村田真/原久子 |
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7/16-7/20 |
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花と緑の物語展
7/17〜9/26 東京都現代美術館[東京] |
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昨夏は「ジブリがいっぱい」、今夏のMOTは「印象派」と「漫画映画」がいっぱい。こうした、現代美術の専門館であることを放棄するような展覧会が続けば、この美術館は名を改めなければならなくなるだろう。別に印象派が悪いわけでも、アニメがダメなわけでもない。でもねえ、現代美術館でやる以上それらを現代美術の視点でとらえてくれなきゃ意味がないというか、納税者への裏切りというか、あるいは無責任な貸し館と同じでしょう。同展には惹かれる作品も何点か出てたけど、大半は国内の美術館からのレンタルで、そのせいか小品が多く、タッパの高い展示室の上半分は完全に空白。もう一層フロアを設けてもよかったのでは。唯一現代美術との関連に触れたのは、カタログの渡部葉子学芸員の小文のみ。学芸員の苦悩がしのばれます。
[7月16日(金) 村田真] |
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日本漫画映画の全貌
7/15〜8/31 東京都現代美術館[東京] |
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お次はアニメ。主催に日本テレビが入っていて、きっと館長の肝煎りなんでしょう。なんだかすごくなつかしい作品もある。でもアニメ業界の事情をよく知らない40代の中年にとって、東映動画とスタジオジブリが大半を占め、手塚治虫がまったく登場しないというのがとても奇異に映る。「アニメ」ではなく「漫画映画」としているのもそのへんの事情と関係があるんだろうか。いずれにせよ、現代美術館でやるべき展覧会じゃないでしょう。
[7月16日(金) 村田真] |
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世界は歪んでいる。 Supernatural Artificial
7/17〜8/29 東京都写真美術館[東京] |
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ついでにもうひとつ、都立の美術館へ。こちらのほうがよっぽど現代美術なオーストラリアの写真・映像展。どうせなら「日本漫画映画の全貌」と会場を交換すればよかったのに。ま、それはともかく。現代写真というといまや無国籍の無法状態で、どこの国でも似たような写真ばかり見かける。そんななかで、写真に絵を描き加えて版画にしたトレイシー・モファットの泥くさい物語絵だけが、唯一異彩を放っていた。
[7月16日(金) 村田真]
オーストラリアの現代写真を紹介する展覧会には9作家が参加。トレイシー・モファット以外は日本ではほとんど知られていない。超自然的な世界をプリント上につくりあげる作家たちなど、歴史や社会に鋭く斬り込むというより、もう少しおおらかなところで作られた作品のように思える。なかでも身体をテーマにするアーティストが目立つ。エライザ・ハッチソンのポートレイトは、そのなかで異彩を放っていた。(作品を観る前の人にタネあかしをするのはよくないかもしれないが)被写体が特殊な緊張感をともなった表情をしているのは、実は彼らは逆さ吊りにされて撮影しているからだという。かなりビミョーな表情なんです。
[7月16日(金) 原久子]
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ノンセクト・ラディカル 現代の写真III
7/17〜9/20 横浜美術館[神奈川] |
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錆びたトタンや古びた木でできた奈良美智+"graf"による小屋が、まず目に飛び込んでくる。窓から中を覗くと中東で織られたらしい絨毯が敷かれ、なかではカブールの子供たちの日常や風景の写真が次々と投影されてゆく。パレスチナ人のアハラム・シブリによって記録された時間や場所。沖縄生まれの石川真生が撮る沖縄。アルバニアに生まれたアンリ・サラの、マイクに向かう男を撮った映像《ナチュラルミスティック(トマホークNo.2)》。ヘッドホーンをとると、トマホークの着弾音などを口まねしているサウンドを聴くことになる。米田知子のやや突き放し距離を置いたような感じに見える写真は、サラエボや北朝鮮を撮ったものだ。その距離の間に作家の想いや、観る者の入り込む場所がある。参加している9作家は異なる視点から世界をみている。さまざまなバックグラウンドをもつ場に、それぞれの思想や人生が垣間みえる。高嶺格の《木村さん》が直前になって、美術館というか、美術館を監督する立場の役所の判断で出品不可能となったことは悲しいことだ。
[7月17日(土) 原久子] |
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ナデジダ・オレック・リャホヴァ展 ヴァニタス
7/17〜8/15 横浜美術館アートギャラリー[神奈川] |
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ブルガリアのアーティスト、リャホヴァは、花柄の壁紙とも花畑ともつかない背景に、同系色の着衣の人がたたずむ様子を描いた平面作品を展示。白い皿を並べたテーブルのインスタレーションは、果物に飾られた顔をかたどったアイスクリームをのせ、来場者がそれを食べるというパフォーマンスもあわせて行なった。会場に行ったときにはちょうど皆が食べ終わった後の残骸を観ることに。抹茶、バニラ、チョコレートなど色も味もさまざまなアイスクリームを用いていた。味覚、嗅覚、触覚などに訴えかける作品をつくっている人との触込みであったが、体験しそこなってしまった。
[7月17日(土) 原久子] |
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コラプシング・ヒストリーズ
7/16〜8/15 ギャラリー・エフ、都立第五福竜丸展示館[東京] |
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アーロン・カーナーの企画で実現したこの展覧会は、ギャラリー・エフと2会場を用いて開かれている。展覧会名は「崩れゆく歴史」という意味があり、忘れてはならない事実が写真、映像、インスタレーションなどにより提示されていた。ビキニ諸島沖での水爆実験で1954年に被爆した第五福竜丸を展示している都立第五福竜丸展示館(左上)では、中ハシ克シゲ《オン・ザ・デイ・プロジェクト》(左下)やヤノベケンジ《森の映画館》(右上)などを展示。中ハシはこの展覧会のために新作を発表。第五福竜丸が被爆して50年目の3月1日に、被爆地近くのマーシャル諸島エニウエトク環礁に、核実験でできた巨大クレーターに核廃棄物を封じ込めたコンクリートドームがある。そこへ赴き表面を手札サイズで等倍に分割して撮影。会場でボランティアや出品作家とともに、5000枚の写真をつなぎあわす公開制作を行なった。
[7月18日(日) 原久子] |
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ブラジル:ボディ・ノスタルジア
6/8〜7/25 東京国立近代美術館[東京] |
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ただ「ブラジル」というだけで惹かれて、事前に何のインフォメーションも持たずに展覧会を観た。タルシラ・ド・アマラルのペインティングなどの作品を原点にブラジルの人々が持つ「身体観」を探ってゆくことになる。リアス&リートヴェークによるインタヴュー映像とストリートの人々の手足を実際にかたどったオブジェのインスタレーション作品に、会場の多くのオーディエンスが釘付けになって観ていた。頭上からニュース映像にはないリアリティがのしかかってくる。出口の横にあったリヴァーネ・ノイエンシュワンダー(ギマラエスとの共作)の映像作品《微細なる死の目録(吐息)》には、かたちを変幻自在に変えながら宙をシャボン玉が漂う。作品ごとに段階を経て、ブラジルの現代人の思想や感覚に、観る者が近づいてゆくことができるような展覧会だった。
[7月18日(日) 原久子] |
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万国博覧会の美術
7/6〜8/29 東京国立博物館[東京] |
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来年の愛知万博開催記念という位置づけを除けば、今年のベスト1候補にあげてもいい真に充実したテーマと内容を誇る企画展。全体は3章に分かれ、第1章は幕末・維新の日本の万博参加、第2章は日本の輸出品としての美術工芸品、第3章はパリ万博に見るフランス美術といった構成。第2章まで延々と陶磁器や七宝、置き物などの工芸品が続くが、この時代の職人の徹底した仕事ぶりは驚異的で見ていて飽きない。それも桂離宮的なワビ・サビではなく、日光東照宮的なビザール全開なのだ。その好き嫌いはともかく、少なくとも「手仕事」や「ものづくり」に関して日本人は大きく後退していることがわかる。やっぱり工芸を「アート」だなんて勘違いし始めたころから衰退が始まったんじゃないかしら。
[7月19日(月) 村田真] |
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るさんちまん 《第12回「る会 〜生きション〜」》
7/19〜7/25 Space Kobo & Tomo[東京] |
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「鏡」というと姿を映したり、対象を像としてその上に映すものとして使う。魔鏡は一見普通の鏡と変わりはないが、強い光を当て、反射させたとき、裏側に描かれた凹凸が透けて絵となって浮かび上がる。そんな魔鏡の効果を用いて、るさんちまんテキ
世界観を「像」として見せている。ゆるい笑いをこみ上げさせる音は、安っぽいアナウンス調で、純毛を纏ったスピーカー(拡声器)が大小5つ。次回の「る会 〜生きション〜」も楽しみである。
[7月19日(月) 原久子] |
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母袋俊也《TSUMAALI》
7/20〜8/8 アートフロントギャラリー[東京] |
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ギャラリーの大きなガラス窓のかたわらに、昔風の便所みたいな小屋が建っている。内側は真っ黒に塗られ、椅子がひとつ。すわると、正面にうがたれた細長い小窓からガラス越しに、ギャラリー内の壁面に並ぶ8枚組の風景を描いたパネルの一部が見える。この風景画は、昨年の「越後妻有アートトリエンナーレ」のためにつくられた「絵画のための見晴し小屋」から見た風景であり、今回は、いってみればその風景画をながめるための「見晴らし小屋」を制作したってわけ。「見晴し小屋」はこれで5作目だそうだが、これを始めてから格段に絵画構造が明快になり、立体化したように感じられる。
[7月20日(火) 村田真] |
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