artscapeレビュー

丸山晩霞 日本と水彩画 丸山晩霞記念館所蔵作品を中心に

2023年02月01日号

会期:2022/11/12~2022/12/18

はけの森美術館[東京都]

日本の近代絵画は主に洋画と日本画の対立を軸に語られることが多く、版画や水彩画は周囲に押しやられがちだった。とりわけ水彩画は西洋から伝わった画材でありながら、技法的には水で溶く日本画に近いというどっちつかずの立場だったため、スポットライトが当たりにくかった面もある。その西洋由来の水彩画を日本画に合体させようとした画家のひとりが丸山晩霞(1867-1942)だった。

晩霞は幕末に信濃国に生まれ、上京して油絵を学び、明治美術会に入会。一時家業に専念したのち、画家の吉田博との出会いをきっかけに水彩画に転じ、日本各地だけでなくアメリカ、ヨーロッパなど世界を旅しながら水彩画を制作した。その作品の多くは名前のとおり霞がかっているが、それは空間をうやむやにする日本画のそれではなく、距離感を把握した上での空気遠近法的な霞であり、緻密な観察に基づく細密描写とともに西洋画をバックボーンとしたものであることがわかる。丸山晩霞の名が広く知られるのはおそらくこの時代の作品であり、ぼくが知っているのもこのころの花咲く山岳風景画だ。ていうか、それ以外の晩霞の作品はこれまでほとんど紹介されてこなかったのではないか。そういった意味で、その後の日本画へ接近していく過程に焦点を当てた今回の展示は興味深いのだ。

晩霞が日本画(および日本)に近づくのは1910年代、明治から大正に移るころ。当時、彼は日本の風景に独自の美を見出す志賀重昂の『日本風景論』に刺激を受け、また画壇では、旧套的な日本画に対して水彩画が新しい日本画になるのではないかと議論されていた時期だった。1918年には新しい日本画の団体「国画創作協会」と「新日本画協会」が発足、晩霞は後者の旗揚げに加わり、水彩画と日本画の融合を目指したという。さらに昭和になると、ナショナリズムの高まりとともに「日本」を必要以上に意識せざるをえなくなるという時代の空気もあっただろう。

作品もこのころから縦長の絹本に彩色し、軸や屏風に仕立てるようになっていく。描写も写実主義から離れ、山は縦に引き延ばしたように険しくなり、画面隅には余白を残すなど、明らかに日本画的な空間に変容していく。だが、山肌や植物などの細かい描写には以前のような細密な自然観察が発揮されていて、そのチグハグさが愛おしく感じるのだ。こうしたねじれ現象こそ水彩画と日本画を、もっと広くいえば西洋と東洋を無理やり接続しようとした近代日本の試行錯誤の証かもしれない。


公式サイト:https://www.hakenomori-art-museum.jp/exhibition#link1

2022/12/04(日)(村田真)

artscapeレビュー /relation/e_00063134.json l 10182629

2023年02月01日号の
artscapeレビュー