2024年03月01日号
次回3月18日更新予定

artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

FACE展2024

会期:2024/02/17~2024/03/10

SOMPO美術館[東京都]

2013年から続く公募展「FACE展」も今年で12回目。今回は1,184点が出品され、審査により78点の入選作が展示されている。パッと見、実に多彩。油絵あり日本画あり版画ありレリーフあり、抽象あり具象ありポップありマンガやイラストみたいなのもフツーにある。VOCA展のように写真や映像はないが、こちらは公募制で年齢制限もないせいか表現がより多岐にわたっている。

特に目立つのは、グランプリの津村光璃の《溶けて》をはじめ、優勝賞の佐々木綾子の《探求》も、かわかみはるかの《26番地を曲がる頃》もそうであったように、紙やパネルに墨や岩絵具など日本画材を取り入れて描く、日本画とも西洋画ともつかない作品だ。さまざまな素材や技法を試してみるのは悪いことではないけれど、それで果たしてプラスの効果が生まれているのだろうか。折衷的な素材や技法を用いることで目指すものが曖昧化していないだろうか。さらに、一見脆弱そうに見える素材(の組み合わせ)でこの先500年も1000年も持つんだろうか、と心配してしまうのだ。それともまさか、そんな先のことまで考えていないとか?

なにより問題なのは、うまい絵、おもしろい絵はあっても、心に響く作品が少ないことだ。絵を描くことの切実さとか、表現することのヒリヒリするような緊張感が感じられないのだ。まあ、いまのゆるくてぬるい日本ではだれも絵画にそんなことを期待していないのかもしれないけど。

さーっと見て、まず目に止まったのはスニーカー・ウォルフの《むだ書》。ポップアートのアイコンをベースに、丸囲みの勘亭流の漢字らしき文字やエアゾルによるアルファベットが色鮮やかに描かれている。これも古今東西の手法とモチーフを駆使し、アートとサブカルチャーのイメージを混在させた作品だが、技術とセンスは群を抜いている。にもかかわらずタイトルどおり「むだ書」と自覚しているのが偉い(英語タイトルは《Graffiti》)。

東尾文華の《いつものようにさりげなく》も時空を超えている。一見、水墨画のようにもイラストのようにも見えるが、実は木版画という変わり種。昨年「新世代への視点 2023」展(ギャルリー東京ユマニテ)で見たときも、木版画を軸装したりシェイプトキャンバスにしたりという予想外の形式が目を引いた。審査員特別賞(秋田美穂)を受けた東菜々美も、同じく「新世代への視点2023」展(gallery Q)で注目したひとり。《some intersection lines 4》は、正方形の画面の輪郭に沿って色帯を重ねた一見フォーマリスティックな絵画だが、実はけっこう錯視的なところが興味深い。ちなみに「新世代への視点」は貸し画廊による企画展。貸し画廊もまだ捨てたものではない。


FACE展2024: https://www.sompo-museum.org/exhibitions/2022/face2024/

関連レビュー

FACE展2023|村田真:artscapeレビュー(2023年03月01日号)

2024/02/16(金)(村田真)

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キース・ヘリング展 アートをストリートへ

会期:2023/12/09~2024/02/25

森アーツセンターギャラリー[東京都]

1982年の12月末、当時ぴあの社員だったぼくは社長に呼び出され、ニューヨーク出張を告げられた。その年に創刊した『ぴあ』の姉妹誌『月刊カレンダー』の売れ行きが思わしくなかったので、翌年リニューアルすることになり、表紙にキース・ヘリングを起用するとともに、1号目の特集としてこのニューヨークのアーティストとグラフィティを取り上げようということになったのだ。ぼくはもちろんキース・ヘリングのことは知っていたし、その年の秋ヨーロッパを初めて訪れ、ドクメンタ7で実際に作品も見ていたので、喜んで引き受けたのはいうまでもない。

ニューヨークに着くとさっそくキースのスタジオへ。インタビューしていて気づいたのは、「コーズアイ(Cause I)」という言葉で話をつないでいくこと。「(こういうことをした)なぜなら私は(こうだから)」と、自分の行動に理屈をつけて正当化し、普遍性を持たせようとするのだ。たとえば、「地下鉄に絵を描き始めた、なぜならたくさんの人に見てもらいたいから、なぜなら美術館やギャラリーには限られた人しか来ないから」とか、「ぼくの絵はシンプルだ、なぜなら素早く描くから、なぜなら捕まらないためだ」といったように。こうした論法は欧米では当たり前かもしれないが、感覚的な言葉や私的なエピソードが多い日本のアーティストにはなかったもので、説得力があった。

夜になると地下鉄に乗って「サブウェイ・ドローイング」に密着取材。電車のなかからホームを見回し、広告掲示板の黒いスペースを見つけると駆け寄り、チョークを取り出してささっと描く。当時、広告掲示板にポスターが貼られていないときは黒い紙が貼ってあり、それをキャンバス代わりに描いていたのだ。ものの1、2分で描き終えたら一目散に去っていく。それを写真に撮って追いかけていくぼく。そんなことを何回も繰り返した。

1980年代前半のニューヨークの地下鉄は暗い、臭い、危険の3Kで、夜乗ったら身ぐるみ剥がれるとか、カメラを出したら盗られるとか言われていたのに、夜中カメラ丸出しで乗っていた。しかもまだスマホはおろかデジカメもなかったから、ニコンの重い一眼レフを抱えて、いちいちピントや露出を合わせて撮っていたのだ。

前置きが長くなったが、展覧会の導入部に掲げられている20余点の写真はそのとき撮ったものだ。この1週間ほどの出張期間中に、キース・ヘリングおよびニューヨークのグラフィティを写したポジフィルム300余点は、数年前に山梨県の中村キース・ヘリング美術館に収められ、今回ほかのコレクションとともに出品されたというわけ。



キース・ヘリング展 会場風景 [筆者撮影]


展示は写真に続き、7点の「サブウェイ・ドローイング」が並ぶ。これらはキースが主に1980年代前半に描いたもので、全部で数百点あるいは数千点に及ぶかもしれないが、おそらく99パーセントは消されたり破られたりしただろう。彼は作品の行方に頓着しなかったし、お金にも変えたくなかったので、消えるに任せていたし、それが彼の望みだったはず。だから現在残っている「サブウェイ・ドローイング」は、破棄される前にだれかが私物化したり転売目的で剥がしたもので、それはより多くの人たちに楽しんでもらいたかったキースの願いとは裏腹の行為なのだ。現在バンクシーが直面しているジレンマを、キースは40年も前に経験していたのだ(もっともバンクシーはそのジレンマを逆手にとって楽しんでいるが)。

「サブウェイ・ドローイング」に続いて、《男性器と女性器》(1979)《無数の小さな男性器の絵》(1979)という2点のドローイングが目を引いた。最初期の学生時代の作品で、タイトルどおり性器をラフなタッチで描いたものだ。キース・ヘリングといえば明るいポップな絵で子供にも親しまれているが、実は性器もよく描いていたし、彼自身ゲイでHIVに感染し、エイズ撲滅運動にも参加していたので、性に関しては想像以上にオープンだった。そんな意外性も魅力のひとつだ。

その後の展示はみんなが知っているような作品ばかりなので省略。最後に、ぴあがコレクションしている軸装の墨絵と、キースの絵を表紙にした『カレンダー』誌が並んでいた。こうしてみると、40年以上も前にキース・ヘリングに目をつけ、雑誌の表紙に起用したぴあの矢内社長は先見の明があったんだとあらためて思う。『カレンダー』はコケたけど。


キース・ヘリング展 アートをストリートへ:https://macg.roppongihills.com/jp/exhibitions/keithharing/

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開館10周年記念展 キース・ヘリングと日本:Pop to Neo-Japonism|村田真:artscapeレビュー(2017年05月15日号)
キース・ヘリング回顧展「The Political Line*」|栗栖智美:フォーカス(2013年06月01日号)

2024/02/15(木)(村田真)

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鈴木のぞみ 「Words of Light」

会期:2024/01/17~2024/02/07

第一生命ギャラリー[東京都]

しばしば絵画や写真のメタファーに用いられる窓や鏡、あるいは人間の目の延長ともいえる眼鏡や望遠鏡などのガラス面に、それらの視覚装置を通して人々が見てきたであろうイメージを写し取る。鈴木のぞみは写真の原風景を求め、その原点に立ち戻ることで写真の可能性を広げてきた。そんな彼女が今回発表するのはピンホール写真だ。

といっても彼女は、わざわざ四角い箱を作って針穴を開けてピンホールカメラをつくる、といった工作はしない。身の回りからすでにある穴と空間を探し出し、ピンホールカメラに見立てて撮影するのだ。その最初期に試した道具が「鍋」。なぜ鍋がピンホールカメラになるかというと、蓋に小さな蒸気穴が開いているからだ。まず鍋底に写真乳剤を塗り、蓋を閉じて隙間を塞ぎ、しばらく置いて定着したらハイできあがり。いや料理じゃなくて、鍋底には下から見上げた台所の様子が明暗を反転させて写っているというわけ。



鈴木のぞみ《光を束ねる:鍋》[筆者撮影]

これに味を占めて、近所を歩くときも小さな穴を探すようになったという。たとえば排水溝の穴、ドアの鍵穴、段ボール箱の穴、木の柵の節穴、看板に空いた穴など、小さな穴の空いたものならなんでもその場でピンホールカメラに仕立て、撮影したという。ただしこれらは持ち運びできないので、鍋以外はプリント(またはライトボックス)のみの展示となった。穴といっても針穴くらい小さければ像は結ぶが、鍵穴や節穴になるとぼやけてなにが写っているか判明できない。それはそれで抽象風景として惹かれるものがある。おそらくカエルやモグラの目に映る世界はこんな感じではないだろうか。それにしても、穴を求めて街を徘徊するというのもなんだかね。


鈴木のぞみ 「Words of Light」:https://artsticker.app/events/23267/

関連レビュー

Unknown Image Series no.8 #2 鈴木のぞみ「Light of Other Days―土星の環」|村田真:artscapeレビュー(2020年10月01日号)
無垢と経験の写真 日本の新進作家 vol. 14 |村田真:artscapeレビュー(2018年02月01日号)

2024/02/07(水)(村田真)

棚田康司展「入って飛ぶ」

会期:2024/01/17~2024/02/17

MIZUMA ART GALLERY[東京都]

第30回平櫛田中賞を受賞した棚田康司の個展。昨秋、岡山県井原市平櫛田中美術館で受賞記念展が開かれ、そこに出品された新作《地上を取り込むように》と《宙を取り込むように》の2点を公開している。両者とも縄跳びをしている無表情な人物を彫った木彫だが、どちらも上半身裸でマッシュルームカット、白いパンタロン姿というまるで半世紀前にタイムスリップしたかのようなファッション。胸が少し膨らんでいるが、それが乳房なのか発達した大胸筋なのかわからない、つまりモデルが男性なのか女性なのか判別しがたいようにつくられている。

2体の最大の違いは縄跳びの縄にある。《地上を取り込むように》は太い縄が展示室の床いっぱいに大きく広がっているのに対し、《宙を取り込むように》は細い金属製の縄が宙に向かって垂直に弧を描いている。ふと思うのは、この場合「彫刻」はどこまでを指すのか。木彫の本体か、縄まで含めるか、それとも木彫も縄も取り込んだ空間全体か。答えは作品名どおりということだろう。

それにしても、なぜ縄跳びなのか。縄跳びほど彫刻にしづらいモチーフもないだろう。縄跳びをすると必ず身体が宙に浮く瞬間があるが、その一瞬は絵に描くことはできるけど、彫刻にはできない。なぜなら彫刻には重力があり、床に置かなければならないからだ。だから棚田はあえて縄跳びを彫刻化したかったのではないか。つまり彼は「彫刻」を超えたかったのではないか。



棚田康司  左:《地上を取り込むように》、右:《宙を取り込むように》  展示風景 [筆者撮影]


今回は上記2点以外にも絵画を含めて何点か出品している。うち1点は女性の胸像だが、斜めから見た状態の浮き彫りで、床に置くのではなく壁に掛けている。これは彫刻といえるのか? もう1点は、頭部はリアルだが首から下は流動体のような気味の悪い人物像が、これも床置きではなく壁に掛けられている。奇妙なのは、身体の半分だけが壁から浮き出していて、文字どおり半身像になっていること。レリーフというより、彫刻の縦半分が壁に埋もれて見えなくなっているともいえる。どうやらわれわれが棚田彫刻のえもいわれぬ表情やいわくありげなポーズに目を奪われているうちに、彼はそっと彫刻から逸脱しようとしているのかもしれない。


棚田康司展「入って飛ぶ」:https://mizuma-art.co.jp/exhibitions/2401_tanada_koji/

2024/02/07(水)(村田真)

森ビル デジタルアート ミュージアム:エプソン チームラボボーダレス

会期:2024/02/09~(常設)

麻布台ヒルズ 森ビル デジタルアート ミュージアム:エプソン チームラボボーダレス[東京都]

「いやーおったまげっす」と書いたのは、2018年にチームラボがお台場でやっていたときのレビューだ。おったまげの内容は、①会場の広さ、②出し物の多様さ、③平日なのに混んでいたことの3点。今回は麻布台ヒルズに場所を移してのリニューアル公開となるが、内覧会なので③はおいといて、①と②の感想は同じだった。

会場に一歩足を踏み入れると、そこはめくるめく映像美の世界。そんな常套句の百倍くらいすごい。壁と床一面に花や滝や森や川や海が映し出され、ウサギやカエルや蝶や魚が飛び交い跳ね回り(ブッダもいる)、手を近づけると反応してくれる。しかも映像は迷路のような通路に続き、次々と変化しながら別の部屋に連鎖し、全体で境界のないひとつの大きな世界を形成している。どちらかというと日本的な、花鳥風月の世界観。でもそれだけではない。光線と可動ミラーを巧みに組み合わせて色鮮やかな光の洞窟を現出する「ライトスカルプチャー」のようなSF的未来世界もあり、まさに圧巻というしかない。



森ビル デジタルアート ミュージアム:エプソン チームラボボーダレス 展示風景 [筆者撮影]



森ビル デジタルアート ミュージアム:エプソン チームラボボーダレス
「ライトスカルプチャー」展示風景 [筆者撮影]


こうして見る者はどこまでも続く会場をさまよいながら、ふと出口までたどり着けるだろうか不安にもなってくる。いったいどれだけ広いんだろう? 実際にはそれほど広くないのかもしれないが、映像の渦中にいると、鏡を多用していることもあって距離感や方向感覚、上下の感覚まで怪しくなってくるのだ。いやーおったまげ。

おったまげといえば、お台場で興行していた2019年には1年間に219万人超を動員したというから驚く。これは「単一アート・グループの美術館としてのギネス世界記録」だそうだが、「単一アート・グループの美術館」てなんなの? てか、そもそもこれは「美術館」だったのか? 確かに「ミュージアム」と称しているけど、別に非営利でもないし恒久的でもないしコレクションもないし、ミュージアムの概念からはかけ離れている。かといって劇場でもなければテーマパークとも違うし、近いのはビックリハウスとかマジックハウスだが、それだと矮小化しすぎか。結局、これまでにない新しい「見世物小屋」を開発したという事実がいちばんすごいことだと思う。


森ビル デジタルアート ミュージアム:エプソン チームラボボーダレス:https://www.teamlab.art/jp/e/borderless-azabudai/

2024/02/05(月)(村田真)

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