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カタログ&ブックス | 2024年3月1日号[テーマ:写真と言葉。「批評家」中平卓馬の横顔を現代から眺め直す5冊]
日本の戦後写真史において、実作/理論の両面で存在感を放った写真家・中平卓馬(1938-2015)。約20年ぶりの開催となる大回顧展「中平卓馬 火―氾濫」(東京国立近代美術館にて2024年4月7日まで開催)に関連し、中平が自らの眼を通して探索した写真と言葉の相互関係をより豊かに受け止められるようになる5冊を紹介します。
今月のテーマ:
写真と言葉。「批評家」中平卓馬の横顔を現代から眺め直す5冊
1冊目:見続ける涯に火が… 批評集成1965-1977
Point
1977年に記憶喪失と言語障害を患い、後に再起を果たしたという異例の経歴をもつ中平。「中平卓馬 火―氾濫」展で特に印象的なのが、彼が60年代末〜70年代にかけ数多のメディアに執筆した文章の鮮烈さ。代表的評論集『なぜ、植物図鑑か』と共に、中平の世界の見方と瑞々しい批評の言葉に腰を据えて対峙できる一冊。
2冊目:寺山修司の写真
Point
中平の活動初期に深い接点があった人物の1人、寺山修司の活動を写真という媒体から紐解く貴重な視点の論集。森山大道撮影の『あゝ、荒野』表紙写真には中平の姿もあり、雑誌連載「街に戦場あり」では中平と森山が写真を交互に担当。彼らの協働関係から生まれたイメージが社会に何を問いかけていたのかを知りたい人へ。
3冊目:見るということ
Point
写真の発明以来、大量のイメージに日夜取り囲まれ、その総量も増大の一途を辿る昨今。「見る」行為とは何かを解き明かす本書は、自身と世界の交わり方や、その接点としての肉眼/身体について思考を重ねた中平の姿勢とも共振する部分がありそうです。イメージの洪水に疲弊しがちな現代人としても実感を伴って読めるはず。
4冊目:言葉の果ての写真家たち 一九六〇−九〇年代の写真表現
Point
中平や森山らの写真を指して代名詞のように使われる「アレ・ブレ・ボケ」など、60年代以降、日本の写真の新潮流をつくった大きな要素である「言葉」の存在にフォーカスした一冊。まだ見ぬ写真表現を模索する写真家たちと、彼らを囲む時代の質感。中平を含む個性の異なる5名の写真家の作家論としても各章読みごたえあり。
5冊目:批評の教室──チョウのように読み、ハチのように書く
Point
作品に触れ、分析し、そこで考えたことを人に伝える。SNSの台頭以降、誰もが無縁でなくなったとも言える「批評」の基本に立ち返り、その楽しさを教えてくれる入門書。撮ることと書くことの両輪で進んできた中平としても、外の世界に身を浸し相互に干渉し合うための道具として、批評は心強い味方だったのかもしれません。
中平卓馬 火─氾濫
会期:2024年2月6日(火)~4月7日(日)
会場:東京国立近代美術館(東京都千代田区北の丸公園3-1)
公式サイト:https://www.momat.go.jp/exhibitions/556
[展覧会図録]
「中平卓馬 火─氾濫」展覧会公式カタログ
◎東京国立近代美術館と発行元オンラインショップ「LAB BOOK SHOP」にて予約受付中。
2024/03/01(金)(artscape編集部)
カタログ&ブックス | 2024年2月15日号[近刊編]
展覧会カタログ、アートやデザインにまつわる近刊書籍をアートスケープ編集部が紹介します。
◆
現代美術キュレーター10のギモン
展示、見る順番、作品、来館者、美術館の収集と保存など、現代美術のキュレーションをめぐる10のギモンを設定して、具体的な展覧会や作品を紹介しながら、現代美術のキュレーションの基本的な視点やキュレーターの意義を問い直す。
今、絵画について考える
画家はいかにして絵画空間をつくり出し、観者はそれをどう受け止めるのか。作品の背後に潜む画家の意図に鋭く迫り、錯綜する批評言説を丁寧に読み解くことで、秘められた絵画の力を解放し、新たな美術史の姿を描き出す。
私たちのエコロジー──地球という惑星を生きるために
環境危機に現代アートはいかに呼応するのか。国籍を問わない気鋭のアーティスト34名による作品図版約190を収録。人間中心主義的な物の見方を脱却し、地球を蝕む環境問題に向き合うための新しい視座を提供する。
学芸員しか知らない美術館が楽しくなる話
知れば美術館が10倍面白い!「展覧会はどうやって作っているの?」「学芸員って何をしているの?」 「アートは役に立たない?」「おすすめの鑑賞方法は?」現役学芸員が語る、美術館の舞台裏と美術鑑賞の楽しみ方。noteの人気連載、待望の書籍化!
デジタル・バイツ──アート&テクノロジーの摂り方
物質と情報が曖昧になったこの惑星では、デジタルが血肉となり、変容への欲望を喚起する──。本書は、金沢21世紀美術館の主催展覧会『DXP(デジタル・トランスフォーメーション・プラネット)──次のインターフェースへ』展を並行収録した、この惑星を歩くための地図となる一冊です。
荒木悠 LONELY PLANETS
十和田市現代美術館企画展「荒木悠 LONELY PLANETS」公式カタログ。さまざまな文化・言語の間で起こる誤訳や誤解、本物(オリジナル)と複製(コピー)の関係をユーモラスに表現してきた映像作家・荒木悠、初の作品集
批評の「風景」──ジョン・バージャー選集
英国希代の美術批評家の決定版的作品集。初期から晩年まで、美術批評のみならず文芸批評、追悼文などの幅広い作品を収録し、バージャーの思想の全体像を示す。
生きるアート 折元立身
折元立身は、2001年のヴェネチア・ビエンナーレにて企画展に日本人で唯一選出されるなど、約50年のあいだ国際舞台の前線で活躍してきたパフォーマンス・アーティストです。顔中をフランスパンで埋め尽くした「パン人間」、認知症を患った母の世話をしながら作品にした「アート・ママ」シリーズ等で注目され、国際展や世界各地の美術館で個展やパフォーマンスを行ってきました。地元川崎で開催された大規模個展がきっかけで、国内での評価がようやく高まるのが、作家が70歳を迎えた頃でした。本書は、個展を企画したキュレーターの深川雅文が長年の取材を通して綴る、不世出のアーティストの知られざる物語です。
2024/02/15(木)(artscape編集部)
マリリン・ストラザーン編『監査文化の人類学──アカウンタビリティ、倫理、学術界』
翻訳:丹羽充+谷憲一+上村淳志+坂田敦志
発行所:水声社
発行日:2023/01/10
ここ数年、マイナンバーカードやインボイス制度の導入によって、事務仕事の総量が格段に増えたと感じる読者は少なくないだろう。かく言うわたしも、自分のマイナンバーカードを何枚もコピーして業者から送られてくる台紙に貼ったり、研究費で物品を買うのにいちいち適格証明書を添付したりする作業を繰り返しながら、これだけの時間があればどれほど生産的な仕事ができただろう、とため息をつくことが少なくない。数年前に「ブルシット・ジョブ」という言葉が広く世の関心を集めた背景にも、そうした──ほとんど無駄ではないかと思われる──事務仕事への苛立ちがあったのではないだろうか(デヴィッド・グレーバー『ブルシット・ジョブ──クソどうでもいい仕事の理論』酒井隆史ほか訳、岩波書店、2020)。
さて、そうした仕事を実際に軽んじてよいかどうかはともかく、以上のようなペーパーワークの増大の背後に現代社会の構造的な問題がひそんでいるのではないか、という直観を抱くことはそう難しくない。本書がタイトルに掲げる「監査文化(audit culture)」という言葉は、こうした問題を考えるさいの格好の切り口であると思われる。
マリリン・ストラザーン(1941-)といえば、おもにパプアニューギニアをフィールドとし、同時にイギリスにおける生殖医療についての著書もある社会人類学者である。そのストラザーンが編者を務める本書は、文字通り「監査文化」を対象とする、12人の人類学者たちによる大部の論集である。>
そもそも「監査」とは、その規模や種類を問わず、もともと財務管理のための用語である。だがその一方、本書の共著者たちも指摘するように、1980年頃を境に、この言葉は従前よりもはるかに広く用いられ、なおかつ複数の文脈へと広がっていった(例えば第2章「威圧的なアカウンタビリティ──高等教育内における監査文化の興隆」などを参照のこと)。とりわけ本書の関心は、この監査文化がいかにして高等教育に浸透し、従来の教育のあり方を変えていったかという点にある。その意味で、編者ストラザーンもみとめるように、本書の問題意識は、大学教員でもある著者たちの経験に支えられたものである(23頁)。
ここで、「監査」という言葉が今ひとつしっくりこない読者には、やはり本書のキーワードのひとつである「アカウンタビリティ(accountability)」について考えてもらってもよいかもしれない。しばしば「説明責任」などと訳されるこの単語は、ここ数十年、日本語のなかでも格段に存在感を増してきた。企業や団体が高い「アカウンタビリティ」を示すためには、人事や決裁を始めとするプロセスをできるかぎり透明なものにし、なおかつそれに関わる文書を適切に作成・管理することが不可欠となる。本書のねらいを評者なりに要約するなら、それはこうした「監査文化」が営利活動のみならず、高等教育や非営利活動などのさまざまなセクターに浸透していった背後にある社会的な変化を──人類学的に──記述することにある。
ストラザーンの「あとがき」が示唆するように、こうした社会的変化の核心にあるのが、監査・政策・倫理からなる「三者連携体」であろう(385-389頁)。これはおそらく直観的に共有される感覚だと思うが、基本的に「監査」を奨励するのは大小さまざまな「政策」であり、なおかつそこでしばしば持ち出されるのが「倫理」という言葉だからである。ようするにわれわれの社会は、国家的な「政策」によって高い「倫理」意識を要請されたエージェントが「監査」文化に順応し、能うかぎり高いアカウンタビリティを示すという一連のプロセスのなかにある(なお、これと直接的な関係はないが、近年のSDGsに絡めた「エシカル消費」という言葉に含まれる「倫理的 ethical」という言葉のニュアンスも想起しほしい)。
本書『監査文化の人類学』は専門家むけの学術書だが、以上のような問題意識を共有する読者にとっても、おそらく何かしら益するところがあるに違いない。たとえ専門家でなくとも、IMF(国際通貨基金)を始めとする諸機関の実地調査から、われわれは多くを学ぶことができる。少なくともそれは──実のところグレーバーの意図に反して──おのれの気に入らない仕事を「ブルシット・ジョブ」と呼んで蔑むよりも、はるかに批評的な姿勢だと言えるだろう。
2024/02/08(木)(星野太)
阿部公彦『事務に踊る人々』
発行所:講談社
発行日:2023/09/19
タイトルからは想像しづらいかもしれないが、本書はれっきとした文芸批評である。しかも「事務」という、世間的にはもっとも「文学」から遠いと思われている営みから出発して、文学に新たな光を投げかける野心的な試みである。著者・阿部公彦(1966-)のよき読者からすれば、これまで「凝視」「即興」「スローモーション」といった主題をテーマに古今東西の文学を論じてきた著者が、今度は「事務」という前代未聞のテーマに取り組んだ──そのような感慨とともに本書を紐解くだろう。
とはいえ本書には、不要に肩肘張ったところはまったくない。出だしからしてユーモラスだ。著者は「本書を通し、現代の社会で不当に軽視され、嫌がられ、時には蔑まれさえしてきた事務の営みについて、再考したい」という(2頁)。かといって、著者は事務をただ賛美するのでもない。本書をつらぬくひとつのテーゼがあるとすれば、それはわれわれが事務を疎んじつつも、どこかで事務の魅惑に取り憑かれてきた、ということである。こうした事務をめぐる愛憎は、近代以降、大なり小なり事務仕事に関わらざるをえなくなった人々にひろく共有されてきたものだろう。想像してみてほしいのだが、あなたがたとえ事務職についていなくとも、公私にわたるさまざまな事務手続きなしに社会生活を送ることなど、ほとんど不可能である。その意味で、本書の想定読者はすべての現代人であると言っても過言ではない。
夏目漱石の事務的な思考、事務仕事とも深く関わる「注意」という主題、トマス・ハーディの記録癖、チャールズ・ディケンズの事務に対する呪詛……などなど、本書の話題はきわめて多岐にわたる。文芸誌『群像』での連載ということもあってか、時には小川洋子や西村賢太といった現代作家の作品論が顔をのぞかせたりもする(とりわけ三島由紀夫とその父・梓の関係を軸とする終盤の展開はスリリングである)。「事務」という言葉の懐の広さにも助けられながら、本書はまさに書名のごとく、さまざまな話題を踊るような足取りで踏破する。
基本的に、事務仕事というのはごくありふれたものであるがゆえに、つまるところそれは何なのかと問う機会は稀である。かといって「事務仕事の本質とは……」と大上段に構えるのも、どこか滑稽な印象を免れない。ひるがえって本書は「事務(仕事)」を「文学」の問題として捉えることで、この対象に批判的に接近することを可能にした。わたしが真に批評的な営みだと思うのは、まさしくこうした類の仕事である。
2024/02/05(月)(星野太)
カタログ&ブックス | 2024年1月15日号[近刊編]
展覧会カタログ、アートやデザインにまつわる近刊書籍をアートスケープ編集部が紹介します。
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HAND BOOK──大原大次郎 Works & Process
手書き文字をはじめとするアナログで身体的な手法を駆使し、音楽、装丁、広告、ロゴの分野で活躍する大原大次郎。現代のデザインシーンに大きな影響を与えてきたその仕事を、プロセスや考え方とともに紹介する。
自炊者になるための26週
“面倒”をこえて「料理したくなる」には、どうしたらいいでしょう。“ほぼ毎日キッチンに立つ”映画研究者が、その手立てを具体的に語ります。
ラブレターの書き方
つながりすぎた社会で
〈二人であることの孤独〉を取り戻す
若きアーティストによる
SNS時代の恋愛・制作・人生論
関係性の美学
参加、出会い、待ち合わせ、はては労働行為や商取引までをも形式化する捉えどころのない作品たちは、いかにして誕生したのか。芸術理論の空白のただなかで、全面的な商品化へ向かいつつある現在のアートを読み解くための必携書!
作家主義以後──映画批評を再定義する
ひとつの映画作品を問うことにおいて、映画そのものの存立を問う、その終わりなき営みとしての「映画批評」の可能性。『評伝ジャン・ユスターシュ』の俊英による、実験゠実践の記録。
アートと人類学の共創──空き家・もの・こと・記憶
一軒の空き家に残された「もの」から、いかにして人びとの生を描き出し、歴史を語り継ぐことができるのか。人類学者とアーティストは、それぞれの立場からこの問いに向き合い、「もの」たちの声に耳をすます。写真、家具から柱、果てはつもった埃に至るまで、空き家をくまなく探索することで浮かび上がったのは、ひとつの空き家を軸にした、ある家族の生きざまと塩江町の人びとの繋がりだった。今はなき人びとの記憶を継承するために、アートと人類学に何ができるのか。分野の壁を超えた挑戦的なプロジェクトの軌跡。
情報哲学入門(講談社選書メチエ)
私たちは「情報」なしで暮らすことはできません。スマホでニュースを確認する、メールやラインをチェックする。改札を電子マネーの端末で通り抜け、車内では画面に映る広告や駅名を見る。そして会社に着けば……といったように、あらゆる場所に、無数の形で情報はあふれています。本書は、こうした現状の中で「情報という問い」に正面から取り組みます。カーツワイル、ボストロム、テグマークを通して技術との関係の中で「人間」とは何かを確認し、マカフィーとブリニョルフソン、ズボフを通して社会の中での情報がもつ機能を捉え、フクヤマ、ハラリ、サンデルを通して政治との関わりを考察します。その上で改めて「情報」というものを哲学的に規定し、情報をめぐる課題を整理します。
2024/01/15(月)(artscape編集部)