2018年09月15日号
次回10月1日更新予定

artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

深瀬昌久『MASAHISA FUKASE』

発行所:赤々舎

発行日:2018/09/13

2012年に死去した深瀬昌久に対する注目度は、このところ国内外で高まりつつある。その理由の一つは、さまざまな事情で、彼の本格的な回顧展や、初期から晩年までの作品を集成した写真集が実現してこなかったためだろう。断片的にしか作品を見ることができなかったことで、驚くべき執着力で自己と世界との関係のあり方を探求し続けてきたこの写真家が、いったい何者であり、どこへ向かおうとしていたのかという興味が、否応なしに強まってきているのだ。

今回、深瀬昌久アーカイブスのトモ・コスガが編集し、ヨーロッパ写真美術館のディレクター、サイモン・ベーカーが序文を執筆して刊行された『MASAHISA FUKASE』は、まさにその期待に応える出版物といえる。日本語版は赤々舎から出版されるが、Editions Xavier Barralから英語版/仏語版も同時に刊行される。ただしこの写真集が、内容的に大きな問題を孕んでいることは否定できない。1950年代に深瀬が故郷の北海道美深町で撮影した初期作品「北海道」から始まり、「豚を殺せ」、「遊戯-A PLAY-」、「烏」、「家族」、「父の記憶」、「私景」などの代表作を含む写真集の構成は、一見過不足ないものに思える。だが、そこには重要な写真群が抜け落ちている。深瀬が1964年に結婚し、76年に離婚した深瀬洋子を撮影した写真が、すべてカットされているのだ。

いうまでもなく「洋子」の写真群は、深瀬の写真家としての軌跡を辿る上で最も重要な位置にあるもののひとつであり、これまでの展覧会や写真集でも幾度となく取り上げられてきた。にもかかわらず、今回の写真集からそれらが抜け落ちた理由については、おおむね推測がつく。遺作を管理する深瀬昌久アーカイブスの内部事情が絡んでいるのは間違いない。とはいえこのような形で、しかも英語版・仏語版を含む国際出版の写真集が刊行されることは、やはり問題だと思う。むろん、深瀬が作家活動の最後の時期に取り憑かれたように制作していたというドローイング作品など、未発表作が掲載されていること含めて、本書の刊行の意義はとても大きい。だが、いつの日か(できればなるべく早く)、本書のような「不完全版」ではなく、「完全版」の深瀬昌久写真作品集が刊行されることを期待したい。

2018/08/31(金)(飯沢耕太郎)

たけうちかずとし「妄想植物園」

会期:2018/08/10~2018/08/23

ソニーイメージングギャラリー銀座[東京都]

たけうちかずとしの写真作品を初めて見たのは、2016年の第5回田淵行男賞の審査の時だった。その時に特別賞(フォトコン賞)を受賞した「五分の魂」は、さまざまな昆虫をオブジェに見立てて構成した作品である。今回の野菜や果物や野草をモチーフにした「妄想植物園」はその続編というべき仕事だが、彼のユニークな発想と高度な技術力はそのまま活かされていた。例えば「ナルシスト」の水仙はブランコに揺られ、西瓜は「遠い星からやって来た宇宙船」に仕立てられている。赤い実のミズヒキを「水引」に見立てるというしゃれた発想の作品もある。30点の作品のそれぞれが詩的な小宇宙として見事に自立しており、しかもそれらが相互に結びついて気持ちのいいハーモニーを奏でていた。今回はタイトルやキャプションは最小限に抑えられていたが、作品の一つひとつに散文詩のような言葉が付いていても面白いかもしれない。

たけうちの写真のスタイルは、日本ではどちらかといえば異端と見られがちだ。だが、ヨーロッパなどではもっと高い評価を受けそうな気がする。ギャラリーが銀座4丁目という絶好の場所にあるので、観客の多くが外国人観光客なのだが、特にイタリア人から熱烈な反応が返ってきたと聞いた。たけうちは、今後も「自然物をアート化」した作品をライフワークとして発表していく予定で、昆虫、植物の次は動物を考えているという。これまでより、大きさや動きという点でハードルの高いテーマだが、もしそれが実現すればさらにスケールの大きな作品になっていくのではないだろうか。

2018/08/22(水)(飯沢耕太郎)

天野裕氏「鋭漂」

会期:2018/08/01~2018/08/30

kanzan gallery[東京都]

福岡県大牟田市出身の天野裕氏(あまの・ゆうじ)は、2009年に塩竈フォトフェスティバルで大賞を受賞する。それ以来、彼自身が「鋭標(えいひょう)」と名づけた、とてもユニークなやり方で作品発表を続けてきた。天野が手作りした写真集を全国のさまざまな場所に持ち歩き、Twitterなどで日時と場所を指定して、一定の料金を支払った上で希望者に観賞してもらう。写真集を見る場所は喫茶店、公園、車の中などであり、作者と観賞者とが一対一で同じ時間と場所を共有することが前提となる。実際に僕自身も、新宿の喫茶店で天野と対面しながら写真集を見たことがあるが、その雰囲気が、当初予想していたよりもオープンで風通しのいいことが分かってややほっとした。何よりも凄いのは、これまで3000人以上にそうやって写真を見せているということで、人数を考えると、これは写真集という表現媒体の可能性を最大限に展開・拡張していく、最良の方法のひとつであるようにも思える。

さて、今回のkanzan galleryでの「鋭漂」は、天野のいつものやり方とはかなり違っていた。会場のテーブルには、彼がこれまで制作してきた5冊の写真集『Rirutuji』(2009)、『Arga』(2011年)、『Luzes』(2012)、『Korm』(2013)、『Lust Nights』(2017)が置かれ、観客はそれぞれ1冊につき1000円の観覧料を払って自由に(混み合う時には入場制限あり)見ることができる。天野が会場にいることもあるようだが、僕が行った時には不在だったので、より気楽にページを繰ることができた。あの一対一の濃密な時間を味わうことはできなかったわけだが、逆にこれはこれで新たな視覚的体験の可能性を秘めているのではないだろうか。

出品された5冊を観賞してあらためて感じたのは、天野の写真家としての表現能力がとても安定しているということだ。どの写真集もよく練り上げられた構成で、特にシークエンス(連続画面)が効果的に使われている。だが、10年近く同工異曲の「私写真」のスタイルを維持し続けていることに対してはやや疑問も残る。そろそろ写真集作りの土台を再構築していく時期にきているのではないだろうか。今回の「展示」は菊田樹子のキュレーションによる連続展「Emotional Photography」の一環として開催された。「『感情』『情動』をキーワードに、写真を撮る・見るという行為を考察する」という展覧会シリーズの第1回目にふさわしい展示だったと思うが、逆に天野の写真に本来備わっている論理性、倫理性を軸にした写真集も見てみたい。

2018/08/17(金)(飯沢耕太郎)

中村紋子「光/Daylight」

会期:2018/08/10~2018/08/26

Bギャラリー[東京都]

中村紋子のBギャラリーでの個展は4年ぶり4回目になる。2008年以来、絵画作品と写真作品をコンスタントに発表してきたが、東日本大震災後の2011年5月に自らの死生観に向き合った「Silence」を発表して以来、写真の表現からはやや距離を置き、被災地での活動や知的障がい者との関わりなどに力を入れてきた。ひさびさの写真作品の発表となった今回の個展では、新作の「Daylight」のシリーズを中心に展示していた。

「Daylight」は「Silence」「Birth」に続く「3部作」の締めくくりにあたるシリーズで、障がい者や新生児を含むポートレートと、「場所」の写真がセットになるように並んでいた。中村はそれぞれの人物を照らし出す光のあり方を注意深く観察しながらシャッターを切っており、「この人はこのように在るべきだ」という確信が、以前にも増して強まっているように感じる。独りよがりな解釈ではなく、被写体の存在のありようをストレートに受け入れることができるようになったことで、表現に安定感が備わった。17歳の頃から構想していたという「3部作」は、これでひとつの区切りを迎えるということになる。

会場の最後のパートには、ひと回り大きめにプリントされた写真が5枚ほど壁に直貼りしてあった。それらがいま進行中の新たなシリーズ、「光」の一部なのだという。「光」がどんなふうに展開していくのかは、まだ明確には見えていないが、都市のイルミネーションやデモ隊の写真など、これまでとは違った「客観的」「物質的」な感触の写真が含まれている。どちらかといえば内向きだった中村の写真の世界が、外に大きく開いていきそうな予感がする。次作の発表は意外に早い時期になりそうだ。なお、展覧会にあわせて写真集『Daylight』(Bギャラリー)が刊行された。

2018/08/11(土)(飯沢耕太郎)

加藤俊樹「失語症」

会期:2018/08/04~2018/08/31

公益財団法人日産厚生会 玉川病院[東京都]

1965年、岐阜県生まれの加藤俊樹は、写真雑誌の編集の仕事を経て2008年からカメラメーカーに勤務していた。ところが2012年に急性の脳出血を発症し、以後長く療養生活を送るようになる。失語症のために「自分の名前も言えず、平仮名も読めなく」なったのだという。その後、週2回の通院とリハビリによって症状は回復し、2014年5月には復職することができた。今回、通院先だった玉川病院内のレストランの外壁を使って展示された写真群は、そのリハビリの期間中に撮影されたものである。

写真に写っているのは、ソファ、鏡、窓、植物など、自宅や病院の行き帰りに目にしたものがほとんどである。花火や自分の手を写した写真もある。まず目につくのは、光に対する鋭敏な反応だろう。まさに光を物質として捉え、撫でたり触ったりするようなあり方を見ると、加藤が写真を撮るという行為の「原点」を、もう一度辿り直しているのではないかと思えてくる。よく知られている例でいえば、急性アルコール中毒による記憶喪失から復帰した中平卓馬と共通する写真への取り組みといえる。加藤は写真雑誌の編集長を務めていたほどだから、写真の「撮り方」はよく知っていたはずだ。だが、失語症によってそのようなルールが一切無化された状況下で、もう一度ゼロから写真行為を組み上げていこうとするもがきが、このシリーズに異様なほどの緊迫感、みずみずしい生命力の漲りをもたらしている。

写真展のコメントとして、以下のように記されていた。「心は言葉か? 心は絵か? 心は脳CTか? 心は写真か?」。たしかに、さまざまな問いかけを呼び起こす写真群である。すでにPLACE Mで一度展示されているシリーズではあるが、もうひと回り規模を拡大して、多くの観客に見てもらう機会を持ちたい。写真集の刊行もぜひ考えてほしいものだ。

2018/08/10(金)(飯沢耕太郎)

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