2024年03月01日号
次回3月18日更新予定

トークシリーズ:「Artwords」で読み解く現在形

[シリーズ6:“音”の現在形]聴くこと、見ること、知覚すること──音=楽=アートの現在形

畠中実/金子智太郎2013年12月15日号

 twitterでつぶやく 

1. 2000年前後の状況──「音」の展示の変化、耳の変化

金子──今回は長年、音に関わる展示に携わってこられた畠中さんに、これまでの経緯を振りかえってお話いただく良い機会と考えています。ICC★1は2000年以降の日本のサウンド・アートを主導する施設でした。話のスタートはICCで行われた「サウンド・アート──音というメディア」展(2000)★2にしましょう。ICCのアーカイブを見ると、定期的に音にまつわる展示が開催されていますが、その中でメルクマールになったのだと考えています。その経緯からお伺いできますか。

畠中──1998年に「ポスト・サンプリング音楽論」というタイトルのシンポジウムとミニ・コンサートを企画しました。企画協力には佐々木敦★3さん、クリストフ・シャルル★4さんや半野喜弘★5さん、久保田晃弘★6さんなどにも参加していただきました。そのきっかけは、当時オヴァル★7とクリストフ・シャルルによるアルバム「dok」(Thrill Jockey, 1997)がリリースされたことでした。それは、クリストフ・シャルルによるサウンドファイルをマーカス・ポップがプロセスしてつくられた作品です。まさにクリストフ・シャルルをオヴァル化したような。そういったファイルを交換しながら新しい音をつくるというコラボレーションが当時いくつかあって。そのような音のつくり方に着目し、サンプリング★8の新しい方法論と捉えて行ったイベントでした。
 ICCは1991年から、特定の場所を持たない、電話網の中やウェブでの活動をしていました。また、97年の現在の施設のオープンまでは、いろいろな場所を借りて、メディア系パフォーマンス作品の公演なども行なっていました。それで、欧米では、メディア・アート★9の分野でも、サウンドによる作品がヴィジュアルの作品と同じくらい大きな領域を占めているのに比べて、日本ではそういうことがそれほど認知されていないのではと感じていました。インタラクティブな作品でのコンピュータ・グラフィックスと連動するサウンドなどはありました。当時はアカデミックな領域での研究成果のような作品が多かったのですが、サウンドの世界、特にコンピュータ音楽は、もうアカデミズムからラップトップ・ミュージックの時代に移行していたわけで、もう少し現状に即した企画をやりたいとも思っていました。

金子──現状というのは、たとえば当時のクラブ・ミュージックやポスト・ロックなども含まれますね。音楽レーベルHeadzが音楽雑誌『Fader』を創刊したのが1997年でした。

畠中──当時、電子音楽の領域では、なにか新しいことが起きているという感じがあり、それがそれまでメディア・アートの領域で聴かれていたアカデミックな電子音楽よりもおもしろいと思っていました。なぜでしょう、そうしたサウンドの作り手たちがパンク以降のオルタナティヴな音楽、たとえばノイズ・ミュージックなどを出自としていることなども興味深い傾向だと言えます。
 先のイヴェントは「サンプリング以後の方法論」という捉え方も、いわばラップトップ・ミュージック以後のひとつの潮流を表わしていたのではないかと思っています。それらのサウンド・アーティストによる作品は、CDで発表されているような作品は買って、よく聴いていましたが、メディア・アートとは交差する部分は、もちろん、ダムタイプ★10と池田亮司★11の共同制作はありましたが、サウンドをメインにしたメディア・アート作品というフレームは、日本ではあまり紹介されてはいませんでした。それで、僕の関心の強さもあり、ICCでそうしたサウンド・アートの現状にフォーカスしていきました。翌年の1999年にはメゴ★12を呼んだりしました。そういった流れの中で「サウンド・アート」展が形になっていったわけです。

金子──1999年の「ICCニュースクール」★13は「音・音楽・コミュニケーション」をテーマにしています。日本の作家が多く参加されていますが、このイベントと「サウンド・アート」展はあまりつながりがないように見えます。

畠中──それは企画者が違うのが大きな理由です。僕がICCでサウンドを取り上げはじめた一方で、ニュースクールの参加者で言えば、三輪眞弘★14さんはそれ以前からコンピュータを使って音楽を制作されていて、まさにサウンドとメディア・アートが交差するところで活動されていることは知っていました。「音・音楽・コミュニケーション」も「サウンド・アート」展の系統とは違いますが、当時のコンピュータ音楽のある局面を捉えた催しだったと思います。

金子──「ニュースクール」には、藤幡正樹★15さんや古川聖★16さんも参加されていますね。「サウンド・アート★17」という用語自体は、藤枝守★18さんの論考のある1993年の『Music Today』や、1996年の『美術手帖』で特集になっていました。これらと比べると、電子音楽との結びつきが出色な「サウンド・アート」展はオルタナティブだったと言えるかもしれません。現在活躍している作家から、当時この展示に大きな影響を受けたという話を何度も聞いています。この展示をどう考えるかということが、2000年以降のICCの活動や日本におけるアートと音の関係を論じるための重要な論点だと思います。その後「サウンディング・スペース─9つの音響空間」展(2003)★19という、メディア・アートとサウンド・アートの両方に関わるような展示がありましたが、紹介している作家の傾向はやや変わっていますね。こちらはどのような経緯だったのでしょうか。

畠中──先ほどオルタナティブと言われたように、2000年に大上段に構えて「サウンド・アート」と銘打っていますが、当時は、特に美術の世界であまり知られている作家がいない、というような状況でもありました。カールステン・ニコライ★20や池田亮司の作品が出品される、ということも当時では、あまり実際に目にする機会がないという意味ではめずらしいことだった。中には「小杉武久★21さん、鈴木昭男★22さん、藤本由紀夫★23さんたちを欠いたサウンド・アートの展覧会などありえない」という批判もありました。ですが、この展覧会は、1998年からのサウンド・アートの状況や、それにともなう僕の関心に沿って作られたもので、それ以前の文脈を踏まえて取り入れる、ということはあえてしませんでした。「サウンド・アート」展は、先を見越していたわけではありませんが、その後、メディア・アートの裾野が広がったという気はしています。サウンド・アートに関して言えば、コンピュータを使用するなど、新しい手法が出てきていましたが、それらを紹介することで、それまでのサウンド・アートへの理解が更新されたような感じがしました。
 また、2000年の「サウンド・アート」展と2003年の「サウンディング・スペース」展では、やっていることや、テーマもあまり変わっていない、と企画者としては思っているのですが、「サウンド・アート」展は、ある意味では転換点になっていたのかもしれません。「サウンド・アート」展以前/以後では音の質感や、それをとらえる美学、「耳」が変わったのではないかと思います。

金子──同時に音響テクノロジー、例えばソフトウェアやスピーカーの性能も変わりました。そのような感性的、技術的な変化は、日本だけではなく世界中で起きていたことが、この時期に国際的なサウンド・アート展が相次いで開催されたことからもわかります。たとえば、2000年にヘイワード・ギャラリーでデヴィッド・トゥープ★24のキュレーションによる「Sonic Boom」展がありましたし、2001年にはホイットニー美術館で「BitStreams」展、2002年にポンピドゥー・センターで「Sonic Process」展がありました。それぞれ性格は違いますが、ひとつの流れと言えるようなものがこの時期に生まれてきています。

畠中──先ほど言った耳の変化や、スピーカーなどの再生機器やテクノロジーのアップデートとは同調していますね。それまでつくられてきたものとは別種な質感が立ち現れてきているような。デヴィッド・トゥープのような人が、その以前/以後を非常にうまく文脈づけてつなげています。『音の海—エーテルトーク、アンビエント・サウンド、イマジナリー・ワールド」(水声社、2008)や『Haunted Weather: Music, Silence, and Memory』(Serpents Tail、2004)といった著作、あるいは同名のコンピレーションCDを聴けば、それはよくわかります。「Sonic Boom」展は、ある意味ではサウンド・アートのあらゆる様相をトゥープによるサウンド・アート史観によってとらえた展覧会だったと思います。ただ、そのパースペクティヴが幅広すぎて、なんでもあり、という印象を与えたこともたしかなのですが、それでもトゥープの博覧強記ぶりがよく出た展覧会でした。

金子──トゥープはそれまでコラボレーションしてきたマックス・イーストレイ★25やポール・バーウェル★26の作品も取り上げていますね。即興演奏やサウンド・オブジェ★27、電子音楽といった、作家としてのトゥープ自身の関心の変遷が展示に反映されています。当時の国際的なサウンド・アートの展示の共通点としてあげられるのは、「ソニック」や「サウンド」など、「音」という非常に一般的で、いわば抽象的なテーマを持っているということです。「BitStreams」展では、名前としては違いますが、作品を収めたコンピレーションCD(JDK Productions、2001)が作成され、やはり音そのものを聞かせようという姿勢が強くあらわれていました。

畠中──「音」を意識的にとらえることは、電子音楽はもちろんのこと、ヴィデオ・アート★28、さかのぼって実験映画のころからも、行なわれていました。それが、たとえば日本では70年の大阪万博以降のテクノロジー・アート★29の衰退と共に一旦収束したという印象があります。それに対する傾向として、美術でも反テクノロジー的な作品が台頭してくる。サウンド・アートも自然音を使う、聴くことの重視、というような傾向が強まってくるのではないでしょうか。それで、90年代にはサンプラーなど、2000年前後にはコンピュータを用いて音を合成加工することも可能になってきて、改めて音の質感が追求されるようになってきたと思います。あるいは「音」への再考が始まったということだと思います。当時はまだ、美術展で「音」という要素を前面に使うことは新しかった。

金子──「音楽」という単語が出てこないことも2000年代初頭の展示の特徴だと思います。一般的にミュージシャンとして知られる作家が多数出品していますし、同時代の音楽からの影響が大きかった割には、「音楽」という単語が出てきません。

畠中──そうですね。やはりサウンド・アートは、ノンミュージシャンのものだという面があるように思います。ミュージシャンでもサウンド・アートをやっている人は多いですし、インスタレーション化された音楽もありました。そうした、2000年頃の流れは、実は1970年台後半から続く、イギリスのパンクやオルタナティブ以降の、実験的な動向が地下水脈のようにあったと思います。スロッビング・グリッスル★30などもそうですね。それに先立つものがブライアン・イーノ★31だったと思います。アンビエント★32やノイズ★33といった要素がないまぜになったような抽象的な音響作品が、90年代に登場します。ヨーロッパではそうしたシーンが脈々と受け継がれている印象があります。

★1──「Artwords」内、星野太執筆項目を参照。
★2──2000.1.28〜2000.3.12開催。参加作家=池田亮司、マックス・イーストレイ、カール・ミカエル・フォン・ハウスウォルフ&ピーター・ハグダル、佐藤実(m/s)、志水児王、クリストフ・シャルル、新堀孝明、角田俊也、デヴィッド・トゥープ、ジェーン・ドウ、カールステン・ニコライ、カール・ミカエル・フォン・ハウスウォルフ、ピーター・ハグダル、マーク・ベーレンス、ブランドン・ラベル。
★3──ささき・あつし:1964- 批評家。早稲田大学教授。音楽レーベルHEADZ主宰。雑誌『エクス・ポ』編集発行人。映画・演劇・文学・ダンスおよび現代思想まで、ジャンル横断的な批評活動を展開。著書に『テクノイズ・マテリアリズ』(青土社、2001)、『ニッポンの思想』(講談社現代新書、2009)、『未知との遭遇─無限のセカイと有限のワタシ』(筑摩書房、2011)等多数。
★4──Christophe Charles:1964- フランスの芸術家。武蔵野美術大学造形学部映像学科教授。メディア・アートを中心に、理論的・歴史的な研究を行うとともに、コンサート、インスタレーション活動を実践。音楽・音響作品=「undirected」シリーズ、ソロやコンピレーション50枚以上のCDをリリース(Mille Plateaux, Subrosa, ICC, CCI, Code, Cirqueなど)。
★5──はんのよしひろ:日本の音楽家。1992年にヒップホップユニット「News From Street Conectionを結成。1998年にソロデビュー。パリ在住。プログレッシブ・フォーム所属。電子音楽から映画音楽まで多岐にわたる領域で創作活動を実践。
★6──くぼた・あきひろ:1960- 多摩美術大学情報デザイン学科情報芸術コース教授。衛星芸術(artsat.jp)、バイオアート(bioart.jp)、デジタル・ファブリケーション(fablabjapan.org)、ソーシャル・マテリアル(monofactory.nakadai.co.jp)、自作楽器によるサウンド・パフォーマンス(hemokosa.com)など実験的な捜索活動を展開。作品=『マテリアルAV?共鳴するインターフェイス』(ntt/icc、2003)、『コードの技法:弦楽四重奏曲第2番 "Reflective Intervals"』(ZAIM Yokohama、2008)、『純粋φ?Abstract Painterly Interface』(YCAM、2008)など。著書=『ポスト・テクノ(ロジー)ミュージック?拡散する「音楽」、解体する「人間」』(椹木野衣、佐々木敦との共著、大村書店、2001)、『創造性の宇宙?創世記から情報空間へ』(工作舎、共著、2008)
★7──Oval:ドイツのテクノ音楽ユニット。マーカス・ポップ、セバスチアン・オーシャッツ、フランク・メッツガーの3人により1991年に結成。CDスキップによるグリッチ[artword内、金子智太郎執筆項目を参照]による作品で、音楽シーンに大きな影響を与える。
★8──「Artwords」内、星野太執筆項目を参照。
★9──「Artwords」内、城一裕執筆項目を参照。
★10──「Artwords」内、星野太執筆項目を参照。
★11──いけだ・りょうじ:1966- 日本の音楽・現代美術作家。コンサートやインスタレーション、レコーディングを通して実験的なサウンドアートを追求。作品に「+/?」(1996年)、「0°C」(1998年)、「Matrix」(2000年)など。ウィリアム・フォーサイス、ダムタイプなどともコラボレーションなども行っている。2001年アルス・エレクトロニカ(リンツ/オーストリア)において「デジタルミュージック」部門で「GoldenNica」賞を受賞。
★12──オーストリアのウィーンに本拠を置く音楽レーベル。1994年に活動をスタート。レーベルからは、ピーター・レーバーグの他、ファーマーズ・マニュアル、フェネス、ヘッカーなどが作品を発表。佐々木敦はこれらの作品を総称して「エクストリミズム」と呼んでいる。また、「メゴの電子音響作品は、高周波、低周波ともに可聴範囲ぎりぎり(あるいはそれを超える範囲)までカヴァーしているだけでなく、音量的にも微小から爆音まで異常なまでに幅広い。リスナーの聴覚を拡張させ、ときには多大なダメージを強いることもある、その極端さへの志向は、既存の電子音楽プロパーよりも、いわゆるノイズ・ミュージックとの親近性を強くもっている」(『InterCommunication』No.26 特集=音楽/ノイズ「テクノイズ・マテリアリズム??メタ=エレクトロニクス・ミュージック」と述べている。
★13──1993年に、新しいアートの紹介、共同制作の場としてのワークショップや研究・育成を目的としてICCギャラリーで開始された。
★14──みわ・まさひろ:1958- は日本の作曲家、メディアアーティスト。情報科学芸術大学院大学(IAMAS)教授。第10回入野賞1位、第14回ルイジ・ルッソロ国際音楽コンクール1位、第14回芥川作曲賞、「逆シミュレーション音楽」でアルス・エレクトロニカ2007グランプリ受賞。2010年度芸術選奨文部科学大臣賞(芸術振興部門)など。著書に『三輪眞弘音楽藝術 全思考 一九九八-二〇一〇』(アルテスパブリッシング、2010))など。
★15──ふじはた・まさき:1956- 日本のメディア・アーティスト、東京藝術大学教授。1980年代初頭からコンピュータを使った作品制作開始。1996年「Global Interior Project#2」でリンツ、アルス・エレクトロニカでゴールデン・ニカ・グランプリを受賞。2010年芸術選奨文部科学大臣賞受賞。文化庁メディア芸術祭審査員。著書に『Forbidden fruits 藤幡正樹作品集』(リブロポート、1991)、『カラー・アズ・ア・コンセプト デジタル時代の色彩論素』(美術出版社、1997)、『不完全な現実 デジタル・メディアの経験』(NTT出版、2009)など。
★16──ふるかわ・きよし:1959- 日本の現代音楽作曲家、メディアアーティスト。東京藝術大学教授。NDR(国立北ドイツテレビ)音楽賞。2001年、聴覚障害者団体トライアングル(東京)と共同で新しいメディアを使った音楽活動を行い、コンサートを実施、グッドデザイン賞、インタラクションデザイン部門、特別賞(経済産業大臣賞)など。
★17──「Artwords」内、中川克志執筆項目を参照。
★18──ふじえだ・まもる:1955- 日本の作曲家。九州大学大学院芸術工学研究院教授。植物の電位変化のデータに基づく『植物文様』シリーズを作品として展開。著書に『響きの生態系』(フィルムアート社、2000)『響きの考古学』([増補版]平凡社ライブラリー、2007)など。
★19──2003.7.11〜9.28開催。展示作家・作品=http://www.ntticc.or.jp/Archive/2003/Sounding_Spaces/Works/index_j.html
★20──Carsten Nicolai:1965- ドイツ、カール・マルクス・シュタット(東ドイツ)出身の美術作家。ミュージシャン。「アルヴァ・ノト」名で電子音楽を制作発表するとともに、坂本龍一、池田亮司、マイケル・ナイマン、ミカ・ヴァイニオらとコラボレーションを行っている。1999年電子音楽レーベルraster-notonを設立、多様な実験音楽、電子音楽の作品をリリース。
★21──こすぎ・たけひさ:1938- 日本の作曲家、演奏家。1960年、即興演奏ユニット「グループ・音楽」(artword、高橋智子執筆項目参照)を結成。同時期に「フルクサス」(「Artwords」、森啓輔執筆項目参照)に参加、数多くのイヴェント作品を発表する。1964年、武満徹、一柳慧とCollective musicを、1969年にはタージ・マハル旅行団(小杉武久、土屋幸雄、木村道弘、永井清治、長谷川時夫、林勤嗣)を結成し、ジャンルを超えた演奏活動を展開。
★22──すずき・あきお:1941- 1960年代より音の自修イベント“Self-Study Event”開始。1970年代にエコー楽器ANALAPOSを創作するなど、日本のサウンドアートの先駆者的な存在として活動。1988年<子午線上にある京都府網野町に、一日自然の音に耳をすますという行為を行なうための《ひなたぼっこの空間》を制作。1996年、音のインスタレーションを手掛けべルリンにおける「ソナンビエンテ・フェスティバル」以来「点音(oto-date)」を展開、2007年には、「ノイズレス・鈴木昭男+ロルフ・ユリウス展」(京都国立近代美術館)など世界各地で展示を行う。現在はダンサーの宮北裕美とパフォーマンス活動を続ける。
★23──ふじもと・ゆきお:1950- 1970年代よりエレクトロニクスを使用したパフォーマンス、インスタレーションを開始。1980年代半ば2サウンド・オブジェを制作発表。10年間毎年続けられた一日だけの展覧会「美術館の遠足」(西宮大谷記念美術館、1997-2006)、ヴェネチア・ビエンナーレ(日本館、2001)など、国内外で活動を展開。
★24──David Toop:1949- イギリス生まれの音楽家・批評家。2000年1月に「サウンドアート展」で来日、ICCのギャリーDで、マックス・イーストレイとともににレクチャーとパフォーマンスを行った。
★25──Max Eastley:1944- イギリス生まれの美術作家。1975年にブライアン・イーノのプロデュースによりデヴィッド・トゥープと「新しい楽器と再発見された楽器」を発表.1989年「アルス・エレクトロニカ」(リンツ,オーストリア),1993年「第3回名古屋国際ビエンナーレ・アーテック'93」,「NIGHT SPIRITS」展(ジーべック/神戸)、2000年1月、「サウンドアート展」で来日、デヴィッド・トゥープとともににレクチャーとパフォーマンスを行った。
★26──Paul Burwell:1949-2007 イギリスのパーカッショニストとパフォーマンスアーティスト。1975年ロンドンでアートユニット
★27──「Artwords」内、金子智太郎執筆「サウンド・オブジェクト」の項目を参照。
★28──「Artwords」内、阪本裕文執筆項目を参照。
★29──「Artwords」内、池田剛介執筆「アート・アンド・テクノロジー」の項目を参照。
★30──Throbbing Gristl:1975年にイギリスで結成されたインダストリアル・ミュージックバンド。前身は、ジェネシス・P・オリッジによるアート・パフォーマンス集団「クーム・トランスミッション(Coum Transmission)」。バンド名"throbbing gristle"は、英語で男根の隠語。1977年に1stアルバム『セカンド・アニュアル・リポート』を自主レーベル「インダストリアル・レコード」からリリース。81年解散。
★31──Brian Eno:1948- 作曲家、プロデューサー、音楽理論家。
★32──「Artwords」内、高橋智子執筆「アンビエント・ミュージック」の項目を参照。
★33──データとして採集された様々な音──街頭の雑音や身体の発する呼吸音や心音など──を音源として制作された、あるいは物理的な工業製品などを「楽器」として用い演じられる音楽、または音学的パフォーマンス。

▲ページの先頭へ

  • トークシリーズ:「Artwords」で読み解く現在形

畠中実

1968年生まれ。NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]主任学芸員。90年代末より国内外における同時代の電子音響表現を紹介。2...

金子智太郎

1976年生まれ。東京藝術大学等で非常勤講師。専門は美学、聴覚文化論。日本美術サウンドアーカイヴ主催。最近の仕事に論文「環境芸術以後の日本美...

2013年12月15日号の
トークシリーズ:「Artwords」で読み解く現在形

  • [シリーズ6:“音”の現在形]聴くこと、見ること、知覚すること──音=楽=アートの現在形

文字の大きさ