村田真/酒井千穂 |
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9/1〜9/7 |
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ユリー・ケンサク展──桃太郎ガールの冒険
9/1〜17 横浜美術館アートギャラリー2[神奈川] |
1カ月半横浜に滞在し、美術館のスタジオで制作していたタイの若手アーティストの発表。プレートや包装紙などにマンガみたいな絵を描いている。壁に突き出た消火栓みたいなところにも。色も線もポップで、日本人が期待するようなタイ美術からは痛快なほどかけ離れている。もっともタイ人といっても父親は日本人らしいけど。それで「ケンサク」って名前なのか、と思ったら彼女は女だし、ケンサクは苗字だ(でも表記はKensakuだ)。
[9月1日(土) 村田真] |
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日韓現代美術交流展──純情の衝突2007
9/1〜14 BankARTスタジオNYK[神奈川] |
作品はともかく、ネームプレートの隅に日本の作家には日の丸が、韓国の作家には太極旗が小さくあしらわれているのが気にかかった。日の丸は、作品が売れたときにつけられる赤丸と勘違いしてしまいそうだし、太極旗はもっとマズイことに、遠くから見ると日の丸にバッテンを打ったように見えてしまうのだ。なるほど、だから「純情の衝突」か。
[9月1日(土) 村田真] |
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都市との対話
9/1〜17 BankARTスタジオNYK[神奈川] |
都市との対話ねえ……。タイトルもテーマもありがちだけど、作品は期待以上によかった(つーか、ぜんぜん期待してなかった)。壁や床にプラレールを増殖させたパラモデル、都市の俯瞰写真をコラージュして巨大な都市図に仕立てた西野壮平、めだたない場所に段ボールやプロジェクターを積み上げて映像していたカトウチカら、それぞれのポジションでそれぞれの持ち味を発揮している。
[9月1日(土) 村田真] |
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平山郁夫──祈りの旅路
9/4〜10/21 東京国立近代美術館[東京] |
実質的なデヴュー作ともいえる1959年の《仏教伝来》から、薬師寺の玄奘三蔵院伽藍に描いた壁画を縮小コピーした2007年の《大唐西域画》まで、半世紀近い画業を振り返る展示。院展のお家芸というのかボケた描き方(朦朧体?)は終始変わらないが、空間のとらえ方は60年代後半あたりから大きく変わっていく。それは西洋的遠近法の導入だ。それ以前の仏陀を主題とした物語画では遠近法がほとんど使われず、あまり奥行きを感じさせない幻想画ともいえるものだったが、中央アジアを初めて旅行した1968年ごろから明らかに遠近法的なリアリズム絵画に変化する。これは地理的に西洋にちょっと近づいたから、ってわけではなく、風景画(にロマンを託した物語画?)に移行したからだろう。つーか、ただでさえアレなのに、遠近法を用いないで描いたら見られたもんじゃないからね。いいかえれば、このころから写真に基づいて制作するようになったってこと。その結果、それ以降の作品はおおむね安っぽい観光絵葉書に堕していく。
[9月3日(月) 村田真] |
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安齊重男の“私・写・録”1970-2006
9/5〜10/22 国立新美術館[東京] |
3000枚近い写真が広大な展示室の壁面に年代順に並ぶ。ふつう内覧会では作品も見ずにおしゃべりする人が多いものだが、この展覧会は違ってみんな一生懸命見ている。しかも顔を20〜30センチまで近づけて食い入るように見つめる人が多いのだ。こんなに真剣に見られる展覧会もないだろう。なにしろ20〜30年も前の自分たち(とその作品)が写ってるんだから。ちなみに、ぼくが写ってるのは、ざっと見たところ6枚。よく探せばもっと写ってるかもしれない。という自分本位、興味本位で見てしまう展覧会。
[9月4日(火) 村田真] |
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線の迷宮II──鉛筆と黒鉛の旋律
7/7〜9/9 目黒区美術館[東京] |
おもに鉛筆で描いた作品を集めたもの。漆黒の闇から図書館の本を浮かび上がらせる小川百合、老婆のシワや白髪を巨大画面に描き出す木下晋、名画を想像を交えて克明に再現する小川信治ら、どれもこれも偏執狂といえるほど凝集力をもっている。その黒い線への異様なまでの執着は、色彩の愉悦に身をゆだねることのできない反動からくるのだろうか。
[9月7日(金) 村田真] |
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