村田真/原久子 |
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1/10-1/13 |
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谷中安規の夢
12/9〜2/1 渋谷区立松涛美術館[東京] |
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戦前の東京を漂泊しながらとどまることなくイメージを生産し、敗戦直後に49歳でひとりさびしく野たれ死んだ版画家。人生も作品も、昭和初期のモダン都市東京とぴったり寄りそっている。
[1月10日(土) 村田真] |
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棟方志功──わだばゴッホになる
11/22〜2/1 Bunkamuraザ・ミュージアム[東京] |
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安規より6つ年下の志功は、時代も場所も超越したパラノイアックな大作主義の版画家。初期を除けば40年間ほとんどスタイルが変わんなかったというのもすごい。そりゃ安規よりこっちのほうが一般ウケするよ。でも入場料は松涛のほうが900円も安いぞ。
[1月10日(土) 村田真] |
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第1回現代美術コンクール
出会い系サイトとしての美術:森村泰昌とともに鍛える、あなたの表現
1/5〜23 大阪府立現代美術センター[大阪] |
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単独審査で決定するコンクールというものをこれまでほとんど耳にしたことがなかった。大阪府が主催した「第1回現代美術コンクール」では森村泰昌のみが審査し、入選5名と佳作1名の6名を決めた。そこからさらに彼らとメールで意見交換をしながら、展覧会へむけて準備をすすめるというかたちをとった。それらのメールはWEBサイトで公開されるという異例のプロセスまでみせてゆくという形式だった。最年長でも1978年生まれという若さの受賞者たちは、森村とメールを交換してゆきながら、さまざまなことを考えるきっかけをえたようだ。そんな機会が作品に影響を与えたのか、いずれも力作を出品した。「オフ会」と銘打ったトークもなごやかに行なわれた。大賞の発表はこの日にあり、西山裕希子が受賞した。ちょっとうらやましかったのは、6名には、森村が自作のポスターに複数の漢字を組み合わせた「つくり文字」でそれぞれへ宛てた言葉を送ったことだ。
[1月10日(土) 原久子]
大阪府の主催する現代美術コンクール。第1回は森村泰昌がひとりで作家ファイルを見ながら審査し、入賞者が森村とメール交換しながら作品をつくりあげていく、という新しい公募形式を採っている。一種の「相談芸術」だね。入賞者6人はいずれも20代前半で、ちょうど森村の1世代下。でも「出会い系サイト」と謳うほどのものでもないし、それがどれほど作品に反映されたのかも見えてこない。致命的なのは、作品があまりおもしろくないことですね。
[1月23日(金) 村田真] |
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あるサラリーマン・コレクションの軌跡
12/13〜2/1 三鷹市美術ギャラリー[東京] |
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タイトルの「あるサラリーマン」とは、展覧会場でもカタログでも徹底して名前が伏せられているが、美術関係者ならだれもが知ってるアノおじさん。洋画、版画、日本画、写真、立体など約100作家の130点あまりが、安斎重男からラインハルト・サビエまで単純にアイウエオ順に並べられている。そのうち、およそ4分の1はぼくの知らない作家。こうした個人コレクションの場合、購入予算が潤沢であれば価値ある作品が集まるのは当然だが、往々にしてコレクション全体としてはつまらなくなるものだ。このコレクターの場合たぶん購入予算が限られているから、無名だろうが小品だろうが琴線に触れる作品だけしか集めていない。だから一般ウケする大作はないけれど、展覧会としてはすこぶるおもしろいものになっている。つまりコレクターの顔が見えるのだ。その意味できわめて玄人ウケする展覧会であり、反美術館的な試みとさえいえる。巡回する美術館の担当学芸員3人によるカタログの文章も、「サラリーマン・コレクション」のテーマをはるかに超えて異様なほどボルテージが高い。
[1月11日(日) 村田真] |
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ルパート・スパイラ陶芸展
12/10〜1/15 海岸通ギャラリー・CASO[大阪] |
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イギリスの陶芸作家の大規模な個展が開かれていた。シンプルなフォルムの大皿や壷に、メッセージが文字で彫り込まれているが、小さく整然と並ぶ文字は、模様とも化していた。意味を言葉として受け取るのも、カタチのなかから感じ取るのも観者にゆだねるような部分にひかれた。
[1月11日(日) 原久子] |
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田中一光回顧展 われらデザインの時代
11/1〜1/25 サントリーミュージアム天保山[大阪] |
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2L入りペットボトルを連結させてつくった展示用の壁は、新品のボトルを利用しているので「エコ」とかいったこととは無関係のように思われる。だが、そんなこととは無関係にデザインとして田中一光のポスターなどのグラフィック作品を展示するにはとてもぴったりの空間が出来上がっていた。田中の作品群をより新鮮に見せるものだった。
[1月11日(日) 原久子] |
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田中一村展
1/2〜25 そごう美術館[神奈川] |
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50歳にして奄美に渡り、染色工として働きながら熱帯の自然を描き、69歳でひっそりと生涯を終えた日本画家。その経歴からアウトサイダーアートを想像していたが、どうしてどうして正真正銘のプロ、濃密な熱帯描写は若冲を彷彿とさせる。会場には何点か複製画も展示してあった。複製画なら展示しないほうがいいという意見もあるが、シリーズもので何点か欠けるより、精巧な複製画ならあったほうがいいと思う。日本画は比較的コピーしやすいし、とりわけ一村の場合グラフィックなイメージなのであまり気にならないからだ。ただし複製画を出した理由が、奄美の田中一村記念美術館がからっぽになるからというのはいただけない。その美術館の館長は宮崎緑。聞いたことある名前だ。
[1月13日(火) 村田真] |
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