2017年10月15日号
次回11月1日更新予定

artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

浅井忠の京都遺産─京都工芸繊維大学 美術工芸コレクション

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会期:2017/09/09~2017/10/13

泉屋博古館 分館[東京都]

洋画家・浅井忠(1856-1907)は、1900年(明治33年)に渡仏した。目的は洋画研究とパリ万博視察、作品監査であった。在仏中に、京都高等工芸学校の設立準備のためにヨーロッパを訪れていた化学者・中澤岩太(1858-1943)と出会ってデザイン教育の重要性を説かれ、1902年(明治35年)に帰国すると京都に移り、京都高等工芸学校図案科の教員となった。この展覧会は、浅井忠の京都時代の仕事と、彼が教員を務めた京都高等工芸学校(現在の京都工芸繊維大学の前身のひとつ)の図案教育を紹介するとともに、住友春翠(1865-1926)による同時代の美術工芸コレクションを対比する企画。
展示は3章で構成されている。第1章はパリ。当時のパリはアール・ヌーヴォー様式の全盛期で、その立役者サミュエル・ビング(1838-1905)は1900年のパリ万博に「アール・ヌーヴォー館」を出展して注目を集めていた。滞仏中に浅井はビングの店を訪れて、図案家と職人が協業するさまに注目している。浅井のパリの住居には、アルフォンス・ミュシャ(1860-1939)のポスター《ジョブ》(1898)が貼られていた。中澤から京都高等工芸学校の教材になる資料収集の依頼を受けた浅井は、石膏像、フランス製陶磁器、ヨーロッパのポスターの選定に関わったという。この章では、それら京都高等工芸学校の草創期に教材、資料として収集されたヨーロッパの美術工芸品が展示されている(ただしすべてに浅井が関わったわけではない)。ヨーロッパのポスターや陶磁のほか、とりわけ美しく目を惹くのはルイス・C・ティファニーのガラス器だ。ヨーロッパで資料を収集していた中澤や浅井は、これらのアメリカ製品をどのようにして手に入れたのだろうか。第2章は京都時代の、画家としての浅井忠と京都洋画壇。浅井の作品は水彩が中心だが、東宮御所を飾るタペストリー《武士山狩図》の油彩原画も出品されている。また浅井は図案教育に携わるかたわら、聖護院洋画研究所を設立して後進の指導にあたり、1906年(明治39年)には関西美術院を創設しており、浅井とともに関西美術院の創設に関わった鹿子木孟郎(1874-1941)らの作品も紹介されている。浅井忠と住友春翠との間に直接的な関係はなかったようだが、関西美術院の創設にあたって住友家は1000円を寄付している。また春翠のコレクションには浅井作品が10点あったことが記録されているという。第3章は図案家としての浅井忠と京都の工芸。明治前期に繁栄を極めた工芸輸出は、明治半ばには陰りを見せていた。京都高等工芸学校設立(1902年)の背景には、工芸技術の改良および新しい図案の創出という意図があった。浅井は京都高等工芸学校で教鞭をとる一方で、1903年(明治36年)に同校の教員らと共に製陶家と図案家の研究団体「遊陶園」を設立。1906年(明治39年)には漆芸家との研究団体「京漆園」を結成。新しい図案と工芸作品を発表していった。ここでは、浅井が残した図案を集めた『黙語図案集』(1908)や浅井の図案に基づく陶器や漆器が出品されており、そこには、アール・ヌーヴォー、琳派、大津絵などさまざまな影響がうかがわれる。もうひとつ、この章で興味深いのは、住友家と京都高等工芸学校の陶磁器コレクションの対比だ。鑑賞あるいは実用を目的とした住友家の陶磁器と、教材として集められた京都高等工芸学校のコレクションは、同時代の収集品ではあるが意匠面で大きな相違がある。前者はイギリス上流階級の趣味にかなう精緻な磁器、後者はクラフト的であったり、アール・デコ的であったり、意匠の面白さに重点が置かれていることがうかがわれる。このほか本展では住友春翠が協賛会長、浅井忠が審査官を務めた第5回内国勧業博覧会関連の資料が出品されている。
さて、浅井らの目指した図案の改革は成功したのだろうか。残念なことに、浅井は京都に来てわずか6年で亡くなってしまった。彼の図案によって陶磁器や漆器が作られたが、その規模は商業的生産といえるようなものではなかった。意匠を見ても、輸出の不振を解消し海外の市場に受け入れられるようなものであったのかは疑問だ。また同時代の京都の工芸においては、琳派に傾倒した神坂雪佳(1866-1942)らの影響が大きかったようだ。1900年パリ万博を視察した浅井と、1901年グラスゴー万博を視察した雪佳は、いずれも1902年に帰国し、いずれも京都の工芸図案に関わっていく。アール・ヌーヴォーの受容に関する両者の対比はとても興味深い。アール・ヌーヴォーを受容した浅井忠に対して、雪佳は日本におけるアール・ヌーヴォーの流行を批判している。それは洋画家と日本画家との違いだったのだろうか。また一方で、陶芸や漆芸は伝統産業から近代工芸へと変わりゆく時期にあたった。新しい時代の工芸家たちは図案家の指導に頼るのではなく、自ら図案と素材と技法とを融合させた作品を創り出す個人作家となっていった。工芸作家にとって図案教育は必要であっても、図案家は必要だっただろうか。浅井忠の京都での活動はデザイン運動史の1ページとして重要であるが、その成果が十分なかたちにならなかったのは、浅井が早くに亡くなってしまったからなのか、他の様式が支持されたからなのか、それとも工芸のありようが変化したからなのか、十分な検討が必要に思う。[新川徳彦]

関連レビュー

うるしの近代──京都、「工芸」前夜から|SYNK(新川徳彦):artscapeレビュー

2017/9/8(土)(SYNK)

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鎌鼬美術館 常設展示

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鎌鼬美術館[秋田県]

都心から8時間、秋田の中でも辺境に位置する田園地域の田代に、鎌鼬美術館が2016年の秋に開館した。写真集『鎌鼬』は、写真家の細江英公が舞踏家の土方巽と連れ立って、1965年9月の2日間、田代に滞在して生まれた。美術館の名は、この写真集に由来している。古民家を改装した美術館では、各国で販売された写真集や細江と土方の活動を紹介する資料が展示されている。美術館の周囲で、写真集に残された数々のハプニングが実際に行なわれた。展示以上に、この美術館の醍醐味は、館外に広がる田園への聖地巡礼にあるのだった。とても親切な館員に、幸いにも、車で聖地を案内してもらった。土方の躍動する身体が、村民を驚かせ、そそのかし、笑わせ、パフォーマーに仕立てた。その奇跡のような出来事の残り香を、車に乗りながら、嗅いでみる。田園地域の貧しい農民の暮らしをベースに、土方は暗黒舞踏と呼ぶ新しいダンスを生み出した。しかし、当の土方は秋田市に生まれ育った、比較的都会っ子だった。若くして当地のモダンダンス系の教室に足を運んでいたところを見ても、土方は知的でモダンな人間だった。いわば100年前のパリの画家たちが、アフリカ文化に新しい芸術の霊感源を求めたように、土方は田代のような村落の暮らしに新しいダンスの根拠を求めたわけだ。田代の今日的活用ということを、土方もまたこの美術館の運営者も考えている。そういう意味では、両者は同じ地平に立っているのかもしれない。しかし、その目的は異なる。土方は芸術のために、美術館は田代の活性化のために、田代の資源に可能性を見た。両者は互いの価値に寄生しているわけだが、芸術の活性化と地域の活性化が相乗効果を生み出せるか、どちらかだけではともに形骸化してしまう。そもそも舞踏の形成になぜ田代が、秋田の田舎の暮らしが必要だったのか、その本質に迫って初めて、活路が見えてくるのだろう。

2017/8/13(日)(木村覚)

拡がる彫刻 熱き男たちによるドローイング 植松奎二 JUN TAMBA 榎忠

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会期:2017/07/04~2017/09/28

bbプラザ美術館[兵庫県]

「彫刻とドローイング」をテーマに、現代美術家の3人植松奎二、JUN TAMBA、榎忠の作品と空間展示を月替わりで紹介する展覧会。現在、デュッセルドルフと日本にアトリエを構え活動する植松奎二の展示は、最新作のインスタレーション《見えない軸─水平・垂直・傾, Invisible axis Horizontal, Vertical, Inclination》を会場の中央に設置、四方を1969年から2017年までのドローイング作品群で囲むように構成した。《見えない軸》は、中央に据えられた石とさまざまな角度で傾く金属の柱(真鍮)とワイヤーを用いて、本来は不可視の「重力」を、事物のあいだに看取される関係性を通して表わそうとする。また、2×4メートルを超える大きさのドローイング《浮く石, Floating stone》は、同館で公開制作されたもの。タイトルが示す通り「巨大な石が宙に浮かぶさま」の描写は、現実にはありえない奇想の空間を創出する。このような、普段私たちが知覚することのない「重力」についての気づきは、ひいては、宇宙/地球/人間の存在に関わって「大事な見えないものとは何か」を考えることにもつながってゆくだろう。植松の作品は、世界の構造への普遍的な問いから鑑賞者個人の内面に至るまで、多様なレヴェルの気づきを与えてくれる。[竹内有子]

2017/7/30(日)(SYNK)

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生誕150年記念 藤島武二展

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会期:2017/07/23~2017/09/18

練馬区立美術館[東京都]

今年2017年は洋画家・藤島武二(1867-1943)の生誕150年。15年ぶりの大回顧展となる本展では、藤島武二の作品のみならず、彼が学んだ日本画家、洋画家、留学時代の師の作品、資料を含む約160点が紹介されている。また、日本のアール・ヌーヴォー様式の代表作のひとつである鳳晶子(与謝野晶子)『みだれ髪』装幀(1901/明治34年)を含む、グラフィックデザインの仕事が多数紹介されている点も特筆されよう。本展チラシのデザインもアール・ヌーヴォーを意識しているようだ。ほとんどアルフォンス・ミュシャのスタイルの模倣である「すみや書店」刊行の絵はがき《三光(星・日・月)》(1905/明治38年)などからは、藤島が同時代のヨーロッパの流行を熱心に研究していた様子がうかがわれる。藤島武二とアール・ヌーヴォー様式には黒田清輝、久米桂一郎らによって結成された白馬会との関わりが指摘されている。1901/明治34年、フランスから帰国した黒田らはアール・ヌーヴォー関連の情報、資料をもたらし、白馬会第6回展(1901年10~11月)では多数のアール・ヌーヴォー様式のポスターが展示されたという。しかしそれ以前からアール・ヌーヴォーのデザインは日本に影響を与えていた。黒田、久米らの不在中に開催された白馬会第5回展(1900年10~11月)にアール・ヌーヴォーのポスター2点が展示されており、また藤島武二は『明星』第10号(1901/明治34年1月)にアール・ヌーヴォー風の挿絵を発表している。藤島武二自身がヨーロッパ留学に出発したのは1905年のことなので、彼は日本に居ながらにして、そして黒田、久米が持ち帰った資料の影響を受ける以前にすでに、ヨーロッパのポスターや雑誌によってアール・ヌーヴォー様式を研究、マスターしていたことになる。他方で、装幀やデザインの仕事の場としては東京新詩社の主催者であった与謝野鉄幹、晶子夫妻との関わりが指摘されている。鉄幹と藤島との親交は1901年から始まり、夫妻とのコラボレーションはその後30年以上にわたって続いたという。さらに、デザイナー藤島武二誕生に影響を与えた人物として、ここでは藤島が洋画を始める前に師事した四条派の画家 平山東岳、円山派の川端玉章の影響も挙げられている★1。ところで藤島武二より10歳ほど年下で、アール・ヌーヴォー様式のデザインで著名となったグラフィック・デザイナー 杉浦非水(1876-1965)もまた四条派、そして川端玉章に師事し、東京美術学校時代には黒田清輝から指導を受けている。日本のグラフィックデザインの源流に連なる二人が、時期は異なるがよく似た道筋を辿っていたことがとても興味深い。よく知られた《蝶》(1904)、《芳惠》(1926)が、1967年以降行方が分からなくなっていることを本展で初めて知った★2。[新川徳彦]

★1──谷口雄三「グラフィック・デザインの先駆者」(本展図録、38頁)および『日本のアール・ヌーヴォー 1900-1923』(東京国立近代美術館、2005年、34頁)。
★2──加藤陽介「《蝶》、《芳惠》の行方」(本展図録、88-89頁)。


2017/7/22(土)(SYNK)

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岡本太郎と遊ぶ

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会期:2017/07/15~2017/10/15

川崎市岡本太郎美術館[神奈川県]

「遊び」を切り口として岡本太郎の作品を紹介するとともに、現代アーティストが岡本太郎の作品「と」遊ぶ展覧会。本展に出品されている岡本太郎の作品の中でデザインという視点から興味惹かれるのは「遊ぶ字」。画集『遊ぶ字』(日本芸術出版社、1981)に収録された字など、太郎の「遊ぶ字」は、読めるか読めないかといえば、ちゃんと読める字として描かれれている。書というよりも、絵画というよりも、多分にグラフィック的。その仕事はしばしば商業的あるいは非営利のポスターにも用いられている。誰が見ても岡本太郎の作品であることは一目瞭然なのだが、他方でその字はそのポスターとしっかり結びついて、人々に記憶されている。すなわち、正しくロゴタイプとして機能しているのだ。野沢温泉の「湯」の字(1983)はその典型だろう(考えてみれば、岡本太郎の彫刻作品もまた太郎の作品であると同時に、その土地のランドマークともなっている)。「岡本太郎と遊ぶ」という点では、ドローイングと作品を比較させてみたり、畳敷きに座って作品を見たり、彫刻に触れたり、《梵鐘・歓喜の鐘》を叩いて音を聞いたり、匂いから岡本太郎の作品をイメージさせる作品など、参加型の展示がある。夏休みらしい、それでいて大人も楽しめる鑑賞のための工夫がいい。参加アーティストは、チーム☆TARO (NPO ARDA)、酒井貴史(美術作家)、BBモフラン(打楽器奏者)、たたら康恵(音楽療法士)、田中庸介(詩人)、横山裕一(漫画家/美術家)、井上尚子(美術作家)。[新川徳彦]

2017/7/14(金)(SYNK)

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