2024年03月01日号
次回3月18日更新予定

artscapeレビュー

映像に関するレビュー/プレビュー

PERFECT DAYS

会期:2023/12/22

TOHOシネマズシャンテほか[全国]

近年、ウェルビーイングという言葉が注目されている。これは肉体的にも、精神的にも、社会的にもすべてが満たされた状態を指す。本作を観ていて、この言葉がふと浮かんだ。役所広司が演じる主人公は、東京・渋谷で公共トイレの清掃員として働く男である。いわゆる3Kのブルーカラーで、決して裕福とは言えない独り身の暮らしを送っているにもかかわらず、なぜだか満たされているように見えるのだ。毎日、日が昇る前に目を覚まし、薄い布団を畳み、身支度と植木の手入れを済ませて、駐車場の自動販売機で缶コーヒーを買い、仕事道具を積んだミニバンに乗る。その動きには無駄がいっさいない。もう何十年と続けているルーティーンであることを想像させる。そんな男の淡々とした日々を通して描かれるのは、小さな喜びや驚き、人間関係などである。



監督:ヴィム・ヴェンダース
脚本:ヴィム・ヴェンダース、高崎卓馬
製作:柳井康治
出演:役所広司、柄本時生、中野有紗、アオイヤマダ、麻生祐未、石川さゆり、田中泯、三浦友和
製作:MASTER MIND 配給:ビターズ・エンド
2023/日本/カラー/DCP/5.1ch/スタンダード/124分 © 2023 MASTER MIND Ltd.



一見、ストイックな暮らしに見えて、彼にもささやかな楽しみがある。仕事へ向かう途中に車内でカセットテープを通して聴く昔の音楽、昼休みにフィルムカメラで撮る樹木や木漏れ日、仕事終わりに一番乗りで入る銭湯、いつもの大衆居酒屋で飲むチューハイ、就寝前の読書、そして休日に通う古本屋や美人ママのいるスナック……。身の丈に合った暮らしに納得し、つねに几帳面で、品良く振る舞えるのはなぜなのか。その理由を解き明かすヒントとして、物語の中盤で登場する姪と妹の存在から彼の出自を思わせる会話が交わされる。結局、ウェルビーイングとは自己が生み出すものであり、それはどんな境遇であろうと、自分の心持ちや姿勢次第でいくらでも可能であることをこの男が証明している。



もともと、本作は世界的な建築家やクリエイターらが東京・渋谷の公共トイレを個性的な空間に改修していく「The Tokyo Toilet」プロジェクトをきっかけに生まれた企画で、依頼を受けたヴィム・ヴェンダースが映画監督を務めたのだという。こうした社会課題への取り組み方があるのかという学びにもなったと同時に、さすがはヴィム・ヴェンダースというべき映画のクオリティで、カンヌ国際映画祭での受賞やアカデミー賞でのノミネートもすでに取り沙汰されている。


PERFECT DAYS:https://www.perfectdays-movie.jp


関連レビュー

ヴィム・ヴェンダース『PERFECT DAYS』|五十嵐太郎:artscapeレビュー(2024年01月15日号)

2024/01/28(日)(杉江あこ)

ナオミ・リンコン・ガヤルド「ホルムアルデヒド・トリップ」

会期:2024/01/13~2024/01/28

Gallery PARC[京都府]

クィアな想像力によって、現在も膨張し続けるグローバルな植民地主義や異性愛中心主義といった支配的な物語をどう書き換えることができるか。バラバラに分断しようとする圧力に抗しつつ、差異を抱えたものを一つに統合するのではなく、それぞれがどうポリフォニックな声を響かせることができるか。

本展は、メキシコを拠点に国際的に活躍し、クィアやデコロニアルの視点から作品制作するナオミ・リンコン・ガヤルドの日本初個展。京都精華大学によるマイノリティの権利やSOGI(性的指向や性自認)についてのアートマネジメント人材育成プログラムの一環として開催された。

本展では、約36分の映像作品《ホルムアルデヒド・トリップ》(2017)が、構成する各章ごとに分割され、7チャンネルの映像インスタレーションとして上映された。本作の出発点は、メキシコ先住民の環境活動家ベティ・カリーニョの殺害事件だ。ブリコラージュ的なコスチュームを身に付け、戦士に扮したベティ役と仲間の女性たちは、草原や畑でファイティングポーズを繰り広げる。闇のなか、何度も倒れるベティの身体。同志の女性たちは「魂を守るショール」を織り、ベティの亡骸がケアされる。亡骸は戦士たちが護衛する船に乗って川を下り、冥界に通じる洞窟では、動物のマスクをかぶった両性具有的な者たちがアンダーグラウンドなクラブのように踊り、魂の再生の儀式が行なわれる。死から再生に向かう旅の導き手が、メキシコの神話に登場する月の女神とアショロトル (メキシコサンショウウオ、通称ウーパールーパー) だ。両者はともに身体の再生能力を持つ。



[Photo: Fabiola Torres Alzaga]



[Photo: Fabiola Torres Alzaga]


7つの章は、それぞれ異なるジャンルの楽曲に彩られ、ミュージックビデオ風に仕立てられていて飽きさせない。ビョークを思わせる神秘的で力強い歌唱、ギターのノイズ、優雅で繊細なオペラ、歌謡曲やポップ・ミュージック、ラップ、ロック、へヴィメタル……。「蓄財」と題された章では、レトロなテレビゲームを模して、新自由主義という新たな植民地支配が地球規模でもたらす暴力、搾取、資源の収奪、貧困、ファシズム、人種差別の常態化が戯画化される。「元気で明るい二拍子の行進曲」にのせて、「金髪碧眼の白人男性」がマスゲームのような体操を繰り広げるが、その身体は次第に疲弊していく。

植民地主義的な欲望と支配関係を、抵抗としてのクィアな戦略によってパロディ的にズラし、書き替えを企むのが「アレックスとアショル」の章だ。メキシコの固有種であるアショロトルは、スペイン王室に援助された科学者・探検家のアレクサンダー・フォン・フンボルトによって18世紀に「発見」され、ホルマリン漬けの標本がヨーロッパへ送られた。映像では、ドラァグ・キング(男性装の女性パフォーマー)が演じるアレックス(フンボルト)と、作家自身が扮するアショロトルがエロティックな愛の交歓を演じる。ドイツ語で歌われるオペラの歌詞は、アショロトルを研究対象として所有し、永遠に保存したいと望むアレックスの欲望を歌い上げる。だが、実際の映像では、口パクのアレックスをアショロトルが欲望する・・・・・・・・・・・。アショロトルは、幼生期の特徴を維持したまま性的に成熟するネオテニーであり、進化論的な規範から外れた身体をもつ。「このような怪物は、動物のリストから排除されるべき」とアレックスが記述するように、アショロトルは「クィアな生物」である。本作は、オペラすなわち近代植民地主義が拡張していく時代に発展した音楽様式を用いて、「男と女の愛と破局のドラマ」というオペラにおける異性愛中心主義とヨーロッパ白人男性による支配の構造を、クィアな物語として何重にも書き換える。ドラァグが性別のコードを撹乱するように、顔をピンクに塗り潰したアショロトルは「肌の色」による差異化を撹乱する。本作は、欲望の主体を転倒させた上で、「白人男性が、女性にジェンダー化された植民地を所有する」という二重の支配構造を解体し、名づけようのない性愛のあり方へと開いていく。非欧米圏、先住民、ジェンダー、クィアといった要素が複雑に絡むインターセクショナリティの重要性がここにある。私たちが目撃するのは、その闘争の現場であり、かつ性の祝祭的な悦びの現場でもある。



[Photo: Kathrin Sonntag]


《ホルムアルデヒド・トリップ》は長尺の壮大なミュージックビデオの体裁をとるが、各章を構成する多彩な楽曲は、ジャンルとしてはバラバラで統一感はない。(各章を分割したマルチチャンネル上映は展示会場のスペース上の要請ではあったが)「調和のとれた統一」を拒絶するような姿勢は、「差異を抱えたものがどう共存できるか」というメッセージとしても受け取れた。また、ガヤルド自身の書く歌詞も詩的な魅力に富むが、その背後には、チカーナ(メキシコ系アメリカ人)・レズビアン・フェミニスト詩人・作家・文化批評家のグロリア・アンサルドゥーアの言葉が参照され、多声的な奥行きが広がる。

ホルマリン漬けの標本すなわち「凍結された過去」を解凍して現在と接続させ、土地、資源、人権に対する支配と搾取という形で現在も続く植民地主義を批判すること。規範的な性のあり方への抵抗とフェミニズム。本作はそれらの豊穣な交差点だ。扱うテーマは政治的でハイコンテクストだが、映像はポップで、脱力感あるユーモアに満ちている。だからこそ、その奥にある闘志がきらめく。「言い返せ! 書き返せ! あなたの力を取り戻せ!」。連呼されるラップのフレーズにのせ、戦士や冥界の生き物たちが踊るなか、断片化されたベティの身体は最終的にひとつになって回復する。その力強いフレーズの連呼は、見る者の魂を震わすだろう。



[撮影:麥生田兵吾]


作品自体は素晴らしかったが、作品とは別の次元の「外部」で2点気になることがあった。1点めはチラシのデザインである。カラフルな色彩、特に「ピンク」の強調、(作中のコスチュームに登場するが)「乳首」を丸く記号化して配置したデザインは、「メキシコ」と「女性性」を強調する。2点めは、展示会場の入口の壁がレインボーカラーの照明に照らされるという「演出」である。会場となったギャラリー側の判断であり、展示を盛り上げようとレインボーカラーの提案が出たこと自体は嬉しく思う。ただ、クィア性は作品の軸のひとつではあるものの、作品はそれだけにとどまらない豊かな奥行きをもっている。「LGBTQ+の作家」というわかりやすい視覚化は、作品が受容される文脈を狭めてしまうのではないか。「非欧米圏かつクィアの作家」が、日本で紹介されるとき、何重にも他者化された視線でパッケージングされてしまうことの功罪について考えさせられた。


ナオミ・リンコン・ガヤルド「ホルムアルデヒド・トリップ」: https://galleryparc.com/pages/exhibition/ex_2024/2024_0113_naomi.html

2024/01/13(土)(高嶋慈)

『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』4Kリマスター版

映画『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』4Kリマスター版を鑑賞した。その前作の終盤において「何もかも、みな懐かしい」という有名なセリフがあるが、ティーンエイジャーのときに熱中した時代を思い出す。もっとも、1978年の公開時は小学生だったため、カセットテープ版のサントラを何度も聴いた後、確かようやくレンタルビデオで見たので、実はスクリーンで観るのは初だった。そうした経緯もあって、個人的には宮川泰が作曲した音楽や劇伴、名セリフの数々の方が強く印象に刻まれた作品なのだが、大きな映像で鑑賞しても、やはり各場面において、それらの存在感は圧倒的である。もちろん、冒頭のシーンで豆粒のように小さい状態から白色彗星を確認できるのは、映画館ならではの体験だった。公開当時に忠実な4Kリマスター版ということで、最後にこれでヤマトはもうみなさんの前に姿を現わすことはないでしょうというメッセージまで含まれていたが、その後現在までえんえんとシリーズが続いている歴史を知ると、複雑な気分になる。特攻の美化を良しとしない松本零士の意向や、続編でさらに儲けようという商業的な理由が絡みあい、今日までヤマトは生きながらえた。

満身創痍の戦闘の果てに超巨大戦艦が出現したときの絶望感、そして主人公を含む、ほとんどの乗組員が死んでしまう展開は、リアルタイムで劇場鑑賞したファンにとっては衝撃作だっただろう。これは敗戦を体験した世代が制作したSFロマンの極として興味深い。考えてみると、太平洋戦争で戦艦大和は沈没し、日本は負けたが、未来の危機において、今度は宇宙戦艦として蘇り、日本人が地球を救うという凄まじい物語である(名前を見るかぎり、乗組員はすべて日本人だと思われる)。ある意味でナショナリズムをくすぐる偽史めいたフィクションだろう。ちなみに、いまとなってはエピソード4と呼ばれる第1作の『スター・ウォーズ』(1977)の影響も強い。例えば、アナライザーはR2-D2の翻案だし、都市帝国への潜入もデス・スターの攻略と重なる。当時、『スター・ウォーズ』の方は、父に連れられて映画館で鑑賞したが、特撮の技術は小学生の筆者に強烈なインパクトを残した。その後、劇場公開されたシリーズはすべて映画館に足を運んでいるが、SFXは飛躍的に進化しても、最初の衝撃を超えることはない。

ともあれ、死ななかったテレビアニメ『宇宙戦艦ヤマト2』(1978-79)のパラレルワールドをつくり、続編を制作したヤマトに対し、庵野秀明は自分はやらないと語った。なるほど、エヴァンゲリオンの新劇場版は続編ではない。監督自らが語りなおし、抽象的なエンディグの解像度を上げるための作業だった。


『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』4Kリマスター版:https://starblazers-yamato.net/4kremaster/index.html

2024/01/07(日)(五十嵐太郎)

ヴィム・ヴェンダース『PERFECT DAYS』

渋谷区内の公衆トイレの設計を、安藤忠雄や隈研吾らの有名な建築家やデザイナーに依頼する「THE TOKYO TOILET」のプロジェクトをモチーフに映画を撮影するという持ち込み企画として制作されたものだが、きちんとした「映画」になっていることに感心させられた。光と影、そして色が美しいのはもちろん、変わらずヴィム・ヴェンダース監督の首都高好きの構図を確認できるのも嬉しい。彼は小津安二郎へのオマージュ『東京画』(1985)や、山本耀司を題材とする『都市とモードとビデオノート』(1989)で首都高の映像を効果的に用いていたが、本作も自動車で各地のトイレをまわるとき、日常的に首都高を使う。また下町に暮らす主人公の生活圏の背景として、しばしば東京スカイツリーが遠景に登場するのも興味深い。小津好きと言っても、ヴェンダースはレトロな風景にこだわっているわけではないのだ。なお、トイレの清掃作業員の名前が「平山」となっているのは、小津の代表作『東京物語』(1953)の平山家にちなむものだろう。そしてほとんどしゃべらない、主演の役所広司の表情は、見事な演技である。少しずつ違いがありながら、儀礼のようにルーティン化した日々を送る平山は、毎朝、近所の道路をホウキで掃く音で目覚める。そして彼も各地のトイレを隅々まで磨く。

実は建築と掃除は興味深いテーマである。例えば、ボルドーの住宅で働く家政婦の仕事を撮影した「コールハース/ハウス・ライフ」(2008)で気づかされるのは、われわれは建築を見たり、空間を体験しているが、あらゆる表面を触るのは、清掃する人だ。しかも日々、繰り返すことによって、家政婦はコレオグラフィーのような身ぶりすら完成させる。また津波から10年後のジェフリー・バワが設計したホテルをとらえたホンマタカシの映像「After 10 years」(2016)も、清掃人に注目し、床をこする音を強調していた。つまり、音と触覚である。そもそも音とは、遠くにいながら、振動によって触れることだ。そうした意味で映画は、清掃を通し、建築を批評的に表現する可能性をもつ。トイレの清掃人という設定は偶然ではないと思われる。

もっとも、「THE TOKYO TOILET」の背景を知らない海外の人が本作を鑑賞したら、大きな事件が起きない、たんたんとした日常を描きながら、東京にはなんと前衛的なトイレばかりあるのだろうと、エキゾティシズムをくすぐられるだろう。いや、これは日本人でも違和感をもつかもしれない。



「THE TOKYO TOILET」 佐藤可士和のトイレ




「THE TOKYO TOILET」 田村奈穂のトイレ


『PERFECT DAYS』:https://www.perfectdays-movie.jp/

2024/01/03(水)(五十嵐太郎)

蜷川実花展 Eternity in a Moment 瞬きの中の永遠

会期:2023/12/05~2024/02/25

TOKYO NODE[東京都]

「作家史上最大」の体験型展覧会だという。蜷川実花はこれまでも内外の美術館で規模の大きな展覧会を実現してきた。だが、今回の「蜷川実花展 Eternity in a Moment」はひと味違っていた。地上200メートルのTOKYO NODEの広くて天井の高い会場を目一杯使ったということもあるが、蜷川だけでなくデータサイエンティストの宮田裕章、セットデザイナーのEnzoと組んだEternity in a Moment(EiM)というチームでコンセプトを共有し、会場を共同制作したのが大きかったのではないだろうか。映像とサウンドとインスタレーションが一体化した空間を構築したことで、それぞれの個の力が拡張し、増幅するという結果を生んだ。

内容面においては、いい意味での開き直りを感じた。これまで蜷川が繰り返し使ってきた花、金魚、蝶、花火、都市風景といったイメージを出し惜しみせずにフル動員している。もちろん生と死のコントラスト、日常から未来へ、多様性や環境問題への視点など、思想的な側面をおろそかにしているわけではない。とはいえ、それらを前面に押し出すのではなく、むしろ網膜と鼓膜と直感とをダイレクトに融合させた、色と光と音の乱舞のなかに包み込んでしまう戦略をとったことが成功したのではないだろうか。連日超満員という動員力を見ても、蜷川のイベント・クリエイターとしての能力が傑出してきていることがわかる。

もうひとつ強く印象に残ったのは、観客の反応である。会場滞在の時間がとても長く、ほとんどの観客が自分の携帯のカメラで映像やインスタレーションを動画撮影している。それらは、LineやInstagramなどのSNSにアップされて拡散していくのだろう。おそらく会場を構成したEiMのメンバーがもっとも心を砕いたのは、「インスタ映え」する視覚的、聴覚的効果をいかに作り出すかではなかっただろうか。観客の反応を見ると、それはとてもうまくいっていたようだ。

蜷川実花の作品の魅力のひとつは、一見軽やかで、華やかで、ポジティブに見えるイメージが、その正反対ともいえる陰鬱で、ビザールで、ネガティブな感情を引き出してくることだった。やや残念なことに、今回の展示では、その「毒」は希釈され、薄められてしまっていた。後半の花のパートには、生花を使って「花々が異なる周期で朽ちていく様子」も展示されているのだが、それらは全体のなかでほとんど目立たない。むずかしい注文かもしれないが、今回のような衛生無害な「桃源郷」だけでなく、「まろやかな毒景色」(2001年開催の蜷川のパルコギャラリーでの展示のタイトル)のような展示をもう一度見たいものだ。


蜷川実花展 Eternity in a Moment 瞬きの中の永遠:https://tokyonode.jp/sp/eim/

関連レビュー

蜷川実花「Eternity in a Moment」|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2023年06月15日号)

2023/12/29(金)(飯沢耕太郎)

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