小吹隆文/福住廉 |
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9/20-9/25 |
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竹村幸恵個展
9/20〜10/1 ギャラリーロータスルーツ[大阪] |
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画面上部は鮮烈な色彩が幾重も重ねられ、下部は絵具のハネや垂れが他の色と混じり合いながら美しい軌跡を描いている。それらが作り出すリズムとハーモニーには逡巡がなく、小気味よいほどストレートに見る者の心に突き刺さる。画像だけ見ると抽象表現主義の焼き直し、あるいは田中敦子のフォロワーと勘違いされかねないが、実作品から放たれるフレッシュな生命力は時代や流行を超えた普遍性をたたえたものだ。チャーミングな作品に出合えた喜びを感じてしまった。
[9月20日(水) 小吹隆文] |
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中西信洋展──さかさまの風景
9/23〜10/21 ノマル・プロジェクトスペースキューブ&ロフト[大阪] |
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作品毎に扱うメディアが異なる中西だが、ドローイング作品のみで個展を構成するのは今回が初めて。手に任せて描き続けるうちに像を結んだ樹木や雲を思わせる形態を、さまざまなヴァリエーションで描いている。ひとつ描いては連想が膨らみ次の作品に繋がるという調子で増殖した作品は、例えて言うならイマジネーションの変奏曲。具象から抽象、ミクロからマクロへと駆け巡るイメージの豊かさに、作家が持つポテンシャルの高さを実感した。
[9月23日(土) 小吹隆文] |
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ミオ写真奨励賞2006入賞者作品展
9/23〜10/9 ミオホール(天王寺MiO12F)[大阪] |
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今年で9回目を迎えた写真公募展。国内外からの応募作370作品・3426点から、30作家が選出された。四角いフレームやプリントへのこだわり、整然と並んだ組作品の多さを見ると、本展がストレート・フォトの流れを汲んでいることが分かる。それゆえ現在の多様な写真表現を反映し切れていないのでは?との思いも。一方、個々の作品は非常にクオリティが高く、展覧会の見応えという点では満足できるものだった。今後も現在の方向で独自性を追求し続ける方が、公募展としてのプライオリティは高まると感じた。入賞作品については、プライベートなテーマを扱った作品が目立ったなか、中国辺境の少数民族を取材した沈晨(アドォ)が骨太な表現力を感じさせ、私自身は最も印象深かった。
[9月23日(土) 小吹隆文] |
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梅佳代写真展「シャッターチャンス祭り」
8/22〜9/24 リトルモア地下[東京] |
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くるりの岸田繁が言うように、梅佳代は最高だ。今のところ彼女を超える写真家はいない。その写真に写されている男子の生態は、忘れかけていた童心を否応なく思い出させるし、日々の日常にひそむ異常性をほんの少しの笑いとともに引き出してみせる。「シャッターチャンス」という点でいえば、アンリ・カルティエ=ブレッソンの正統な後継者だといってもいい。 梅佳代の写真の魅力は「決定的瞬間」だけに限られているわけではないにせよ、それらを要約して一言でいうとすれば、たぶん「気持ちいい」写真といえると思う。芸術一般もそうなのかもしれないけれど、どういうわけかジャンルとしての写真には、撮る側にしろ、見る側にしろ、批評する側にしろ、どうにもこうにも「気持ち悪い」ところがぬぐいきれずに残っている。いささか乱暴に言ってしまえば、荒木経惟の写真は病的なセンチメンタリズムに浸っているし、森山大道の写真に一貫しているのは根暗なロマンティシズムだ。あるいは、コンプレックスの裏返しとしての「おしゃれな自分の世界自慢」みたいな写真も気持ちが悪くてしょうがない。それらが、ある種の文学的な嗜好性をもつ人々にとっての求心力になっていることはわからなくはないけれども、その点にだけ写真の可能性を押し込んでおかなければならない理由はまったくない。梅佳代はそうした鬱屈した気持ちの悪さとは無縁なまま、つねにカメラを持ち歩き、街を闊歩しながら、動物や小学生、じじばばの一瞬の表情に眼を向け、望まれてもいないのにシャッターを切っているのである。そうした小気味よい気持ちよさを否定する理由は微塵もない。 とはいえ、だからといって梅佳代がたんなるハッピーで明るい天然系だと言っているわけではない。彼女の写真をよくよく見ればわかるように、むしろここには無意識の悪意のようなものが潜んでいる。梅佳代の写真が醸し出す微妙な笑いは、対象への愛というより、それへの悪意に端を発しているのであり、そうでなければ、あのようなシーンをめざとく撮影することはできないはずだ。それはちょうど、良質のお笑いが人間の心のダークサイドから生じているのと似ている。愛がないわけではないが、同時に底知れぬ悪意も抱いている。これこそ、人間の深層にひそむ心のありようではなかったか。梅佳代の写真は、気持ちの悪い写真とはまったく別のやり方で、こうした心の闇をまざまざと突きつけるのである。ハロプロ系の音楽がガンガンに鳴り響く会場で、一見すると健康的な写真に見え隠れする闇が、見る者の心底のそれと響きあったとき、微笑みはひき笑いと化してしまったはずだ。
[9月25日(月) 福住廉] |
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渡辺雅絵個展 peTom銀座店展
9/25〜9/30 Gallery K[東京] |
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機械仕掛けの動物がじたばた動く装置。前進もせず後進もせず、その場で地団駄を踏む様子が滑稽であり、悲しくもあり、身につまされる。
[9月25日(月) 福住廉] |
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内海陽介 “mini-missing”
9/25〜9/30 exhibit Live & Moris[東京] |
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これもじたばたした動きを見せる鹿の絵。よく見るとプラモデルのキットから逃れようとしてもがいているようだ。微動だにせず、まるで達観したかのように振る舞う絵が多いなかにあって、こうした絵は潔い。
[9月25日(月) 福住廉] |
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