2024年03月01日号
次回3月18日更新予定

トークシリーズ:「Artwords」で読み解く現在形

[シリーズ8:“デザイン”の現在形]フラット化と均質化──拡散するグッドデザインの時代

柏木博/鈴木一誌/深川雅文2014年05月01日号

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1. デジタル化による個人の可能性の増大

柏木──この20年のデザインに関する動向を整理してみれば、1990年代前半はバブルが崩壊して経済が低迷したこともあり、デジタルとアナログ、どちらの方向に進むかがつかめない状況が続きました。ですが、今やグラフィックに限らず、プロダクトもデジタルになり、状況は大きく変わりました。
 2000年代に入り、インディペンデントなプロダクトデザイナーが増えたことは特筆すべきことです。グラフィックと違って、プロダクトの場合は、企業の中にデータベースがあり、たとえばソニー製品のデザインは、ソニーのCADを使わなければなりませんでした。ボルトやネジ、パイプなど、あらゆる部品のデータは、企業が独自に持っていたので、デザイナーはその企業の中でデザインせざるを得なかったのです。
 個人でできるプロダクトデザインの領域もガジェットのようなものまで幅が広がりました。まだ家電製品や車はゼロからつくれませんが、いろいろなデザインのあり方が生まれてきたのがこの10年だと思います。
 そうした中で、ここ5年ほどの間に起きているおもしろい傾向は、工業的なプロダクトデザインよりも、クラフト的なデザインが注目されてきていることです。これは、インディペンデントのデザイナーが増えてきたことと関連していると思います。
 バブルの頃は「ある漆器を売りたいので、先生にお願いします」という形で、地場産業がプロダクトデザイナーに注文を出していました。デザイナーは、スケッチを描いてメーカーに渡しますが、それを実現するための図面化の手間が負担となります。そうして徐々にデザイナーに任せるとろくなことがない、と思われていきました。ところが、今30代の若いデザイナーは、個人で地場産業に入り込み、長期間現地に滞在しながら職人と一緒になって、丁寧にモノをつくるようになってきています。それが功を奏し、地場産業がつくり出すクラフト的なプロダクトデザインが目立ってきています。

深川──いわゆるソーシャルデザイン★1ですね。大きく変わった背景として、ここ20年で進んだデジタル化、ネットワーク化があります。1989年のベルリンの壁崩壊をきっかけに、世界がグローバル化したのと並行して、コンピュータを中心にしたIT革命が起き、情報の共有化が進みました。デザインの分野でもそれらと連動して、個人で活動することを可能にする道具や環境が生まれてきました。地方の生産者と首都圏にいるデザイナーがネットワークでつながるという基本形が90年代にできてくるわけです。

鈴木──地方にいても、不自由なくモノがつくれるようになりました。
 グラフィックデザインに引きつけて言えば、やはり1990年代は、手(アナログ)かデジタルか、迷っていた時代だと思います。90年代前後、MacintoshとともにDTP★2という言葉が登場してきました。写研という写植機会社★3の売上は、1991年のピークから落ちていき、95年頃からは多くのデザイナーがデジタルで作業するようになっていく。
 先ほどの柏木さんの話に関連させれば、部品が東急ハンズ化、ホームセンター化したという流れがあります。部品を買ってきて組み立てればモノをつくれるようになりました。オブジェクト指向のように、部品のセットを買ってきて、組み合わせていけばモノになります。部材のデータベースが共有できるようになり、その「アッセンブル」こそが重要になったわけです。やはりメーカーのブラックボックス性がなくなっていったことは大きいです。
 デザインの手法は「アールデコ★4風でいきますか?」「バウハウス★5でいきましょうか?」とファミレスのメニューのようです。またはインターネットでキーワード検索すると出てくるような。
 デザイナーがクラフトに寄っているという傾向は、かつて手かデジタルかで迷っていた頃への揺り戻しとも考えられますね。

柏木──確かに自宅で何でもできるようになりました。今まで高価だったマシンがものすごく安く手に入るようになったことも関係しています。つまり、プロダクトデザインは編集的な手法になってきています。タイプフェイス★6も同様で、一から自分で字をデザインしていくことはあまりなくなり、インターネットを使って選ぶようになっています。
 CAD★7を採り入れ始めた頃は、デザイナーの中にもさまざまな葛藤がありました。かつてはデザイナーがラフなスケッチを描き、その図面を引く人が別にいて、その過程で微調整ややり取りがありました。スケッチの曖昧なところをドラフターと相談しながら詰めていけたのですが、CADで描いてしまうと微調整の必要がなくなります。できた図面を切削機にかければ、プラスチックを削り出してあっという間にモノができてしまいます。CADを最初に導入した人たちは、コミュニケーションを重ねて「これくらいかな?」という見当をつけていた過程がなくなってしまったことに苦痛に感じていたようです。

深川──そこはある意味でデザインのおもしろさが宿る部分だったはずです。今デザインは多様化していますが、質的には均質化しています。それは手法が平準化され、製造のプロセスが変わったことの影響かもしれません。

鈴木──われわれが杉浦康平★8さんの事務所にいた時は、「角丸」★9ひとつにしても、丸と直線の間にもうひとつ曲線を入れないとうまくつながらないと教えられました。コンピュータでは、直接ふたつの円弧をつなげているはずで、つまり人間の目にとってきれいに見える角丸ではなく、本当の角丸になっています。

柏木──そうでしょうね。文字を書く時や、インキングの時に、R(アール)同士をつながなければうまく見えませんでした。

鈴木──iPhoneの角丸はそういった吟味を経ていると感じますが、他のメーカーのスマートフォンは角丸という要素だけを真似しているだけかもしれない。ユーザーの批評眼、リテラシーの問題もあります。
 角丸の歴史はおもしろいです。たとえば、2020年東京オリンピック開催決定の告知で、IOCのジャック・ロゲ会長が持っていたパネル[http://www.asahi.com/sports/update/0908/TKY201309080015.html]はコーナーが角丸になっていました。一見すると気がつかないのですが、何か違うなという感じがありました。メガネの寸法からそのパネルの大きさを割り出したのですが、おそらくB5だと思います。A4ではなく、かつ角が直角ではないというひねりが、あのオリンピック開催地発表の背後にはあったのです。
 また、堀越二郎★10のゼロ戦の設計にも角丸は出てきます。軽量化のために、部材に穴を開けますが、シャープコーナーの四角だと亀裂が入りますし、丸ではあまり軽くなりませんのでラウンドコーナーの角丸になっています。その、角丸のバランスはかなり考えられたと思います。ただ、それらの手間のために量産は難しかった。
 車のデザインも一見直線的に見えますが、複雑な曲線の組み合わせです。

柏木──レーモンド・ローウィ★11がつくり出した古典的なやり方だと、原寸のクレイモデル★12を削り出して、太陽光で面の見え方を確認していました。冷蔵庫などもやはり削り出してつくっていました。モニターで確認する面とはやはり違う曲面だと思います。

深川──そうですね。たとえば、ピニンファリーナ★13が手がけた1960年代のフェラーリや、ジウジアーロ★14がデザインした、いすゞの117クーペ★15と比べると、最近の車は明らかに曲面の質が変わってきています。
 クレイモデルの重要性は、今の日本のメーカーでも再認識されているそうです。たとえばトヨタ・86のクレイモデルを制作したときに、トヨタ2000GTを実際に置いて、60年代につくられた車が持っていた独特の面の質感を見ながら削り出していったと聞きました。メーカーもCADのアッセンブルだけではデザインの差別化ができなくなっていることに気づいています。

鈴木──つまり、設計は、直線と曲線だけのアッセンブルではできない部分があるわけです。クレイモデルやスケッチの線を設計図に着地させる時のブレやズレを定着させることこそがデザインかもしれません。

深川──バウハウスは、ある意味でデザインの標準化を目指しました。初期のワイマールの金属工房でつくられていたマリアンネ・ブラント★16のティーポットは、ほとんど手づくりということもありますが、ものすごく複雑な曲面です。その後、デッサウに移り、大量生産のラインに乗る頃から標準的な線になっていきます。ただ、工業時代の芸術のあり方を考えれば、その流れを止めることはできなかったのです。ワイマール時代の手仕事的な部分は、削ぎ落とさざるを得なかった。

鈴木──平準化・能率化と手仕事性の兼ね合いは難しいですね。平準化してしまったメリハリのなさ、フラットさに対する不満がある種の装飾を生み出したり、逆に一品性、手仕事性の希少さを生み出したりします。

柏木──柳宗理★17は土瓶を基本的に型でつくっていますが、釉薬だけは自分で塗っていたそうです。最後は手を使っていることに驚きました。やはり彼は全部を量産の方式でつくることが気に食わなかったのでしょう。

深川──デジタル化はデザインを平準化しましたが、今クラフト的なデザインが見直されているのは、それに対する揺り戻しがあるということですね。デジタル化が突き詰められていくことで失われるある種の手仕事性の復権です。デザイナーとしては、触れる感触なども含めた形で、もう一度人間的なデザインのおもしろさを取り戻そうとしていると。
 ところで、デジタル化の影響という点で、写真に目を向けてみると、撮影用のデジタルデバイスの完成度がすごいことになってきています。ある意味で、カメラが知能を持っているわけです。180年近い写真の歴史の中で、何万人あるいは何十万人という写真家が考えてきたノウハウが高度にプログラム化されてその中に入っているわけです。それによって、誰でもある程度「良い写真」が撮れるようになりました。

鈴木──「こう見たいんでしょ」という通りに撮ってくれますからね。

深川──反対に、カメラが撮るもの以外に観ることができなくなっている面もありますね。イメージとしては平準化され、たとえば、森山大道★18のような真の意味で突き抜けるような力のある作品は出にくくなっています。良い写真は撮れますが、歪んだ部分、ある種のノイズ、論理的な整合性だけでは語れない美的な部分、感性は、やはり撮り手が加える必要があります。ここで言うノイズは昔の銀塩写真の粒子のノイズとは違う意味ですが。音楽制作の領域にも、デジタルが深く入りこんでいますが、ヒップホップなどの同時代の音楽ではノイズの美学の持つ意味が大きくなっているように感じられます。
 去年、国立新美術館でアンドレアス・グルスキー展★19がありました。独自の風景写真で、高度なデジタル技術を制作にいち早く取り入れながら、尋常でない緻密さを追求したスケール感のある作品です。縦2メートル×横3メートルもあるような巨大な作品が会場にひしめいていました。デジタル技術がそのイメージ制作に大きく貢献していますが、あくまで彼の美意識が前面に出ており、強く感じられます。ベッヒャー夫妻★20の下で、写真とともに美学、美術史を学びながら、そのエッセンスをデジタル時代に活かしています。これまで以上に、作品には美的なビジョンが問われていると思いました。


1──2007年に発売された初代iPhone
2──2013年に発売されたiPhone 5s
3──零式艦上戦闘機二一型(A6M2b)三面図 [出典:Kaboldy(http://commons.wikimedia.org/wiki/User:Kaboldy)]


4──いすゞ・117クーペ PA90型[出典:Mytho88(http://commons.wikimedia.org/wiki/User:Mytho88)]
5──Toyota 86 GT[出典:Marshall458j(http://commons.wikimedia.org/w/index.php?title=User:Marshall458j&action=edit&redlink=1)]


6──トヨタ・2000GT[出典:Gnsin(http://commons.wikimedia.org/wiki/User:Gnsin)]
7──マリアンネ・ブラントのティーポット

★1──プロダクトデザインのように特定の対象をデザインするのではなく、ある社会的な課題に対する解決策や、社会をより良いものにするためのアイディアをデザインすること。たんに一時的な成果ではなく、社会において持続的に効果を生むようなシステムないしはネットワークを作り出すことが要諦とされている
★2──Desktop publishing(デスクトップパブリッシング):書籍などの編集作業をパーソナルコンピュータ上で行ない、プリンターで出力すること。従来の出版業界では植字工が活字を手作業で組むのが一般的であったが、コンピュータの普及によってそれらの作業工程が電子化されることになった。また、DTP普及以前の過渡的段階では、写真植字および写真製版がオフセット印刷の普及とともに需要を拡大していた。
★3──株式会社写研:1926年に設立された(設立時の社名は「株式会社写真植字機研究所」)写真植字機の製造開発、書体の制作およびそのフォント製品の販売を行なう企業。DTPの普及以前は写植業界で強いシェアを誇り、鈴木勉や今田欣一、小林章などの著名な書体デザイナーを多く輩出した。
★4──「Artwords」内、竹内有子執筆項目を参照
★5──「Artwords」内、金相美執筆項目を参照。
★6──書体。文字のデザインの種類のこと。フォントと同じ意味で使われることが多いが、正確にはフォントとは、タイプフェイスを具体的な印刷、表示などに利用できるようにハードウェア化ないしソフトウェア化したものを指す。
★7──「Artwords」内、有山宙執筆項目を参照。
★8──すぎうら・こうへい:1932- グラフィックデザイナー、アジア図像学研究者。1955年、日本宣伝美術会賞、1982年、文化庁芸術選奨新人賞、1997年、毎日芸術賞などを受賞。1997年、紫綬褒章を受章。1950年代後半から商業主義偏重だった広告デザイン業界に意識領域を図像化する独自の技法によって新風を送り込む。1970年代より縦組での明朝体活字の美しさを引き出すブックデザインを展開。イコノロジー研究を通してアジア的美意識を探求している。主な著書に『ヴィジュアル・コミュニケーション』(松岡正剛共編、講談社、1976)『日本のかたち・アジアのカタチ』(三省堂、1994)、『かたち誕生』(日本放送出版協会、1997)など。現在、神戸芸術工科大学アジアンデザイン研究所所長
★9──製本の際、本の小口側の角を丸く切り落とすこと。またはウェブデザイン、DTPなどの際、ボックス的なエレメントのデザインにおいて角を丸くすること。プロダクツデザインの領域でも機能性や視覚的効果などの理由から角丸が用いられる
★10──ほりこし・じろう:1903-1982 日本の航空技術者。工学博士(東京大学)。零戦の設計者として知られる。戦後は日本航空機製造が製造した戦後初の国産旅客機「YS- 11」の製造に関わる。後に東京大学宇宙航空研究所講師(この間、工学博士号を取得)、防衛大学校教授、日本大学生産工学部教授などを歴任した。宮崎駿による長編アニメーション映画『風立ちぬ』(スタジオジブリ、2013)のモデルになったことでも知られる。
★11──Raymond Loewy:1893-1986 フランス、パリ出身のデザイナー。主にアメリカで活躍した。「口紅から機関車まで」と言われるように活動の範囲は非常に多岐にわたる。1940年代に「新しいものの誘惑と未知のものに対する怖れ」との臨界点としての「MAYA段階(Most Advanced Yet Acceptable=先進的ではあるがぎりぎり受け入れられる)」という概念を提唱したことでも知られる。主な作品に「ペンシルバニア鉄道GG1形電気機関車」(1936)、たばこ「ラッキーストライク」(1940)、ル・クルーゼ「コケル」(1958)、エールフランスのコンコルド機内インテリア(1976年)など。
★12──一般には新型自動車などの開発段階で、新しいスタイルのイメージを試作的に立体化するために作られる粘土模型のことを指す。各部の修正が容易なので粘土が使われる。
★13──Battista Farina:1893-1966 イタリア最大のカロッツェリアであるピニンファリーナ(Pininfarina S.p.A.)の創設者。「ピニン」はピエモンテ語で小さい子供の意でファリーナ自身の愛称(後に正式にPininfarinaに改姓)。戦後直後から、多くの自動車メーカーのデザイン、ボディ生産を手がけ、1952年、ピニンファリーナとして初めてデザインしたフェラーリである「212インテル」を発表。
★14──Giorgetto Giugiaro:1938- イタリアの工業デザイナー。イタルデザインの創設者。1955年、17歳でフィアットのデザイン部門(チェントロ・スティーレ)に入社。1959年、イタリアのカロッツェリアベルトーネのチーフスタイリストに転進。1960年、イギリスのGTカー、ゴードンGTでジュネーヴ・モーターショーデビュー。数々の市販車、プロトタイプを発表し、ベルトーネに黄金時代をもたらした。自動車以外にも、ニコン社の一眼レフカメラや岡村製作所のデスクチェア、さらにはパスタ、キーボード、日本酒の猪口と徳利、スキーブーツ、釣り具など多岐にわたってデザインを手がけた。
★15──いすゞ自動車が1968-1981年にかけて生産していた乗用車。流麗なデザインを備えた4座クーペであり、1970年代の日本車を代表する傑作のひとつに数えられる。コンセプト、デザイン、パッケージ、スタイリングをジョルジェット・ジウジアーロが担当し、そのプロトタイプは1966年、ジュネーヴ・モーターショーでコンクール・デレガンスを獲得した。その後、国際自動車デザイン・ビエンナーレに出品され、名誉大賞を受賞。
★16──Marianne Brandt:1893-1983 ドイツの金属デザイナー。銀器セットのポットなどが有名。1924年から学生として、その後金属工房の助手、同代表としてバウハウスに在籍。バウハウスの金属工房で最も才能に恵まれた一人。的確な基本形態からなる実用的かつ審美的な作品を多く手がけた。バウハウスが工業デザイン路線を取ったあとも、彼女の作品は依然として根強い人気を保っている。
★17──やなぎ・そうり:1915-2011 プロダクトデザイナー。1952年、第1回新日本工業デザインコンクールで第1席「レコードプレイヤー」(日本コロムビア製作)、2席を併せて入選。1981 年に紫綬褒章。2002年に文化功労者。代表作に「バタフライ・スツール」など。形態のユニークさと実用性を兼ね備えた作風で知られる。父親は民藝運動を起こした思想家、美学者の柳宗悦であり、工業デザインの内にありつつもその思想を受け継いでいる。玩具のデザイン、オブジェなども手がけた
★18──もりやま・だいどう:1938- 写真家。1967年、日本写真批評家協会新人賞、1983年、日本写真家協会年度賞、2003年、第44回毎日芸術賞、2004年、ドイツ写真家協会賞などを受賞。中平卓馬、高梨豊、多木浩二、岡田隆彦によって1968年に創刊された写真同人誌『プロヴォーク』に第2号から参加しており、「アレ・ブレ・ボケ」と呼ばれる荒々しい構図と階調の写真を特徴とする。主な作品集は『写真よさようなら』(写真評論社、1972)など。従来のハイコントラスト・モノクロームな作品に加えて、近年ではデジタルカメラによるカラー写真も手がけており、その実験的活動はますます複雑化している。「Artwords」内、小原真史の執筆項目「写真よさようなら」も参照。
★19──artscape 2013年7月15日号の竹峰義和「アンドレアス・グルスキー展」レビュー「〈統御された崇高〉の美学」参照
★20──「Artwords」内、土屋誠一執筆項目「ベッヒャー派」を参照。

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柏木博

1946年生まれ。デザイン論・デザイン史。武蔵野美術大学教授。著書=『近代デザイン史』『「しきり」の文化論』『モダンデザイン批判』『家具のモ...

鈴木一誌

1950年生まれ。東京学芸大学・東京造形大学中退。グラフィック・デザイン、映画批評。デザイン批評誌『d/SIGN』責任編集者。著書に『画面の...

深川雅文

1958年生まれ。九州大学哲学科修士課程修了。キュレーター。デザイン論、写真論。主なデザイン展企画に「バウハウス 芸術教育の革命と実験」、「...

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