2018年09月15日号
次回10月1日更新予定

artscapeレビュー

山﨑健太のレビュー/プレビュー

KAATキッズ・プログラム2018『ニューオーナー ─幸せを探して─』

会期:2018/08/04~2018/08/05

KAAT神奈川芸術劇場大スタジオ[神奈川県]

オーストラリアの劇団ザ・ラスト・グレート・ハントの新作の主人公は飼い主とはぐれてしまった犬・バーニー。ストリートで生き抜き、友と出会い、さらわれた友を助け出し、そして再び飼い主のもとへ帰ろうとする。パペットとアニメーションの組み合わせで描き出される冒険譚はチャーミングだ。

「ふじのくに⇄せかい演劇祭2012」で『アルヴィン・スプートニクの深海探検』を観て以来、私はこの劇団の熱烈なファンである。同作は2016年には日本4都市ツアーを敢行。昨年はKAATキッズ・プログラムのひとつとして上演された。日本でも人気の演目だと言っていいだろう。同劇団の作品としてはほかに認知症の老人の世界を描いた『It’s Dark Outside おうちにかえろう』が日本で上映されている。共通するのは孤独とそこに寄り添う優しさだ。それは彼らがパペットを扱う手つきにも表れている。そこにある愛が、命を持たぬ人形に息を吹き込む。

本作の魅力はパペットと物語のチャーミングさだけではない。アニメーションとの組み合わせによる表現の多彩さが作品世界を大きく広げ、物語の展開とともに「次はどうなるのだろう」と観客を惹きつけ続ける。可変式の舞台はバーニーが走り出すのに合わせてワイドスクリーンのように横幅がグッと広がったりする。見える風景の変化は走り出したバーニーの体感と呼応するかのようだ。アニメーションの背景はスピードに乗って次々と後ろに流れていく。夜の街、屋根の上をバーニーが疾走する場面はそれだけで楽しい。真上からの俯瞰視点や奥行きの表現も自由自在。表現の多彩さはそのままバーニーのアクションの多彩さであり、バーニーのチャーミングさはより一層増すことになる。

ザ・ラスト・グレート・ハントの作品はどれも「こんな表現があったのか」という驚きに満ちている。孤独に世界と対峙し、そこに喜びを見出すこと。そう、世界はこんなにもワクワクするものだった。



公式ページ:http://www.kaat.jp/d/newowner
『アルヴィン・スプートニクの深海探検』トレイラー:https://www.youtube.com/watch?v=8ye1KF9HBzM
『おうちに帰ろう It’s Dark Outside』トレイラー:https://www.youtube.com/watch?v=u0qDI-Mm9PA

2018/08/04(山﨑健太)

亜細亜の骨×亜戯亜 共同企画『同棲時間 The Brotherhood』

会期:2018/08/02~2018/08/05

シアターモリエール[東京都]

散らかった部屋を片づけるひとりの男。そこへスーツを着た男がやってくる。どうやら二人は兄弟らしい。と、弟が兄に強引にキスをする。弟は関係を続けようと迫り、兄はこんな関係は普通じゃないとそれを拒もうとするが、結局はずるずると身を任せてしまう──。

本作は、アジアの演劇交流を目的とする日本の団体「亜細亜の骨」と台湾の劇団「亜戯亜」との共同企画だ。台湾の気鋭の劇作家・林孟寰(リン・モンホワン)が描くのは兄弟間での同性愛。腹違いの二人は互いの存在を知らないままに日本と台湾でそれぞれ過ごし、兄弟と気づかずに関係を持ってしまう。父の葬式で思いがけず顔を合わせた二人は、そこで初めて真実を知る。日本人になろうとしてなりきれず、台湾に戻った兄弟の父と、日本に妻子を持ちながら台湾の男と関係を持ってしまう兄。兄弟の関係に日本と台湾との関係が影を落とす設定が巧い。遺品が片づけられていくにつれて語られる兄弟と父の過去。部屋が片づいたそのとき、二人は歩む道を決めることになる。

LGBTを扱った作品としてもさまざまなことを考えさせられる。たとえば作中には、女性への性転換手術を受けている最中のサルサという人物が登場する。サルサと弟は互いに惹かれ合うが、ゲイの弟はサルサが性転換することを望まない。二人の心はすれ違い、「変わらなくていい」という弟の言葉がサルサを揺さぶる。

この作品が娯楽作品としてよくできていることは極めて重要だ。禁断の愛と三角関係。ベタベタのメロドラマ。サルサと弟との間にある複雑さでさえ、メロドラマをメロドラマたらしめるために機能している。しかしだからこそ観客はお勉強としてではなく登場人物たちに興味を持つことができる。固定観念を問い直すことは芸術の重要な役割だが、端から観客に拒絶されてしまうのでは意味がない。LGBTを扱うにせよ国際関係を扱うにせよ、このレベルの娯楽作品が増えることはより多くの人の興味関心を呼ぶことにつながるだろう。

[写真:横田敦史]

公式ページ:https://2018asianrib.stage.corich.jp/
林孟寰インタビュー:https://courrier.jp/news/archives/129459/

2018/08/04(山﨑健太)

日本・オランダ国際共同製作『雅歌(GAKA)』

会期:2018/07/13~2018/07/14

高知県立美術館・中庭[高知県]

オランダ在住のピアニスト・美術家・演出家の向井山朋子がコンセプトと演出、振付家・ダンサーの山田うんが振付を担当した本作。「現代の儀式」は、遠い未来から過去たる現在を召喚するようで、私は自身のいる「今ここ」が確かに変質していくのを感じた。

土佐漆喰の土蔵がモチーフだという美術館の建物だが、その中庭は柱廊に囲まれ、どこか西洋の雰囲気も感じさせる。「儀式」はその4分の1ほどを占める石造りの舞台を含めた中庭の全体を使って執り行なわれた。客席は柱廊に設えられ、中庭を三面から臨む。夏の空は暮れつつもまだ青い。太鼓を打つ音がひとつ。と思ううちにそれは数を増し、中庭に音が渦巻く。柱廊の2階部分に現われた女たちは中庭へと移動し、手にする楽器は瓢箪型の笛(フルスという中国の楽器らしい)へと変わる。振りを共有しつつも集合離散を繰り返す鳥の群れのような舞は奏でられる音楽とどこか似ている。

舞台奥から真っ白な何かに覆われた人型のモノが現われる。死の先触れだろうか。女たちが次々と倒れていく。動きを止めた白い何かから、ずるりと脱皮するようにして現われる女の裸。死と再生。その姿は力強くもどこか禍々しい。空の色はこの世のものとも思えないピンク。やがて立ち上がった女たちは銀色の薄布で中庭を覆っていく。舞台奥から観客のいる縁まで届く長さの薄布が、一枚また一枚と緩やかに厳かに中庭を覆い尽くすころ、すべては宵闇にその輪郭を溶かし始めている。女たちは去る。儀式の進行を司るかのごとき和太鼓の鼓手(それは唯一の男でもある)が中央に進み出ると、神楽を舞い、祝詞を唱える。彼も去る。じりじりと夜が深さを増し──再び灯された館内の明かりが私を現実に引き戻す。

薄布と宵闇に覆われ、色も輪郭も失った中庭と柱廊の姿は、火山灰に埋もれた異国の遺跡を私に思わせた。それはこの中庭が、現在の痕跡となり果てる遠い未来の幻視だ。そこに私はもういない。

[撮影:丹澤由棋]

公式ページ:https://moak.jp/event/performing_arts/mukaiyamatomoko_gaka.html

2018/07/13(山﨑健太)

円盤に乗る派『正気を保つために』

会期:2018/07/05~2018/07/10

BUoY[東京都]

sons wo:として演劇作品を上演してきたカゲヤマ気象台が、「円盤に乗る派」の名で新たなスタートを切った。「複数の作家・表現者が一緒にフラットにいられるための時間、あるべきところにいられるような場所を作るプロジェクト」として、カゲヤマによる上演作品を軸としつつ「様々なプログラムや冊子の発行」を行なうのだという。今回は上演と合わせてポスト・パフォーマンス・パフォーマンス、ポスト・パフォーマンス・パーティ、シンポジウム「肉が柔らかくなるまで未来について話す」、生活状態(ライフスタイル)誌『STONE/ストーン』の発行が行なわれた。

『正気を保つために』はハードボイルド調の三人芝居。探偵事務所を構えたばかりの田七(峰松智弘)のところに小林弐千年(小山薫子)が訪ねてくるところから物語は始まる。だが、もうひとりの登場人物・未知(立蔵葉子)も含めた彼らの関係は不明瞭で、ときに家族や同級生であるかのようにも見える。彼らは互いに対して、記憶が混線しているかのように存在している。

[撮影:濱田晋]

ところで、彼らの台詞にはきわめて多くの固有名詞が登場する。ポランスキー、神田川、デニーズ、つかこうへい、ラジオ・ヘッドetc.。これらの単語は登場人物にとって、あるいは物語にとって必ずしも重要なわけではない。しかし彼らがそれを口にするということは、それが何らかのかたちで彼らの人生に関わっていることを意味している。つまり、それは彼らの人生の一部だ。

「円盤に乗る派宣言」には次のような一節がある。「人間のかたちをして生きていくとき大事なのは、いつでも円盤に乗れるようにしておくことだ。そこでは見たことのない、知らないものがなぜか親しい」。より多くの人間の営みが集うようなかたちでカゲヤマが活動を再始動したのは、だからそういうことなのだろう。正気を保つために必要なのは、独りきりの強い意志でも自我でもない。私は大きな意味を持たない無数の断片でできている。

[撮影:濱田晋]

公式ページ:http://noruha.net/

2018/07/09(山﨑健太)

三野新《Prepared for FILM》

会期:2018/06/01~2018/07/16

京都芸術センター[京都府]

京都芸術センター「Tips」展に出品された本作は劇作家サミュエル・ベケットの映画『フィルム』(1965)を元にしたインスタレーション。同時に、同タイトルのパフォーマンス(2014)を再構成したものでもある(ちなみに筆者はパフォーマンス版にドラマトゥルクとして参加していた)。

『フィルム』は逃げるように街路をゆく男の後ろ姿から始まる。男はある部屋に逃げ込むとカーテンを閉め、犬や猫を追い出し、鳥かごや金魚鉢に覆いをかけていく。他者の視線を排除し、安心した男がまどろみ始めると、カメラがゆっくりと男の正面へと回り込む。ハッと目覚めた男が目にするのは自らと瓜二つの男の姿だ。他者の視線をいかに排除しようと、自身の知覚から逃れることはできない──。

パフォーマンス版は犬や鳥かごなど映画に登場する要素を撮影した写真を展示したギャラリーで、それらの写真を使って『フィルム』を撮影する様子を観客に見せるというもの。インスタレーション版はパフォーマンスで使用した写真や上演台本、記録映像に加え、上演空間のジオラマと、そのジオラマを使った指人形によるパフォーマンスの「再演」映像によって構成されている。

インスタレーション版では、来場者の鑑賞行為そのものが元となったパフォーマンスの一部、視線の運動を再現することになる。そもそものパフォーマンス版自体が展示空間で写真を見ていく様子を要素として組み込んでいたからこその手法だが、指人形を使った「再演」映像とジオラマによるサイズ感の操作も効いている。鑑賞行為自体をキーにするという手法は、そのままの形で保存・再生することができないパフォーマンスをいかにアーカイヴするかという問いに対するひとつの応答であり、『フィルム』の脚本冒頭に掲げられた哲学者バークリーの言葉「存在することは知覚されることである」を体現するものでもあるだろう。作品に内在する運動は文字通り、鑑賞されることによって立ち上がる。

[撮影:Arata Mino]

公式ページ:https://www.aratamino.com/
三野新「Prepared for FILM」初演劇評:http://www.wonderlands.jp/archives/26131/

2018/07/08(山﨑健太)

artscapeレビュー /relation/e_00044555.json s 10148135

文字の大きさ