村田真/原久子 |
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8/27-8/29 |
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トルコ美術の現在 どこに? ここに?
6/20〜8/31 埼玉県立近代美術館 |
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「日本におけるトルコ年」のなかで、これがおそらく最先端の現代美術展。出品作家は10人で、大半が映像と写真だ。映像や写真が多いのはトルコに限らず世界共通の問題だが、この場合は予算の少なさも関係してるに違いない。なにしろ軽くて運搬がラクだもんね。しかしこの軽便さは作品の物理的側面だけでなく、いくらかは制作姿勢にも当てはまるようだ。たとえばボスポラス海峡にかかる橋を撮った作品が2点あって、自分たちが西洋と東洋のはざまにあることを意識してるんだろうけど、いずれも欧米的な現代美術の作法にのっとっていてなんかものたりないんだな。つまりお手軽だってこと。
[8月27日(水) 村田真] |
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フリーダ・カーロとその時代
7/19〜9/7 Bunkamuraザ・ミュージアム[東京] |
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ざっと見たところ、観客は女性が8割。しかも平山郁夫展みたいにおば(あ)ちゃんばかりでなく若いコが多い。ここらへんに「恋と芸術」に生きたフリーダ人気の偏りがうかがえる。だが、展覧会はマリア・イスキエルドから始まっていて、メキシコの女性画家がフリーダだけでないことをアピールする構成だ。客にこびない姿勢に好感がもてる。でも魔術的ヴィジョンはフリーダのほうが強烈なので、やっぱりイスキエルドは前座だね。その後、レメディオス・バロ、レオノーラ・キャリントン、アリス・ラオンら、ヨーロッパからメキシコの移住した女性シュルレアリストの絵画が続くのだが、どうも彼女たちの作品は絵本の原画にしか見えない。それが「女性」の限界なのか、「メキシコ」の限界なのか、はたまた「シュルレアリスム」の限界なのか。見てる「ぼく」の限界かもね。
[8月29日(金) 村田真] |
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聖母子と子どもたち
7/19〜9/7 目黒区美術館[東京] |
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目黒区美で「聖母子展」とはまた虚をつく取り合わせだ。京博の「スター・ウォーズ」、東京都現美の「ジブリ」ほどではないにせよ、美術館が壊れつつある前触れのひとつかもしれない。この「聖母子展」、ポーランドのヨハネ・パウロ2世美術館のコレクションをパックした巡回展。チラシのデューラーをはじめ、ルーベンス、ヴァン・ダイク、ゴヤなどの巨匠も含まれるが、ルーベンスなどはとても本人が描いたとは思えないシロモノだし、ゴヤなんか目に見えないくらい小さかった。あとは美術史の本流からはずれた陳腐な3流画家がほとんど。でも「こういう画家がいたからこそ巨匠は映えるんだ」という美術史の本質を教えてくれる点では貴重な機会だ。
[8月29日(金) 村田真] |
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池松江美「ソウルメイトを探して…」
8/20〜9/20 ミヅマアートギャラリー[東京] |
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辛酸なめ子こと池松江美による、知人・友人・親友を超えた女同士のソウルメイトを探すというテーマの個展。卒業アルバムから顔写真を切り抜いて名前を呼んで当てる「同窓生カルタ」とか、女のソウルメイトの敵である男のエッチな手つきを彫刻化して戒める「男の手」とか、語るに落ちる作品ばかり。
[8月29日(金) 村田真] |
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Kato+PLUG+World「Double Mapping」
8/13〜9/6 ヒルサイドギャラリー[東京] |
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Kato Chikaが記憶でつくった代官山の地図をギャラリーで配り、そこに自分で歩いて見つけたものを書き込んでもらう。それをもとにギャラリー内に架空の風景を徐々につくっていくという参加型の展覧会。もうひとつなにか意外な仕掛けとか、楽しいひねりがあってもいいような。
[8月29日(金) 村田真] |
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