2009年2月アーカイブ

ヴィクトル・I ・ストイキツァの講演会へ行ってきました。

演題は「集中そして/あるいは蒸発――肖像・自画像・『現代生活』」。ストイキツァは、現在、スイスのフリブール大学で教えている美術史家で、日本では2001年に『絵画の自意識』が翻訳・刊行されて話題になりました。その後も『ゴヤ』、『ピュグマリオン効果』、『影の歴史』、『幻視絵画の詩学』などが邦訳されています。

2003年に続いて2度目の来日で、今回は2月22日(日)に福岡市美術館、24日(火)に京都大学吉田キャンパス、27日(金)に東京大学駒場キャンパスと予定が組まれており、ちょうど今国内を移動中です。福岡と京都の演題は同じで、東京では「カラヴァッジョの天使たち」となっています。私が出掛けたのは福岡会場でした。

福岡では「レオナール・フジタ展―没後40年」の記念講演会としての開催でした。冒頭に藤田嗣治の自画像がプロジェクターで数点映写され、「フジタの眼鏡は、単なる視力補助の手段ではなく、視覚世界を探究し、絵画化する画家の存在様態を象徴的に示す役割が与えられている」という、ストイキツァらしい言及がなされました。『絵画の自意識』にも同じように眼鏡に着目しているくだりがあります(415頁)。

「フジタは重要な作家だと思うが、彼について語る準備が自分は十分でない。彼が参照することが出来たであろう、パリで一世代前に活躍した2人の画家、マネとドガについて私の考えを述べたい」とストイキツァは話を切り替え、ボードレールのアフォリズム集『赤裸の心』にある「自我の集中と蒸発について。すべてがそこにある」という言葉を参照点として、肖像画や自画像における顕在化(≒集中)=マネ、隠蔽(≒蒸発)=ドガという整理をもとに、両者の対照性や複雑な影響関係を読み解きました。

特徴的な例は、競馬場を主題とした2人の作品で、マネは競走馬が走ってくるトラック内に画家の視点を据え、こちらへ向かってくる馬の様子を描いているのに対し、ドガは休んでいる騎手たちを描いて、画家はどこか物陰からそうした光景を眺めているように感じられる、と説明しました。

両者の関係は、単に対照的であるにとどまらず、複雑な入れ子構造として読み解かれていたため、メモをとりながら聞いてはいたのですが、全体を細部まで思い出すことはできません。それだけ濃密な内容で、いつか再び、本としてまとめられたものを読んでみたい、という気にさせられました。

そうした中でも、1832年生まれのマネと、1834年生まれのドガは2歳しか違わない、という事実は強く印象に残りました。この2歳違いという近さと隔たりが複雑な磁場を象徴しているように思えます。


講演会終了後に見たフジタ展では、同館所蔵の《仰臥裸婦》とその下絵《腕をのばした大きな裸婦》の比較展示や、ウッドワン美術館所蔵の油彩作品《イヴ》とフランスの個人蔵による版画連作「イヴ」をまとめて展示した一画が大変興味深いものでした。

前者では、特に顔に注目すると、油彩作品で理想化されていることがわかります。
また後者の見どころも油彩作品における理想化ですが、その違いは目覚ましいものです。鼻の稜線に隠れていた右眼や、左手の後ろに隠れていたもう片方の乳房をはっきりと描き、髪の毛に躍動感を与え、花々からなる髪飾りをより豊かにする、などが主な変更点ですが、両者を見比べる楽しみは、展覧会ならでは、と言えるものでした。

20090222blog.jpg福岡市美術館講堂(壇上右=ストイキツァ氏、同左=松原知生氏) 2009年2月22日14時43分(外は雨) 提供:福岡市美術館

*講演会写真についてストイキツァご本人にウェブ掲示の許可を頂くにあたり、担当学芸員の三谷理華さんと、西南学院大学準教授の松原知生さんに迅速なご対応とご協力を頂きました。心よりお礼申し上げます。

2009/2/27追記
東京での講演会は、2/28(土)にも日本橋公会堂(主催:京都造形芸術大学ほか)で予定されていました。そこでの演題はやはり「集中そして/あるいは蒸発――肖像・自画像・『現代生活』」です。
最近、1950年代から70年代くらいまでの日本の美術批評を読み直しています。古本屋で買い集めた古びた『美術批評』や『美術手帖』の変色した紙面を少しずつめくって、日本の美術批評の全盛期に思いをはせながら、読み進めています。

この時代の美術作品のほうは、日本だけでなく世界的にも再評価が進んでいます。国内では、本格的な展覧会や出版物が増えていますし、ヨーロッパやアメリカでは、戦後の日本美術を回顧する展覧会が開かれるだけでなく、近年では、具体美術協会やもの派に関する学術研究もずいぶんと目にするようになりました。また、個々の作家に対する関心も高まっており、今や田中敦子の作品は世界各地で見かけますし、ウォーカーアートセンターで「工藤哲巳」展が開催されたことも記憶に新しいことと思います。

他方、美術批評のほうはどうかというと、美術作品に匹敵するほど再評価を得ているわけではありません。針生一郎については、『日本心中』(2002年)や『9.11−8.15 日本心中』(2005年)といった大浦信行の映画などで再び関心が高まりましたが、それを除けば、過去の美術批評を読み直そうとする機運は、まだ依然として弱いような印象があります(数少ない例外として、光田由里の『『美術批評』〈1952−1957〉誌とその時代 「現代美術」と「現代美術批評」の成立』があります)。

しかし、たとえ50年以上前に書かれた美術批評でも、今なお面白く読めるものがあります。針生の「サドの眼」や中原佑介の「密室の絵画」(ともに1956年)は、説得力ある作品分析を行うのにとどまらず、状況を捉えるための確かな視点を提唱するもので、時代を超えて読まれるに値する批評です。その批評が書かれた文脈を知っていれば、もっと興味を持って読むこともできます(例えば「サドの眼」が「スカラベ・サクレ」論争や新日本文学会内の路線対立を踏まえて書かれたことを知っていれば、花田清輝と比較して読むこともできます)。

問題は、日本においては、こうした過去の代表的な美術批評が入手困難であることです。美術雑誌のバックナンバーは、大きな図書館に行かないと閲覧できませんし、過去の批評は、批評家の著作に再録されることもありますが、絶版になることも多い上に、論争の場合、両方の文章が再録されることはまずありません。たしかに基本的に雑誌に書かれる批評は、一時的な性格が強いのかもしれませんが、歴史的に重要な批評も数多くあり、こうした批評にアクセスできないのは文化的な損失と言ってもいいでしょう。

英語圏では、代表的な批評や論文を集めたアンソロジーが数多く出版されています。ポロック論を集めた、ミニマル・アートの批評や作家の文章をまとめた、作家の文章を大量に集めた、20世紀の芸術に関する文章を集めた......。もちろん、こうした本では元の文章を抄録している場合も多く、解釈の固定化に繋がったり、歴史的な文脈が見えにくくなったりすることもあります。それでも、歴史から忘却されて、似たような議論を一から始め直すよりもずっといいように思います。美術批評に限らず、展覧会カタログの文章(これこそ入手困難な場合が多い)も含むようなアンソロジーが出ればいいのになあと改めて思った次第です。

山口圏

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学生たちと津和野へ行ってきました。

毎年この時期、卒業生の「追い出しコンパ」を兼ねて、1泊2日の小旅行へ出掛けています。企画は研究室の3年生の担当で、2007年は萩に泊まって山口県立萩美術館・浦上記念館を見学したり、高杉晋作誕生地などの歴史的な街並みを散策し、2008年は三隅町立香月美術館を見学して、湯免温泉につかりました。

津和野へは、山口から電車で約1時間20分。街全体にくつろげる雰囲気があって、小旅行にはぴったりの場所でした。

初日は朝10時頃出発してお昼前に旅館にチェックイン。五大稲荷の1つと言われる太皷谷稲成神社へお参りし、西周旧居、森鷗外旧宅を訪ねて、杜塾美術館を見学しました。
杜塾美術館は、津和野藩の筆頭庄屋屋敷を修復した美術館で、同地ゆかりの中尾彰・吉浦摩耶夫婦の作品のほか、マドリード国立銅版画制作室によって1983年に制作された、ゴヤの「闘牛技」40点が展示されています。

帰り道、本町通りで地酒の味見ができました。初陣、魁龍、華泉と銘柄ごとに造り酒屋が並んでおり、普段はお酒を飲まない学生も、少量ずつ味の違いが比べられる機会を楽しんでいました。

今日は、津和野町立安野光雅美術館と葛飾北斎美術館を見学しました。

安野光雅美術館は2001年開館と比較的新しく、2つの展示室のほか、昔風の小学校の教室や安野光雅のアトリエ、プラネタリウムなども併設されています。
故郷というものが、誰にでもある子ども時代のことだとしたら、そうした「故郷」へと通じる道が津和野にはある、といった趣旨の安野光雅さんの言葉が紹介されていて、心に残りました。

葛飾北斎美術館は、初刷りの『北斎漫画』が津和野で発見されたことを機縁として設立された美術館で、肉筆画や浮世絵版画、門人の作品や資料などが展示されています。


学生たちと一緒にこうした美術館を巡りながら、私は、安野光雅さんについて卒論を書こうとした学生がいたことや、私が着任してからの過去7年間に葛飾北斎について2本の卒論が提出されていることなどを思い出していました。

津和野は島根県、という意識ではなく、山口から1時間ほどで行ける「山口圏」と考えて、北斎についての研究室蔵書や、学生に紹介する機会を増やしていこう、と考えたのでした。

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津和野町立安野光雅美術館 2009年2月20日14時31分(曇りまたは小雨、のち晴れ)
先週末は、藤川さんと同じく私も東京に出張していました。

いくつかの所用の合間に、森美術館で開催されている「チャロー!インディア インド美術の新時代」展を、遅ればせながら見てきました。

インドの現代美術に関する大きな展覧会は、日本では、1998年に国際交流基金アジアセンター(当時)の主催で開催された「インド現代美術展 神話を紡ぐ作家たち」以来で、とても興味深く拝見しました。

私の主な研究分野は、アメリカと日本の現代美術史・美術批評史ですが、昨年秋に国際交流基金主催の国際シンポジウム「Count 10 Before You Say Asia: Asian Art after Postmodernism」に参加して、日本におけるアジアの現代美術の受容に関する発表を行ったことをきっかけに、アジアの現代美術についても強い関心をもつようになりました。

もちろんその前から、ヴェネチア・ビエンナーレなどの国際美術展や他の展覧会で、アジアの作家の作品に触れる機会がしばしばあり、興味をもって見ていましたが、受容史をひと通り調べた後は、研究者としての関心が大きくなりつつあります。

10年前の「インド現代美術展」と今回の「チャロー!インディア」展では、出品作家が1人しか重なっておらず、異なる印象を抱いた人は多かったと思います。その大きな要因の一つは、インドの作家と日本の観客の間で共有できるコンテクスト、とりわけ美術史的コンテクストが増えたことではないかと思いました。

インドの作家たちの作品を見ながら、作家たちが明示的に参照するピカソやデュシャン、アンディ・ウォーホルやシンディー・シャーマンだけでなく、どこまで意識しているか分からないハンス・ハーケ、ソフィー・カル、キキ・スミス、リジア・クラーク、会田誠、ロバート・ワッツ、マルジャン・サトラピなどの作品を想起した人は少なくないと思います。

この類似は、これまで現代美術で行われてきた、引用やアプロプリエーション(及びそこにあるオリジナリティ批判)というよりも、視覚的語彙の共有化の現われのように思います。もちろんこうした事態は、現代美術を含む文化のグローバリゼーションの効果ですが、それは、文化のフラット化をもたらしているというよりも、むしろ、そのことによって、他者の文化との「関わりしろ」(藤浩志さんの言葉)が増えているのではないか、フラット化による複雑化が進行するのではないかと思いました。

アジアの現代美術については、キュレーターの活躍が先行していて、批評や研究は後塵を拝しているのが現状です。中国の現代美術においては批評や研究が進みつつありますが、今回「チャロー!インディア」展を見て、インドの現代美術についても、グローバリゼーションの一つの効果として、批評や研究が成立しやすい状況ができつつある印象を受けました。

東京出張

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今日は、東京のホテルからの投稿です。

主たる用事は、16日の委員会への出席ですが、1日早く山口を出て、神奈川県立歴史博物館で「アジアとヨーロッパの肖像」展を見て、記念講演会も聞いてきました。

前回ご紹介した通り、同展は大阪、福岡を経て神奈川へと巡回してきた展覧会で、大阪と神奈川では博物館と美術館の2会場で開催されています。会場ごとに出品作品に独自性を持たせている点が、国内では異例の試みで、同じ内容が巡回している、というものではありません。

それでも、国立国際美術館で「美術館分」を見た私にとって、神奈川県博で開催中の同展へ再び足を運ぶことは、見逃していた「博物館分」を補う意味がありました。図録の最初の見開きページを飾っている、狩野探幽《東照大権現霊夢像》とトーマス・マレー《ウィリアム3世像》を見ることができて、ようやくこの展覧会の内容が自分の中で1つのまとまりを成した気がします。

東照大権現=徳川家康と、イギリス国王ウィリアム3世の肖像画の対比は、東西の権力者像の表現の違いを見比べるというだけでなく、こののち、アジアとヨーロッパの交流が盛んになって、それぞれの伝統様式が変容していく歴史をたどる基点ともなっています。国立国際では、作者不詳の《東照宮御影 元日拝礼》とゴドフリー・ネラー郷の《ジェームズ2世》が展示されていました。

会場には、西洋から日本への影響だけでなく、ジャポニスムのような日本から西洋への影響、あるいは、日本以外のアジア諸国で生み出された西洋風の肖像画や、アジアに滞在した西洋人による東洋風の肖像画なども展示され、一口には語れない複雑な「乱流」(同展図録、161頁)が存在したことが示されていました。

企画代表の吉田憲司さんの講演会では、各会場で展示作品が異なることについて、「中心となる1人か数名のキュレーターによるストーリーによってパッケージ化された展覧会が巡回するのでは、共同開催とは言えない。18カ国の共同作業であることから、コンセプトだけを巡回させて、各館のキュレーターが独自に内容を組み換える多声的な展示方式へと至った」という説明がありました。

従来、日本発の国際巡回展に対し、アジア諸国から文化帝国主義的であるとの批判がありましたし、また、逆に日本では、欧米のキュレーターが監修した展覧会が国内を巡回することが、現在でも少なくありません。巡回館の各学芸員が主体性を発揮する同展の方式を、県博の嶋村元宏さんは「競催」という言葉で表現されていました。

また、「移動する都市」展を参考にされたのか質問してみたところ、独自に到達した、ということがわかりました。

この展覧会には、以前話題にした「2人の肖像画」も数点見られます。
日本の《本木良永夫妻像》や、韓国の《文官夫妻の肖像》など一幅の掛け軸に描かれた夫妻像は、それ自体、珍しい作例だと思います(3/1までの展示)。
また、《五州大薬房ポスター》や《ローラースケートをする二人の女性》など、20世紀初頭の中国で制作された商業ポスターは、「双美人図」と言うべき興味深い作例です。

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神奈川県立博物館での展示風景 2009年2月15日13時22分(外は曇り)

昨年のアメリカ大統領選挙キャンペーンで使われたバラク・オバマのポスターがAP通信の写真を利用していたことが分かり、ポスターを作成したシェパード・フェアリーに対してAP通信側が権利を主張していた件で、今週、フェアリー側が権利確認の訴訟を起こしたニュースが伝えられています。

美術史を教える大学の教員・研究者として直面する問題の一つに著作権があります。美術作品の授業で画像を見せたり、論文で参考図版として利用したりするとき、著作権が問題になります。また、私の所属する芸術学部は、美術、デザイン、工芸の各分野からなる実技系の学部ですので、教員や学生から、制作や展示に関連して著作権の質問を受けることもあります。

もちろん、授業で美術作品の画像を引用として利用することは許されていますし、学術論文で参考図版を掲載する場合もおおよそ一般的な合意がありますので、問題は少なかろうと思います。しかし、教育や研究を行っていると、どう判断してよいか分かりかねるケースがあります。とりわけ私が関わる現代美術の分野では、著作権のあり方自体を考えさせる作品に出会うこともよくあります。

例えば、創作性(オリジナリティ)とは、著作権法が保護する著作物の条件の一つですが、デュシャン以降、数限りない作家が創作性を問い直す作品を制作しています。アイディアと表現の区別も著作物を考える上で重要な要素です(著作権が発生するのは後者)。アイディアは共有すべきものとされているので著作権が発生しないのに対して、そのアイディアを実現する表現は、さまざまな実現の形態がありえるため、著作権が発生します。しかし、そのアイディアと表現の区別がほぼ意味をなさない作品も数多くあります。2001年のターナー賞を受賞したマーティン・クリードの《作品227 点滅する照明》[展示室の照明が点滅する作品]は、その一例と言ってよいでしょう。

研究においても、著作権の範囲がグレーゾーンになっている印象を受ける場合があります。以前学術論文を書いたときにこんなことがありました。論文の参考図版として、アンディ・ウォーホルの《ゴールド・マリリン・モンロー》(1962年)の図像を利用しようと思って、所蔵先のニューヨーク近代美術館に問い合わせたら、権利を管理しているイタリアの会社に問い合わせるように言われました。そこに問い合わせたらある金額を請求されたのですが、さらにウォーホル財団に問い合わせたほうがいいだろうと言われて問い合わせたら、そこでまたある金額を請求されました。さらに今度はモンロー財団にも問い合わせたほうがいいだろうと言われて、結局利用を諦めてしまいました。よく考えてみると、それぞれの財団の言い分は「別の財団にも権利があるかもしれない」というもので、私もよく分からずにそのまま問い合わせを続けてしまったわけですが、本当に著作権がこのように何重にもかかっているかどうかは分からないことに後で気がつきました。

現代美術の分野では、著作権の及ぶ範囲はますます曖昧になっているように見えます。それは上記のようにある種の混乱や不都合をもたらしているのも事実ですし、そうした事態を受けて、特に音楽の分野では管理の厳密化が進行しているようにも思えます。しかし、そうした混乱や不都合にも拘らず、著作権の不確定性の中に創造の可能性があるようにも思えてなりません。もしフェアリーが既存の写真を用いずにオバマのポスターを制作したとしたら、全く別のものになっていたかもしれません。また、グレーゾーンの中でポスターが制作されたことによって、あのポスターの創作性とは何なのかについても議論が興ってきます。日本の著作権法は、著作権の権利が及ばない対象を、制限規定(「引用」など)として具体的に列挙しているのに対して、アメリカの著作権法は、フェアユース(公正使用)ならば許されるとして、包括的に規定しています。フェアリーの弁護には、フェアユースによる創造的自由の向上を目指すスタンフォード大学のフェアユース・プロジェクトも関わっているようです。何がフェアユースなのかということについて、フェアリーの訴訟をきっかけに議論が興ってくることを楽しみに見ていきたいと思います。

山口大学では、普通講義と特殊講義の区別があります。

講義の最初にアンケートをとると、「私は美術に詳しくないのですが大丈夫でしょうか」という相談をよくもらいます。
そこで、普通講義は入門的な内容にし、専門的な内容は特殊講義で話すようにしています。前回紹介した概論が、普通講義です。特殊講義では、前期に国際美術展について、後期では国内で開催される展覧会について、内容紹介や、企画趣旨、背景の解説などを行っています。

美術展を講義で紹介するねらいは、学生の足を作品のもとへ向けることです。
教室では、作品の画像をプロジェクターで投影することしかできません。それで理解したつもりになって欲しくないので、なるべく開催中の展覧会を紹介して、レポートを課し、実際に展覧会へ出掛けてもらうようにしています。また、学芸員資格の取得を目指す学生にとっては、学芸員の企画業務について実例に即した学習になる、と考えています。

すでに終了した展覧会の中にも取り上げたい企画があったりするので、必ずしも開催中の展覧会だけで構成するわけではない反面、今期紹介した展覧会の中では「アジアとヨーロッパの肖像」のように、講義での紹介と展覧会の会期が、とてもうまくかみ合った例もあります。同展は、講義で紹介した11月4日時点で、まだ大阪での会期を残していましたし、年末年始にかけては隣県の福岡へと巡回し、現在、神奈川で開催されています。大阪、福岡で見たという学生も、春休みに東京へ出るついでに見るという学生もいました。

「アジアとヨーロッパの肖像」は、2008年9月に国立民族学博物館国立国際美術館の2館で開幕しました。福岡では福岡アジア美術館の1会場でしたが、神奈川では再び、神奈川県立近代美術館神奈川県立歴史博物館の2会場で開催されています(3月29日まで)。

美術館、博物館で同時開催することに込められた主催者たちのメッセージの一端は、「『美術作品』『歴史資料』『民俗資料』の境界を取り払うこと」という言葉に集約されていたように思います(同展図録、206頁)。

ニューヨーク近代美術館で1984年に開催された「20世紀美術における"プリミティヴィズム"」展や、ポンピドゥー・センターで1989年に開催された「大地の魔術師たち」展に連なる問題意識だと思われます。非欧米圏で生み出された諸物を歴史資料や民俗資料と位置づけてきた欧米中心の「美術」観に対する問い直しです。「アジアとヨーロッパの肖像」の企画代表をされている国立民族学博物館教授の吉田憲司さんは、『20世紀美術におけるプリミティヴィズム』(淡交社)の監訳者でもあります。

私は、昨年10月、国立国際美術館で同展を見ました。関西空港から山口へ帰る途中だったので、国立民族学博物館まで足を伸ばせなかったのが大変心残りです。
というのも、同展は巡回展とはいっても「各会場で展示される作品や資料はそれぞれに異なったものとなる」(8頁)特殊な形式の展覧会で、ざっと数えてみたところ、民博のみで展示される作品が69点、国立国際のみの作品が78点、以下、福岡26点、神奈川県美39点、同県博37点と、その館でしか見られない作品が随分あったからです。他方、地域単位では大阪、福岡、神奈川の各地を巡回する作品は110点あり、単館出品の作品数を遙かに凌いではいるのですが。

このように巡回先で展示内容が変わる形式について、私はウィーンの分離派館から世界巡回した「移動する都市」展(1997-99年)を思い出します。ハンス=ウルリッヒ・オブリストとホウ・ハンルの企画で「成長し続ける展覧会」として話題になりました。

「アジアとヨーロッパの肖像」もまた、日本を皮切りに、マレーシア、シンガポール、フィリピン、スウェーデン、イギリスへと世界巡回するようです。成長の様子がウェブ等で公開される日が楽しみです。

20090210blog.jpg山口大学人文学部研究棟(左)と講義棟(正面)2009年2月10日10時34分(晴れ)
ここ2週間ほど、マサチューセッツ州ボストン市郊外にあるブランダイス大学の理事会が、付属美術館のローズ美術館を売却する方針を決定したことが、アメリカの美術界で話題となっています。

ローズ美術館は1961年に開館した大学付属美術館で、批評家であり美術史家であった初代館長のサム・ハンターが集めたロバート・ラウシェンバーグ、ジャスパー・ジョーンズ、アンディ・ウォーホル、ロイ・リキテンスタインなどの重要作品を含む、約6000点のコレクションを所蔵しています。コレクションの評価額は3億5000万ドルと言われています。

美術館は、もはやアドルノが言ったような作品が死蔵される墓所ではなく、作品売却(de-accession)を通してコレクションを絶えず更新する組織となっています。この作品売却は、新たな作品を購入するための資金とする限りにおいて行われるものという共通理解があるため(アメリカ美術館・博物館協会の「美術館・博物館倫理規約」にもそう定められています[第6.13項])、美術館が財政目的で作品を売却することは倫理的に問題だとされています。

今回のケースは、最近の景気後退で寄付金が減少したために、大学が付属美術館の資産そのものを転用することにしたというもので、作品売却の問題とは異なるという意見もあります。いずれにしても、ローズ美術館の経営はうまくいっており、大学は美術館の光熱費しか負担しておらず、職員の給料や展覧会の経費などは、美術館が独自に寄付金を集めることで確保していたそうです。そうした美術館の経営努力を顧みることなく、美術館とその資産の処分を一方的に決めてしまったのは、明らかに問題があります。

この理事会の決定に対する反発はかなり大きく、翌日にはボストン・グローブ紙が記事にして、その翌日にはCAA(アメリカの美術史学会)が会長名で声明を出しました。美術館を支援するウェブサイトが登場し、Facebookにグループができ、ニューヨーク・タイムズ紙の社説にも取り上げられました。2月末にLAで開かれるCAAの大会でも話題になるでしょう。アメリカの美術界は、ビジネス志向の考えに支配されていると思われがちですが、文化芸術を大切に思う信念とそれに基づく行動もまた、同じくらい力強くあります。

日本の場合は、ここまで資産的価値のある大学美術館が少ないので、公立美術館や企業美術館の売却のほうがあり得ますし、実際、長岡現代美術館の閉館時に同様の問題が起こりました。経済不況のなか、美術館が売りに出されるとき、日本でどのような議論や行動が起こるのか、あるいは起こせるのか、考えさせられる出来事でした。
大学はいま、学期末です。

先週と今週は期末試験でした。2008年度後期は、1年生から受講できる概論の内容を大きく変更しました。これまで、時代順に西欧美術史を紹介したり、美術史研究の方法論の変遷を解説していたものを、毎回1都市を取り上げて、代表的な美術館のコレクション10点を紹介するという方式に変えたのです。

ローマから始めて、ヨーロッパを反時計回りにめぐるという筋立てで、フィレンツェ、ミラノ、チューリッヒ、ウィーン、ベルリン、パリ、ロンドン、マドリードの美術館を紹介しました。パリとロンドンは、ルーヴル美術館やオルセー美術館、ナショナル・ギャラリーやテート・ブリテン/モダンがあるので、2週連続で取り上げました。

初期ルネサンスからバロックまでの美術を1都市で紹介したり、中盤にゴシックや初期フランドル派を紹介するなど、時代の幅は集中したり、前後することになりますが、繰り返し登場することで、学生の記憶の強化につながったと思います。終盤のロンドンで紹介したウッチェロの《サン・ロマーノの戦い》は、ナショナル・ギャラリーのほかに、ルーヴルとウフィッツィに1点ずつ所蔵される3部作である、ということは、すでに他の美術館について紹介済みだったので、学生にとって具体的にイメージし易かったと思います。


ロンドンを紹介するにあたって、桜井武さんの『ロンドンの美術館』(平凡社新書)を読みました。
ホルバインの《大使たち》とホックニーの《クラーク夫妻とパーシー》はもともと取り上げる予定でしたが、両作品をイギリス美術史におけるダブル・ポートレートの系譜としてつなげてあった記述には、思わず膝を打ちました(29頁)。ファン・エイクの《アルノルフィニ夫妻の肖像》も、この系譜との関連で考えてみたい作品です。

ダブル・ポートレートは、西洋美術の研究書では「二重肖像画」と訳されています。
他方、平凡社の『日本美術史事典』で肖像画の項を見ると、夫婦や友人を組み合わせた絵を「二人肖像画」と称しています。写楽の役者絵の解説にも「二人大首絵」という言葉が見られますから(『原色浮世絵大百科事典』8巻、23頁)、日本語では「二重」よりも「二人」の方がしっくりくるのだと思います。

実際、友人の日本美術史研究者に、この件で相談してみたときも「左甚五郎だけど画家の自画像」みたいな1人で2人分、という意味で二重なのかと思った、と言われました。


私は、当初「ダブル」を「双」や「両」に置き換えて日本語化できないか、と思案していたのですが、いまだにうまい訳語に行き当たりません。そんな流れで、第1回目に書いた「史記を読みなさい」というアドバイスを頂いたのでした。

 「読書」は、レ点をつければ「書を読む」となります。これが、漢語センスのある明治期の学者たちが造った訳語だ、という話を聞きました。これに対して、国際美術展(International Art Exhibition)や多文化主義(Multiculturalism)のような訳語は、欧米語に対応する漢字を機械的に積み上げただけで、「センスが感じられない」日本語だと言えます。

 
最近、高階絵里加さんが訳された『シャガール』(岩波書店)で、ポンピドゥー所蔵のシャガールとベラの肖像画が「2人の肖像画」と訳されているのを見つけました(122頁)。

あえて漢字を積み上げて1語にしないのも、手かも知れません。

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山口大学吉田キャンパス正門 2009年2月5日12時21分(曇り)

このたびartscapeで藤川哲さんと一緒にブログを書くことになった加治屋健司です。これから3ヶ月間、どうぞよろしくお願いします。

このブログのことは、以前より森司さんから伺っていて、窪田研二さんや竹久侑さんのエントリーを興味深く拝見していました。今回、このすばらしい場に書くことになって、とてもうれしく思います。

私は、2007年から広島市立大学芸術学部で現代美術史を教えています。広島に来るまでは、東京、ニューヨーク、ワシントンDCなどで研究活動をしてきました。主な研究分野は、アメリカを中心とする現代美術史、美術批評史ですが、最近は日本やアジアの現代美術についても書く機会が増えてきました。日本の現代美術に関して行っている共同研究については、いずれこのブログでも紹介できればと思っています。

広島では、2007年より毎年開催されている広島アートプロジェクトに携わっています。この地域展開型のアートプロジェクトを通して、森さんをはじめ、学芸員や批評家の方々とお会いする機会ができました。折にふれてこのアートプロジェクトについても書きたいと思っていますが、ブログを担当する4月末までの間、主だった活動がないのが残念です。

これまでキュレーターの方が担当していたartscape BLOG2を藤川さんと私が引き継ぐことになったのは、少しアカデミックな視点を入れようということだと伺っています。現代美術の分野では、キュレーターや批評家、美術家の言説のほうがよく知られていて、研究者的な議論は見えにくいかと思いますが、これから3ヶ月間、このブログを通して、そうした議論を少しでも共有できればと思っています。
藤川 哲です。この2月から4月末まで、加治屋健司さんと一緒に「アート日報」を担当することになりました。
どうぞよろしくお願いします。
普段は、山口大学人文学部で美術史の講義を担当しています。
森司さんとは、私の前職、群馬県立近代美術館学芸員時代からのご縁で、声をかけて頂きました。このような素敵なコーナーを任せてくださって、本当に有り難うございます。


このコーナーのお話を頂いて、最初に考えたのは、「自分なりに名前をつけてみよう」ということでした。念頭にあったのは、某新聞の「天声人語」や「夕陽妄語」です。

ここ数年、私は国際美術展の調査や研究をしています。artscapeに発表の機会を頂けたのも、そうした脈絡からかな、と推理しています。しかし6月や9月であれば、海外の国際美術展を巡る予定があるので、そうした見聞をご披露することもできますが、普段、私が生活している場所は山口ですから、読者の方々にどのような情報を提供できるのか、気後れする部分もありました。

そこで思い出したのが、雑誌『国際交流』で読んだ、オクタビオ・パスの言葉でした(第100号)。「独楽の落つるところ、すべての場所が世界の中心になる」といった内容が紹介されていたと記憶していますが、この言葉は、ネットで調べてみると「子供がそれを投げるたびに/独楽はまさしく落ちる/世界の中心に」という、俳句に影響を受けた3行詩からきたものでした(出典サイト=「松山宣言」)。
独楽が回っている。しかし、独楽の方へ視点を移せば、独楽の周りで宇宙が回っている、と、この詩人の想像力を追想できます。

この着想を借りて、ここ数日、漢字辞典とにらめっこしながら「落錐旋天」、「一言回天」といったような言葉を案出していたのですが、結局、今日に至るまで、ぴたりとくるものに到達できませんでした。ちょっと大仰な感じがして、気恥ずかしいというのが主な理由です。

漢語のセンスがないことも痛感します(最近、中国哲学や日本思想史の先生方から、辞書を頼りにするのではなく、『史記』を読むよう、助言を頂きました)。

結局、今日、四字熟語の辞典をあたり、「天高気清」、「事上磨錬」、「覧古考新」、「北窓三友」など、パスの詩想から離れて、自分の気分に合う言葉を探したところ、「行雲流水」が一番しっくりきました。
あれこれ理屈っぽい割に、最期はフィーリング勝負、という辺り、いかにも私らしい、と納得しています。


「行雲流水」で日々の考えを綴っていきます。3ヶ月間、どうぞよろしくお付き合いお願い申し上げます(4-5日に1回ペースで更新の予定です)。

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道場門前大駐車場の屋上から小郡方面を望む 2009年2月1日16時46分(晴れ時々曇り)

ブロガー

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