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プライバシーステートメント
展覧会レビュー
小吹隆文/福住廉
11/1
浅田政志写真展「浅田家」
10/31〜11/19 ギルドギャラリー[大阪]
浅田政志写真展「浅田家」
浅田政志は家族写真を撮り続けている。と言っても、単なる集合写真ではない。父、母、兄、自分が様々な職業やシチュエーションに扮した写真を制作しているのだ。例えば、選挙、バンド、病院、競艇場、やくざ、忍者、消防員、等々である。それら作品の中で家族は役を演じると同時に、家族である事自体を演じているようにも見える。一方、固い結束も垣間見え、ちょっと羨ましく思えたりなんかして。虐待や自殺など家族を取り巻くお寒い状況ばかりがクローズアップされる昨今だからこそ、見るだけでポジティブな気持ちになれる浅田の作品は貴重である。
[11月1日(水) 小吹隆文]
アイドル!
10/7〜1/8 横浜美術館[神奈川]
アイドル!
先ごろ、日本経済新聞社は全国の公立美術館の実力を調査して、その格付けランキングを発表した(日経新聞20061014)。この記事によると、横浜美術館はトップクラスの「AAA」に位置づけられ、しかも全国6位の「学芸・企画力」(偏差値69.9)を持ちえているという。これほどまでに高い偏差値を目の当たりにすると、数字の上下運動に一喜一憂させられてきた偏差値世代としては無条件にへりくだってしまいがちだけれども、同時期に催されていた『アイドル!』展をみるかぎり、必ずしも数字が実力を正確に反映するわけではないことがよくわかり、ほっとした。
展覧会のはじまりを飾るのは中原杏の少女マンガ《きらりん☆レボリューション》。アニメ化もされているというこの少女マンガは小学生を中心に絶大な支持を集めているらしい。けれども、展示の実際は、空間にたいする作品の物量が圧倒的に少ないため、不用意にも貧相な印象を与えてしまっているし、おまけにどういうわけか壁を水色に塗り上げているため、寒々しいことこのうえない。また、これも同じく小学生とその母親を熱狂させているという株式会社セガによる《オシャレ魔女 ラブandベリー》もゲームセンターのようにゲーム機を並べているだけで、なりふり構わず低年齢層におもねる企画者の魂胆が見え見えだ。寂れたテーマパークのような会場は、現代消費文化のおぞましい一面をとらえていると言えなくはないけれども、それにしても現代社会におけるアイドルについて考察するというテーマに最適な展示構成なのかどうか、疑問が残る。
もちろん、このように全面的に大衆に迎合する企画展が、低予算のなかで観客動員数を稼ぎ出さなければならない昨今の公立美術館の過酷な内情を物語っていることはまちがいない。けれども、そうした内部事情は展覧会を見せる側の責任であって、展覧会を見る側には本来関係のないことだ。企画展であれば、金がなくとも地道な研究成果にもとづいた展示であってほしいし、同時代のエッジを切り開く力強いものであってほしい。むしろ厳しい条件のなかで優れた企画展を実現するからこそ、その美術館の「学芸・企画力」が評価されるべきではないのか。残念ながらそうなっていないのは、美術館を取り巻く社会的・政治的な要因によるのと同時に、それ以上に企画する側のアイドル観が決定的に誤っているからだと思われる。
「この展覧会は社会に強いインパクトを与えている『アイドル』をテーマに取り上げています」という企画者の文言を目の当たりにすると、鑑賞者は心の中で「?」と呟いてしまう。そうした類のインパクトをアイドルが持ちえていたのは、おそらく70-80年代の、具体的には山口百恵から松田聖子、そしてせいぜい82年組と言われる小泉今日子や中森明菜、堀ちえみあたりまでで、現在のアイドルが当時と同じ程度 の影響力を発揮しているとは到底考えられないからだ。むしろ、80年代の「おにゃん子クラブ」や90年代後半からの「モーニング娘。」の系譜がはっきりと示しているように、アイドルはすでに大衆の欲望を一方的に投影される希少な鏡としての役割を終えて、誰でもいつでもアイドルになりうるような浅薄な質へと転位してしまい、いわば民主化を果たしてしまったのだ。アイドルと素人の境界線は相対的に不明瞭になり、いまや両者はそれぞれ交換可能である。こうした現状認識から見れば、たとえば山口百恵の写真を映像として見せる篠山紀信の作品はノスタルジックな欲望を充足させることはあっても、現在のアイドルを考察する上では歴史的な参照項にしかならないし、土屋アンナや鈴木えみを写している蜷川実花の写真にしても、モデルはまさしく現代的でこそあれ、写真のありようとしては90年代の文化的モードをいまだに引きずっているため、決してゼロ世代のアイドル像を提示しているとはいえない。なんというか、ようするに全体的に古いのだ。
誰だってアイドルになれるという事態は、誰だってアーティストになれるし、誰もがキュレイターにも批評家にもなれるという、現在の不安定で危ういアートシーンに正確に対応している。じっさい、この展覧会では地元の高校生をゲスト・キュレイターとして招聘しているらしいし、同美術館では公募により「市民キュレイター」を集め、新人作家の発掘を目指して調査を開始しているそうだ。これは一面では、実質的な効果はともかく、市民に向けた行政サービスの一環といえるが、別の一面では学芸員の専門性がかつてないほどまで徹底的に地に落ちているということを示唆している。ということは、学芸員ですら交換可能である以上、在野のアイドル研究家やオタク評論家にキュレイションを任せたほうが、美術畑の学芸員が下手に色気を出すより、優れた展覧会に仕上がるのではないだろうか。そしてそのほうが結果として市民の満足度も高まることが期待されるのではないだろうか。
だから節操のないポピュリズムの導入は、学芸という専門性の首をみずから締め上げることになりかねない。それを回避したいのであれば、少なくとも同時代の先端を反映した展示内容が求められる。たとえば、誰だってアーティストにもキュレイターにも批評家にもなれるというポピュリズムの横行にたいして、現在それへの反動主義がたしかに生まれつつある。かつてのポエティックな批評言語を回復させようとする試行錯誤(つねに「あれは批評ではない」という言い方を好む)や、軽やかでしなやかでコジャレタ「インディペンデント・キュレイター」の台頭(業界にべったり依存しているのに、独立独歩を謳う)、あるいは大芸術家を待望するメンタリティ(大竹伸朗でも山下清でも、じつをいうとなんでもよい)などなど。 こうしたアートにおけるリアクショニズムは、バラエティで重宝される類のアイドルに相対するかたちで今まさに売り出されている、石原さとみや長澤まさみ、沢尻エリカ、堀北真希、綾瀬はるかといった最近の「女優」気取りのアイドルと同じ穴の狢である。それらはいずれも、似非であることを決して認めない(そして、そろいもそろって笑いに乏しい)「本格派」なのだ。こうした人工的で人為的なフレームアップ=でっちあげによる本物志向は、アートにもアイドルにも通じる「本質」として想定することができる。この点に少しでも配慮した展覧会であれば、「高偏差値で『いやな奴』かと思ったら、じつは『いい奴』だった」という評価を与えることができたのに、と悔やまれる。
[11月1日(水) 福住廉]
Index
10/21-10/27
SEA-RING 三浦政能展
ルシアン・エルヴェ展
永山祐子「光と影」
10/30-10/31
小寺絵里展
加賀城健展
日野田崇展 Entartete
11/1
浅田政志写真展「浅田家」
アイドル!
11/2-11/6
素景 −陳若冰 平田五郎 尹煕倉−
加藤寿彦展「Geometric Reality」
OHKA43-bバーニング
ヨシダミナコ写真展「かしこ」
11/8-11/11
八木良太 文字の存在論のために
泉依里展 dangle
STAY WIYH ART2006 WHAT'S ENTERTAINMANT
宮川ひかる トリップ・オブ・ヒカル
三瀬夏之介
11/13-11/17
愛の力学 青木万樹子展
高須英輔 ー階段レリーフを中心としたー
山本作兵衛作品展
第38回日本美術展覧会
碓井ゆい展 playing in a quiet room
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