トークシリーズ:「Artwords」で読み解く現在形
1. デジタル化による個人の可能性の増大
柏木──この20年のデザインに関する動向を整理してみれば、1990年代前半はバブルが崩壊して経済が低迷したこともあり、デジタルとアナログ、どちらの方向に進むかがつかめない状況が続きました。ですが、今やグラフィックに限らず、プロダクトもデジタルになり、状況は大きく変わりました。
2000年代に入り、インディペンデントなプロダクトデザイナーが増えたことは特筆すべきことです。グラフィックと違って、プロダクトの場合は、企業の中にデータベースがあり、たとえばソニー製品のデザインは、ソニーのCADを使わなければなりませんでした。ボルトやネジ、パイプなど、あらゆる部品のデータは、企業が独自に持っていたので、デザイナーはその企業の中でデザインせざるを得なかったのです。
個人でできるプロダクトデザインの領域もガジェットのようなものまで幅が広がりました。まだ家電製品や車はゼロからつくれませんが、いろいろなデザインのあり方が生まれてきたのがこの10年だと思います。
そうした中で、ここ5年ほどの間に起きているおもしろい傾向は、工業的なプロダクトデザインよりも、クラフト的なデザインが注目されてきていることです。これは、インディペンデントのデザイナーが増えてきたことと関連していると思います。
バブルの頃は「ある漆器を売りたいので、先生にお願いします」という形で、地場産業がプロダクトデザイナーに注文を出していました。デザイナーは、スケッチを描いてメーカーに渡しますが、それを実現するための図面化の手間が負担となります。そうして徐々にデザイナーに任せるとろくなことがない、と思われていきました。ところが、今30代の若いデザイナーは、個人で地場産業に入り込み、長期間現地に滞在しながら職人と一緒になって、丁寧にモノをつくるようになってきています。それが功を奏し、地場産業がつくり出すクラフト的なプロダクトデザインが目立ってきています。
深川──いわゆるソーシャルデザイン
ですね。大きく変わった背景として、ここ20年で進んだデジタル化、ネットワーク化があります。1989年のベルリンの壁崩壊をきっかけに、世界がグローバル化したのと並行して、コンピュータを中心にしたIT革命が起き、情報の共有化が進みました。デザインの分野でもそれらと連動して、個人で活動することを可能にする道具や環境が生まれてきました。地方の生産者と首都圏にいるデザイナーがネットワークでつながるという基本形が90年代にできてくるわけです。鈴木──地方にいても、不自由なくモノがつくれるようになりました。
グラフィックデザインに引きつけて言えば、やはり1990年代は、手(アナログ)かデジタルか、迷っていた時代だと思います。90年代前後、MacintoshとともにDTP という言葉が登場してきました。写研という写植機会社 の売上は、1991年のピークから落ちていき、95年頃からは多くのデザイナーがデジタルで作業するようになっていく。
先ほどの柏木さんの話に関連させれば、部品が東急ハンズ化、ホームセンター化したという流れがあります。部品を買ってきて組み立てればモノをつくれるようになりました。オブジェクト指向のように、部品のセットを買ってきて、組み合わせていけばモノになります。部材のデータベースが共有できるようになり、その「アッセンブル」こそが重要になったわけです。やはりメーカーのブラックボックス性がなくなっていったことは大きいです。
デザインの手法は「アールデコ 風でいきますか?」「バウハウス でいきましょうか?」とファミレスのメニューのようです。またはインターネットでキーワード検索すると出てくるような。
デザイナーがクラフトに寄っているという傾向は、かつて手かデジタルかで迷っていた頃への揺り戻しとも考えられますね。
柏木──確かに自宅で何でもできるようになりました。今まで高価だったマシンがものすごく安く手に入るようになったことも関係しています。つまり、プロダクトデザインは編集的な手法になってきています。タイプフェイス
CAD を採り入れ始めた頃は、デザイナーの中にもさまざまな葛藤がありました。かつてはデザイナーがラフなスケッチを描き、その図面を引く人が別にいて、その過程で微調整ややり取りがありました。スケッチの曖昧なところをドラフターと相談しながら詰めていけたのですが、CADで描いてしまうと微調整の必要がなくなります。できた図面を切削機にかければ、プラスチックを削り出してあっという間にモノができてしまいます。CADを最初に導入した人たちは、コミュニケーションを重ねて「これくらいかな?」という見当をつけていた過程がなくなってしまったことに苦痛に感じていたようです。
深川──そこはある意味でデザインのおもしろさが宿る部分だったはずです。今デザインは多様化していますが、質的には均質化しています。それは手法が平準化され、製造のプロセスが変わったことの影響かもしれません。
鈴木──われわれが杉浦康平
さんの事務所にいた時は、「角丸」 ひとつにしても、丸と直線の間にもうひとつ曲線を入れないとうまくつながらないと教えられました。コンピュータでは、直接ふたつの円弧をつなげているはずで、つまり人間の目にとってきれいに見える角丸ではなく、本当の角丸になっています。柏木──そうでしょうね。文字を書く時や、インキングの時に、R(アール)同士をつながなければうまく見えませんでした。
鈴木──iPhoneの角丸はそういった吟味を経ていると感じますが、他のメーカーのスマートフォンは角丸という要素だけを真似しているだけかもしれない。ユーザーの批評眼、リテラシーの問題もあります。
角丸の歴史はおもしろいです。たとえば、2020年東京オリンピック開催決定の告知で、IOCのジャック・ロゲ会長が持っていたパネル[http://www.asahi.com/sports/update/0908/TKY201309080015.html]はコーナーが角丸になっていました。一見すると気がつかないのですが、何か違うなという感じがありました。メガネの寸法からそのパネルの大きさを割り出したのですが、おそらくB5だと思います。A4ではなく、かつ角が直角ではないというひねりが、あのオリンピック開催地発表の背後にはあったのです。
また、堀越二郎 のゼロ戦の設計にも角丸は出てきます。軽量化のために、部材に穴を開けますが、シャープコーナーの四角だと亀裂が入りますし、丸ではあまり軽くなりませんのでラウンドコーナーの角丸になっています。その、角丸のバランスはかなり考えられたと思います。ただ、それらの手間のために量産は難しかった。
車のデザインも一見直線的に見えますが、複雑な曲線の組み合わせです。
柏木──レーモンド・ローウィ
がつくり出した古典的なやり方だと、原寸のクレイモデル を削り出して、太陽光で面の見え方を確認していました。冷蔵庫などもやはり削り出してつくっていました。モニターで確認する面とはやはり違う曲面だと思います。深川──そうですね。たとえば、ピニンファリーナ
クレイモデルの重要性は、今の日本のメーカーでも再認識されているそうです。たとえばトヨタ・86のクレイモデルを制作したときに、トヨタ2000GTを実際に置いて、60年代につくられた車が持っていた独特の面の質感を見ながら削り出していったと聞きました。メーカーもCADのアッセンブルだけではデザインの差別化ができなくなっていることに気づいています。
鈴木──つまり、設計は、直線と曲線だけのアッセンブルではできない部分があるわけです。クレイモデルやスケッチの線を設計図に着地させる時のブレやズレを定着させることこそがデザインかもしれません。
深川──バウハウスは、ある意味でデザインの標準化を目指しました。初期のワイマールの金属工房でつくられていたマリアンネ・ブラント
のティーポットは、ほとんど手づくりということもありますが、ものすごく複雑な曲面です。その後、デッサウに移り、大量生産のラインに乗る頃から標準的な線になっていきます。ただ、工業時代の芸術のあり方を考えれば、その流れを止めることはできなかったのです。ワイマール時代の手仕事的な部分は、削ぎ落とさざるを得なかった。鈴木──平準化・能率化と手仕事性の兼ね合いは難しいですね。平準化してしまったメリハリのなさ、フラットさに対する不満がある種の装飾を生み出したり、逆に一品性、手仕事性の希少さを生み出したりします。
柏木──柳宗理
は土瓶を基本的に型でつくっていますが、釉薬だけは自分で塗っていたそうです。最後は手を使っていることに驚きました。やはり彼は全部を量産の方式でつくることが気に食わなかったのでしょう。深川──デジタル化はデザインを平準化しましたが、今クラフト的なデザインが見直されているのは、それに対する揺り戻しがあるということですね。デジタル化が突き詰められていくことで失われるある種の手仕事性の復権です。デザイナーとしては、触れる感触なども含めた形で、もう一度人間的なデザインのおもしろさを取り戻そうとしていると。
ところで、デジタル化の影響という点で、写真に目を向けてみると、撮影用のデジタルデバイスの完成度がすごいことになってきています。ある意味で、カメラが知能を持っているわけです。180年近い写真の歴史の中で、何万人あるいは何十万人という写真家が考えてきたノウハウが高度にプログラム化されてその中に入っているわけです。それによって、誰でもある程度「良い写真」が撮れるようになりました。
鈴木──「こう見たいんでしょ」という通りに撮ってくれますからね。
深川──反対に、カメラが撮るもの以外に観ることができなくなっている面もありますね。イメージとしては平準化され、たとえば、森山大道
去年、国立新美術館でアンドレアス・グルスキー展 がありました。独自の風景写真で、高度なデジタル技術を制作にいち早く取り入れながら、尋常でない緻密さを追求したスケール感のある作品です。縦2メートル×横3メートルもあるような巨大な作品が会場にひしめいていました。デジタル技術がそのイメージ制作に大きく貢献していますが、あくまで彼の美意識が前面に出ており、強く感じられます。ベッヒャー夫妻 の下で、写真とともに美学、美術史を学びながら、そのエッセンスをデジタル時代に活かしています。これまで以上に、作品には美的なビジョンが問われていると思いました。