村田真/原久子 |
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5/1-5/9 |
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栗田咲子 結構気だるげ猫灰テンション
4/27〜5/9 ギャラリーcoco [京都] |
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キーボードを叩いて変換キーを押したとたんに噴き出してしまうようなことがある。副題がとにかく可笑しい。「結構ケだらけ猫灰だらけ」が「結構けだる気、猫ハイテンション」となっても可笑しいのに、さらにこれが「結構気だるげ猫灰テンション」と化けている。作品の内容と副題はどう関係あるの? そうか、そうです。関係あるの? しゃがみこんで両手にキャベツを持つ女性。その背後には花が咲き、そして横にはブタの後ろ姿。う〜ん、なんとなくわかる。でもその「なんとなく」がわからない人もいるのかな。
[5月1日(土) 原久子] |
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ピエール・バルー 短編映像上映会&ライブ
5/3 CAP HOUSE[神戸] |
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映画「男と女」に出演、作詞家としても知られるピエール・バルーの短編ドキュメンタリー映像をはじめて観た。西洋楽器と和製楽器チンドンとのリズミカルな演奏が愉快なチンドン楽団・カボチャ商会が渡仏した際のものなど。一番衝撃的だったのは青森県のある場所で実際に恒例となって開かれている「キリスト祭」。宗教的な儀式とはかけはなれているが、キリストの墓がそこにあるとされている。日本の青森県にだ。いつも異邦人の目でいろんなものをとらえているバルーが口ずさむフランス語の詩を日本人の夫人が逐次訳してゆく。片手に彼の娘のマヤと仲間たちの演奏や唄も、気持ちを快活にさせるもので楽しい。外が明るいうちからワインをいただき愉快な休日の午後を過ごした。
[5月3日(月) 原久子] |
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パリ/マルモッタン美術館展
4/6〜5/23 京都市美術館 |
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クロード・モネとベルト・モリゾの作品をこの展覧会では多く展示している。その冒頭の文字「モ」とマルモッタンの頭の3文字「マルモ」をかけて(モ)がマルに囲まれたポスターやチラシをほうぼうで目にした。結婚後も、子育てや家事などの日常の出来事のなかから題材をみつけだして絵を描き続けたモリゾ。モネの《睡蓮》もゆっくりみれる順路と配置が考えられていた。
[5月4日(火) 原久子] |
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ヒロシマアートドキュメント2004
5/8〜22 旧日本銀行広島支店[広島] |
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アンジュ・レッチア、ジャン=リュック・ヴィルムートらフランス人作家を中心に12人が参加。といってもひとりひとりが作品を出品するのではなく、全員でひとつの映像作品をつくるのだという。んが、私はこれを見ることができなかった。正視に耐えられなかったというのではなく、会期を間違えて1日早く来てしまったからだ。なはは、大馬鹿野郎でございます。せっかくだから会場を見せてもらったけど、まだスクリーンを設営中で作品の片鱗もうかがえない。でも旧日銀のゆったりした空間を堪能できた。横浜のBankART1929もそうだが、昭和初期までの銀行建築というのは堅牢で威厳にあふれ、いかにもエラソーだ。岡山でも旧日銀の建物をアートスペースとして再利用する「バンク・オブ・アート」が始まるというし、全国でこうした動きが広がってほすい。
[5月7日(金) 村田真] |
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錦帯橋プロジェクト
5/5〜9 錦帯橋周辺の河川敷および吉香公園[山口] |
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この春、架け替え工事の終わった錦帯橋の解体材料を使い、5人の彫刻家が作品を制作して橋の周辺の数箇所に展示した。村中保彦は橋板や釘で構成した作品を公園の芝生に置き、磯崎有輔は出品作家4人(戸谷成雄は拒否)の肖像彫刻を彫り、廃材のうえにサラシ首よろしく並べてあずまやに設置。このふたつはとてもわかりやすい。解体材料がそのまま使われているからだ。一方、西雅秋は釘や銅板を溶かして鉄塊やインゴットに固め、隣の橋のたもとにゴロンと置き、戸谷成雄は廃材を焼いた灰を餅に混ぜ、対岸の立ち枯れた木に塗り込めて錦帯橋を渡り、山のふもとに「捨てた」。このふたつは材料の原形をとどめず、作品としては無愛想きわまりない。むしろ材料を加熱してまったく別のものに変容させる行為に重点が置かれているようだ。ある意味で、錦帯橋の歴史と権威を浄化させるための儀式的なパフォーマンスともいえるだろう。日が暮れてからおこなわれた原田文明の「祈りプロジェクト」は、まさにその典型。5艘の鉄の舟に廃材を積み、錦川に浮かべて火を放ったのだ。
[5月8日(土) 村田真] |
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錦帯橋展
3/14〜5/23 岩国徴古館[山口] |
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「錦帯橋プロジェクト」の作品を見てまわるうち、ファシズム様式を思わせるいかめしい石づくりの建物を発見。架け替えを記念した展覧会をやっていたので入る。同館の設立が決まったのは1940年で、竣工は敗戦間近の45年3月、博物館として開館したのはようやく50年になってからという。展覧会より「徴古館」といういわくありげな建物のほうに興味をもってしまった。
[5月8日(土) 村田真] |
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美術史学会シンポジウム
「美術館・博物館はなぜ必要か?」
5/8 兵庫県立美術館 |
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少し遅れて会場に着くと、はじまったばかりだったが、会場は超満員。やっと一番後ろに座席を見つけて着席。兵庫県立美術館の学芸課長氏は一昨年の新館開館からの入場者数などを報告。1年間、美術館と兼任という名目で、観光名所でもある二条城に赴任していた中谷至宏(京都市美術館学芸員)は、国宝も保有し、来場者も美術館とは比較にならないくらい多い二条城を“スーパーミュージアム”と称した。経験談などを盛り込みながらたくさんのパネリストたちは滔々と語っていたが、「なぜ必要か?」という議論に至らないまま会は終了した。井上明彦がアーティストたちに4つの質問を投げて、その回答として発表した「美術館にこうあって欲しい」というヴィジョンはポジティヴであり、具体性をもっていて、これを実行できる美術館・博物館があればいいな、と思わせるものが多かった。
[5月8日(土) 原久子] |
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パリ──日本 一九五〇年代 青春は不定形
4/9〜5/30 大原美術館[岡山] |
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「青春は不定形(アンフォルメル)」ってすごいタイトル。これは「20世紀美術の青春」という意味らしいが、もうひとつ、50年代にパリに留学していた若き高階秀爾館長のアンフォルメル体験も重ねてるに違いない。ジャン・フォートリエ、ハンス・アルトゥング、ピエール・スーラージュらのほか、パリ留学組の今井俊満と堂本尚郎の作品も4、5点ずつあった。あまりいい作品とは思えないが、それを購入することの意義は小さくないはずだ。
[5月9日(日) 村田真] |
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無為堂が残したもの
4/29〜5/9 大原美術館・有隣荘[岡山] |
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大原コレクションの基礎をつくった画家、児島虎次郎の没後75年を記念する展示。「無為堂」とは児島が1926年に建てた自宅の名で、設計から家具調度品まですべて自分でデザインしたという。それを、和洋折衷の大原家の旧別邸「有隣荘」で公開。出品は、草花・幾何学模様のテーブルや長椅子、電気スタンド、浮き彫りの袋戸など。そんなのつくってるヒマがあったら絵を描け、とも思ったりした。
[5月9日(日) 村田真] |
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