、まず話題になっていたかもしれない。ダンス、演劇ほかパフォーミングアーツ系の会場では必ずチラシの束を受けとる。自分の意志で取るわけではないので、半数以上はゴミ箱に直行。でも勿論、高嶺のことなので、それは単なる導入部。イスラエルの置かれた状況、いや、いま世界が抱える問題を訴える素晴らしい作品を体当たりで若いパフォーマーたちが演じてくれた。
[9月3日(日) 原久子] |
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浅井忠と関西美術院展
8/26~10/9 府中市美術館[東京] |
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質量ともに満足のゆく展覧会。浅井以前の田村宗立、伊藤快彦、寺松國太郎らがグロテスクでよかった。分厚いカタログが1,700円と激安!
[9月7日(木) 村田真] |
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松浦寿夫 林と森──筆触の論理学
7/23~10/9 府中市美術館[東京] |
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限られた色味の絵具をキャンヴァスにボソボソと置いていく。もう20年以上も続けている制作姿勢には脱帽するほかない。
[9月7日(木) 村田真] |
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