2018年09月15日号
次回10月1日更新予定

artscapeレビュー

その他のジャンルに関するレビュー/プレビュー

熱く、元気なあの時代 1980年代展

会期:2018/08/01~2018/08/13

日本橋三越[東京]

今年は「80年代展」の当たり年。金沢21世紀美術館では「起点としての80年代」が始まったし、秋には国立国際美術館でも「現代美術の80年代」が開かれる。30年を経てようやくナウでバブリーな時代が客観的に歴史化できるようになった、というのは美術の話。こちらはサブカルの80年代展だ。展示構成は当時のファッションを振り返る「時代とファッション」、携帯やパソコンなど80年代に登場した生活用具を紹介する「暮らしと革命」、アニメ、コミック、キャラクターグッズを並べた「マニア誕生」、懐かしのアイドルが登場する「青春カルチャー」など、なんのひねりもない区分け。

展示を見ると、ファッションやコミックなどはそう変わってないが、携帯電話やパソコンといったライフスタイルを根本的に変えるアイテムが登場した時代だったことに気づく。無印良品やユニクロ、ドンキなどが登場したのも80年代。サブカル誌では『宝島』『スタジオボイス』『ビックリハウス』などが隆盛を誇ったけど、なぜか『ぴあ』が出てないぞ。また、イラストレーターの永井博は1コーナーを設けられているのに、シュナーベルやキース・ヘリング、日比野克彦らニューペインティングやヘタうまは小さな壁に写真パネルでしか紹介されてない。なにより「熱く、元気な」と謳いながら会場はスカスカで、ガラスの陳列ケースに収まったアイテムもペカペカで、80年代というよりもっと前の昭和レトロの香りが漂う60年代の空気。この「スカ」な感じが80年代らしいといわれればそうかもしれないが、それにしても中身なさすぎ。監修が泉麻人だから仕方ないけどね。

2018/08/05(村田真)

THE ROYAL EXPRESS、《下田プリンスホテル》、《ベイ・ステージ下田》

[静岡県]

お昼に横浜駅を出発する伊豆観光列車「THE ROYAL EXPRESS」に乗車した。水戸岡鋭治がデザインを担当し、浅いアーチの格天井は皇室用客車をイメージしたものだろう。最後尾の読書室、コンサートのための車両、厨房だけがある車両、子供の遊び場がある車両など、各種の空間をリニアに繋ぐのは、列車ならではの構成だ。もっとも、エクスプレスという名前をつけているが、実際は速く到着することはあまり重要ではなく、むしろ3時間かけて下田に向かい、昼食、眺望、演奏を楽しむのがクルーズ・トレインの醍醐味だ。

リノベーションの関係で、下田は十数年前に何度か通っていたが、保存運動していた「南豆製氷所」が解体されてからは初めての訪問である。製氷所跡は今風の飲食施設《ナンズ・ヴィレッジ》に変化していた。しかし、なまこ壁以外の地域アイデンティティとなりうる建築だから、やはり残せばよかったと思う。山中新太郎が手がけた蔵ギャラリーを備えた旧澤村邸の改修(観光交流施設)、ペリーロードなどを散策してから、《下田プリンスホテル》に泊まる。45年前の建築なので、客室のインテリアは現代風に改装されているが、エレベータのコアや海を望むレストランほか、円筒のヴォリュームをあちこちに散りばめ、曲線好きの黒川紀章らしさを十分堪能できる。全体としては、海に向かってV字に開き、雁行配置された全客室がすべてオーシャンビューの明快な構成をもつ。

翌朝はシーラカンスK&Hによる《ベイ・ステージ下田》を見学した。物産館、飲食施設、駐車場、史料編纂室、会議場、最上階の博物館などが複合した道の駅である。道路側からは浮遊するガラスのボリュームが船のように見え、反対側のファサードは縦のルーバーが目立ち、オープン・デッキから海を望む。なお、博物館の展示デザインは、空間の形式性が明快で興味深いが、情報量がやや少ないような印象を受けた。

THE ROYAL EXPRESS 読書室


《ナンズ・ヴィレッジ》


旧澤村邸の改修(観光交流施設)


《下田プリンスホテル》円筒のヴォリューム


《下田プリンスホテル》雁行配置された客室


《ベイ・ステージ下田》道路側から見るガラスのボリューム


《ベイ・ステージ下田》オープン・デッキ


2018/07/14(土)(五十嵐太郎)

文化資源学会シンポジウム「 スマホで覗く美術館—鑑賞体験のゆくえ— 」

会期:2018/07/14

東京大学国際学術総合研究棟[東京都]

初めて海外を訪れたとき驚いたことのひとつは、美術館で写真撮影がOKなこと。じゃなんで日本ではダメなのか。著作権がどうのとかほかの客に迷惑だとかいろいろ理屈はつけるものの、ついぞ明確な答えを聞くことはなかった。ところが最近になって雪崩を打つように多くの美術館・展覧会が写真撮影を解禁し始めた。あれ、著作権はどうなったの? ほかの客に迷惑かけてもいいの? このシンポジウムは撮影解禁を機に、美術館における鑑賞体験は時代によってどう変わってきたか、いまどう変わりつつあるか、これからどう変わっていくかを考えるもの。

東京大学の木下直之氏による「スマホを持って美術館へ」と題する問題提起に続き、お茶の水女子大学の鈴木禎宏氏は、静かに作品と対話するという美術鑑賞の作法が白樺派の時代に確立したことを説き、横浜美術館の片多祐子氏は美術館での撮影許可の流れと、同館の「ヌード展」での撮影許可をめぐるエピソードを語り、キュレーターの鷲田めるろ氏はなにかをしながら美術を鑑賞する「ながら鑑賞」を勧めつつ、スマホが美術館を開く可能性について論じた。最近の写真撮影の解禁は、多少のリスクを負いつつも、インスタグラムなどによる情報拡散が展覧会の広報に役立つとの判断を優先したからだ。パネルディスカッションでは、近い将来スマホがあれば写真だけでなく、チケットや音声ガイドも買ったり借りたりしなくても済むことになるだろうとの見方も出た。そのうち美術鑑賞は作品を見なくても、スマホの画像だけで済ませられるかもしれない。済まほられないか。

2018/07/14(村田真)

試写「ペギー・グッゲンハイム」

ヴェネツィアのペギー・グッゲンハイム・コレクションを築いたグッゲンハイム家の令嬢、針生一郎氏いわく「じゃじゃ馬娘」の生前のインタビューや映像に基づくドキュメンタリー映画。そのコレクションは、デュシャンからエルンスト、ダリ、ジャコメッティ、ポロックまで、モダンアートの歴史そのもの。第2次大戦中ヨーロッパのシュルレアリストらが戦火を逃れて渡米し、アメリカで抽象表現主義が花開く触媒となったことはよく知られているが、彼らの渡米を助けたのがペギーだった。つまりペギーが抽象表現主義の形成に一役買っていたのであり、芸術の中心が戦前のパリから戦後のニューヨークに移ったのもペギーのおかげだといえなくもない。彼女いわく、いちばんの功績はたくさんのコレクションを残したことより、ポロックを発見したことだと。そこまでポロックに入れ込んでいたのであり、アメリカの美術を応援していたのだ。

彼女は「1日1点」を目標に作品を買い続けたが、同じようなペースで男と寝ていたらしい。もちろん相手には有名アーティストが多数含まれているわけで。たくさんの男と寝たが、23歳まで処女だったとか、容姿に恵まれず、とくに大きな鼻を整形手術で直そうとして痛みに耐えかね断念したとか、しゃべるとき舌をペロッと出すクセがあるとか(ローラと違ってかわいくない)、知られざるエピソードも満載。そういえば、ヴェネツィアのグラン・カナルに面したグッゲンハイム・コレクションは、周囲のレンガ色の建物とは違って白い低層の建築なので周囲から浮いているため、てっきりペギーが建てたのだと思っていたら、18世紀後半に建てられた邸宅を購入したものだそうだ。この邸宅にしろ、膨大なコレクションにしろ、20世紀前半の戦争の時代に購入したから、まだ安く手に入れることができたのだ。

本人の映像やインタビューのほか、画商のラリー・ガゴシアン、美術評論家のクレメント・グリンバーグ、アーティストのマリーナ・アブラモヴィッチ、ライターのカルヴィン・トムキンズ、画家だった母親の絵がペギーのコレクションに入っているというロバート・デ・ニーロ、ペギー・コレクションの館長に就任した孫娘カロール・ヴェイルらの証言もあって、この希代のパトロンの公私の生活、表裏の顔が浮き彫りにされる。監督はリサ・インモルディーノ・ヴリーランド。ファッション界でキャリアを積み、ダイアナ・ヴリーランドの孫と結婚したのを機に、初の映画「ダイアナ・ヴリーランド 伝説のファッショニスタ」を監督。ダイアナは1903年パリの裕福な家庭に生まれ、ファッション界で活躍した女性で、1898年生まれのペギーと重なる部分も多い。ペギーに関心を抱いたのもうなずける。

2018/07/06(村田真)

縄文—1万年の美の鼓動

会期:2018/07/03~2018/09/02

東京国立博物館[東京都]

「日本の美」はしばしば、桂離宮に代表されるような質素きわまりない「ワビサビ系」と、日光東照宮に見られるような過剰なまでの「装飾系」の両極に分けられてきた。古代でいえば前者が弥生文化、後者が縄文文化であり、現代でいえば前者がもの派、後者が岡本太郎か。だから岡本太郎が縄文土器を「再発見」したというのはうなずける。でも、どっちかというと日本人に人気があるのはワビサビ系であり、装飾過剰系より日本的であると感じてしまいがちだ。そんなわけで太郎に見出されるまで縄文は長いあいだ博物館の隅に眠っていたわけだが、ここにきてにわかに巻き起こった縄文ブーム。この「縄文展」がブームをあおったのか、それとも「縄文展」がブームに乗ったのかは知らないけれど、いずれにせよ時宜にかなった企画といえる。

出品点数は国宝6件を含む約200点。しかも国宝指定はこの20年ほどのあいだのことで、つい最近の出来事なのだ。地図を見ると、縄文土器や土偶の多くは東日本から発掘されていて「ざまあみろ」と思う。だいたい弥生以降つねに文明文化は西日本が中心で徐々に東進してきたことになっているが、実はそれ以前は1万年ものあいだ東日本が中心だったと聞くとちょっとうれしくなる。デカイ顔をした関西人に対する東日本の逆襲というか。いや別に関西を嫌ってるわけじゃないけれど。

展示は初期のころのまだ装飾の少ない土器や石斧、装身具などから始まり、やがて「縄文」の名の由来になった縄模様が現れ、なんでこんな使いにくいゴテゴテの突起を施したのか首をひねりたくなる火焔型土器にいたる。実用性より装飾性を重んじるというのは、よっぽど生活に余裕がないとできないこと。数千年前の日本は自然も豊かで、日本人の想像力も豊かだったのだ(まだ「日本」じゃなかったけどね)。そのことを証してくれるのが、同時代の海外の土器との比較だ。ここでは中国、インダス、メソポタミア、エジプトの4大文明とその周辺の土器、および弥生土器を集めて比較している。なるほど、海外の土器には彩色したものはあるけれど、火焔型土器ほどの過剰な装飾は見られず、まったく日本独自のものであることがわかる。なにか美術史のスタート地点でドーピングを犯してしまったか、ハデなフライングをやらかしてしまったような目立ち方。でもこれが残念ながら続かず、弥生以降ワビサビ系が日本美の主流になっていくのだ。

そして最後は土偶。縄文で国宝第1号となった《縄文のビーナス》をはじめ、やけにモダンな《縄文の女神》、座って両手を合わせた《合掌土偶》、「太陽の塔」のルーツともいわれる《ハート形土偶》や《筒形土偶》、そして宇宙人がモデルと噂される《遮光器土偶》まで、よくこれだけ集めたもんだとホメてあげたい。それにしてもこれらの土偶に見られる顔貌や身なり、デザインは実に多彩で、どっちかといえば洗練されているというよりドン臭いけど、それだけにアヴァンギャルドで現実離れしていて、たしかに宇宙人をモデルにしたとか宇宙人がつくったとかいわれるのもわかる気がする。その他、さまざまな顔の土面や。耳、鼻、口のかたちの土製品、イノシシやサルなどの土製品、男根を思わせる石棒など、知られざる縄文美術に触れることができた。帰りにショップをのぞいてみたら、松山賢のプチ縄文土器や土偶を売っているではないか。縄文展のお土産に現代アートとは、東博もずいぶんユルくなったもんだ。

2018/07/02(村田真)

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