小吹隆文/福住廉 |
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7/15〜7/20 |
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矢津吉隆 展 THE CORONA
7/15〜20 アートスペース虹[京都] |
カーテンで仕切られた真っ暗な室内に入ると中空に光の輪が。光は次々と色や形を変えていく。ミニマルな律動に身を浸す感覚が心地よい。同時に宗教的体験をしているかのような錯覚にも陥る。作品は大型ファンのプロペラ部分にLEDライトを仕込み、発光を制御したものだ。矢津は原初的な神のイメージを現代のテクノロジーを使って表現しようと試みており、今回の作品は「日食」がモチーフになっている。作品を見ていると、時々光の輪がぐにゃりと曲がる瞬間がある。何故かと問うたら「中年以上の人にはそう見える」との答えが。期せずして我が身の老化を知り、違った意味のショックを受けた。(後日、この現象は老若問わず起こりえる事が判明した)
[7月15日(火) 小吹隆文] |
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富士山 近代に展開した日本の象徴
6/7〜7/21 山梨県立美術館[山梨] |
近現代における表象としての富士山を概観する展覧会。葛飾北斎の《冨嶽三十六景》をはじめ、歌川広重、富岡鉄斎、横山大観から、高山辰雄、梅原龍三郎、片岡球子、中村宏、タイガー立石、三瀬夏之介にいたるまで、絵画や工芸、写真、ポスターなど100点あまりが展示された。全体を通して見ると、誰もが知る富士山が、各時代に応じて「日本」や「国体」、「伝統」の象徴として描かれてきた経緯が分かるようになっていた。こうした展示構成は、必然的に主題としての富士山の未来を予見させていたが、それを企画者のいうように「クリーンでニュートラルな新しい日本の象徴」として単純に考えることはできない。なぜなら、富士山は、いまもかつても、「不純で偏向した」多様な立場が入り乱れる闘技場(アリーナ)だからだ。そこは新しさも古さも関係なく、あらゆる見解が開陳され、結果として象徴が成立するかもしれないが、基本的には絵を描く描写という原点に忠実な場である。主題としての富士山の未来は、絵描きが担っているのであり、それを「クリーンでニュートラルな新しい日本の象徴」とあらかじめ意味づけることは危険ではないだろうか。
[7月15日(火) 福住廉] |
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丸山純子
6/24〜8/24 山梨県立美術館 南館展示室D室[山梨] |
スーパーのレジ袋で花を作り出す作品で知られる丸山純子の新作展。衣装ケースや籠、PCモニターなど、白いプラスティック製品の表面をハンダゴテによって溶かし、垂直に延ばすことで、太陽に向かって立ち上がる植物のような造形を作り出した。それらを床において並べたインスタレーションは、ゴミであるにもかかわらず、荘厳なイメージをもたらしていたが、白色で統一されていたせいか、それは廃棄物を「成仏」させる儀式のように思われた。
[7月15日(火) 福住廉] |
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建築が見る夢──石山修武と12の物語
6/28〜8/17 世田谷美術館[東京] |
建築家・石山修武の展覧会。「世田谷村」をはじめ、石山が手掛けてきた数々のプロジェクトをパネルと模型、写真などによって紹介していたが、その見せ方が建築家による展覧会の常套手段だったせいか、建築にさほど馴染みのない観覧者には石山の建築の面白さが届きにくかったようだ。「藤森照信と路上観察」展や「伊東豊雄 建築│新しいリアル」展(ともに東京オペラシティアートギャラリー)などで見られた、観覧者の身体感覚を存分に引き出す展示手法が参考になるはずだ。
[7月20日(日) 福住廉] |
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