トークシリーズ:「Artwords」で読み解く現在形
1. 徹底的に「フザケる」──「吾妻橋ダンスクロッシング」からの視点
木村──今日は、ダンス、演劇、パフォーマンス・アートに加えて、それにあてはまらない表現にも言及していいということですが、まずは、桜井さんがキュレータを務めた吾妻橋ダンスクロッシング(2004-2013)
桜井──今回、10周年ということで、回顧と展望というか、「これまでの10年とこれからの10年」という視点で出演者を選んだのですが、率直に言って、これからの10年の可能性を充分に感じさせるようなプログラムにはできませんでした。これからを担う若手の比率を半分くらいにはしようと思ったものの、なかなか難しい、全体の3割くらいでしたね。
木村──それは、スケジュールの都合等で出演が適わなかったということではないですよね。
桜井──はい、まったくそういうことではありません。端的に、(とりわけダンスの)今後10年に期待が持てるようなラインナップにはならなかったということです。で、木村くんにはどう見えたか、感想を聞かせてください。
木村──ダンスの「運動」よりは、その運動を引き起こしている「身体」に問いを投げている作品が多かった印象を持ちました。身体という存在の「不安定さ」「不確実さ」へ向けた関心と言えばいいのでしょうか。例えば、安野太郎 の音楽のパフォーマンスでは、リコーダーを自動演奏させる装置によって、ゾンビ的ななにかが舞台に上げられました。KATHY は以前から「吾妻橋」に出演していますが、いままでやってきた「運動」はほとんど現われない。ダンスに見えないんですね。その代わりにあったのは自分たちには見えない存在に対しての問いでした。見えないものと関わる身体をどう表象できるのかをめぐってのパフォーマンスでした。また、捩子ぴじん の作品は、自分が霊的なものに出会ったというものでした。嘘か本当かわからないけれど、霊的なものに遭遇した体験を語るもので、それもまた見えない存在というか、自分の身体とは別の「身体性」にフォーカスしていました。
こういうものがダンスと呼べるかは議論になるところでしょうが、非常に面白くて今日的だと思ったんです。そこに引き付けて言えば、山崎皓司がひとりで舞台に立って、観客に話しかける快快 のパフォーマンスも、この点で共通するところがあると思いました。金銭的に不自由な中年の女性を山崎が演じ、自分が世の中から見られていない、見捨てられていることの恨みつらみを吐露するというものでした。そのパフォーマンスのなかには、山崎皓司自身の役者としての存在の不安も織り交ぜられていました。これもまた「見えない存在」をめぐるパフォーマンスだったと言えるかも知れません。
僕たちは演劇やダンスを見るときにはそこで運動している身体を見ているのだけれども、じつはそれを発生させている身体そのものにはあまり注目していません。そこで踊っているダンサーの人生、演劇をする役者の身体、現実にはそういうものが隠れてあるわけで、先にあげた作品では普段隠されている存在の不安が語られていると思いました。その踊る身体や踊る存在の不安を通して運動あるいは表現が立ち現われていたといえます。だから、美しい動きでも力強い動きでもなくて、いままであまり僕たちが気づいていなかったような動きが見え隠れしている。そこが僕が今回、「吾妻橋」を見て一番興味を持ったところなんです。
桜井──なるほど。存在の不安の表象あるいは症例であると。そう言われるとなんだか余りにも現在的な表現だったように思えてきました(笑)。僕としては、吾妻橋ダンスクロッシングで、ある種の社会的なメッセージとか3.11以降の状況に対する批評をあからさまに表現するというつもりはないんです。むしろいまの社会の「空気」に対して抗いたいと思っていて、つまり徹底的に「フザケる」という方向で行きたいと思っているわけです。いま、表現全般がそうだとも言えるけど、特にダンスの場合、とにかく動き回るとか、肉体や技術を誇示するとか、明るい笑顔でハツラツと踊りまくるという方向になってしまっています。それだと、人生讃歌や元気ソング、「絆」とかのスローガンと変わらないわけで、(少なくとも)いまの自分には役に立たない。いっぽうで特に美術で顕著な、震災や原発をダイレイクトに表現する傾向にも疑問があって……、かといってフザけまくればいいのかと言えば……。実際は、いま木村くんが言ったように、そんなにぶっちぎりのふざけ倒し大会になってないわけですし。どういうかたちのアウトプットであればいまの状況へのカウンターになりうるのか、難しいです。
2. 2000年代半ばのピーク
木村──吾妻橋ダンスクロッシングの過去のラインナップを振り返ると、2007年の「The Very Best of Azumabashi」がピークと言えますよね。当時、僕は「いたずら」をキーワードにして批評しました
桜井──たしかにいまから振り返ってみると日本のコンテンポラリー・ダンスのピークは2005年くらいだったと思うんです。それで、なんか予感めいたものを感じて(笑)、2007年に早くも回顧展、「ベスト盤」をやっちゃったんだけれども、そのときにダンス以外のものがかなり入っていて、なかでもとりわけChim↑Pomの参加が自分にとってはものすごく大事なポイントなんですね。そして佐々木敦 が掲げた「テン年代(=天然代)」がやってくる!KYは終わる!というポジティブな気持ちが、2008年、2009年と自分のなかで高まっていったんです。もうダンスとかはどうでもいい、とにかくわけのわからないポジティブな表現がくる、テン年代はすごいことになるというふうに思っていたわけです。しかし、震災によってそうではなくなってしまいました。
木村──桜井さんと僕を含めた何人かで、2005年12月に『美術手帖』のダンス特集(ポップ&アナーキーな革命前夜!?──dance?? dance!? DANCE!!)をつくりました。そのなかで、KATHYや身体表現サークル はすごく大きくて重要な存在でした。しかし、その後は、身体表現サークルが活動を休止したり、KATHYも僕が期待していたよりは活動が活発ではなくなりました。僕が見たかったダンスの担い手たちの活動が衰退していったり、それに代わる人たちが現われなかったりしたことは、2010年代への影響を考えるとすごく大きかったです。その代わりとして快快や大谷能生 さんが、ダンスではない分野から出てきて、ダンスにも強い刺激を与えるという構図がありました。それが僕なりに理解する2000年代後半の主たる流れです。
桜井──面白いダンスがだんだん消えていくのと入れ変わるように快快や大谷さんが……、というのはまったくその通りですが、はたして「ダンスにも強い刺激を与える」ことができたのか? 僕はそこについてはかなり悲観的なんですよ。この問題に関して、一番大きな「残念」はチェルフィッチュ(=岡田利規)が、トヨタコレオグラフィーアワードでグランプリを受賞しなかったということです。ダンス界は岡田利規を拒絶した。もし彼がアワードを獲っていたらいまのようなダンス状況にはなっていなかったのではないかと思います。
木村──その点を踏まえてさらに補足すると、2005年ぐらいまでは日本のコンテンポラリー・ダンスへの注目がどんどん高まっていました。それまでは多くのひとはダンスに興味を示していませんでした。その閉塞的な状態から、これまでのダンス観とは異なる見方を提示したのがまさに吾妻橋ダンスクロッシングだったんだと思います。これによってダンスがひとつのメジャーな若者カルチャーとなった。そういう流れの延長線上で、僕は「超詳解! 20世紀ダンス入門」というレクチャーをして(急な坂スタジオ、2007年2月)、そこで佐々木敦さんにゲスト講師に来てもらいましたし、大谷能生さんも聞きに来てくれました。隣接領域で活躍されていた方々にダンスについて語り考えてもらうことが始まるわけです。その後、大橋可也&ダンサーズ の新作でも佐々木さんがスーパーバイザーで関わっていますし、大谷さんは今回の吾妻橋ダンスクロッシングでさまざまなかたちで出演しました。影響力の強い人たちが注目することで、それまでダンスを見なかった観客を生み出した面はあると思います。しかし、結局のところ、ダンスにおける復古主義的事態が切り替わるといった展開にまでは、これまでのところ至らなかったことも事実です。いま桜井さんの指摘されたチェルフィッチュの位置づけも、そうした復古主義の波の現われのひとつといえるのかもしれません。
桜井──佐々木さんなど他分野からの評価の影響力は、演劇に比べるとダンス・シーンではどうも弱いですよね。「内向き」なんですよ。井の中の蛙。そのあたりもなんとも残念な感じがします。