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artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

林典子『ヤズディの祈り』

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発行:赤々舎

発行日:2016/12/31

ヤズディはイラク北部の山岳地帯に住む少数民族。ゾロアスター教、イスラム教、ミトラ教、キリスト教などを起源とする、孔雀天使を守護神とする独特の信仰を持ち、その伝統的な慣習を守りながら暮らしてきた。ところが、近年のイスラム原理主義の台頭で、迫害を受けて故郷を追われ、難民となる者が増えてきている。林典子は2015年2月から、イラク北部クルド人自治区の難民たちの家、ヤズディの故郷であるシンガル山麓を訪ね、さらにドイツで移民として暮らす人々の丹念な取材を続けてきた。それらをまとめたのが、新作写真集『ヤズディの祈り』である。
林は写真集の後記で「世界にはさまざまな形の暴力があり、中東だけを見てもその被害者はヤズディだけではない」と書いているが、たしかにわれわれは日々流れてくるテロや迫害のニュースに慣れっこになり、不感症に陥りがちだ。だが、林はそんななかで、あえてさまざまな出来事の意味を、写真を通じて問いかけ、伝達しようとするフォト・ジャーナリストとしての初心を貫こうとしている。とはいえ、それらは「一枚ですべてを語ろうとするのではなく、そして歴史に残る出来事の全体像を写そうとしたものではなく、私の視点から見たヤズディの人々の体験の記録」として提示される。
そのために、本書に収録された写真には、その選択と配置に細やかな配慮が見られる。ヤズディの人々のポートレートが中心の構成なのだが、あえて「フレームの外にあったさりげない風景の一部」、彼らの持ち物、かつて住んでいた村で撮影された家族写真などをかなり多く取り込んでいる。また、占領下の村でダーシュ(IS、イスラム国)の戦闘員に性的な暴行を受け、顔を出すことを恐れている女性たちは、白いベール越しに撮影している。特筆すべきは、写真集の後半部の「testimony(証言)」のパートである。写真のモデルとなった人々へのインタビューが、日本語、英語、クルド語、ドイツ語(日本語以外は要約)で、かなりのページを割いておさめられている。このような丁寧な作りを心がけることで、「私の視点から見たヤズディの人々の体験」が、厚みのある記憶の集積として見事に再構成された。松本久木の手触り感にこだわった装丁・デザインも素晴らしい出来映えである。

2016/12/29(木)(飯沢耕太郎)

奥山由之「Your Choice Knows Your Right」

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会期:2016/11/19~2017/04/02

RE DOKURO[東京都]

東京・千駄木の裏通りにあるギャラリースペースには、モノクロームの写真が23点並んでいた。それらをざっと見て、都市的なモノ、ヒト、風景がちりばめられたカッコいい写真だと思ったのだが、展示のコンセプトがいまひとつ呑み込めなかった。会場に置いてあった、大判の写真集とチラシを手に取ってみて、ようやくそのバックグラウンドがわかった。
写真集は、千駄木を拠点とするファッションショップのウルフズヘッドの25周年を記念した2冊組の特装本(『WOLF'S』と『HWAD』、ブックデザイン=町口覚)で、そのうち『WOLF'S』のパートの写真を奥山が担当している。今回の展示は、特製のハワイアンシャツを着た100人の関係者を撮影したその写真集の副産物だったのだ。といっても、ハワイアンシャツとモデルをフィーチャーした写真は少なめで、むしろその周辺で拾い集められた場面が中心になっている。写真を分割してグリッド状に配置したり、2枚の写真を同じフレームにおさめたり、写真の上に写真を貼ったりする小技も気が利いていて、相変わらずの映像センスのよさが発揮されていた。
とはいえ、2016年1月~2月の個展「BACON ICE CREAM」(パルコミュージアム)でも感じたのだが、奥山にはぜひファッションの引力圏から離脱した写真にチャレンジしてほしい。「いつ、何をどう選び、誰と共に握りしめ、どこへ向かうのか。選択の日々を生きる僕らは、目の前に見えるそれらが即ち自分自身でもあります。自己とは他者のあらゆる事象であることに気が付いた」。展覧会のDMに掲げられたこのメッセージは、彼が自己といまの世界との関係のあり方をきちんと認識し、思考できることを示している。繰り返しになるが、ファッションから遠く離れて、さらに先へ、写真で何ができるのかを手探りで求め続けていってほしい。

2016/12/21(水)(飯沢耕太郎)

5 Rooms 感覚を開く5つの個展

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会期:2016/12/19~2017/01/21

神奈川県民ホールギャラリー[神奈川県]

それぞれ異なった領域で活動するアーティストたちの作品が、「感覚を開く」という基準で選出され、個展の集合として展示されていた。たしかに出和絵理(陶芸)、染谷聡(漆工芸)、小野耕石(シルクスクリーン)、齋藤陽道(写真)、丸山純子(インスタレーション)という5人の出品作家の仕事は、普段はあまり働かせることのない始原的、根源的な感覚を呼び覚まし、開放していく力を備えているように感じる。
そのなかでも特に心を揺さぶられたのは、聾唖のハンディを抱えながら活動する齋藤陽道の、写真によるインスタレーション《あわい》である。展示は2つのパートに分かれている。3枚の大きなパネルに、それぞれ29枚の写真画像を約10分かけてスライド上映する作品には、これまで齋藤が積み上げてきた写真家としての力量が充分に発揮されていた。1枚の画像が少しずつあらわれ、くっきりと形をとり、次の画像と重なり合いながら消えていく。その間隔は21秒だそうだが、息を呑むような緊張感があり、もっと長く感じる。画像の強度がただ事ではない。生まれたばかりの赤ん坊→花火→土手の上の2人の少年→正面向きの魚の顔→抱き合う2人→鹿の首を抱く少女→白いオウムと若い男→光のなかで赤ん坊を抱く女→牛の骨を抱えた少女。画像の連鎖のごく一部を抜き出してみたのだが、これだけではまったく意味不明だろう。だが、スライド上映を見ているうちに、それらの画像のフォルム、色、そして意味の連なりが、厳密な法則にしたがって、絶対的な確信を持って決定されているように思えてきた。
やはり「あわい」と名づけられたもうひとつのシリーズも面白かった。こちらは、3枚の写真を重ね合わせてフレームに入れ、透過光で照らし出している。スライド映写の途中の「重なり合い」の効果を、画像を多層化することでフリーズするという試みである。これまでは、オーソドックスな展示と写真集が中心だった齋藤の活動領域が、いまや大きく拡張しつつあるようだ。特に「スライドショー」という形式は、齋藤にとって、さらなる未知の可能性を孕んでいるのではないだろうか。よりバージョン・アップした展示を見てみたい。

2016/12/19(月)(飯沢耕太郎)

下瀬信雄「つきをゆびさすⅡ」

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会期:2016/12/07~2016/12/20

銀座ニコンサロン[東京都]

山口県萩市在住の下瀬信雄は、1960年代からポートレート中心の写真館を営みながらコンスタントに写真展を開催し、写真集を刊行してきた。2005年に伊奈信男賞を受賞した「結界」シリーズもそうなのだが、身辺の光景を題材としながら、万物が呼応するような深みのあるイメージの世界を構築していく。だが、2013年に銀座ニコンサロンで開催された同名の個展の続編にあたる本展の会場には、いつもの下瀬の展示とはやや異なる眺めが広がっていた。
中判、あるいは大判のフィルムを使ったモノクローム・プリントを基調としていた作品が、B1サイズに大きく拡大されたデジタル・カラープリントになっている。「金環食の日」、「帆船が来た日」、「湧き上がる雲」など、彼の周囲に起こる出来事をスナップして提示していることに変わりはない。ただ、色鮮やかでコントラストがあるカラープリントは、視覚的なインパクトが強い分、目の前の光景にそっと触手を伸ばしていくようなデリケートさを欠いている。撮影場所も、萩を中心として山口や岩国まで広がってきていた。だが、そのことをネガティブに捉える必要はないのではないだろうか。むしろ下瀬のようなベテラン写真家が、使い慣れた機材やテクニックに安住することなく、果敢に新たな表現の可能性にチャレンジしていることを評価すべきだろう。
カラーバージョンの「つきをゆびさす」が、このまま続いていくのか、またモノクロームに回帰するのかはわからない。おそらく長期のシリーズになることが予想されるので、次の展開を注意深く見守っていきたい。なお、この展示は2017年1月19日~25日に大阪ニコンサロンに巡回する。

2016/12/18(日)(飯沢耕太郎)

蔵真墨「Men are Beautiful」

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会期:2016/12/10~2017/01/28

nap gallery[東京都]

明らかにゲイリー・ウィノグランドの名作『Women are Beautiful』(1975)を意識したタイトル。だが蔵真墨のこのシリーズは、路上スナップということ以外にはあまり共通性がない。アメリカの、白人の、魅力的な若い女性、つまりウィノグランド本人の性的な嗜好を、ぬけぬけと打ち出して撮影した『Women are Beautiful』に対して、蔵の「Men are Beautiful」は、たしかに彼女にとっての異性を被写体に選んではいるが、その選択の幅はかなり広い。いわゆる「イケメン」だけではなく、中年の男性や少年を含み、撮影場所も東京が中心だが、パリやニューヨークやメキシコ・シティーの写真もある。撮り方も、モノクロームのスナップショットの美学を隅々まで貫くウィノグランドに対して、かなり場当たり的でいい加減だ。肝心の「男」がどこに写っているのかほとんどわからないようなロングショットもある。
となると、蔵がどんな基準で「男」を選んでいるかが気になってくる。展覧会にあわせてクラウドファンディングで刊行されたという同名の写真集(Urgent Press)で、彼女はそのことについて「異性としての魅力だけでない何か人としてのきらめき」と書いている。これだけでは曖昧でよくわからないが、写真と照らし合わせてみると、少しずつ彼女なりの尺度が見えてくる。「人としてのきらめき」というのは、生命体そのものから発するオーラのようなものではないだろうか。国籍や年齢や顔立ちや体型を超えた(別に無視するというわけではないが)「何か」を路上で感じとったときに、蔵は躊躇なくシャッターを切っているということだ。「男」という縛りは、逆にそののびやかで自由なスナップショットへの向き合い方を確保するために設定されているように思える。
写真集の出版で一応の区切りはついたようだが、味わい深いシリーズとして育ちつつあるので、もう少しこの先を見てみたい。

2016/12/16(金)(飯沢耕太郎)

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飯沢耕太郎

1954年生まれ。写真評論家。きのこ文学研究家。筑波大学大学院芸術学研究科修了。主な著書=『写真美術館へようこそ』『ジャパニーズ・フォトグラ...

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2017年01月15日号