2019年12月01日号
次回12月16日更新予定

トークシリーズ:「Artwords」で読み解く現在形

[シリーズ1:“美術”の現在形]「現代美術用語辞典 ver 1.0」から「Artwords(アートワード)」までの10年を振り返る[第2部]

暮沢剛巳/足立元/沢山遼/成相肇2013年02月15日号

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6. アーカイブ、記録、インターネット

成相──メディアアートが取り上げられる機会が増えたことと関連するかわかりませんが、例えば『ヴィデオを待ちながら』展は1日の開館時間中に出品作すべてを全部見ることができませんでした。最近はそういうことが珍しくありません。

暮沢──東京都現代美術館でやっていた『レベッカ・ホルン展』でも上映時間7時間の作品がありました。美術館の開館時間は8時間なのにね(笑)

成相──先ほどの建築の話題が空間に関わることだったのに対して、当然美術館の時間も変化を被ることになるということです。7時間の作品を見通す人はほぼ皆無だと思いますが、こうしたことが定例化すると、「続きはウェブで」とは言わないまでも作品を部分的にネットで補う対処法も出てくるでしょう。今でも公式・非公式を問わなければyoutubeなどで見られる映像作品は多いです。ただそうなると展覧会の出品作がサンプルとなり、見本市のようになる可能性も伴うわけですが。現在は一部でサービスとして行われている夜間開館を作品と連動させる試みも現れるかもしれません。それと、展覧会図録という形式も変わりつつあるはずです。単純な目録であったものがほとんど書籍と同じ様相になっているという流れがまずあって、さらに現在では図録メディアに対抗的な作品への対応の仕方が問われています。最近の話題ばかりになって恐縮ですが、たとえばMOTアニュアルの『風が吹けば桶屋が儲かる』展★83では、どの作品も非常に饒舌で、美術館外に延長した膨大な言語情報が付随しています。あれをどうやってカタログに収めるのか。

沢山──展覧会がカタログ化しているとも言えますね。

成相──美術館の制限を超えようとする作品が出てくることは当然避けられないことでもあります。特にMOTアニュアルでは出品者による企画に展覧会企画者が駆り出されるなど立場が逆転したり、twitter上で展覧会の評価や議論、進捗の報告などが積み重ねられていて、それを出品者がまとめて随時更新したりしている。ある意味カタログが先取りされています。

暮沢──お客さんがついていけないのではないでしょうか。

成相──記録を通じて、どこまでを作品の範疇とみなすのか試されているとも言えます。

暮沢──そもそも伝える必要がないのかもしれません。

成相──東京国立近代美術館で夏に行われた『14の夕べ』の締めくくりに行われた、上崎千さん、森大志郎さん、三輪健仁さんによるトークのテーマも、いかに一連のイベントを記録するかでした。

暮沢──Webベースになっていくものはあるでしょうね。活字化できないものはWebに残すしかない。ところで、「サイバースペース」という言葉は言われなくなりましたね。旧バージョンでは先端用語でしたが、やはり10年間の変化は大きいですね。旧バーションには出てこなかった新しいアーティストも出現してきていますが、そういった人たちの傾向など何かありますか。

成相──今回新たに項目が入ったニコラ・ブリオーの『関係性の美学』とか。

沢山──「現代美術用語辞典」の2001年の旧バージョンと、2012年のver2.0は、時代的に9.11と3.11にほぼ対応していますよね。先日、水戸芸術館での『3.11とアーティスト:進行形の記録』展★84のレビューを『美術手帖』に書きました。これはほとんど矛盾した言い方になってしまうのですが、この展覧会では作家が作品を制作することを前提にしないで制作された作品群が展示されています。いわば、アーティストの活動=アクティヴィティを記録・保存するメディアとして「美術」という入れ物=メディアがあるような感じなんですね。それらの活動は、当然ヴィデオや写真で記録されたのですが、正確に言えば、「アート」というフレームが記録媒体になった。現地を訪れて復興にかかわる「活動」を行い、展覧会という形式においてはそれを「作品」としてプレゼンテーションする。これはほとんど転倒した状況で、かつては作品をどうアーカイブするかが美術館や研究者の問題だったのですが、今はアーティストや作品自体がアーカイブをあらかじめ想定して作品制作に従事するようになった。そこで美術館という定義が揺らいでしまう。コンピュータの上にあるデータでも、jpgとかwordとか、何らかの保存形式を持たなければ社会で流通しないけど、いまでは美術というフレーム自体が保存形式になってきているということが起きているのではないかと思うんです。MOTアニュアルでも3.11展でも良いですが、カタログの形式からしてアーカイブにものすごいこだわりを見せるのも、個々の作品がすでにアーカイブ化しているからではないかと。最近ではアーティストが編集者やキュレーターとして振る舞い、複数の出来事を自分たちでつくり、それらを自分たちのアクティヴィティとして編集していく。そこでキュレーターが本当に必要なのか、つまりアーカイブのアーカイブ化が必要なのかという問題に突き当たっているように見える。

足立──それは現在に始まったことではないでしょう。1970年代の美術や1960年代の記録に残らなかった行為だけの作品なども含めて、過去にもそういう状況がありました。

沢山──実験工房など、アーカイブしか残っていない人たちが再評価されている今の状況とも繋がっていると思います。日本のアンデパンダン展の作品なんてほとんど残っていませんが、それゆえにこれまでは研究も進んできませんでした。

暮沢──大阪万国博覧会もそうですね。「太陽の塔」と鉄鋼館くらいしか残っていない。

足立──記録しか残らないものや記録に残すべきかどうかすらよくわからない行為にも価値を与えるようになりつつあります。それは最近のものに限定されなくて、過去の作品や出来事でも現在のことでも研究の対象になりえます。

成相──作品が現存しないようなものを再考する展覧会の例は過去からありますが、現在の状況との違いがあるとすれば、かつては再制作が伴う場合の倫理問題が取り沙汰されることがあったのに対して、近年ではそのような意識は薄まっているように感じます。それは作品そのものに加えて、往時の周辺状況や環境を再現的に見せる展示手法が広まりつつあることと関連しているのではないかと思います。

暮沢──産業考古学的なもの、たとえば目黒区美術館で『文化資源としての〈炭鉱〉展』★85などについてはどうでしょうか。ベルギーでの「マニフェスタ」という国際展を見に行きましたが、舞台となったヘンク市はかつて炭鉱で栄えた都市で、英語かと思ってガイドツアーに参加したらドイツ語だったので困りましたが(笑)、炭鉱の歴史を延々語っているということだけはわかりました。実際そういう歴史を踏まえる必要のある展示になっていて、ふと目黒の炭鉱展を思い出しました。他方、2011年の所沢ビエンナーレは旧所沢市立第2学校給食センターが会場でしたね。ああいうイベントがなければ一生行かないようなところです。あれもある意味産業考古学的だったかも。

成相──目黒の「炭鉱」展は、東京で開催したということに重要性があります。北海道や福岡では意味が変わってくるでしょう。当事者や経験者が主体になると、日本の近代史に焦点を当てようとする目的を偏らせて見せることにもなりかねません。小さなアーカイブは各所に無数にあるのですが、それが固有の問題になってしまうと抱え込まれていく一方です。そこでこそ、沢山さんのいうアーカイブのアーカイブは機能します。

暮沢──閉鎖になったけれど京都には丹波マンガン記念館というのがあって、高嶺格さん★86が作品を設置したり、下道基行くんが掩体壕群などを撮ったりもしていますね。

沢山──都築響一さん★87が取材しているような、個人が運営している炭坑資料館とか、探せば変なアーカイブは日本にたくさんある(笑)

成相──あらゆる作品/作家がアーカイブ/アーキヴィストとしての側面を持っているともいえます。美術というフレームが保存形式になっているという話がありましたが、ドキュメント映像などを組み込むことでその側面が強く見えるようになっているとしても、それはキャプションというか、脚注のようにして微細な周辺情報を取り込んで肥大化して、さっき言ったことと同様に抱え込まれやすいです。日記やウィキペディアみたいに。それらを掬い取る新しい網の開発は常に可能です。「炭鉱」展を企画した正木基さんは、かねてから圧倒的な網羅性を持つ展覧会で知られていました。正木さんの関連では『戦後文化の軌跡 1945‐1995』(朝日新聞社、1995年)を今回の辞典に入れましたが、総出品数が600点を超える異常ともいえる数でした。概念化を急がずに、ともかく網羅的に資料収集に徹することで、つなぎとめられた場所から個々の問題を解放することが可能になる。同じく正木さん企画の「原爆」展も、非被爆者、非ポリティカルな立場を貫くためにも広島で開催しないことが重要なのだと聞いていました。

足立──ポリティカルな立場を持った展覧会としては、東京藝術大学美術館でやっていた『尊厳の芸術展 -The Art of Gaman-』★88は重要な展覧会でしたね。戦時中、日系人がアメリカの各収容所でつくっていたものを「アート・オブ・我慢」と名付けて、日本人はこんなに頑張っていたのだとお涙を頂戴する。この展覧会は、アメリカ的な美徳を良く示したもので、東京藝大以降、福島、広島、沖縄といういずれもアメリカと関係の深い土地へ巡回していきます。原発をアメリカの関係だけとは言えませんが、アメリカで開かれた展覧会と本を藝大美術館の人が監修して日本に持ってきて、NHKでは日本人が頑張っていたという感動的なドキュメンタリーがつくられ、入場無料で多くの人を集めるというものです。「炭鉱展」とはまったく違う意味でポリティカルな展覧会でした。

成相──9.11はどうしても実感がわかないのですが、今回の辞典の旧バージョンと新バージョンの時代差とつなげるなら、少し遡って阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件が起きた1995年が思い浮かびます。東京都現代美術館ができた年でもあります。地震や原子力、あるいはテロについて美術館が言及した例というのは数少ないものの、例えば川崎市岡本太郎美術館で『震災・記憶・芸術』(2000年)という展覧会もありました。水戸芸術館のように迅速に反応した企画も大切だと思いますが、美術館が達成したことを美術館が継承していくこともひとつの責務です。

暮沢──事故の記録を展示として残していくということでいえば、真っ先に思い浮かぶのがポール・ヴィリリオ★89の『事故の博物館』★90ですね。だいぶ前に本人監修の展覧会がパリのカルティエ財団で開かれ、阪神・淡路大震災なども展示に組み込まれていましたが、他にもいくつかのアレンジが可能な論だと思います。

★83──2012.10.27-2013.2.3 東京都現代美術館で開催。URL=http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/140/1
★84──2012.10.13-2012.12.9 水戸芸術館で開催。URL=http://arttowermito.or.jp/gallery/gallery02.html?id=331
★85──2009年に目黒区美術館で開催された展覧会。キュレーション:正木基。展覧会主旨は「1950年代のエネルギー革命によって、エネルギー資源は、石炭から石油へと急速にとってかわられます。そして、今や、石炭を目にしたことのない子供たちが多数を占め、取って代わった石油自体も枯渇の危機が懸念されるにいたっています。石炭産業が国家的事業として、戦後の日本の復興に大きく寄与していた時代はもう遠い過去のことのように思えてきます。が、そのような時代になればなるほど、炭鉱への関心が様々な形で喚起されているのはなぜなのでしょう」[展覧会ウェブサイトより]と、炭坑と文化のつながりを見直すことを呼びかける。
★86──たかみね・ただす:1968- 日本の美術家。ヴェネツィア・ビエンナーレ美術展(2003)、「とおくてよくみえない」展(2011-12)、「高嶺格のクールジャパン」展(2011-12)など数々の展覧会に参加。著書に『とおくてよくみえない』(フィルムアート社、2011)、『在日の恋人』(河出書房新社、2008)など。
★87──つづき・きょういち:1956- 日本の写真家、編集者。東京の生活する人々の生活空間=部屋をただひたすらに撮った写真集『TOKYO STYLE』で注目を集める。以後も、日本各地の珍奇な風景やアダルトな展示施設=秘宝館を撮り歩く。写真集『ROADSIDE JAPAN 珍日本紀行』で、第23回木村伊兵衛写真賞受賞。
★88──2012年から13年にかけて国内5カ所を巡回する展覧会。「平成24年は日系人の強制収容から70年の節目を迎えます。この機会に、太平洋戦争中アメリカ西部で強制収容された日系人が制作した美術工芸品を集めた展覧会を開催します。困難の中でも人間の尊厳を失わなかった日系人の作品を通じて震災から復興する日本と日本人を見つめる機会としたいと考えます」。[展覧会ウェブサイトより]
★89──Paul Virilio:1932- 思想家、都市計画家。主な著書に『速度と政治──地政学から時政学へ』(平凡社、1989)、『電脳世界──最悪のシナリオへの対応』(産業図書、1998)、『情報化爆弾』(産業図書、1999)、『自殺へ向かう世界』(NTT出版、2003)、『パニック都市──メトロポリティクスとテロリズム』(平凡社、2007)ほか。
★90──1989年3月21日にNHK映像ライブラリーで放映されたTV番組。フランスの思想家ポール・ヴィリリオのコンセプトを浅田彰がフィーチャーするかたちで、映像デザイン:原田大三郎(ラディカルTV)、効果:庄野晴彦(ラディカルTV)とともに構成された。技術文明の肯定面を強調するポジティヴィズムが引き起こす「根源的アクシデント=原事故」を直視する、科学の文献学的TVプログラムとして耳目を集めた。

7. 言説編

暮沢──美術評論が衰退の一途をたどっていると、常に言われています。つまり評論家の書く場所がない、職にありつけないと。これは僕自身長らく実感してきたことでもあります。「キュレーターの時代」とも言われますが、それと引き換えに、評論家の影響力が大きく低下しているのは間違いない。ただこれは、自分の私怨(笑)とはまったく違う見方も可能なはずで、例えば『REVIEW HOUSE』★91、『ART CRITIQUE』★92、『ART TRACE PRESS』★93、名古屋の芸術批評誌『REAR』★94などのミニコミ誌がたくさん出てきています。これらのメディアは、読者も影響の及ぶ範囲も限られているけど、貴重な思考実験の場になっています。また、評論家の需要がないはずなのに、『美術手帖』は芸術評論募集を2000年代に3回も行い、人材を発掘しようとしています。またネットメディアもあります。artscapeは1990年代からありますが、最近はさらに個人が自由に情報発信できるブログやTwitterもあって、膨大な言説が生み出されていて、ある意味では批評は衰退していないとも言えます。みなさんにはこの状況がどのように見えていますか。

足立──2000年代に入って、単純に言説の世界の参加者は増えましたね。しかし、やはり椹木野衣さんなど10年前と今とで批評の中心的なプレーヤーはまったく変わっていないと思います。それは美術史の方でも同じだと思います。その中心的プレーヤーたちが下の世代に冷たいとか厳しいということもないですが、メディア側の人たちがその中心的プレーヤーたちと一緒に歳を取っているために、代謝とか交代はないんだろうなと思いました。
ただ、『あいだ』のような小さいけれど頑張っているメディアもあって、自分を含めて30代の人たちの発言の場がないわけではありません。そうした場は、主要なメディアからこぼれたところをやるような落ち穂拾いと呼べなくはないけれど、言説の場と内容は確実に拡大し続けていると思います。

暮沢──大御所の顔触れが変わらないって、例えて言えば、北大路欣也や高橋英樹がいつまでたっても時代劇の主役を張っているようなものですかね(笑)。

沢山──暮沢さんが言われている「美術批評の衰退」は僕がデビューした時からも枕詞のようにずっと言われていました。そうすると、批評についてのシンポジウムとか、批評の定義について書くような仕事が多いわけです。そういう機会がある度に批評とは何かについてコメントをしなければいけない(笑)。これって逆説にほかならないわけですよね。批評が本当に衰退しているのであれば、そんなもの話題にするまでもない。僕からすれば、皆過度に批評に期待しているのではないか、そのことにちょっと驚くのです。逆にいまだに批評なんかを書いているというだけで的外れな攻撃をされたり、あらぬルサンチマンをぶつけられることも多くて、辟易することも多々ありますよ。こっちからすればいまどき批評なんてそんなに脅威になるようなものかなあと思うのですが。そもそも昔1952〜57年に美術出版社から刊行されていた『美術批評』という針生一郎や中原佑介らが寄稿していた雑誌があって、だいたいその頃からずっと批評の危機なんて言っている(笑)。50年くらい。じゃあその『美術批評』は何部出ていたのかと。多分『ART CRITIQUE』と同じくらいですよ。

足立──批評の危機は戦前からも繰り返し言われているんですよ(笑)

暮沢──ハル・フォスターが『デザインと犯罪』で「美術評論家は絶滅危惧種だ」と書いていたから、日本だけの問題でもないみたい(笑)。衰退と言われる根拠としては、批評家がなかなか本を出せないとか、新聞や雑誌に書く機会が減っているということですね。『美術批評』が神話化したのは、そこで書いていた人たちが後年になって業界の中枢に君臨したからでしょう

沢山──かつて、東野芳明★95、針生一郎★96、中原佑介★97を指して美術批評の「御三家」と呼んだりして一定の影響力を誇ったわけですが、結果としてそのような雰囲気が批評の権威主義を招いたのであれば、確かに今は批評の衰退期だと思います。であれば大いに衰退して結構なのではないですか。

暮沢──今まで何度か戦後美術の年表やチャートを作る機会があって強く実感したのですが、明らかに批評を特定の固有名詞に収斂させようという傾向が業界の約束事になっています。瀧口修造が戦前戦後にまたがっていて、戦後は御三家に始まり、次に宮川淳が、さらに藤枝晃雄と峯村敏明が来るという具合に。美術評論家連盟の会長人事なんかもこの流れに沿っている。ただこの系譜の辿り方では、椹木野衣を最後に「ここから先はキュレーターの時代です。もう批評家の出番はありません」で終わってしまう(笑)。先ほど成相さんが例に挙げた『From Postwar to Postmodern, Art in Japan』のサブタイトルが1945-1989なのが象徴的です。僕も一応美術評論家ってことになってはいるけど、この系譜には連なりようがないし、そもそも連なりたいとも全然思わない。

沢山──批評家の権威が失墜したという話だと思います。御三家がその後何をやったかといえば、国際展のキュレーターや美術館館長、大学学長、美術批評家連盟会長などです。いまやそうした役割は元学芸員だった人たちが負うことになっています。それは今までの批評家界隈の既得権益が崩れたという意味で良いことなんではないかと思います。原発もそうですが、あらゆる業界の既得権益が崩壊し始めていて、ギルド的な生産体系を保ちつつ相互扶助でなんとかやってきた美術や批評の世界も同じだと思う。

暮沢──結局自分に戻ってくる問題ですね。批評家の最たる既得権益とは新聞や雑誌に書く欄を持っていることです。それらの欄は誰にでも門戸が開かれているわけではなく、批評家には見識があるという前提があるから書かせてもらえる。ところが、ギャラリー周りをすればすぐにわかるけど、市井には批評家よりも美術をたくさん見ていて詳しい人はいっぱいいるし、批評家の記事よりそういった人たちの感想の方が的確なことが常にあり得ます。自分自身、今までそういう事例に何度も遭遇してきました。誰でもネットで情報発信できる今の時代、一部の批評家がメディアを占有する特権が失われてしまったことも、批評を困難にしている理由のひとつでしょうね。

沢山──それは良いことだと思います。僕よりも展覧会を見ている人、現代美術への関心が深い人、たくさんいますよ。その点僕なんて全然ダメです。

暮沢──あと市井の人といえるか微妙ですが、山本冬彦さんや宮津大輔さんのようなコレクターのことも気になります。彼らは出版社から声を掛けられて新書を出したりしていますから。僕が2冊新書を出しているから言うわけではありませんが(笑)、彼らのように新書を出せる評論家がどれだけいるのかと。

沢山──言説も表現も既存の支持基盤に依存している以上はこれから淘汰されるということだと思います。だからこそ先ほどの敵対性の話に繋がりますが、美術だけで自閉するのではなく、建築とか暮らしの道具とか、生活全般、人間活動全般に行き渡るものとしての文化体系を前提として美術の定義が改めて再構築されなければならない。たんにポピュラリティを確保すれば言説が生き延びるか、というとちょっと厳しいと思う。

暮沢──トップのプレーヤーが20年変わっていないという話で言えば、グローバリズムとフォーマリズムの二極構造があります。椹木野衣さんは、本人の関心はドメスティックなのかもしれないけど、若い頃から一貫して推してきた村上隆さんの高い国際的評価などとも連動する形で、日本から海外に発信されるアートと並走する言説を担うポジションにいます。松井みどりさんもそれに近いかもしれない。一方で、作家でもありますが、岡崎乾二郎さん★98が『批評空間』の「モダニズムのハードコア」(1995)★99などで理論的密度の濃い議論を提供して、強烈な影響力を持つ言説として機能しています。某巨大掲示板で、岡崎さんと林道郎さん★100しか理論家がいないかのような書き込みを数多く見ていると、さすがに極端な気もしますが(笑)。もちろん政治的、現場的な影響力のある人は他にもいるけど、批評はあくまで理論や言説の問題だし、そういう意味で彼らと拮抗する「第三極」はなかなか思い当たらない。

成相──他に名をあげるとすれば清水穣さん★101でしょうか。岡崎さんや林さん、そして松浦寿夫さん★102は、トークイベントをまとめたものが多いのが特徴です。知識はもちろんながら、原理的な引き出しが非常に多くて、演繹的に多様な表象にリンクできる。だから様々なトークに対応できるのだと思います。SNSの登場といったメディア環境の変化で、そうしたイベント自体がここ数年で一気に増加したという理由もあると思います。今や紙媒体で告知する必要性はどんどん低くなっていて、当日呼びかけてもある程度の参加者を確保できたりします。広報のスパンが非常に短くなったというか、ごく短期間に効力を発揮する広報ツールを得たというか、ともかくかつては考えられないことでした。需要と供給がかみ合うポイントを細かく検索することができるようになった、というか。その中で椹木野衣さんはトークイベントに参加される機会が比較的少ないように思います。

暮沢──椹木さんは哲学とかポップカルチャー等、バックボーンとなる部分は美術の外側にあるのかもしれないけれども最も正当な評論家だと思います。展覧会の企画や審査員なんかもやってはいるけど、彼は一義的には物書きであって、出版した著作が多くの読者に支持されたことによって今の地位を得た。こんなことは当たり前のはずなんだけど、でも美術業界が閉鎖的なこともあって、こういうタイプの美術評論家は少ない。また本人が言っていましたが、美術雑誌以外の論壇誌や文芸誌に書けるかを常に意識しているそうです。彼は確かに美術雑誌以外でも長文の評論を書いていて、確かにその通りだと思いました。身も蓋もない言い方けれど、美術雑誌にしか書けないうちは美術業界にしか影響力がありません。椹木さんはそういう意味で知識人たり得ているし、他にはあまりいない。

成相──保坂健二朗さん★103がいますよ。文芸誌や建築誌など幅広く書いています。

沢山──僕は暮沢さんの構図自体が美術業界の貧しさを表していると思う。美術業界以外の外の人たちがこんな貧しい図式で美術の言説を見ているかなと。業界の内側にいる人だけがグローバリズム対フォーマリズムとか言っているだけで、そもそもそのような対立は外部には存在しないのではないでしょうか。岡崎さんは柄谷行人★104や磯崎新★105と一緒に『批評空間』をやっていましたし、それは椹木さんも同様です。

暮沢──もちろん自分でも豊かだとは思っていませんよ。この図式自体、美術批評を取り巻く状況が厳しい、言説が貧しいという認識を出発点に、それを単純化しようとしたものだし、批評の言説を業界の外に開いていく必要があると思うからこそ、論壇誌や文芸誌にも書くことの意義を強調したわけです。そもそも業界の内と外という二分法で考えるなら、再三名前の出ている御三家だって所詮業界の内側の人でしかないでしょう。

足立──『美術批評』で書いていた御三家がなぜ権威を持つようになったかと言えば、ひとつには彼らが後に新聞で書いたからでしょう。メディアの規模がまったく違います。新聞が偉いと言うつもりもないのですが、もし外から見てどうこうというのが問題であれば、美術批評家も積極的に大メディアに登場して書くしかありません。
でも、それが書き手にとって本当に大事なことなのかと疑問に思います。本を出すことや大メディアに書くことも大事だけれど、残るか残らない小さなメディアに書き続けることや、そうした小さなメディアを出し続けることは、これからさらに重要になっていくと思います。何より小メディアでは比較的制約もなく自由に書くことができます。そして、メディアの歴史が執拗に問い直されている現在、少なくともメディア史研究的な文脈の中では、大資本の大メディアと同じくらい数人でやっている小メディアが大きく取り上げられることは少なくないからです。

暮沢──御三家と同世代の方では、その図式から疎外されていた多木浩二さん★106に尊敬の念を覚えます。晩年は御三家はほとんど本を書いていませんでしたが、多木さんは晩年まで本をたくさん出していました。亡くなられたときも様々な方から追悼が寄せられ、その言説が業界の外側でも受容されていたことが実感された。果たして最後まで読者や市場に支持されていたのはどちらなのか。僕が御三家の系譜を疑う理由のひとつです。

沢山──そもそもポピュラリティや大衆なんて単位はとっくに解体されているんじゃないですか。たとえばTwitterのタイムラインを見れば誰でもわかることですが、自分もある特殊な、マイナーな立場のひとつに過ぎない、ということをそこで自覚するわけです。そもそも大衆に対して、超越的な立場を取る知識人の役割は終わっていますし、誰しもが複数の立場に解体されつつある。近代的な知識人として啓蒙し得るような集合的な他者はもう想定不可能なんだと思う。いまやマイノリティーではないマジョリティ、マジョリティではないマイノリティーは存在しなくなってきている。足立さんが言われたように、ゆえに、たんにマイナーな領域に居直るのではない、先鋭化のしかたがあり得ると思います。日本に関して言えば、言説に対する批評、批評に対する批評としての観点が、美術に関しては貧弱だったと思う。僕たちもいい加減、これだけ思想や言説の蓄積があるのだからそれらを縦横に取り込みつつ、方法論的に吟味することができると思います。
書物や出版業界の衰退と言われますが、僕は全然そう思っていなくて、むしろ何かに対してコメントするという活動自体は活発化しています。ネットを見てもわかるように、言説は玉石混交の状態。むしろそのことで書き手だけではなく、読者のほうにリテラシーが要求されるようになっている。もはや、権威的なメディアであればあるほど、情報の正確性が高いということはなくなった。3.11以降、テレビや新聞などの大文字のメディアの信頼が失墜しましたし、今後出版業界にもその余波が来ないとも限りません。けれどSNSがそれに競合ができるかと言えばそうではない。校正も編集もされていませんから。その意味でまだ複数の人の手が介在する出版メディアの重要性は明らかにあると思う。

暮沢──新しいメディアの最たるものであるニコニコ動画にしてもYouTubeにしても、テレビが元ネタになっているコンテンツも多いし、SNSにしても、新聞のニュースサイトが話題の出発点になっている場合が多い。いずれにせよ、新しいメディアが古いメディアを駆逐するという単純なものではありませんね。ちなみに僕自身は、世代的なこともあって出版メディアを重視する立場です。先ほども言いましたが、パブリシティや展評に相当する言説はネットにいくらでも溢れているわけだし、そういう状況下で批評家が何らかの役割を果たせるとすればやはり体系だった作業、すなわち本を出版することではないかと思う。そうやって考えると、電子出版なども現れてきたとはいえ、活字の役割は依然として重要です。話がループしてしまいますが、その実践が困難だからこそ「批評の危機」と言われているわけですけど。

沢山──ジル・ドゥルーズ★107は「テレビは情報の発信者がわからない、ゆえにその情報は情報として機能しないだろう」というようなことを言っています。当然ですよね、発信者が不明であることは、そもそもメッセージの条件を満たしていない、ということですから。重要なのは、情報の送信者と受け手、媒体の性質、そうした諸々の条件において、いかなるメッセージを送り届けるか、という設定から言説の立て方を考えることだと思います。その意味で、情報はむしろ個人的なネットワークのなかで形成されるようになってきたように思います。ミニコミ誌にしたって「これ本当に原稿料が出るのかな」というところからスタートすることもあるわけですが(実際はもちろん出ますが)だけど、双方に信頼関係があるから、そこから仕事を始めることができる。これから批評的な言説が信頼や信用を持って生き延びる可能性があるとすれば、誰とどういう情報を、いかにしてつくっていくのかというネットワークの開示が不可欠です。加えてそこで出版の可能性があるとすれば、ある特定のタイミングにおいて、著者が情報の発信源とし自らの名を署名するという時間的・空間的な不可逆性にあるのかもしれない。記名であること、そしてある特定の空間と時間においてその情報が提出されたものだというところに二重の責任が発生しますから。その二重性ゆえに、情報としての永続性・信頼が生まれてくるとすれば、書物や印刷物の可能性もまだあると思う。

暮沢──残念ながら、そろそろおしまいの時間のようです。話題が大変多岐に渡ったこともあり、全体を総括することは困難ですが、このVer.2の内容にかなり踏み込むことができ、また三人のそれぞれの関心や立場の違いのようなものが明らかになったのではないかと思います。足立さんは日本近代が専門なので、その話題が中心なのは当然なんですが、著書のあとがきにも書かれていたように、実は以前には現代美術系の学芸員だったこともあり、その関心を今でも持続しているのがよくわかりました。そのときの経験が、海外の日本美術研究なんかを踏まえて「日本」を相対化するという経験に生かされているのかもしれません。

足立──この10年間を振り返ると、個人的なことになるけれど、特に思い出すのは、美術の業界から消えた人達や、志半ばで亡くなった人達のことです。消えた人達の中には、とても優秀な人もいましたし、新たな道を得た人もいれば、全く消息を聞かなくなった人もいます。亡くなった人達には、身体を壊しながら大仕事を続けた人や、皆から愛された天才のような人もいました。ふとしたときに、彼らがもし今も目の前にいたら、どんな風に語り合うだろうかと考えます。死んだ人を持ち出すせいかもしれませんが、少なくとも、美術や美術館をめぐる状況が10年前よりも良くなっているとは、お互いに言わないでしょう。彼らの不在は、まさしくこの10年間の社会の厳しい変化が一因にあったと思うからです。
だからといって、10年前が今よりも良かったかというと、そうとも言い切れません。私自身を取り巻く状況としては、人や情報が自在に行き来するグローバリゼーション(これは一方では社会の厳しい変化にもつながります)が日本美術史研究の世界にも浸透したおかげで、研究者として外国に招かれるようにもなりました。10年前には全く想像できなかった良いことです。
研究と批評の中身や方法についても、大きくいえばこのグローバリゼーションが大きく関わってきていると言えるでしょう。歴史上のどんなに小さなエフェメラルな出来事であっても、それが記録された情報となって、国際的な文脈につなげられたときに、重大な意味を帯びるようになります。この状況においては日本美術史でも英語が第一共通語となって、英語で書かれないと意味がないとさえ言われます。その中では、欧米に限らず東南アジアを含めた多くの人種が活発に交流していて、実際とても楽しいです。
しかし、もはや存在しない人達の声は、肉体を求めてこう言っているような気がします。それが一体何なのだ、と。たしかに、大上段に構えてグローバルな文脈につなげることは、距離を置いた語り口にしかなりえません。血肉の通った切実なテーマを地道に書き続けていくことは、反時代的でありつつ、美術を身近なものとして捉えるのに必要なことではないかと思います。

暮沢──沢山さんはデビュー作のカール・アンドレ論を読んで以来、ある種のオーソドキシーにのっとった批評を志向しているのかなと思っていたけど、実際には従来の批評にはずいぶん懐疑的というか、美術という概念の拡張を目指しているようにも感じられて刺激を受けました。成相さんはもともと岡本太郎を研究されていて、今回の石子展などからも、いわゆるメインストリームとは違う前衛のあり方に関心があるのかなと思っていましたが、最近の若手アーティストのへの注目の仕方にはまた違う一面がうかがえる。先ほど言及のあった「関係性の美学」に近い視点のような気もします。あまり世代論というのは好きじゃないんですが、それでもみなさん方の話を聞いていると、世代による意識の差が存在することは認めざるを得ない。やはり、このartscapeもネットメディアなわけですが、いつどういうタイミングでネットに接したかということが、自らの批評や研究のスタンスにも大きな影響を及ぼしているということなんだと思います。
もちろん、今回リニューアルされたVer.2には、今回同席していただいた3人以外にも多くの方々が寄稿されていて、私も折に触れて一読者として活用させてもらっています。これだけ充実した内容のものができた以上、Ver.1はもうお役御免でいいと思うんだけど、当面は両者を並列する方針とうかがいました。随分昔の仕事なんで自分としてはもう見直したくないのが本音だけど(笑)、読者の立場としては両者を比較して、この10年で何がどう変わったのかを確かめてみるのも一興かもしれませんね。いずれにせよ、自分とは違った意識に拠った若いみなさんの今後の仕事にも注目していきたいと思います。今日は長い間どうもありがとうございました。


『ART CRITIQUE』No.16_1/『REVIEW HOUSE』No.1/『ART TRACE PRESS』No.1/『REAR』No.26

★91──2008年に創刊された、「見開き2ページの批評実験」をコンセプトとする批評誌。現在までに3号が刊行されている。
★92──『ART CRITIQUE』 2010年に創刊された、「技術/芸術としての知」の提供をコンセプトとする批評誌。n.01「絶対的に〈現代的〉でなければならない」、n.02「知と芸術のレゾナンス」、n.03「散逸のポエティクス」が刊行されている。
★93──2011年に創刊された芸術批評誌。現在までに、01号「特集:ジャクソン・ポロック」、02号「特集:石子順造 山田正亮/インタヴュー:宇佐美圭司」が刊行されている。
★94──2002年に創刊された芸術批評誌。創刊概要には「『REAR』とは現代における芸術に対して、批評・ドキュメントを介して多様な視座を生み出すことを目的とした雑誌です。また、中部/東海地域の作家や展覧会に見られる独自の視点を捕捉することに重きをおいています」とある。現在までに26号が刊行されている
★95──とうの・よしあき:1930-2005 美術評論。「1970年8月──現代美術の一断面」展(1970)のキュレーションやヴェネツィア・ビエンナーレ美術展コミッショナー(1972)などを務める。主な著書に『現代美術──ポロック以後』(美術出版社、1960)、『マルセル・デュシャン』(美術出版社、1977)、『ジャスパー・ジョーンズ──そして/あるいは』(美術出版社、1979)、『マルセル・デュシャン「遺作論」以後』(美術出版社、1990)、訳書にハロルド・ローゼンバーグ『新しいものの伝統』(紀伊國屋書店、1965)、ジョン・ゴールディング『デュシャン──彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも』(みすず書房、1981)、ローレンス・アロウェイ『ジャスパー・ジョーンズ』(美術出版社、1990)ほか。
★96──はりう・いちろう:1925-2010 文芸評論、美術評論。ヴェネツィア・ビエンナーレ美術展コミッショナー(1968)、サンパウロ・ビエンナーレ・コミッショナー(1977、79)、光州ビエンナーレ特別展示「芸術と人権」キュレーター(2000)を務めた。主な著書に『芸術の前衛』(弘文堂、1961)、『われらのなかのコンミューン──現代芸術と大衆』(晶文社、1964)、『針生一郎評論 第1-6』(田畑書店、1969-1970)、『戦後美術盛衰史』(東京書籍、1979)、主な訳書にジェルジ・ルカーチ『リアリズム芸術の基礎』(未来社、1954)、ヴィーラント・ヘルツフェルド『ジョン・ハートフィールド──フォトモンタージュとその時代』(水声社、2005)ほか。映画出演に『日本心中──針生一郎・日本を丸ごと抱え込んでしまった男。』(大浦信行、2001)がある。
★97──なかはら・ゆうすけ:1931-2011 美術評論。第10回日本国際美術展(東京ビエンナーレ)「人間と物質」展コミッショナー(1970)、ヴェネツィア・ビエンナーレ美術展コミッショナー(1976、78)などのほかに水戸芸術館美術部門芸術総監督、兵庫県立美術館館長などを務めた。主な著書に『ナンセンスの美学』(現代思潮社、1962)、『見ることの神話』(フィルムアート社、1972)、『人間と物質のあいだ──現代美術の状況』(田畑書店、1972)、『関係と無関係──河口龍夫論』(現代企画室、2003)ほか。
★98──おかざき・けんじろう:1955- 造形作家、批評家。近畿大学国際人文科学研究所教授。主著に『ルネサンス── 経験の条件』(2001、筑摩書房)、編著に『芸術の設計──見る/作ることのアプリケーション』(フィルムアート社、2007)、共編著に『漢字と建築』(LIXIL出版、2003)、『トリシャ・ブラウン──思考というモーション』(ときの忘れもの、2006)などがある。また、ヴェネツィア・ビエンナーレ第8回建築展(2002)の日本館ディレクターや四谷アート・ステュディウムの主任ディレクターを務める。
★99──『批評空間』第II期臨時増刊号として、1995年に太田出版から刊行された。浅田彰、岡崎乾二郎、松浦寿夫による共同編集。当時国内で翻訳論文を読む機会の少なかったクレメント・グリーンバーグ、マイケル・フリード、T・J・クラーク、ロザリンド・クラウス、ベンジャミン・ブクローの芸術論が掲載され、ジョセフ・コスースへのインタヴュー、共同編集者にくわえて磯崎新、柄谷行人、田中純、丸山洋志による共同討議等が行なわれた。
★100──はやし・みちお:1959- 西洋美術史、美術批評。上智大学教授。主な著書に『絵画は二度死ぬ、あるいは死なない』(全7冊、ART TRACE)、共著に『ゲルハルト・リヒター』(淡交社、2005)、『シュルレアリスム美術を語るために』(水声社、2011)ほか。
★101──しみず・みのる:1963- 写真研究。同志社大学教授。主な著書に『不可視性としての写真──ジェームズ・ウェリング』(ワコウ・ワークス・オブ・アート、1995)、『ゲルハルト・リヒター/オイル・オン・フォト、一つの基本モデル』(ワコウ・ワークス・オブ・アート、2001)、『永遠に女性的なる現代美術』(淡交社、2002)、『白と黒で──写真と…』(現代思潮新社、2004)、『プルラモン──単数にして複数の存在』(現代思潮新社、2011)ほか。
★102──まつうら・ひさお:1954- 画家、美術批評。東京外国語大学教授。主な共著に『モデルニテ3×3』(思潮社、1998)、『絵画の準備を!』(朝日出版社、2005)、編著に『シュポール/シュルファス』(水声社、1984)、共訳にティエリー・ド・デューヴ『芸術の名において──デュシャン以後のカント/デュシャンによるカント』(青土社、2001)ほか。
★103──ほさか・けんじろう:1976- 東京国立近代美術館主任研究員。慶應義塾大学大学院修士課程(美学美術史学)修了。主な論文に「フランシス・ベーコンの作品分析──観者へのアフェクトをめぐって」、「フランシス・ベーコンの絵画と暴力・再考──1950年代の作品における空間的連関の探索をめぐって」など、共著に『JUN AOKI COMPLETE WORKS 1 1991-2006』(INAX出版、2006)、『キュレーターになりたい!──アートを世に出す表現者』(フィルムアート社、2009)。企画展覧会に「建築はどこにあるの?──7つのインスタレーション」(2010)、「フランシス・ベーコン展」(2013)ほか。
★104──からたに・こうじん:1941- 文芸評論家、哲学者。1960年代、70年代に発表した夏目漱石論、マルクス論などを端緒に文芸理論を展開、「デコンストラクティヴィズム」を標榜するジャック・デリダや磯崎新などとの領域横断的な交流のなかで、『批評空間』誌の編集顧問を務めた。主な著書に『マルクスその可能性の中心』(講談社、1978)、『隠喩としての建築』(冬樹社、1979)、『批評とポストモダン』(福武書店、1985)、『内省と遡行』(講談社、1985)、『探究I』(講談社、1986)、『探究II』(講談社、1989)、『トランスクリティーク──カントとマルクス』(批評空間、2001)、『哲学の起源』(岩波書店、2012)ほか。
★105──いそざき・あらた:1931- 国内外のポストモダニズム建築をめぐる代表的建築家。1960年代初頭は丹下健三研究室に在籍、ネオ・ダダと深い交流をもち、70年の大阪万博おまつり広場の共同設計、その後、国内の建築設計や『空間へ』(美術出版社、1971)、『建築の解体』(同、1971)、『手法が』(同、1979)などの初期表著作を発表。80年代以降は海外での設計をはじめ、国際コンペの審査委員やAnyコンファレンスの企画、『批評空間』誌の編集顧問を務めるなど、多岐にわたる活動を行なっている。
★106──たき・こうじ:1928-2011 美術批評、写真批評、哲学。1968年、写真家・中平卓馬、高梨豊、詩人・岡田隆彦とともに「思想のための挑発的資料」としての雑誌『provoke』を創刊。主な著書に『生きられた家』(田畑書店、1976)、『眼の隠喩──視線の現象学』(青土社、1982)、『「もの」の詩学──ルイ十四世からヒトラーまで』(岩波現代選書、1984)、『天皇の肖像』(岩波新書、1988)、『写真の誘惑』(岩波書店、1990)、『スポーツを考える──身体・資本・ナショナリズム』(ちくま新書、1995)『シジフォスの笑い──アンセルム・キーファーの芸術』(岩波書店、1997)ほか。
★107──Gilles Deleuze:1925-95 フランス生。哲学者。絵画、文学、映画、管理社会論などさまざまな範疇について考察を展開した。主な著書に『アンチ・オイディプス』(フェリックス・ガタリと共著、市倉宏祐訳、河出書房新社、1986)、『差異と反復』(財津理訳、河出書房新社、1992)、『千のプラトー──資本主義と分裂症』(フェリックス・ガタリと共著、宇野邦一ほか訳、河出書房新社、1994)、『哲学とは何か』(フェリックス・ガタリと共著、財津理訳、河出書房新社、1997)ほか。 

[2012年12月10日(月)、DNP五反田ビルにて]

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暮沢剛巳

1966年青森県生まれ。東京工科大学デザイン学部教授。美術批評・美術館研究・文化批評。著書に『「風景」という虚構―美術/建築/戦争から考える...

足立元

1977年生まれ。美術史家。専門は日本近現代の美術史、漫画史、評論。2000年東京芸術大学美術学部芸術学科卒業。2008年東京芸術大学教育研...

沢山遼

1982年生まれ。美術批評。武蔵野美術大学大学院造形研究科修士課程修了。2010年「レイバー・ワーク──カール・アンドレにおける制作の概念」...

成相肇

2005〜2012(3月)まで府中市美術館学芸員。2012年4月より東京ステーションギャラリー学芸員。主な企画展=「石子順造的世界──美術発...

2013年02月15日号の
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