村田真/原久子 |
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1/26〜1/27 |
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グレゴリー・コルベールanimal totems
1/25〜4/1 森アーツセンターギャラリー[東京] |
「グレゴリー・コルベールは人間と動物が交流する究極の瞬間を、フィルムに収めつづけるアーティスト」で、「合成技術を使わずに」撮ってるらしい。そのわりに「つくりもの」の匂いがプンプンする。でも3月11日からそのなかで展示が始まる坂茂設計の移動式美術館、ノマディック美術館は見てみたい。
[1月26日 村田真] |
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日本美術が笑う
1/27〜5/6 森美術館[東京] |
縄文の土偶から近代絵画まで、日本の美術に見られる「笑い」を集めたもの。「笑い」といっても諸相があって、まず、土偶や埴輪から、寒山拾得図、それにヒントを得た岸田劉生の《麗子像》、曽我蕭白や甲斐庄楠音の狂気じみた笑みまで、笑う表情をとらえた作品群、次に、劉生が所有していた《桜狩遊楽図屏風》、新発見の長谷川巴龍《洛中洛外図屏風》、河鍋暁斎《放屁合戦絵巻》など、楽しげな遊興図の類、さらに、伊藤若冲《白象図》や長澤蘆雪《牛図》や神坂雪佳《金魚玉図》のように静物を正面から見た奇抜な構図や、文字と絵がつながった南天棒の《達磨図》のように、造形表現そのものが斬新で思わず笑みを誘うものまである。日本美術の「笑い」に焦点を当てた展覧会はありそうだけど、ここまで手広く集めたものは初めてではないかしら。ただ、超高層ビルの最上階に位置する美術館の宿命か、《麗子像》にしろ《寒山拾得図》にしろ最上級の作品でないのが残念。
[1月26日 村田真] |
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笑い展
1/27〜5/6 森美術館[東京] |
こちらはフルクサス以降の現代美術に見る「笑い」。キュレーターの片岡真美さんもカタログに書いてるけれど、現代美術で「笑える」作品はポイントが高い、というか、近年ますます「笑い」の需要が高まっているように思う。たしかにアートも笑いも一種の「痙攣」だから、両者の相性は悪くないはず。でもアートが痙攣としての「笑い」に届かず、単なる予定調和的な「お笑い」にとどまっていてはつまらない。そこらへんが評価の分かれ目かなあ。個人的に好きだったのはシベリア出身のユニット、ブルー・ノーズによる《おばかさん》。極寒のロシアの歴史的建築の前で3人の男が裸になって記念写真を撮るという、稀に見る痙攣的なお笑いだ。
[1月26日 村田真] |
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小企画展 真島直子「地ごく楽」
12/20〜2/12 愛知県美術館[愛知] |
真島直子の平面作品はいくつか観たことがあったが、この個展でオブジェ作品を観て驚愕。平面の世界観が三次元になるとこうなるのか……と。真島の鉛筆による作品は、モノクロなので、立体作品ほどのドロドロしたところは感じられなかった。雛人形の飾りに手を加えた作品を観ていると、肉体のなかを手でえぐられるように、身体がゾワゾワしてきた。紙に鉛筆を用いたオートマチックな描画ともとれるし、大きな作品をひいて全体を観てゆくと、意図した構図をつくってそれぞれの部分があるようにも思える。真島の凄さを再認識。
[1月26日 原久子] |
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武蔵野美術大学卒業 修了作品展
1/26〜29 武蔵野美術大学[東京] |
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上:金井佐和子の作品(彫刻学科)
中:菅 美紗子《頭上のシャングリラ》
(大学院)
下:小西紀行の作品(大学院) |
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はじめて武蔵野美術大学まで遠征。駅からタクシーもないので、古きよき「武蔵野」の風景をまだ残している周囲を楽しみながら到着。サックリ観て帰ろうなんて最初は思っていたのだが、結局は足がふらつくほどじっくり鑑賞させてもらった。どうしても情報として今日的な傾向に目をふさぐこともできないだろうし、そこからさらにオリジナリティを追求するのは、若い人たちにとってとても大変なことだと思うが、とても真摯にガンバッテいる学生が多くて嬉しくなった。映像作品は5本くらいしか観ていないし、美術学部しか観られなかった。彫刻科4年のカナイサワコの作品は楽譜になっているという。どんな音なのか想像するのも愉しいし、過去にはパフォーマンスもしたことがあったらしい。
[1月27日 原久子] |
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