2018年09月15日号
次回10月1日更新予定

artscapeレビュー

建築に関するレビュー/プレビュー

建築学生ワークショップ伊勢2018 提案作品講評会

会期:2018/09/02

いせシティプラザ[三重県]

毎年、夏の参加を楽しみしているのが、平沼孝啓が率いるアートアンドアーキテクトフェスタ(AAF)が主催する建築学生ワークショップである。特徴は、建築という分野が抱える両極というべき歴史と構造だ。すなわち、毎回の敷地が、平城宮跡、竹生島、高野山、キトラ古墳、比叡山、伊勢神宮という歴史的な建造物がたつ聖地である(来年は出雲大社、今後は東大寺も予定)。と同時に、実際にモノをつくるワークショップはほかにも存在するが、構造家の佐藤淳や腰原幹雄らがクリティークに入るように、構造的な視点が重視されていることだ。筆者としても構造家から見ると、どのような解釈ができ、またどのように改善できるかといったコメントを聞くのは、とても勉強になる。また興味深いのは、学生が安全性に寄った守りのデザインを出すのに対し、構造家がもっとぎりぎり限界の攻めのデザインにできるはずだと煽ること。実際、それで講評の直前に倒壊した作品も目撃した。

さて、今回は伊勢神宮である。あいにく昨年の台風によって、せんぐう館が被害を受け、勾玉池周辺の敷地を使えず、パヴィリオンの設置場所は駐車場に変更された。いせシティプラザで開催された7月28日の中間講評では、どうなることかと心配したが、9月2日の最終講評では、これまで3年間参加したなかで、クオリティが高い完成作が並んでいた。例年通り、中間から大きく得点を伸ばし、逆転する作品が出るのも、楽しみのひとつである。今回は懸垂線で垂れるロープと同じ形状の構造材が混じりあう、5班のこれまでにないタイプの作品が一等だった。ほかには膜にのっている水量が減少することで形状が変化する2班、石の使い方に複層的な役割を与えながら、結界を形成した6班、鳥居のデザインを脱構築するポストモダン的な7班、版築に挑戦した8班などが印象に残った。会の最後に行なわれた神宮司廳の音羽悟からのあいさつは長かったけど、大変に面白く、これだけ建築に関心をもって、学生を熱く応援する人物が、伊勢神宮から出てきたことが今回の最大の成果ではないかと思う。

5班《届きそうで届かない》


2班《ケをハレ》


6班《サイクル》


7班《伝承によって伝わるもの》


2018/09/02(日)(五十嵐太郎)

クロード・ニコラ・ルドゥー《アル=ケ=スナン王立製塩所》

[フランス、アル=ケ=スナン]

ブザンソンの街から鉄道でおよそ20分。駅からは数分程度。エントランスで巨大なグロッタが出迎えるアル=ケ=スナンの王立製塩所を再訪した。18世紀にクロード・ニコラ・ルドゥーが手がけたもので、半円の輪郭にそって各種の施設が並ぶが、これに想像上の接ぎ木をした円形の理想都市も提案したことでよく知られている。入ってすぐ左側にあるルドゥー博物館に、以前はこれほど大量の模型はなかったと思うので、おそらくリニューアルされて、展示デザインも洗練されている。その内容は理想都市の各施設、リング状に並べたパリの市門ほかのプロジェクトを網羅しており、彼が古典主義を言語として操作しつつ、形態の構成における新しいパラダイムに肉薄していたことがよくわかる。

なお、アル=ケ=スナンでは、バンドデシネの巨匠シュイッテンの兄弟で建築家リュックの展覧会を開催していたことも興味深い。新旧の幻想的な建築家が対峙するからだ。展示では、リュックによる数多くの幻想的な未来都市のドローイングと建築・乗物の模型を紹介していた。デザインのテイストは、有機的、植物系である。例えば、地元のブリュッセルや上海の未来における都市の変化、ルドゥーへのオマージュとして残りの半円を継ぎ足した独自のイメージなど、盛りだくさんだった。ちなみに、アル=ケ=スナン最初の訪問は、当然ネットがない時代であり、ラ・トゥーレットでパンフを発見し、近いことに気づいたのがきっかけである。そしてトーマス・クックの時刻表とにらめっこし、同日にリヨンに戻るにはどうしてもひと駅分、接続がなかったが、歩けばなんとかなると考えて決行した。誰もいない田園風景のなか、線路沿いに1時間弱歩いた思い出がある。

《アル=ケ=スナン王立製塩所》、エントランスのグロッタ(人工の洞窟)


《アル=ケ=スナン王立製塩所》


《アル=ケ=スナン王立製塩所》


円形の理想都市の模型


リュック展


リュック展


2018/08/16(木)(五十嵐太郎)

ル・コルビュジエ《ラ・トゥーレット修道院》《ロンシャンの礼拝堂》

[フランス、リヨン・ロンシャン地方]

大学院のとき以来だから、約四半世紀ぶりにラ・トゥーレットの修道院を再訪した。ル・コルビュジエの全作品を見たわけではないし、今回も宿泊エリアは立ち入ることができなかったが、改めて彼の最高傑作だと思う。真に立体的な空間構成、信じがたい複雑さ、あらゆる細部が絵になるチャーミングな造形力、光の操作、そしてプログラムの面白さ。おそらく、日本で活躍した弟子たちで、このレベルのデザインに到達した建築家はいなかった。ところで、1990年代の前半はまだデジカメもスマホもなく、カメラのシャッターを切ると、それだけお金がかかる。リバーサル・フィルムだと1枚あたり100円かかり、院生の身にとっては痛い出費なので、あらかじめアングルを考え抜いてから、枚数を抑えて撮影していた。それでも当時ひとつの建物で最高記録となったのが、ラ・トゥーレットである。ともあれ、僧坊以外はあまり繰り返しがなく、多様な場をもつ建築だ。

翌日、《ロンシャンの礼拝堂》に足を運んだ。本物が複製されたイメージよりもはるかに良い、間違いなく、これもル・コルビュジエの傑作である。もっとも、あまりに特殊解過ぎて、これで打止めというか、汎用性もないデザインだ。すなわち、真似をしても、すぐに元ネタがわかるくらい個性的なために意味がない。また興味深いのは、室内が反転された外部のような造形空間であること。そしてロンシャンの礼拝堂には、説明責任に縛られ、いまの日本建築界に失われたかたちの悦びがある。ところで、ロンシャンのビジターセンターを含む関連施設(2011)をレンゾ・ピアノが手がけていた。ルイス・カーンの《キンベル美術館》でも向き合うように、彼が新棟を担当していたが、傑作の横で邪魔はしないが、空間のクオリティを確実に維持できる建築家の枠なのかもしれない。もちろん、ロンシャンと対決して勝つのは無理だろうし、下手なデザインで失敗したら大惨事になるからだ。

《ラ・トゥーレット修道院》


《ラ・トゥーレット修道院》


《ロンシャンの礼拝堂》


《ロンシャンの礼拝堂》内観(左)、レンゾ・ピアノによるビジターセンター(右)


2018/08/15(水)(五十嵐太郎)

リヨンの近現代建築

[フランス、リヨン]

リヨンは、これまで通過のための滞在ばかりで、あまりゆっくり建築を見ることがなかった。ゆえに、トニー・ガルニエの《ラ・ムーシュ公営屠殺場》と《エドゥアール・エリオ病院》も初訪問である。いずれも長かったり、広大な施設だ。意匠的には、古典の感覚が強く残る過渡期のコンクリートの近代建築だが、《旧三井物産横浜支店倉庫》をあっさり解体した横浜と違って、よく残しており、しかもちゃんと活用していることに感心させられた。ジャン・ヌーヴェルが増改築を手がけた《オペラ座》は、今回も内部に入れなかったが、やはり赤と黒の使い方は印象的である。前面の柱列に演奏を楽しめる飲食スペースが設けられたり、側面でダンスの練習をする若者がいて、街に馴染んだというか、以前と雰囲気が変わっていた。

手前にベンチが設置された休憩できる印象的なパストゥール橋を渡ると、コープ・ヒンメルブラウによる《コンフリュアンス博物館》が建っている。両者があわせてリヨンの川辺に新しい景観を創出し、ランドマークとしての機能を見事に果たしている。特に博物館は未来的な造形(メカっぽい巨大な生き物のようだ)、ねじれたガラスの空間、ダイナミックに持ち上がる構成、建築の腹の下の水面など、休館日でも十分にデザインを楽しめる力作だ。そして新しく再開発されたエリアは、古建築を保存する歴史的な街区とは違い、クリスチャン・ポルザンパルク、ヤコブ&マクファーレンなど、アヴャンギャルドな現代建築のオンパレードである。なお、ここでも隈研吾の建築群「Hikari」(おそらく、映画を発明したリヨンのリュミエール兄弟にちなむ)が含まれており、フランスにおける隈建築の浸透度合いを感じる(その後、ブザンソンでも隈による《芸術文化センター》と遭遇した)。これに隣接するMVRDVらが設計した巨大な複合建築《モノリス》は、ど迫力の空間であり、ヨーロッパの都市建築の歴史の延長に出現した未来的な集合住宅の風景だった。

トニー・ガルニエ《ラ・ムーシュ屠殺場》


トニー・ガルニエ《エドゥアール・エリオ病院》


ジャン・ヌーヴェルが増改築を手掛けた《オペラ座》


コープ・ヒンメルブラウ《コンフリュアンス博物館》


「Hikari」


MVRDV《モノリス》


2018/08/14(火)(五十嵐太郎)

「建築」への眼差し —現代写真と建築の位相—

会期:2018/08/04~2018/10/08

建築倉庫ミュージアム[東京都]

寺田倉庫が運営する建築倉庫ミュージアムの企画展。記録としての建築写真ではなく、芸術としての建築写真を集めている。おもしろいのは写真だけでなく、その建築のマケットも展示していること。しかも表に展示するのではなく、その建築のかたちにくり抜いた穴からのぞき見るように壁の内部に置いているのだ。だから観客は「のぞく」というちょっと恥ずかしいアクションを起こさなければ見ることができない。肝腎の写真家は、杉本博司、鈴木理策、畠山直哉、宮本隆司、米田知子、トーマス・デマンド、カンディダ・ヘーファー、ジェームズ・ウェリングら13人で、被写体となった建築は、ル・コルビュジエの「サヴォア邸」から、ミース・ファン・デル・ローエの「トゥーゲントハット邸」、ヘルツォーク&ド・ムーロンの「エルプフィルハーモニー・ハンブルク」まで13件。

基本的には写真展だが、これは建築展でもある。建築展はふつう実際の建物を出品することができないので、写真や設計図、マケットなどに頼らざるをえない。ここにはない写真やマケットを見ながら建築を想像するのが建築展だとすれば、これはまぎれもない建築展なのだ。プラトン風にいえば、まずイデアとしての建築があり、それを模型化したマケットがあり、最後に2次元に置き換えた写真がある。だから写真家はサル真似にすぎず、地位が低いとプラトンならいうだろう。あれ? 写真家が主役であるはずなのに、いつのまにか立場が逆転してしまった。

2018/08/03(村田真)

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