村田真/原久子 |
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5/28-5/29 |
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伊奈英次「COVER」
5/14~28 art
& river bank [東京] |
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工事のためシートでおおわれた建築の写真。昔みたいにいかにも工事中といった風情ではなく、最近はすっきりきれいにカバーされ、もうそれだけでひとつの完成された建築に見えるくらい。考えてみれば建築自体カバーだもんね。
[5月28日(土) 村田真] |
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宮本隆司
5/7~6/4 TARO NASU GALLERY[東京] |
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少し古びた建物の写真は、宮本隆司らしさというか、空間に対して問いかけてゆく静かなまなざしを感じる。解体を待っているのだというまだまだ十分に使えそうな学校のような建物は、曇った窓ガラスの向こうに写っているのだが、手前にいる人物、要するに対象を見ている宮本自身の気配を感じた。こうして書いてみて実感したことは、あまりにも当然のことなのだが、その場所に宮本隆司の存在があるということだ。
[5月28日(土) 原久子] |
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森村泰昌「風刺家伝──ゴヤに捧ぐ」
5/21~7/2 SHUGO ARTS[東京] |
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美術史上に残る名画のなかに、森村自らが入り込んだセルフポートレイト作品は、85年にヴァン・ゴッホの自画像をつくったのが最初だった。そこから数えると20年。「美術史の娘」シリーズなどという名称でも呼ばれることがある。ゴヤへ捧げた新作もウイットに富んだもの、アイロニカルなものなど森村らしさが光る。お隣のギャラリー小柳ビューイングルームでは杉本博司、鈴木理策の写真が並んでいて、写真というメディアを用いてもまったく異なるアプローチの作家たちを、同時に検証。
[5月28日(土) 原久子] |
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眞島竜男 「The Incredible Shrinking Pizza」
5/21~6/4 HIROMI YOSHII[東京] |
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黄、ピンク、オレンジなどの表紙のついた冊子が天井からランダムにぶら下がっていて、正面の壁にはなんだかトリップしそうなモノクロ映像がプロジェクションされている。モニターでは、放射状にカットして重ねたピザを犬がガッツリむしゃぶり食う様子が繰り返し流れている。正面の映像はピザが回転したり、消えたりしているものだということを、犬が映っている映像を観ている途中で気づいた。冊子は表紙は違うが、中身は同じ短編小説。これも眞島が書いたものだという。反復して出てくる映像。大げさかもしれないが、日常のたわいもない出来事ととるか、悪夢のはじまりととるかはあなた次第。天井からぶら下げられた冊子が、ありふれた日常に祝祭っぽさを与えていた。
[5月28日(土) 原久子] |
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青木克世
5/2~28 INAX GALLERY 2[東京] |
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冷たく静かな表面の白磁のオブジェたち。壊れやすい素材で、過剰に装飾的なものを作り上げる不均衡な間は緊張と小さな混乱を与えてくれる。青木克世の世界がすっかり完成されてきた。
[5月28日(土) 原久子] |
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束芋「指弁(yubibira)」
5/24~6/24 ギャラリー小柳[東京] |
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指の関節部分や拳のイメージをサナギと重ね合わせ、そこから生まれいずる蝶などの生き物が描かれたドローイング。じわじわと身体を侵食するかのようにも見える。1枚1枚のドローイングは動くわけではないが、映像的なものを感じる。
大阪ではできやよいとの2人展のときにすでに発表した映像作品《hanabi-ra》も同時上映。
[5月28日(土) 原久子]
手足の指に虫が入り乱れる墨のドローイング。いいですねえ、デッサンがしっかりしてるともうそれだけで評価しちゃいます。でも色彩の使い方はいまいちですね。
[6月3日(金) 村田真]
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近藤正勝 展
5/23~6/4 art
space kimura ASK? [東京] |
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風景を描いている。でも個展名からするとじっさいに描いているのは、そこに見えないものなのだろうか。何気なく目の前を通り過ぎてゆくような場面とも言えない風景。どんな時間がそこにあるのだろうか。
[5月28日(土) 原久子]
油絵がハレーションを起こしたって感じの風景画。モノクロ写真にすれば陳腐な風景画にしか見えないよ。作者はロンドン在住だそうですが、いまいち意図がわからない。
[6月3日(金) 村田真] |
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Variation on a Silence──リサイクル工場の現代美術
5/13~29 リーテム東京工場[東京] |
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数分ごとに羽田を離着陸する飛行機が頭上を通りすぎる埋め立て地の工場が会場となった展覧会。アートディレクターとして手がけたグラフィックの仕事しか知らなかった近藤一弥の映像インスタレーションは、安部公房が生前使用した部屋の画像などを用いていた。彼の作品と、クリスチャン・マークレーの作品がとくに印象に残った。旧型のPC用モニターや、携帯電話などの画面には、それらが解体されている作業現場の映像が流れている。消費社会のなかでの循環がクールに表現されている、リサイクル工場として建てられたシンプルな建物は、実際に稼働しはじめれば違った様子になるのかもしれないが、マークレーの作品はこの工場主が購入したと聞いた。
[5月29日(日) 原久子] |
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