2017年09月15日号
次回10月2日更新予定

artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

第6回EMON AWARDグランプリ受賞作 大坪晶展

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会期:2017/08/18~2017/09/09

EMON PHOTO GALLERY[東京都]

毎年開催されるEMON AWARDのグランプリ受賞者は、EMON PHOTO GALLERYで個展を開催する権利を得る。大坪晶はその第6回目の受賞者で、今回は受賞作の「Portrait and Crowd」のシリーズのほかに、新作の「Portrait of Women」、「種の起源/On the Origin of Species」、そして立体作品の「Collective Memories of a Family─ある家族の集合的記憶」を展示していた。
大坪の作品は、パネルに大量の画像を貼り付けたコラージュ作品である。一見すると、ただのポートレートのようだが、細部に目を凝らすと、それらが豆粒のように小さな群衆の集合写真でつくられていることがわかる。「無数の見知らぬ人々の記憶のつらなり」と「作者の個人的系譜」が重なり合う「Portrait and Crowd」のシリーズは、コンセプトと技術とが完璧に融合した質の高い作品群だった。今回発表された新作の「Portrait of Women」では、その試みをより社会性、歴史性のほうへ押し広げて、樋口一葉、平塚らいてう、ヴァージニア・ウルフという、ほぼ同時代に生きた3人の女性作家、活動家のポートレートをテーマに大作にチャレンジしている。
たしかに、「政治性や社会性について考察するケーススタディ」として面白い試みなのだが、以前の作品に見られた写真そのものの生々しい物質感が希薄になっているので、どこか平板な印象を受ける。第二次世界大戦に従軍した祖父の記憶を辿る「種の起源/On the Origin of Species」や、顔の形の立体にコラージュした「Collective Memories of a Family─ある家族の集合的記憶」のほうが、写真の使用については積極的であり、よりダイナミックな構造を備えた作品として成立していた。このままだと、写真をもとにコラージュすることの意味が、薄れていってしまうのではないだろうか。

2017/08/31(木)(飯沢耕太郎)

志賀理江子 ブラインドデート

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会期:2017/06/10~2017/09/03

丸亀市猪熊弦一郎現代美術館[香川県]

今回の展示の中心になる「ブラインドデート」は、2009年の夏にタイのバンコクで撮影された作品だ。展覧会の準備のためにバンコクに滞在していた志賀理江子は、二人乗りのバイクに乗るカップルの女性たちが自分に向ける強い「眼差し」に興味を持ち、それらを「集めてみたい」と考える。知り合ったタイ人の女の子とそのボーイフレンドに協力してもらって、ひたすら夜の街でバイクに同乗するカップルに声をかけ、車で併走しながら写真を撮り続けた。
そのうち「背後から目隠しをして走り続け心中した」というような事件があったのではないかという「妄想」が湧きあがってきた。調べると実際にはそんな事件はなかったようなのだが、それをきっかけとして「目が見えない」というのはどんなことなのかと考えるようになる。タイでは生まれつき全盲のカップルのポートレートも撮影した。その時に盲目の女性が語った、世界中のすべての宗教の生死についての解釈が「私には当てはまらない気がするのです」という言葉に衝撃を受ける。写真家として、視覚に強くかかわる仕事をしている彼女にとって、まったく異質な世界があることに気づいたのだ。
だが今回の丸亀市猪熊弦一郎現代美術館での展示は、その「ブラインドデート」のシリーズだけに留まるものではない。会場には21台のスライドプロジェクターが並び、さまざまな画像が壁に投影されている。その多くは2012年にせんだいメディアテークで開催された「螺旋海岸」展以降に撮影されたものだ。プロジェクターが画像を送る時の機械音、点滅する赤い光、会場の奥の一角には、臨月の時にエコー検査で録音したという心臓音が響いてくる。さらに最後のパートの壁には長文のメッセージが掲げられている。彼女が今回の展示でもくろんだのは、単に写真を見せるだけではなく、視覚、聴覚、触覚など身体感覚のすべてを動員し、映像も言葉も一体化するような全身的な体験を、観客とともに味わうことだったのだ。
そこから浮かび上がってくる、今回の展示のメインテーマというべきものは「弔い」と「歌」である。志賀は展覧会開催にあたって「もしも、この世に宗教もお葬式という儀式も存在しないとしたら、大切な人が亡くなった時、あなたはどのようにその方を弔いますか?」という問いに対する答えを、アンケートのかたちで募集した。その回答の一部は会場の最後のパートに掲げられているのだが、そのなかに「思い出す、思い出す、思い出す、思い出す、飽きるまで」というものがあった。この死者を「思い出す」ことこそが、写真という表現行為の根幹にあるという考え方が、展示の全体に貫かれている。
もうひとつの「歌」については、まだ明確なイメージは掴み切れていないようだ。だが、いまはまだおぼろげではあるが、もしかすると、歓び、哀しみ、怒りなどを体現した「歌」を求め続けることが、彼女の写真家としての営みの中心になっていくのではないかという予感が僕にはある。東日本大震災以後に、2008年以来住みついていた宮城県名取市北釜を離れ、結婚、出産を経て、いまは宮城県小牛田で制作活動を展開している彼女の「次」の展開が、しっかりと形をとりつつある。

2017/08/20(日)(飯沢耕太郎)

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七菜乃「My Aesthetic Feeling」

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会期:2017/08/11~2017/08/20

神保町画廊[東京都]

主にヌードやコスプレで撮影される「特殊モデル」として活動していた七菜乃(なななの)は、2015年ごろから撮る側に回るようになった。神保町画廊で最初に開催した個展「裸体というドレス」(2015)では、「セルフヌード」作品を展示したのだが、次の「私の女神たち」(2016)では、ほかの女性モデルたちにもカメラを向けるようになった。今回の神保町画廊での個展「My Aesthetic Feeling」でも、前回に続いて「集団ヌード」の撮影にチャレンジしている。
今回は「裸は単に裸で、もともと裸体に特別な意味はない。ただ私の美意識がそこにあるだけ」ということを表現したかったというが、たしかに、都内のスタジオで11人のモデルたちをヌードで撮影した写真には、気負いのない、自然体の撮影の仕方が貫かれている。窓からの自然光で浮かび上がる室内の空気感はまったりとしていて、ことさらにポーズをつけない、あるがままの「裸」のあり方がとてもうまく定着されていた。デジタルのほか、フィルムやチェキでも撮影しているが、その淡い色味や粒子の感触もしっかりと使いこなしている。そう考えると、モデルとして「撮られる」側の心理や身体の置きどころを心得ているということは、「撮る」立場になった時には、かなり有利に働くのではないだろうか。いまの方向を突き詰めていくことで、日本ではあまり例の見ない、複数の裸体が互いに反響していくような「集団ヌード」の可能性が、もっといろいろな形で拓けていくのではないかと思う。次の展開も楽しみだし、このシリーズはぜひ写真集にまとめてほしい。

2017/08/18(金)(飯沢耕太郎)

野村佐紀子「Ango」

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会期:2017/08/15~2017/09/17

PETIC SCAPE[東京都]

町口覚が新たに編集・造本した『Sakiko Nomura: Ango』(bookshop M)は、1946年に発表された坂口安吾の短編小説『戦争と一人の女』に、野村佐紀子の写真をフィーチャーした“書物”(日本語版、英語版、ドイツ語版を刊行)である。まさに町口の渾身の力作と言うべき写真集で、そのグラフィック・デザインのセンスが隅々まで発揮されている。ページが少しずつずれるように製本されているので、写真そのものも台形にレイアウトされており、ページをめくっているとなんとも不安定な気分になるのだが、それはむろん計算済みだ。文字のレイアウトにも工夫が凝らされており、薄いグレーのインクで印刷されているのは「女は戦争が好きであった」など、GHQによる検閲で削除された部分だという。森山大道と組んだ『Terayama』や『Odasaku』などで練り上げてきた町口のデザイナーとしての力量が、全面開花しつつあることがよくわかった。
野村の写真、それにPETIC SCAPEの柿島貴志による会場構成も、それぞれの代表作と言いたくなるほどの出来栄えだった。野村の写真シリーズで、女性を中心的に描かれるのはかなり珍しいことだが、今回は戦時下をしたたかに、「肉慾も食慾も同じような状態」で体を張って生き抜いていく「一人の女」を取り上げた安吾の小説にふさわしい内容になっている。デスパレートな雰囲気を漂わせる風景写真との組み合わせもうまくいっていた。柿島の会場構成は、写真集の台形のレイアウトを活かしてフレーミングしたゼラチンシルバープリントと、文字を配した大きめのインクジェットプリントを巧みに組み合わせ、観客を作品の世界へと引き込んでいく。町口も野村も柿島もむろん戦後生まれだが、それぞれの「戦争」に対する身構え方がきちんと打ち出されていて、気持ちのいい作品に仕上がっていた。

2017/08/18(金)(飯沢耕太郎)

兼子裕代「APPEARANCE──歌う人」

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会期:2017/08/09~2017/08/15

銀座ニコンサロン[東京都]

気持ちのよい波動が伝わってくるいい作品だった。兼子裕代は1963年、青森県生まれ。明治学院大学フランス文学科卒業後、2002年に渡米し、サンフランシスコ・アート・インスティテュートで写真を学んだ。現在はカリフォルニア州オークランドに在住している。
今回発表された「APPEARANCE──歌う人」は2010年から撮影が開始されたシリーズである。タイトルの通りに「歌う人」を近い距離から撮影している。撮影時間はほぼ20分。そのあいだに「目の前で刻々と変化する感情の発露」の様子を観察し、シャッターを切る。モデルは彼女が住むオークランドやサンフランシスコ近辺の老若男女で、彼らが歌っている曲の題名以外はそのバックグラウンドは明示されていない。にもかかわらず、一人一人の出自や、背負っているものが少しずつ見えてくるような気がするのは、「歌う」ことに集中することによって彼らが普段身につけている厚い殻を脱ぎ捨て、無防備になっているからだろう。展示のコメントに、兼子自身が「外国人として疎外と受容とを繰り返してきた私にとって、その道のりを体現するようなプロジェクト」になったと記しているが、それはモデルになっている一人一人にもいえると思う。
プロジェクトの内容自体も微妙に変化してきている。被写体が「子供から大人へ」、カメラのフォーマットが「正方形から長方形へ」になった。おそらくそれは、兼子の視野が以前より大きく広がってきたことのあらわれなのではないだろうか。もう少し続けていくと、さらなる展開が期待できそうだ。なお、本展は9月7日~13日に大阪ニコンサロンに巡回した。

2017/08/11(金)(飯沢耕太郎)

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飯沢耕太郎

1954年生まれ。写真評論家。きのこ文学研究家。筑波大学大学院芸術学研究科修了。主な著書=『写真美術館へようこそ』『ジャパニーズ・フォトグラ...

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