村田真/原久子 |
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8/4-8/13 |
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やなぎみわ
8/13〜11/6 原美術館[東京] |
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妖しい物語の世界に引きづり込まれる。少女と老女の物語はこれからも続いていくのだろうか。影のなかで強く、でも淡々と生きる「女」の姿は、男性にはどう映るのだろうか。少女でも、老女でもない、中途半端な世代の自らの身のやり場に困りつつも、どちらにも引き寄せて考えることが難しく、足を宙に浮かせたまま、美術館のなかを徘徊している自分に気付いて、怖いのは自分だと悟った……。
[8月12日(金) 原久子] |
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睡蓮2005 内藤礼 返礼 7/6〜9/25 大山崎山荘美術館[京都] |
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初めて訪れる大山崎山荘美術館。京都の山崎駅から徒歩10分ほどの山の中腹に建つ和洋折衷の屋敷を改修した美術館だ。その脇腹にコンクリート打ち放しの幾何学形態が突き刺さっている。この安藤忠雄設計の新館が「本館や庭園との調和に配慮」したとはとても思えないのだが、その新館(「地中の宝石箱」というらしい)の目玉であるモネの《睡蓮》と拮抗するように、内藤礼が新作を展示。円形ギャラリーの中央に、天窓からの光を採り込むようにホワイトキューブをしつらえ、そのなかに美術館の敷地内の土と水でつくった4〜5センチほどの舟をたくさん並べている。作品がどうのこうのいうより、モネの《睡蓮》をかたわらに押しやって、自分の作品をギャラリーの中央に据えつける作家根性は見あげたもんだし、それを許した美術館のクソ度胸もすばらしい。んーすがすがしい気分だ。
[8月12日(金) 村田真] |
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転換期の作法 8/2〜10/10 国立国際美術館[大阪] |
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ポーランド、チェコ、スロバキア、ハンガリーの中東欧の現代美術展。旧東欧のなかでも西欧度の高い4カ国だが(だから東欧から中東欧に「格上げ」されたのか)、どうしてもこの地域の作品を見るとき政治性・社会性が加味されがちで、その結果とても貧弱なものに見えてしまうのだ。つまり貧弱な現実を反映した貧弱なアートってわけ。もちろんそれは見る側の先入観が大きいだろうけど。
[8月12日(金) 村田真] |
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いのちを考える 山口啓介と中学生たち 8/3〜28 伊丹市立美術館+旧岡田家住宅 [兵庫] |
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伊丹市美の「いのちを考える」シリーズ、今年のゲストアーティストは山口啓介。数カ月前、昨年のゲストアーティストの森口ゆたかさんがカタログを送ってくれて、今年こそ行ってみたいと思っていたところ、この時期たまたま中学卒業後35年ぶりに伊丹市で同窓会が開かれることになり、ついでに見に行くことにしたのだ。そう、ぼくは中学生のころ伊丹にいたのだった。それはともかく、このシリーズは毎年ひとりのアーティストが伊丹市内の中学生とワークショップを行ない、その成果を発表するというもの。美術館内では山口のこれまでの作品を見せ、隣接する岡田家の土間で中学生とのコラボレーション作品を展示している。もし35年前に美術館があってこういうワークショップが開かれていたら、美術少年のぼくは喜んで参加しただろうか。たぶん参加しなかったような気がする。ひとりで絵を描いてるほうが好きだったから。
[8月13日(土) 村田真] |
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Group Show:田幡浩一、増田佳江、典子、木藤純子
8/2〜8/31 ギャラリー小柳 [東京] |
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新世代なんて言葉はちょっと恥ずかしい気もするが、20代の作家たちの新鮮なまなざしが、暑気払いになる。田幡浩一の以前の作品は観たことがあったが、ずいぶんと変化があった。動いているような、いないようなアニメーションにニンマリしてしまった。
[8月13日(土) 原久子] |
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工藤麻紀子 展 7/30〜9/3 小山登美夫ギャラリー[東京] |
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はじめて工藤麻紀子の作品をGEISAIでみたときのインパクトが少し薄らでしまったが、それでも着実に絵が上手くはなっている。
[8月13日(土) 原久子] |
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山本桂輔 展 7/30〜9/3 Project Room / Tomio Koyama Gallery |
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DMのポストカードにあった作品は、思っていたより小さな作品だった。当然かもしれないが印刷物で観るより実物のほうがすこぶるよい。ドローイングもあります、と画廊の人からファイルを見せてもらううちに、物欲にかられてしまった。
[8月13日(土) 原久子] |
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半田真規 展 7/9〜8/20 Kodama Gallery Tokyo[東京] |
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瓢箪型の浴槽は鉄製で3トンあるという。展覧会が始まったときには青々と元気だったらしいが、すっかり蔓が枯れてきていた。蔓は枯れても、しっかりと実をつけているように見える瓢箪。蔓がからまった棚についているのはクレヨンをいったん溶かして型抜きしたひょうたん型のオブジェ。《白浜青松原発瓢箪》
というのがこの作品のタイトルだ。浴槽にはいつもあたたかなお湯が沸いている。4階の会場から屋上まで煙突がのびていて、屋上にも瓢箪が植えられているのだが、こちらも枯れていた。予定調和なのか、狙っていたのか、瓢箪のどぎついマーブル模様に枯れた蔓……半田真規、こいつただ者ではない。
[8月13日(土) 原久子] |
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