トークシリーズ:「Artwords」で読み解く現在形
2. 服飾展からファッション展へ──ファッションと美術・建築の新たな関係
井上──このartscapeでは、アートだけでなく建築や写真なども取り上げられていますが、そういった分野の人たちはなぜファッションについて話したり書いたりしないのかが、僕は疑問なんです。たとえば暮沢剛巳さんや五十嵐太郎さんはファッションには触れたがらない?
──六本木の国立新美術館がオープニング展は「スキン+ボーンズ──1980年代以降の建築とファッション」 で、企画自体は海外から持ってきたものですが、日本のこの展覧会カタログに五十嵐さんが監修的な立場で関与していますね。関心がないというわけではないと思います。
井上──だと思いますが、なかなかファッションを積極的に批評する人を見ないですね。建築を語る時に有名建築家の建てた家に住んでいる必要はないし、芸術を語るのに高い絵画を持っている必要もない。ファッションも同じで、服を語るのにおしゃれである必要はないと僕は思っています。もちろん責めているわけではなくて、なぜそこに障壁ができてしまうのかが知りたいですね。新しいデザイナーがどうこうではなく、たとえば「震災とファッション」──被災地で人がどう服を着ているか──というようなことは書いて欲しいんです。彼/彼女たちは沢山服をなくしたわけで、そのことが被災者にとってどのような意味を持っているのか、書かなくてはいけないのではないか。建物をなくしたことと、その中に入っていたものをなくしたことは重なるわけですから。他のジャンルの人たちに、建築批評の場であるとか、芸術の批評の場で服や身体のことについて書いてほしいと思います。
──それに接続すると思いますが、蘆田さんは、『fashionista』を創刊されましたが、1995年以降の情報環境の大きな変容と併せて、今なぜファッション批評なのかについて少し討議していただければと思います。
蘆田──ファッション批評が求められているかどうかは、正直わからない部分が大きいのですが、たとえば有料のトークイベントでも人が集まったり、『fashionista』第1号が予想よりは売れたという状況を見ると、そういうものを望んでいる人は一定数いるのかなという印象は持っています。井上さんの、「美術や建築の人はなぜファッションに興味を持たないのか」という疑問についてですが、これは単純に惰性ですよね。おそらく歴史的にずっとそのようにきたので、そのままなんとなくファッションについては語らなくてもいいという先入観があるのではないかと思います。僕の先ほど話した「ファッションとシュルレアリスム」とか「ファッションと未来派」といった文脈で言えば、美術史では未来派が服をつくっていたことはほとんど教科書に出てきません。服飾史の側からしても、未来派という人たちが服をつくっていたということがコラム程度に取り上げられるだけです。美術や建築などとファッションのあいだにはそもそも歴史的に断絶があり、それがずっと今まで続いてきています。鷲田さんは「ファッションについて書き始めたら指導教官に世も末だと言われた」というエピソードをよく話されていますが、僕が大学院を受けた時もやはりそうでした。大学院の面接で、建築やハイデガーの研究をされている先生に「ファッションなんて研究対象じゃない」みたいなことを言わたりもしました。21世紀に入ってもそんな感じなんですよね。みんながみんなではありませんが、「ファッションなど論じるに足らず」といった空気があったのではないでしょうか。
成實──先入観というよりも、元々洋服は美術と建築の関心にまったく入ってなかったし、洋裁学校を主体としたシステムの中で教育されてきたわけです。美術や建築は、明治政府以来の国家戦略の中で高等教育機関で教えられてきたわけですが、洋服はせいぜい戦後に家政学の一部として取りいれられた程度です。国家のバックアップもなく、アカデミックに論じる場所もなければそのような媒体もなかった。かろうじて、かつて文化服装学院が出していた『被服文化』 やその後継誌の『服装文化』 のような研究誌があった程度です。1980年代以降になってようやく、『STUDIO VOICE』 や『ハイファッション』が「このワンピースがかわいい」ではないような、知的な言説として捉える風潮を作ってきたわけです。
しかし、2000年頃を境に、『STUDIO VOICE』も『ミスター・ハイファッション』も、『ハイファッション』 さえもなくなってしまう。文化服装学院もとっくの昔にファッション研究誌を出さなくなってしまった。服飾美学会 とか日本家政学会 とかの紀要雑誌には、衣服についての研究はありますが、それは限られたアカデミズムを対象にしたものだから一般には届かない。「Artwords」にもあった『ジャップ』のような元気のいいファッション批評誌もありましたが、短命に終わってしまった。だから若い世代はファッシヨンをめぐる知的な言説に飢えているのではないですか。若い人に、蘆田さんの『fashionista』とか林央子 さんの本や活動がぐっとくるのはそういう理由だと思います。
井上──成實さんのおっしゃった1940〜1950年代は、服飾専門学校が出している本や雑誌がたくさんあって、社会学者や美学者が書いていたりします。その背景には、洋服の普及という問題があります。
成實──1960年代以降にアパレル産業が出てきて、服を自作する大衆的な運動の拠点としての洋裁学校が凋落していくと、啓蒙の言説ではなく、ジャーナリズムやファッションメディアの言説がメインになってしまう。1990年代頃からファッションとアートの境界をもう一度問い直そうみたいな動きが出てきます。それまではファッションとはビジネスで、アートとは違うというのが通説だったと思いますが、1980年代後半から展覧会が行なわれたり、鷲田さんを始めとして、さまざまな人がいろんなことを言うようになる状況になってそういう変化がおこったのは興味深かったですね。
蘆田──日本ではファッションとアートという主題に正面から取り組まれてこなかったと思います。イギリスだと1999年に先ほど成實さんがおっしゃっていた「アドレッシング・ザ・センチュリー」展があったり、1996年のフィレンツェ・ビエンナーレでもその主題が取り上げられたり、そのほかフランスでもドイツでも同種の展覧会がありました。アメリカだと「ファッションとシュルレアリスム」展や「キュビスムとファッション」展 というものもありました。それなのに、日本ではアートとファッションを扱った大きな展覧会は基本的にない。
1999年に京都国立近代美術館で開催された「身体の夢──ファッションOR見えないコルセット」展 は現代美術に寄り過ぎていて、ファッションとアートとの関係が歴史的にどのようなものだったかについては教えてくれません。アカデミックな研究は少しずつあったかもしれませんが、展覧会できちんと歴史を見せることはやはり重要だと思いますね。
成實──ファッションを広く捉えると服飾、着物や染織も入ります。布の染めとか織りはどちらかというと工芸のカテゴリーになり、たとえば陶芸、漆芸、木工細工などと同じく、博物館や美術館が取り扱ってきました。ヨーロッパにもタぺストリーのようなものがありますし。ファッションとはまた少し違うジャンルかもしれませんが。
近代以前の服飾をどう捉えるかという問題はありますが、洋服をテーマにした展覧会という意味では確かに少ないかもしれません。近年は神戸ファッション美術館 や文化学園服飾博物館 が活動していますが、どちらかというと歴史的な収蔵物の展示に力を入れているようです。そういう意味で、KCIの活動はユニークです。
井上──成實さんは「モードのジャポニスム」展 はご覧になられました?
成實──東京への巡回で見ました。
井上──僕も見ました。資料を見ると、1996年の9-11月です。京都では1994年です。その次の「身体の夢」展が1999年で、ここにやはり断層があると思います。やっぱり「モードのジャポニスム」展は、服飾史ですよね。しかし「身体の夢」展は、服飾史展とは言えない。その次にKCIがやったのでは、2004年の「COLORSファッションと色彩」展 です。VIKTOR&ROLFとか。
蘆田──かなり現代色が強くなっていく。
井上──その次が「ラグジュアリー:ファッションの欲望」展 で、これは少し服飾史が入った。
蘆田──18世紀的な、あるいはオートクチュール的な豪華絢爛な服飾と、コム・デ・ギャルソン やマルタン・マルジェラ という現代の両極になっています。KCIの初期の展覧会は「華麗な革命」展 や「浪漫衣裳」展 で18、19世紀のファッションを扱っていて、その後「モードのジャポニスム」展で19世紀末~20世紀頭を取り上げた。その後が、いきなり「身体の夢」展で現代に飛んでしまって、20世紀のファッションがあまりまとまった形で取り上げられない。KCIが設立されるきっかけとなった展覧会として、1975年の「現代衣服の源流」展 ──ポワレやシャネルなど20世紀前半のファッションを取り上げたもの──があるにはありますが。
井上──京都造形芸術大学の前身でもある藤川学園創設者の藤川延子さんも関与していた展覧会ですね。服飾史展とファッション展が違うということはひとつあるのかもしれません。そういう意味では、神戸ファッション美術館は中途半端な感じはするけれども、文化服装学院の服飾史博物館みたいなものと、KCIがいまやっているようなファッション展みたいなものとの中間である感じがします。
蘆田──僕は国立新美術館の「スキン+ボーンズ」展は見ていませんが、ひとつのきっかけになったんじゃないでしょうか。五十嵐太郎さんが監修をしたことで、建築の人たちがファッションに関心を抱くようになったかもしれない。多くの人に影響を与えられる展覧会という場の意義は大きいと思います。展覧会はレビューや広告などのおかげで認知されやすいし、他の人がそれをたたき台にしてそのテーマを展開させることもしやすくなります。学術誌では一般に向けた広がりはなかなか出ないので、僕としては展覧会は重要なメディアだと思っています。なので、展覧会という場で「ファッションとアート」という主題はやってほしかったし、今までやられなかったのであれば、今からでも正面きって取り上げることが必要だと思っています。
成實──僕は先ほど言ったヘイワード・ギャラリーの「アドレッシング・ザ・センチュリー」を見ているので、20世紀前半に関してはひとつの成果はあったという見方です。
蘆田──でも日本の人たちはそこを見ていないので、日本でもきっちりやるべきだと思います。
成實──1980年代後半〜90年代初めに「ファッションとシュルレアリスム」「キュビスムとファッション」でリチャード・マーチンとハロルド・コーダが先駆的にやっていたことを、90年代後半以降はいろいろな国がやり出した。それまでファッション展は結局のところ、歴史衣裳展かデザイナー展しかなかった。そうではなく、いろいろなジャンルと組み合わせることで新しい服飾展ができるということにみんなが気づいたわけです。1999年ですが、アントワープに服飾美術館(MOMU) ができる前、服のパターン(型紙)をテーマした展覧会があって、それをひとつの場所ではなくアントワープの街中のいろんな美術館・博物館に展示して、歩いて見ていくという「ジオメトリー」展 があって、印象的でした。
日本ではKCIは80年代から大きなテーマの展覧会を5年に一度企画してきましたが、「身体の夢」展をきっかけに新しい切り口での展覧会を組むようになりました。一方で、美術やデザインや建築の人たちも「ファッションがテーマになるんだ」ということに気が付いた。「スキン+ボーンズ」展の日本語版カタログが五十嵐太郎さんの監修だったのは、建築に軸足を置いているからですね。建築に主眼があり、言ってみれば「ファッションと比べて見ようよ」みたいな展覧会だったと思います。ファッションについて、そういう語り方ができるようになったのが2000年代の特徴でしょうか。
井上──建築の方の事情もあるでしょうね。巨大な建築が建てられなくなって、まさに「表皮」と「骨格」だけの建築になってきて、金沢21世紀美術館みたいに、軽やかでかわいいが主流になってくると、「それってファッションでは?」と、言えてしまえるのではないかと思えるまで近づいてきたのが2007年頃ですね。
成實──ファッション・ブランドがブティックの設計を有名建築家に頼むのがブームになり、建築に近づいていったでしょう。それで、建築側もファッションのあり方を意識するようになる。ルイ・ヴィトンの青木淳、プラダのヘルツォーク&ド・ムーロン、トッズの伊東豊雄。ニューヨークのプラダ路面店をレム・コールハースが設計して話題になったのは2003年ですが、そのあたりから急速にブランド建築が増加していきました。一方、美術の方では1999年に「ISSEY MIYAKE Making Things」 展がパリ・カルティエ現代美術財団で行なわれ、2000年に東京都現代美術館にやって来る。もともとパリ・カルティエで話題になっていたのが東京都現代美術館で開催されて、かなり注目を集めました。この展覧会はファッション展におけるメルクマールだったと今にして思います。服の展覧会は、通常ボディとかマネキンに服を着せ付けて、芸術品のようにスタティックに鑑賞する展示が多かったけれど、「Making Things」展は空間デザインを吉岡徳仁が手がけていて空間自体がおもしろく、美術鑑賞とは違う体験を追求した。こういう見せ方もあるんだ、ということに美術館の人たちも気づいたし、ファッション関係者の方も新しい見せ方やアートとの取り組み方があると気づいたのではないでしょうか。ほぼ同時期に、村上隆とイッセイミヤケやルイ・ヴィトンのコラボレーションなど、アートへの越境を推進するような動きも起こった。
井上──2000年の「ジャンポール・ゴルチェ」展 では、来館者が自分の写真を撮って合成するというような試みもしています。「Making Things」展のように服を吊って揺らすとか、「ジャンポール・ゴルチェ」展のように写真を撮るとか、展覧会をアミューズメント化しようというさまざまな試みがあったけれど、今は建築の展覧会においてもファッションの展覧会においても、そういう傾向はどっちも無くなっているような気もします。
成實──いま、美術も建築も改めて自分たちのジャンルを見つめていますよね。1990年代、2000年代はある意味でポストモダンやグローバルな資本主義の波と初めて直面して、ファッションを含む消費文化と対峙した時期だったと思います。ですが、建築は震災後をどうするかというテーマへ行っている。美術はよりローカルな──地方でビエンナーレ、トリエンナーレをするような──方向に向かっているから、「ファッションはいらない」のかもしれません。また、ファッション界の人も2000年代にいろいろな試みをして、自分たちの領域の問題を考えるようになってきたようにも思います。