トークシリーズ:「Artwords」で読み解く現在形

[シリーズ2:“ファッション”の現在形]1995-2013から問い直す

成實弘至/井上雅人/蘆田裕史2013年07月15日号

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3. ファッション展と美術展はどう違うか

井上──それに応えるように2010年に「フセイン・チャラヤン」展★48がありましが、チャラヤン展はその10年間の終わりみたいな感じがしました。その後に「Future Beauty」展★49と「感じる服 考える服」展★50です。お二人とも関わられていますが、僕はまっとうにファッションの展示をしようとしているなと思いました。建築とかアートとのコラボレーションやインスタレーションをやらずにファッションの展示をしようとしていたと思います。

成實──私がキュレーターとして参加した「感じる服 考える服」(東京展2011年、神戸展2012年)では、きちんとファッションの展覧会をしようというのが出発点でした。東京オペラシティギャラリーの学芸員の堀元彰さんから、東京オペラシティは美術だけではなく、デザイン、建築、写真にも取り組んでいて、ファッションの企画もやりたいというお話があり、文化学院大学教授の高木陽子さんや元『ハイファッション』編集者の西谷真理子さんたちと話し合って、「アートとファッション」「建築とファッション」といった、他ジャンルのおまけみたいにファッションを組み入れるのではなく、ファッションそのものに光をあてようと考えたわけです。また、イッセイミヤケ、ヨウジヤマモト★51、コム・デ・ギャルソンの御三家ではないファッションに注目した展覧会ができないかと。そこで、若い世代のファッションデザイナー、2000年以降の動きを捉えるような企画をスタートさせました。
 それと、ファッション展で物足りないのは、歴史的なコスチュームを展示するのは、ある意味博物館的な見せ方でもいいのですが、現代の服をボディやマネキンに着せ付けるとすごくスタティックなものになってしまうところです。かといって、展覧会場で「これを着てください」ということをやっても、それだったらブティックと変わらない。特に「感じる服 考える服」展では、ミナペルホネンとか普通に売っているブランドを取りあげたので、「お店で見ればいいじゃないか」となってしまう。むしろ、試着したり、買ったりできるブティックのほうがいいくらいかもしれない。それで、ただ服を見せるのではなく、デザイナーの方々にどういう考え方で服に取り組んでいるのか、自分たちの世界観そのものを提示するような展示を工夫してほしいとお願いしたわけです。だから、服を展示したくなければしなくてもいいし、したければしてもいいというオーダーでした。さらに建築家の中村竜治★52さんにも会場構成を工夫してほしいとお願いしたところ、ギャラリー内に鉄骨を張り巡らせて、身体をかがめることで服と出会うというアイデアを出していただいた。この展示デザインは本当に賛否両論ありましたね。
 あの展覧会は、ファッションはこんなにおもしろいということを見せるために、つくり手の見方・考え方をストレートに出してもらったものです。展覧会カタログにも書きましたが、2000年代に入ってファッションがものすごくおもしろくなくなる。なぜかと言うと、グローバルなブランドビジネスが世界中を席巻してしまったからです。1960〜70年代にデビューしたファッションデザイナーたちは、自分たちの表現としてクリエイターの志をもってデザインを発信していましたが、1990年代後半からファッションはグローバル資本の金儲けになってしまった。たとえば、LVMHグループのような大きい企業がロンドンやアントワープから出たユニークな才能をどんどん起用して馴致してしまうとか、あるいはユニクロやH&Mのような、安くてそこそこのデザインの衣料品が市場を圧倒していく。芸術大で教えていても、最近の学生はコム・デ・ギャルソンすら知らないし、三宅一生って誰ですか、みたいな感じです。歴史を切り開いた人も知らなければ現在活躍する人も知らないという状況の中で、ファッションをおもしろくしようと活動する若手を一般に知らせる、ということが私たちにとって一番の問題関心だったのです。

──「身体の夢」展は京都服飾文化研究財団のキュレーションというか、展示の方法論はファッションに関して独自なものですか? 美術作品としてみせるというものだったのですか?

蘆田──KCIの状況は少し特殊なものです。KCIはハコを持っていないので、京都だと京都国立近代美術館、東京だと東京都現代美術館や森美術館などで展覧会を開催します。原則として京都が出発点になっているので、もともとは京都国立近代美術館のキュレーターとKCIのキュレーターが一緒になってつくりあげていくという感じでした。とはいえ、たとえば18世紀の服飾の展覧会のように服に特化した展覧会だとKCIが主導になっていたと思います。僕はその時いなかったので断言はできませんが。ただ、「身体の夢」展に関しては、京都国立近代美術館の学芸員で河本信治さんという方がいらっしゃって、彼が現代美術の方の作品をいろいろ紹介したりしたそうです。

成實──私が河本さんから直接聞いたところでは、KCIは現代アートのコンテクストがないので、そこに関しては美術館が主導だったそうですよ。河本さんはKCIとファッションの展覧会をやるとなったとき、最初は難しいと思っていて、服が主体では乗れないと思っていたらしい。そこで、当時いろいろなパフォーマンスや映像を使ったアートを見て、身体というテーマでやることを思いつき、それだったらできるということでようやく企画を動かしたとおっしゃっていました。なので、「身体の夢」のアートのパートは河本さんがリードしていたんじゃないですか。確かあの時、マルタン・マルジェラのカビがありました。展示全体がうまくいったかいかなかったは別として、アートに興味のある人にとって、すごくわかりやすかったですね。やっぱり展覧会をやると「マルジェラってあのカビの人ね」とファッション以外の人にも記憶に残るんですよね。それは重要だと思います。

井上──写真が残ってますが、こうやって見ると、意外とマルジェラ以外はオーソドックスな展示をしていました。ファッションコーナー、美術コーナーみたいな感じだった垣根が曖昧になったのは、マルジェラのおかげなのかなと今改めて思いますね。

蘆田──ファッションの展覧会は、多分、他の分野よりもセノグラフィという概念がすごく重要です。そもそも日本の美術館の学芸員の方たちは正直あまりセノグラフィを考えているようには思えない。空間をどうつくるか、作品をどう見せるかというセノグラフィの概念をちゃんと考えようとしている学芸員がすごく少ないように感じます。
 ファッションと比べると、美術の場合は一枚の絵の情報量が多いですし、お客さんがあらかじめコンテクストも理解しているので、たとえばピカソの絵を一枚置いただけでも、その作品がどんなものかなんとなくは理解してもらえる。一方、服の場合は、一枚の服をただマネキンに着せて置いたところで誰も理解してくれないですよね。たとえば、僕がいま着ている白いシャツにどんな意味があるかなんて、飾ってあってもわからないと思います。美術館の展示で、そういうところをお客さんに伝えようと思うなら、セノグラフィをきちんと考え、うまく空間をつくって、服の背後にある情報を伝えなければいけない。それなのに日本のファッション展はそのようなことをまったくやってこなかった。なので、先ほど話に出た「Future Beauty」展のような静的な展示をしてしまうと、伝わりにくくなってしまう。
 オペラシティギャラリーの「感じる服 考える服」展では、セノグラフィがきちんと考えられていましたよね。先ほど成実さんが仰っていたように、服そのものをただ並べてお客さんが着られるようにしてもショップと一緒になってしまう。なので、それとは別の仕方で、服以外のもの──写真だったり映像だったり──を使って各ブランドの世界観をいかに語れるかを見せた展示だと思います。ファッション展を企画する人はあのようなセノグラフィを考えることをもっとやっていかないと、ファッション展の未来はないですよね。

成實──建築展もそうですが、最近のアート展は空間を重要な媒体として展示をプランニングする方向になっています。そういう意味では、本当は今ファッション展をやるなら、ただ単にマネキンに着せつけて終わりということにはならないと思います。それはデザインというジャンルの問題でもある。デザインは純粋な視覚芸術ではないので、美術館のようなホワイトキューブにぽんと乗せて完成しましたみたいなことでは文脈がわからない。デザインの意味をどう見せるかを考えてやらなければいけないわけです。日本にはデザインミュージアムがありません。博物館や工芸館はあるけれど、デザインをどう見せるかということのキュレーティングの知識や蓄積はまだ十分ではないという事情もあります。イギリスにはV&A博物館やデザインミュージアムがありますし、アメリカでもクーパー・ヒューイット国立デザイン博物館やニューヨーク近代美術館がありますよね。それをデザイン振興や教育に結びつけるという意識も根づいている。けれど、日本はまだ少なくて、かろうじてファッションなら神戸ファッション美術館があって、KCIも展覧会をするけれど、それ以外のグラフィックやプロダクトの展覧会は本当に少ない。トヨタでさえ自動車の展覧会をやらない状況ですよね。
 今、三宅一生さんが一生懸命デザインミュージアムをつくろうと活動されていますが、やっぱりデザインを文化として大切にしようとする気持ちを、日本でも育てていかなければならないでしょう。

井上──先日、東京国立博物館の東洋館がリニューアルされて、展示方法の斬新さが話題になりましたが、やはり博物館と美術館ではまったく展示の文法が違うということをあらためて思いました。服に関しては、博物館所蔵という思い込みがまだ強いという感じがします。それはデザイン全般について言えることですが、たとえば日本を代表するような企業のトヨタも、トヨタ博物館や産業技術記念館があって、展示ということにたいへん理解がありますが、やっぱり歴史的な遺物を陳列するというようなもので、よく見せることとは違うものですよね。照明を落さない明るい空間でどの角度から見ても確認できるとか、そういうことに意識を働かせている。服を取り扱う時も、歴史的な遺物として取り扱うのと、作品として扱うのとではまったく違ってきます。物によって、どちらがよいかはわかりませんし、決められるものでもないでしょうが、少なくともそれらが違うという意識もあまりないという感じがします。

成實──何がよいのかということもおそらく議論されていないでしょう。服だからマネキンとかボディ、みたいに割とすっと考えてしまう。しかし、蘆田さんが言われたように「このドレスのどこがいいの?」という話になると、シャネルの服だってパッと見たらただの普通の黒い服にしか見えない。それを見て驚けと言われても普通は驚きようがないわけですよね。だから、そのすごさを展示空間の力でわからせるようにしなくてはいけない。ファッション展もそういうことまでやっていくべき段階に来ていると思います。

蘆田──たとえばロココのドレスの展示ならそれでもいいかもしれません。マネキンに着せて見せて「華やかでしょ」で終わらせることもできるから。でも20世紀はそうはいかない。ファッション自体の文脈を少しずつでも伝えていかないと、この先のお客さんも育たない。去年、メトロポリタン美術館で「アレキサンダー・マックイーン」展★53に60万人くらい入ったそうですが、これを日本でやっても60万人も入らないだろうなと思います。

成實──メトロポリタン美術館の「マックイーン」展は、内容の評価も高かったけど、コンデナストかルイ・ヴィトンか大企業がバックアップしているから尋常ではないお金をかけて空間をつくったらしい。だからむしろ例外的なケースかもしれません。

蘆田──作る側の問題もありますが、受け手の側のリテラシーもちゃんと育てていかないといけないと思うんです。メトロポリタン美術館のように、お金を掛けて、視覚的にもおもしろい展示をつくるというのは、日本は当分無理ですよね。たとえば神戸のファッション美術館も予算がないという現実があります。なので、お金をかけずにどうにかおもしろいファッション展ができるように考えていかないといけない。そうすると、ひとつの展覧会だけの問題ではなく、観客のリテラシーの向上も不可欠です。
 自分の話で恐縮ですが、いま、井上さんや成實さんにも声を掛けてファッションのギャラリーを京都につくろうと計画しています。スペースもすごく小さく、資金もないので、観客を驚かせるような展示はできないかもしれませんが、地方でも様々な作品を見ることで、ファッションの文脈を少しずつ知っていくことはできるかもしれません。細く長くでも継続することで何かしらできるのではないかと思っています。批評誌にしてもギャラリーにしてもそうですが、場を作るということが、色々なところで起きていってほしいですね。
 たとえば、京都にはファインアートを扱う貸しギャラリーもコマーシャルギャラリーも沢山あります。貸しギャラリーでは近所のおじいちゃんたちが集まるサークルなどで描いた、趣味の絵の展示をしたりもしていますよね。そういう場所があることは、リテラシーを高めることにもつながりますし、絵に親しむためにはすごく重要なことだと思います。でもそれがファッションだと、現状では購買の場であるショップしかありません。消費のためのショップとは違う場をつくっていくことで、何かしら動きを変えていくことができるのではないかと思っています。

井上──美術や建築と比べるとファッションの場合は、特に現代の作家やデザイナーが一般の人と関わる部分は消費というか、お金を払って買って着るという行為がかなり重要だと思います。

成實──結局、ファッション批評がないのは、買う人に必要とされていないからですよね(笑)。要するに、服を買う時に批評を読む人はいない。

井上──先ほど成實さんがおっしゃっていた「感じる服 考える服」展で、店になってしまうという問題は本質的だと思います。ファッションとの関わり方で一番良いことが買って着ることであるならば、なぜ店にしなかったんですか? 

蘆田──ショップだったら美術館でやる意味がないですよね。

井上──蘆田さんは、ギャラリーで展示して売るということもしようとしている。

蘆田──売るかどうかはまた別の話だと思います。

井上──僕が「感じる服 考える服」展ですごく良かったなと思ったのは、普段情報収集できないものが、あそこに行ったらわかったという理由が大きいです。これが今の東京のファッションデザイナーたちが考えていることなんだな、ということが集合として見えてきた。名前を知らなかった人を知ることができたこともすごくよかったわけです。別に買えなくてもいいけれど、買えてもよいのではないかと思いました。

成實──東京オペラシティギャラリーの併設のショップで売ることはできたと思いますが、そういうことはしない方向になったみたいです。ファッションが建築や美術と違って難しいのは、お店に行けば売っているし、買おうと思えば買える。そういうものをなぜギャラリーや美術館で見せなければいけないのか、ということですよね。

井上──そこが本質的な問題だと思います。服飾史展であれば買えるわけがないので、貴重なものを見に行くということには、意味がある感じもします。しかし、買えるものを見に行くということであれば、今、僕が言ったようなギャラリーが、ひとつの場所に、セレクトショップ的ではない目で服を集めてくれるのは貴重なことで、それは批評の一部だと思います。そういう意味ではこの展覧会は毎年やってほしい。

成實──昨年、渋谷パルコで開催された「アンリアレイジ展 AREALUNREALAGE」★54は、展覧会場の下のフロアにあるショップで現物を売っていました。展覧会場にあったものを着ることができるのは面白いですね。

井上──そういったことも織り交ぜ、着られないものもありつつ、一方売るものもあってもいいのかなと思います。もう少し美術展の枠の外に資本主義的であっても出てしまってもいいのかなという可能性を感じました。

蘆田──売るものもあってよいのですが、美術館の展示は、文脈づくりと文脈を伝える機能が主だと思うので、「感じる服 考える服」展に出ていた10組のブランドを集めたセレクトショップがあります、というだけでは伝えられない文脈があると思います。

井上──じゃあ逆にそこで展示をしたらどうですか? セレクトショップで展示をする。

蘆田──それはそれでありだと思います。ちゃんとその文脈をつくっていく意味で。ただ、購入という一回性というか一過性というか、そこで完結してしまう場だと、やっぱり歴史や文脈に乗らないと思います。
 たとえば、大手のセレクトショップでも展覧会を小さな規模でやることもあります。でもそれはアーカイブということが視野に入ってはいないように感じます。美術館の展示はやはりアーカイブとして残していくことも考慮に入れていますよね。カタログもつくり、きっちり文脈を説明していく。その機能には大きな違いがあると思います。なので、アーカイブと伝える機能までショップが担えるのであれば、別に美術館にこだわる必要はないと思います。

井上──ショップにはそこまで義務はない。

蘆田──一度売れてビジネスとして成立したら終わりです。

成實──ファッションのプレゼンテーションで重要なものとして、ファッションショーもあります。ショーはすごく限定された人しか入れないし、ある意味で商談の場所だから、売ることをアピールするという役割が大きいメディアです。
だけど、ファッションショーに行って初めてわかることは沢山あります。つまり、DM、音楽、演出、宣伝シートなどから、ブランドやデザイナーが服にどのようなメッセージを込めているかわかりやすく読み取れる。しかし、そこで発表したもののうちショップが買い付けるのは一部なので、お店で「メッセージを感じて」といっても、服を見る力が相当ある人ではなければわからない。そういう意味ではファッションショーの情報発信としての役割が、これまでビジネスやジャーナリズムに限定されてきたのはもったいなかったと思います。今、かなり多くのブランドがウェブでショーの映像を発表するようになってきたのはいいことですし、新しい可能性を感じます。


『Future Beauty──日本ファッションの未来性』(平凡社、2012)/『感じる服 考える服──東京ファッションの現在形』(以文社、2011)/『A REAL UN REAL AGE』(パルコ出版、2013)

★48──フセイン・チャラヤン:ファッションにはじまり、そしてファッションへ戻る旅:2010.4.3-6.20 東京都現代美術館で開催。http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/113/
★49──2012.7.28-10.8 東京都現代美術館で開催された展覧会。artscape2012年9月15日号に井上雅人の展覧会レビューが公開されている。
★50──2011.10.18-12.25 東京オペラシティアートギャラリーで開催。http://www.operacity.jp/ag/exh135/
★51──1972年に山本耀司(やまもと・ようじ)が設立したファッションブランド。黒を基調とした、シンプルで無彩色のモードは、コム・デ・ギャルソンと並んで、日本のファッションシーンに大きな影響力を与えている。
★52──なかむら・りゅうじ、1972年- 建築家。中村竜治建築設計事務所主宰。2007年 THE GREAT INDOORS AWARD(オランダ)、JCDデザインアワード大賞、ナショップライティングアワード優秀賞、東京デザイナーズウィークTOKYO DESIGN PREMIO、2008年 くまもとアートポリス熊本駅西口駅前広場設計競技優秀賞など。
★53──Alexander McQueen: Savage Beauty:2011.5.4-8.7Metropolitan Museum of Art。http://blog.metmuseum.org/alexandermcqueen/
★54──2012.12.7-2012.12.25 渋谷PARCO MUSEUMで開催。日常(A REAL)、非日常(UN REAL)、時代(AGE)を一語につなげたブランド名を持つANREALAGE(アンリアレイジ)、デビュー10周年の展覧会。http://www.parco-art.com/web/museum/exhibition.php?id=518

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成實弘至

1964年生まれ。京都造形芸術大学准教授。文化社会学・ファッション研究、デザイン研究専攻。著書=『20世紀ファッションの文化史』 (河出書房...

井上雅人

デザイン史・ファッション史。武庫川女子大学講師。著書に『洋服と日本人』(廣済堂出版、2001)など。

蘆田裕史

1978年京都生まれ。批評家/キュレーター。ファッションの批評誌『fashionista』編集委員。共著=『現代芸術の交通論』(丸善、200...

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