2024年03月01日号
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トークシリーズ:「Artwords」で読み解く現在形

[シリーズ2:“ファッション”の現在形]1995-2013から問い直す

成實弘至/井上雅人/蘆田裕史2013年07月15日号

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1. ファッションへの入口

成實──僕は1989年から96年まで、パルコのアクロス編集室に在籍していました。『アクロス』は「定点観測」といって、月に一度編集者全員街へ出てストリートの写真を撮り、時代風俗を記録するという定例企画を1980年からやってきた雑誌です。街で歩いている人に声をかけ、写真を撮らせてもらい、インタビューする。原宿、渋谷、新宿を中心にしていたのですが、当時「ストリートの若者がおしゃれ」という空気がなくはなかったですけど、基本的に今ほど「ストリートファッション」というジャンルは確立されていなかったのです。でも定点観測をしているうち、パリや東京などのブランドやデザイナーが発信しているものよりも、ストリートの方がおもしろいと思うようになり、『ストリートファッション1945-1995──若者スタイルの50年史』(1995、PARCO出版)という本を編集・執筆しました。この『ストリートファッション』は、戦後から1995年までの50年間の若者風俗をストリートファッションという切り口で捉え直した本です。この本をきっかけにファッションを研究したいと思うようになりましたが、当時そんな環境は日本にはありませんでした。ところが、ちょうどカルチュラル・スタディーズが日本に紹介され始め、僕はそれとは知らずに、渋谷のタワーレコードにおいてあったディック・ヘブディジ★1の『サブカルチャー』(山口淑子訳、未来社、1986)を読んでいた。1995年、東大にスチュアート・ホール★2やアンジェラ・マクロビー★3らが来日します。彼らのレクチャーを聴きに行ったのを契機にカルチュラル・スタディーズとつながって、イギリスへ行って社会学やメディア論の視点からファッションを勉強しようと決心したのです。
 僕はどちらかというと編集者気質というか、研究者として対象を深く追究するというより、状況を大きく見たいという関心があって、『20世紀ファッションの文化史』(2007、河出書房新社)という本を書いたり、雑誌記事を執筆してきました。鷲田清一★4さんの一連のファッション論が1980年代終わりから90年代に出てきたときに、すごくインパクトというか感銘を受けましたが、同じことをやるのではなく、もう少し社会学的に、もしくはジェンダーやサブカルチャーといった問題からポリティカルに見ることの方がおもしろかったので、そういう仕事をやってきたつもりです。

井上──イギリスに行かれたのは、やっぱりカルチュラル・スタディーズだからですか?

成實──結果的にはそうですが、ロンドン大学ゴールドスミス・カレッジに行った大きな理由は1年間で修士が取れたからです。毛利嘉孝★5さんもそうでしたが、あの頃は企業を休んで留学するという小さな社内留学ブームがあって、アメリカの修士課程は2年間必要だったのに対して、イギリスには1年のコースがあり、いろいろ調べた結果ゴールドスミスに決めたんです。セント・マーチンズのMAにもファッションジャーナリズムのコースがありましたが、外国からの留学生はほとんど取っていない状況でした。別にファッションジャーナリストになりたいわけではなかったし。一応、面接みたいなものを受けましたが、「あなたは英語もできないし無理ね」と門前払い(笑)。

蘆田──キャロライン・エヴァンス★6のようなファッション研究者は当時すでにセントマーティンズにいたのですか?

成實──いたと思いますが、著書は出ていませんでした。その時はエリザベス・ウィルソン★7の論文集など、ファッション関連の本はいくつか出ていました。社会学やジェンダー・スタディーズなどからファッション研究がぼちぼち出始めたころですが、しかし、ファッションを研究するようなコースは当時まだイギリスにもありませんでした。今ではロンドン・カレッジ・オブ・ファッションにファッション研究のコースがありますし、セント・マーチンズにもあるようですが、当時はなくて、専門学校でファッションを実践的に学ぶ選択肢しかありませんでした。
 その頃ファッションなんて研究する人はイギリスにだって少ししかいませんでしたから、いろんなジャンルの関連文献をかき集めて読むという感じでした。2000年に帰国する直前に、ヘイワード・ギャラリーで「アドレッシング・ザ・センチュリー、アートとファッションの100年」(Addressing the century:100 years of art & fashion)★8という展覧会が開催されました。20世紀のアートとファッションの交流をテーマにした展覧会で、それを見て「こんなことができるのか」と感銘を受けた記憶があります。それ以前に、ニューヨークでリチャード・マーチン★9とハロルド・コーダ★10が「ファッションとシュルレアリスム」★11という展覧会をやっていましたが、それは見ていなくて。カタログが鷲田さんの翻訳でありましたので、アメリカでそういったものがあったことは知識として知っていましたが、何か遠いものという感じでした。しかし、「アドレッシング・ザ・センチュリー」は実際にこの目で見たし、発見感のあった展覧会でした。そういう意味では、あの頃からファッションを知的に取り上げるというか、「ファッションとアート」みたいなテーマを考える動きが出始めたようですね。

井上──僕は成實さんと歳は10年離れていますが、学校経験的にはそんなにズレはないですよね。成實さんが96年からイギリスに行かれている時に、僕は大学院に入るか入らないかぐらいです。なぜイギリスだったのかを聞いたのは、僕は高校生の頃、まったくファッションに興味がなかった。今でもそんなにないのですが(笑)。僕がファッションに入ったのは成實さんとはまったく逆で、歴史からです。ですから、歴史的なことにしか興味がなく、今のファッションのことを聞かれると戸惑ってしまいます。歴史的というのは、アナール学派の社会史や風俗史です。事件史、政治史ではない分野の、そのひとつとして、衣服に限らず、表象、もの研究、物質文化史みたいなところにずっと興味がありました。しかし、当時一番関心があったのは、柳田國男の民俗学、しかも、『明治・大正史 世相編』みたいな昔話ではない領域です。今和次郎★12への興味もあったので、あまり現在のファッション・デザインからは入っておりません。ですから、ファッションというとロラン・バルト★13を連想し、フランスのイメージがすごく強い。ファッションの本場も研究もフランスだと思っていました。
 1994年頃に、小林康夫★14さんが表象文化論で三宅一生★15さんをお呼びして、ショーをやっていただき、同じ頃、イギリスの『THEFACE』で川久保玲★16が世界のデザイナーの中で最も影響力のある人だと取り上げられていたと記憶しています。その辺りから、ファッションという領域を意識し始めたと思います。東大の社会情報研究所の院生だった時代、カルチュラル・スタディーズが流行ってもいましたが、あまり興味を持てませんでした。どちらかと言えば、大学院では日本のことをやりたかったんですね。柳田國男は『木綿以前の事』を書き、さらに『明治大正史』を書くのですが、柳田がそれらの著作を書いた後に、日本の衣文化はガラッと変わるわけです。「和服から洋服へ」と歩調を合わせて、すべてのカルチャーが変わっていく。にもかかわらず、そのことについては誰も何も言ってないという思いが当時あり、モノや身体が近代においてどのように変わっていったのかということを日本でやろうと思い、「国民服」★17の研究をやったんです。「国民服」がファッションなのかはちょっとわからないのですが(笑)。
 服のつくり方も勉強してみようと思い文化服装学院にも通いました。もちろん、服をつくれるようになってデザイナーになりたいということではなく、古い資料を見ていたら、文化服装学院の名前が出てきて、それがまだあるということが衝撃的で、いったいどういう教育をしているのかと、3年も通ったわけです。そういった興味なので、1990年代後半のポストDC的な感じの、裏原宿★18の時代も、専門学校の友達に連れられて、原宿にも何度か行きましたが「なんのこっちゃ」という感じでした(笑)。

成實──結構近いところにいたんですね。

井上──いたんだけど……、という感じですね(笑)。鷲田清一の学術的、哲学的なファッション論やカルチュラル・スタディーズ、裏原宿、DCブランドの残り香みたいなものが凝縮されていた時代に、なんとなくそういうものを受け止めて巻き込まれていったわけですね。

蘆田──僕は1978年生まれで、大学に入ったのが1997年です。薬学部にいたのですが、高校の時からファッションを見たり着たりすることが好きで、ほぼお遊びですが、大学に入ってから自分で服をつくり始めたりもしました。当時関西では東京よりも活発なインディーズブランドのブームがあり、専門学校の学生たちがブランドを作って服を売ったりしていました。

成實──ビューティ・ビースト(beauty:beast)★19とか、卓矢エンジェル★20とか? 

蘆田──もっとマイナーなブランドですね。名前を出しても誰も知らないような。そういう人たちの服を置いてくれる店が、京都でも大阪でも結構あったんです。学生が自分で作った服が普通に売られていました。そういうのを見ながら自分でもやってみたいと思い、お店に自分でつくったものを置いてもらったりもしていました。本当にしょうもないものしかつくっていないので、恥ずかしいのですが……。

成實──それは売れたの?

蘆田──時代でしょうか、結構売れました。売っていたのは服というより、形を変えられる針金入りのマフラーだったり、アクセサリー的なものが多かったのですが、置けば普通に売れました。その後、薬学部の大学院に進学しました。4回生の時に、文転してファッション史や美術史などの人文学の研究をしてみたいと思っていましたが、あきらめて進学をしていたんですね。けれども、挑戦もせずにあきらめるのもよくないと思い、とりあえず休学をして試験勉強をして、大学院を受け直したんです。
そこでファッションの研究をすることにしたのですが、ひとつにはやはり鷲田さんの影響がとても強かった。『モードの迷宮』も、先ほども名前が挙がった「ファッションとシュルレアリスム」展のカタログ──正確には同時出版された書籍ですが──の翻訳を鷲田さんがされており、こういうのがおもしろそうだなという感触があったんです。
 その後は、20世紀の美術運動とファッションの関係、つまり先ほどの「ファッションとシュルレアリスム」とか「未来派とファッション」というような、美術史と服飾史の境界に起きていたことを研究してきました。2005年にベルギーに留学したのですが、1年目は普通に大学に通い、2年目の途中の2007年からアントワープにあるモード美術館でインターンを半年ほどやっていました。当時、アントワープのモード美術館やセント・マーティンズ他、ヨーロッパのいくつかの機関が、ウェブ上で展覧会やファッションデザイナーの毎シーズンの作品などをアーカイブしていく「コンテンポラリー・ファッション・アーカイブ」★21という試みがありました。そうしたアーカイブがすごく重要だと思ったので、2007年に帰国した後、日本でもそういうことをやりたいと漠然と思っていました。そうしているうちに、たまたま「changefashion.net」というウェブサイトを見つけました。このサイトは、ファッションショーやルックブックの画像のアーカイブだけでなく、ヨーロッパでも北欧など周辺国のファッションスクールを卒業したデザイナーのインタビューなど、すごくおもしろいことをしていたんです。僕がやりたいと思っていた活動をされている人がいるのであれば、お手伝いをさせてもらいたいと思ってコンタクトをとりました。その後、そこでブログを書くようになり、ファッションの批評をやりたいという話をしていたら、興味を持ってくれる人たちがちらほら出てきて、東京でもトークイベントに呼んでもらう機会をいただくようにもなりました。ただ、そうしたイベントだけだと記録が残らないですし、言論をきちんとアーカイブするために水野大二郎君★22と『fashionista』(現『vanitas』)★23という批評誌をつくったのです。
 その後は2011年に京都服飾文化研究財団(以下、KCI)に入ります。ファッション研究の困難な点として、日本では展覧会の数も少ないし、実物を見る機会が少ないということがあります。たとえば近代美術史を研究している人であれば、日本全国のいろいろな美術館を回れば各美術館がマスターピースを少しずつ持っているので、ピカソでも何でも大体見ることができますよね。ですが、ファッションの場合は実物を見る機会がほとんど存在しないので、どこかでまとめて見てみたいと思っていたんです。それでKCIに入り、しばらくそこでキュレーターとして働きました。


リチャード・マーティン『ファッションとシュルレアリスム』(鷲田清一訳、1991)/『fashionista』No. 1(2012)/『vanitas』No. 2(2013)

★1──Dick Hebdige:1951- イギリスの社会学者。ロックやファッションなどのサブカルチャーがもつ、権力に対する対抗的な側面を分析。
★2──Stuart Hall:1932- 社会学・文化研究。イギリスのバーミンガム現代文化研究センターをとして、カルチュラル・スタディーズの理論的な普及に努める。1996年来日。東大で講義。『現代思想』1998年3月臨時増刊号に「スチュアート・ホール──カルチュラル・スタディーズのフロント」がある。
★3──Angela McRobbie:1951- 文化研究。フェミニズムの立場から、女性のサブカルチャー研究を提唱。著書に『Feminism and Youth Culture: Second Edition』など。
★4──わしだきよかず:1949- 日本の哲学者(臨床哲学・倫理学)。大谷大学教授、大阪大学名誉教授。『モードの迷宮』(中央公論社、1989)、『最後のモード』(人文書院1989)などの、身体論・モード研究によって、日本のファッション批評に大きな影響を与える。
★5──もうりよしたか:1963- 文化研究。東京芸術大学音楽学部音楽環境創造科准教授。都市文化・音楽・メディア・美術論の領域で批評活動を行う。著書に『文化=政治──グローバリゼーション時代の空間の叛乱』(月曜社、2003,)『ストリートの思想』(NHKブックス、2009)など。
★6──Caroline Evans セントラル・セント・マーチン芸術大学教授。ファッション史。著書に『エッジのファッション──スペクタクル、モダニティと死』など。蘆田裕史+水野大二郎編集・発行の『fashionista(ファショニスタ)』1号に、書籍紹介あり。
★7──Elizabeth Wilson:ロンドン・メトロポリタン大学名誉教授。ゴールドスミス・カレッジ、ロンドン大学でも教鞭を執る。著書に『夢を纏って──ファッションとモダニティ』など。蘆田裕史+水野大二郎編集・発行の『fashionista(ファショニスタ)』1号に、書籍紹介あり。
★8──1998.10.8 - 1999.1.11日開催。
★9──Richard Martin:1947-1999 キュレーター、服飾史家。主なキュレーションに、ニューヨーク・ファッション工科大学附属美術館「ファッションとシュルレアリスム」、メトロポリタン美術館「Undercover Story, and Three Women: Madeleine Vionnet, Claire McCardell, Rei Kawakubo」など。
★10──メトロポリタン美術館衣装部門キュレーター。
★11──1987.10.30 - 1988.1.23 ニューヨークのファッション工科大学附属美術館で開催。カタログ『ファッションとシュルレアリスム』(リチャード・マーティン著/鷲田清一訳、Edition Wacoal、1991)。
★12──今和次郎:1888-1973 民俗学者。建築家と民俗学者の共同による民家研究会「白茅会」に参加し、柳田国男の民俗調査に同行。関東大震災後の東京の風俗のフィールドワークを試み、「考現学」を提唱。藤森照信・赤瀬川原平など「路上観察」にも影響を与えた。
★13──Roland Barthes:1915-1980 フランスの哲学者・批評家。「イメージとしての衣服」「書かれた衣服(キャプション)」などの視点からモードについて記号学的な分析を試みた『モードの体系』(佐藤信夫訳、みすず書房、1972)は、ファッション批評の先駆的な書物。
★14──こばやし・やすお:1950- 表象文化論。東京大学大学院総合文化研究科・教養学部教授。著書に『身体と空間』(筑摩書房、1995)、『青の美術史』(平凡社ライブラリー、2003)など。
★15──みやけ・いっせい:1938- ファッションデザイナー。ISSEY MIYAKE代表。「一枚の布」によるや場所を超えた新しいファッション・コンセプトを提唱。著書に『三宅一生の発想と展開 - Issey Miyake east meets wes』t(平凡社、1978年)、『三宅一生/ボディワークス』(小学館、1983年)など。
★16──かわくぼ・れい:1942- ファッションデザイナー。ファッション・ブランド「コム デ ギャルソン(COMME des GARÇONS)」の創始者。それまでの女性たちの大人しいファションに対し、全身黒ずくめの衣服(喪服的!)や、穴あきニット、あるいは布地に捻れや歪み、非対称性を採り入れた「前衛的」ファッションでカリスマとなる。
★17──1940年、太平洋戦争下に使用された日本国民男子の標準服。井上雅人は『洋服と日本人─国民服というモード』 (広済堂ライブラリー、2001)で、戦時下の日本における洋装と国民服の広がりについて精緻な分析を試みている。
★18──「Artwords」内、裏原宿を参照。
★19──beauty:beast:長崎県生まれのデザイナー、山下隆生(1966年生)が立ち上げたファッション・ブランド。1990年、“beauty&beast clothing”立ち上げ、大阪コレクションに参加。1994年パリコレクション参加。1998年、オリゾンティ、三菱商事と組み、カジュアルライン、“also beauty:beast”を開始。
★20──1993年、卓矢エンジェルが起ち上げた、ファッション・ブランド名。古い着物をリメイクしたそれらの衣服を纏う若者たちのことを卓矢エンジェラーと呼ぶ。
★21──http://www.contemporaryfashion.net/
★22──みずの・だいじろう:1979- デザイン研究、デザインリサーチャー。芸術博士(ファッションデザイン)。慶應義塾大学環境情報学部専任講師。蘆田裕史と『fashionsita 』共同責任編集・創刊。
★23──水野大二郎と蘆田裕史が編集/発行するファッション批評誌。2012年3月に創刊(No.001)。2013年6月刊行のNo.002より、誌名を『vanitas』に変更。タイトル変更の経緯は同誌website参照。http://fashionista-mag.blogspot.jp/2013/06/fashionista.html

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成實弘至

1964年生まれ。京都造形芸術大学准教授。文化社会学・ファッション研究、デザイン研究専攻。著書=『20世紀ファッションの文化史』 (河出書房...

井上雅人

デザイン史・ファッション史。武庫川女子大学講師。著書に『洋服と日本人』(廣済堂出版、2001)など。

蘆田裕史

1978年京都生まれ。批評家/キュレーター。ファッションの批評誌『fashionista』編集委員。共著=『現代芸術の交通論』(丸善、200...

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