トークシリーズ:「Artwords」で読み解く現在形
6. ファッションの2010年代
成實──日本のファッションの不幸は、いわゆる御三家の業績の大きさ、いつまでも走り続ける持久力に、なかなか若手が対抗できないことです。同じ事をしても後追いだし、違うことをしても敵わないかのように見えてしまう。それでもいいからやる、と開き直ってやるしかないのですが、並んでみるとどうしても御三家に見劣りしてしまう。「Future Beauty」展でもまず御三家が最初でしたしね。
たとえば、建築なら磯崎新がいて、隈研吾がいて、妹島和世がいて、アトリエ・ワンがいて、というつくり手の層の厚さやヴァリエーションがファッションにあるのだろうか。
蘆田──ファッションは形にせよ素材にせよ、とても制約が多いですよね。たとえば建築家は、ガラスを多用して、今までとは違う軽やかな建築をつくるようになっていったとしても、ファッションはそのように素材を劇的にドラスティックに変えるというようなことができません。結局、綿やウールや化繊など、素材がほぼ決まってしまっている。形もそんなに変なものはつくれない。
御三家は、それまでの西洋的に美しい服ではなくて、大きかったり穴だらけだったりという、視覚的にわかりやすい服をつくって衝撃を与えた。今ではちょっと大きな服だとか、穴があいた服をつくると「ギャルソンっぽいよね」となってしまう部分があります。他の分野に比べて新しいもののつくり方が非常に難しい。
井上──ただ、最近は下火になってきましたけど、東京ガールズコレクション や神戸コレクション みたいなものが出てきて、その場で携帯のネットを通して購入できる仕組みになったとき、モデルのことは見るけど、ブランドも、そのブランドのデザイナーも知らない状況というのが出てきましたよね。これはもう、そもそもデザイナーということではないんだなとすごく僕は実感したわけですが。
成實──この15年間くらいはそうですよね。あと、素人がいろいろなものをつくり始めていますよね。それがこの数年間の変化でしょうね。
井上──作家性みたいなものに帰ってきてもいるような気もします。
成實──作家性というよりは洋裁文化でしょう。
井上──手芸! でも、そこから育っていきますか。
成實──育つかもしれない。
井上──食品の安全におけるトレーサビリティのような問題ともリンクしているのかもしれませんが、誰がつくったということがまた少しずつ問われ始めてはいるのかなと実感しています。
蘆田──僕はそれを問うた方がいいだろうという立場なので無理矢理感じているようにしているのかもしれません。成實さんが「スローファッション」と言う時に、そういうことは念頭に置かれていますよね。つくり手の顔が見えるということ。たとえば、あるシャツのコットンがどこでつくられているのかということは知りようがない。でも、その時に信用できるお店やブランドから買うというのはひとつの選択肢だと思います。エシカルファッションが少しずつ認知され始めているということは、顔が見えるということを考える人が増えているということなんだろうと思います。
成實──そうなればいいな、ということですね。
井上──ユニクロ万歳みたいなものが少し去ってきていて、誰がどこからどのようなルートでということが気にされ始めている。社会投資のようなかたちで、そういうものにお金を出してもいいという人も増えてきた。それは、まだ衣服の生産まではいってないかもしれないけれど、素材や原材料の面では、オーガニックコットンが出てきたり、播州織や今治の池内タオルとか、岸和田、泉州でも良い物づくりを直接支援しようという消費者が出てきています。生産者に直接お金を出してもいい、自分も生産側に参加したい、という人は少しずつ増えて来ているような気はします。
成實──そうですね。ナガオカケンメイ さんのように、地場産業やいろんな地域のもの作りに注目して支援するということが流行っていますからね。
井上──それがファッションデザイナーや小さなブランドにつながればいいけれど。
成實──皆川明 さんとか気づいている人は気づいていますよ。神田恵介 さんはエシカルファッションを考えているわけではないけど、どのようにコミュニティをつくるかということはすごく考えていますね。つくって売りっぱなし、売れればいいということではない。そういう方向には多分もう行けないでしょう。だから、今からブランドをやるのであれば、コム・デ・ギャルソンのような成功を目指すより、皆川さんのような方向が現実的でしょう。それにしたって簡単なことではありませんが。
蘆田──あとは、最近制作の場を地方に移すデザイナーが増えています。Eatable of Many Orders Exhibition(エタブル) が熱海に行ったり、proef(プロエフ) というストッキングをつくっている人たちが大阪に行ったり、POTTO(ポト)65が岡山に行ったりしています。地方で服をつくる人は今までもいたと思いますが、それは実家があるから家賃を払わなくてよいという感じで、そこの土地の人達と何か交流を持とうとしていなかったような印象でした。今の人たちのおもしろいところは、エタブルにしても、熱海の人たちとちゃんと交流をもって、そこに溶け込んで街の人にも買ってもらうことをしているみたいですね。そうした地方へのファッションの普及という問題はまだまだ展開できる可能性があるはずです。
井上──京都のモリカゲシャツ も結構先駆的という感じがしますよね。
成實──地方でそういう服づくりを始めたのは、森蔭大介さんの世代くらいからですよね。DCブランドの反動というか、大量に作って大量に売るような服づくりをしたくないというつくり手が増えてきました。そういうものがようやくひとつの流れになりつつありますね。
井上──問題はビジネスモデルとして普遍性を持つかどうかですね。少数の例外になってしまうのか、誰でもいいものをつくれるフォーマットになっていくのかの分かれ目という感じもします。
成實──そういう服づくりに対して理解して買うという気持ちや可能性がなくはないと思います。それが今後どうなるのかは本当によくわからないですね。
蘆田──中国がどうとかと言うよりも日本の地方で可能性を探していく方がよっぽどおもしろいし、意義もあるはずです。地に足を付けた方法がとれるとも思います。
井上──そういうことでファッションが力を持つ可能性があるのは、少し嬉しいですね。
蘆田──そうなると、作家はある程度必要になってくると思いますね。その作家がいわゆるファッションデザイナーだけではなく、ショップのオーナーなのかもしれないし、ナガオカケンメイさんみたいにいろいろなところから集めて来るキュレーター的な役割の人なのかもしれないです。いわゆるデザイナーではないけれど、個となる人は今だから余計に必要な気はします。
井上──あと、蘆田さんは未来派でしょう。
蘆田──すごい表現ですね(笑)。
井上──研究対象が、という意味ですがね(笑)。ウィリアム・モリス の奥さんのジェーンが着ていた服とか、ウィーン工房がつくっていた服とか、アンリ・ヴァン・デ・ヴェルデ の服とかが、この10年くらいでかなり話題にはなってきたような気はします。デザイン史の書籍でも、普通に出てくるようになってきた。デザイン史の文脈では、この人たちが服をつくっていたことはあまり言われていませんでした。出てきても「服もつくっていた」というところだけで終わっていました。それが、実際に作品の写真がちゃんと掲載されたりするようになりました。パリコレが絶対的なものではなくなってきて、デザイナーが地方に生産地を移しているという現在のファッションの状況と、昔にもパリコレ以外のファッション・デザインがあったことの再発見がリンクしている気がしましたね。
成實──そうですね。海外のファッション研究もそれこそポストコロニアル というか、イギリスの中でインド系の移民たちがどういうファッションを発信したかとか、アメリカの黒人たちがどういう服飾文化を築いてきたかというテーマが近年目立ちました。そういう意味では、ファッション研究もローカルな場所から研究されてきた。これまではパリ、ミラノ、ニューヨークという単線的な歴史観・価値観しかなかったけれど、いろいろな重層性を見ていこうという議論が増えていると思います。
井上──多分、未来派や国民服の議論も、その中に入ってるんですよ。
蘆田──そうですね。本当は今ある教科書的な服飾史が書き直されないといけない。
井上──パリしか見てなかったことの反省ですよね。
蘆田──成實さんは『20世紀ファッションの文化史』(河出書房新社)で、たとえばクレア・マッカーデル のようなパリ以外のデザイナーを取り上げていました。マッカーデルのような重要なデザイナーはいくらでもいるはずだから、そこをきっちり掘り下げていかないといけないですね。そして歴史をもう一度つくっていかないといけない。それと同時に、今のこともどんどん記述していかないといけない。僕が『vanitas』をやっていることのひとつの目的は、すぐに歴史が忘れ去られるファッション業界のあり方に一石を投じたいからでもあります。日本の最近のファッション史だと、1990年代から2000年代前半のファッションについてはまったく誰も書いてないですよね。20471120 とかbeauty:beastとか。裏原に関しては、それなりにあるかもしれませんが、それ以外の動きはまったくわかりません。最近いろいろな人としゃべっていて、関西ではインディーズブランドが東京よりも流行っていたことが最近何となくわかってきたけれど、他の地域でどうだったのかもわかりません。僕は、裏原はひとつのローカルなファッションだと思っているんです。東京に憧れを持つ地方の人たちは買っていたかもしれませんが、関西で裏原がそこまで流行っていた印象がありません。もちろん着ていた人はいっぱいいたと思いますが、東京の雑誌が取り上げるほど裏原が特別注目されていたわけではなかったように思うんです。そういったことを検証しようと思っても、もう既に遅いですよね。当時、裏原が実際どれだけ流行っていたのかはなかなか調べられない。なので、せめて今のこと、これからのことはきっちり残していきたいと思いますね。
井上──作家論的な批評というか、ファッション史の議論の対象となるデザイナーは、今残っているブランドが多くなりますよね。やはり引きずられますよね。後々まで残らなかったもの、90年代のビューティー・ビーストみたいなブランドの活躍を作家論として書くには、どうすればいいのですかね?
美術であれば「こういう人がいて、この人たちがつくったものはその時代でも特異で、今でも特異で美的な価値を持っている」という議論ができますよね。ファッションもその文脈で語れるのかなと。後の世からみれば、別に格好よくもないし、綺麗でもないし、なんでもないけれど、確かにその時代にしかなかったものはあると思います。そういうものを作家論として取り上げて書いていく作業も必要なのかなと思います。
蘆田──それは僕も必要だと思いますよ。
成實──伝統がないから自由に書けるのがファッションのよいところかもしれませんよ。美術みたいに、美術史を詳細に把握した上で難解な理論を駆使しないといいものは書けないという風潮はないから、そこらへんは自由にやっていけるのがよいところではないですか。
──ファッション史として、系譜学的に、たとえばピンクハウス なんかのテイストは伝承されていくのでしょうか?
蘆田──ピンクハウスは今のロリータにつながっているとみんな考えていると思うけど、まだ誰も書かないですね。
成實──ピンクハウス論はやる意味がありますね。
蘆田──それは必要だと思います。ピンクハウスの独自性はすごくあると思います。
井上──あれは聞き取りは誰もしなかったのでしょうかね。であれば、ピンクハウス着ていた人を探したりして……。
蘆田──それこそ、最近美術業界でやられているように、ファッションのオーラルヒストリーも必要なのかもしれません。
井上──ファッション民俗学ですかね。全国を回らなければダメですね(笑)。同時代の研究者が見ようとしないものとして、リクルートスーツなんかもそうですけど、ピンクハウスも当時は誰も見ようとしなかった感じがします。何か変な人たちがいるという扱いだったし、わざわざ行って話を聞いてという感じではなかったですね。
蘆田──美術でオーラルヒストリーが重要だと言われていても、ファッションでは、それが大切だと思ってくれる人は少ないですよね。研究者として認めてもらえないという話もそうですが。そのような価値をきちんと理解してくれる人を育て増やさないといけません。
成實──民俗学というのであれば、生産者側の聞き取りも全然されていませんね。縫製工場や産地がどんどんつぶれていっているので、ちゃんと残しておかないといけないでしょう。課題は山積です。
井上──奈良はボタンの産地です。海に近いわけでもないのに、なんであんなところで貝ボタンなのか。それを辿っていくと江戸時代以前からつくっていて、もちろん、その頃はボタンではなく螺鈿細工などをやっていて、その名残らしい。海の方から貝を担いで山を越えるということがずっとやられていたらしいです。それが今はもう途絶えようとしています。結構大きな話ですが、気づかないあいだに消えていきますよね。聞き取りをして回るのであれば民俗学の人がやってくれるといいですね。伝説や昔話だけではなく、一般の人が、若い頃から老年にいたるまで、ファッションとどう関わったのかとか、そういうことをもっと聞いてもらいたいと思います。
──蘆田さんがやろうとしているファッションギャラリーは、アーティスト・イン・レジデンスなども試みるのですか?
蘆田──そんな大きなことはできませんが、メンバーのひとりが賞をつくることを提案しています。というのは、日本にあるファッション・コンテストに出てくる作品を見ると、20年前から変わってないような服ばかりなんですね。そういう、古めかしいコンテストが沢山ある中で、僕たちのギャラリーで新しい賞を設ければ、今までとは別の価値観を持った作品を集めて、展示につなげることもできます。アーティスト・イン・レジデンスはお金がかかるけれど、賞だったらそんなにお金をかけずにできるかなと。そうやって、今までとは違うオルタナティブな価値観を出していきたいと思っています。公的な機関がファッション美術館みたいな大きなことをやろうとしても、お金がなくなったら続けられないという状況を僕たちは見てきました。僕たちはとにかくできる範囲で、小さくても細く長くやりたいと思っています。
成實──やらざるを得ないという時期に来ていますよね。
蘆田──そうです。ビジネスとか収益しか考えない公的機関や企業などは信用できないですから。いつお金が打ち切られるかわからないですし、お金ありきでやるといろいろなしがらみが出てきたりもしますからね。文化として息の長い活動をしたいと思ってくれる組織があればよいのですが。