トークシリーズ:「Artwords」で読み解く現在形
2. 1995年前後の状況──フィルムの終焉とデジタルの浸透
越後谷──1995年は「映画生誕100年」の年で、日本でもリュミエール兄弟とジョルジュ・メリエスの大掛かりな特集がなされました。愛知芸術文化センターでは「光の生誕! リュミエール」
改めて、ビデオが出てきたことに対して、フィルムの独自性とは何かを考える必要があると思います。大木裕之 さんは1990年代初に、フィルムの作家として登場しましたが、現在はビデオを用いています。フィルム時代から長廻しによる撮影をしたり、実験的な編集をやっていて、それはビデオでも継承されている。これをどう捉えたらいいのだろうか、考える必要があると思います。大木さんは撮影も独特で、光の捉え方は天才的に優れていますね。ああいった側面は、フィルムの質感という意味で映画の伝統に連なる部分があるのですが、ハンディ・カメラを持ってファインダーも見ずに走り回るという、それを壊してしまうような側面もあります。彼のスタンスを見ていると、徐々にフィルムとビデオの差がなくなってきていると思います。
阪本──1995年と言えば、パソコンが一般に普及し始めた時期です。一般のユーザーでもパソコンによって映像編集ができるようになりました。「Windows 95」が出て、ソニーがDV規格の家庭用ビデオカメラ(DCR-VX1000)を市販しました。その後、AppleのG3などが発売され、当時の学生達も、みんなDVで撮って、パソコンに取り込んでノンリニア編集を行うようになっていきます。
越後谷──確かにそうですね。それまでのビデオ編集はすごく大変なことでした。1980年代には、8mmフィルムの人とビデオの人が両方いて、どちらかと言えばフィルムの方が主流でした。その理由のひとつは、編集がし易かったということです。フィルムは自宅で切ってつなぐことができますが、ビデオは原始的に二台デッキをつないで、指で一時停止をしながら編集するというものでした。本格的にやろうとしたら大学の編集機を借りるか、スタジオで一時間単位でお金を払ってやるかです。また、編集の段階でダビングしているので画質は劣化します。
デジタル編集はコマを画面で見られますので、フィルム編集の感覚と実は近くて、そういう意味でもフィルムにこだわって撮っていた人も最終的にはデジタルに流れるということがあります。
阪本──僕も世代的にかろうじて編集機を使ったことがありますが、ガッシャンガッシャンと織物を折っているような感じですね。フィルムは直感的で、デスクトップでのノンリニア編集に近いですね。
越後谷──質感としてもビデオがフィルムに近付いたということです。では逆に、ビデオ本来の質感とはなんだったのかと、思い起こされます。1970年代の初期のヴィデオ・アートでは、編集が大変なので撮りっぱなしの作品が少なくないですね。最近は、この時期のヴィデオ・アートを回顧・発見したりする展覧会がありますね。
阪本──初期のビデオ映像には独特な魅力がありますね。今、逆に異質なものとして見えます。
越後谷──1960年代後半〜70年代初頭は回顧されますが、80年代はまだあまり検証されていませんね。かつて、松本俊夫さんがSCAN公募展のコメントで「ビデオでも決定的な編集が出てくるようになった」と書いています。指で一時停止をしてつないだりとかスイッチングに近いような、ある種アバウトな編集だったのが、斉藤信のようにコマ単位でビデオをつなげるような方法が現れてきて、決定的な編集が出てきたと。今振り返ると、そのあたりでも、フィルムとビデオは接近していったと思います。
阪本──その前の1960年代後半〜70年代のヴィデオ・アートの傾向としては、長回しの中でエフェクトをかける連続的なものが多かったですよね。
越後谷──その時代のビデオには明らかに今の映像とは違う感覚があって、今見るべき価値や検証する意義があると思います。それに比べると、1980年代の作品は、川崎市民ミュージアムにアーカイブがありますが、もう少し見る機会が必要なんじゃないかという気がしています。
1980年代は「フィルム的な質感」などの言葉がよく使われました。ビデオでは出せない映像のニュアンスといった意味です。具体的には当時のビデオは撮像管を使っていたので、太陽などを撮ると焼き付いてしまい、ビデオはその条件の中でいかに画をつくるかという制約があったため、フィルムの方が画的に優れていました。ところが、デジタルビデオになって、差がなくなり、フィルム的な質感ということが言われなくなってきました。
阪本──1995年頃から編集が高度化・デジタル化していき、今年はまさにシングル8の現像が終了し、16mmも危ないと言われています。35mmでつくられる映画もどんどん減ってきていますし、1995年から18年経ち、フィルムが役目を終えようとしている時期です。
デジタルビデオの解像度もSD(720×480)の時代であればフィルムの方が圧倒的に高いのですが、現在では個人の作家がHD(1920x1080)で撮ることは普通です。4Kの映像も撮ることもできます。そうなると、今こそフィルムの優位性や特性とはなんだったのかを考える時期かもしれません。
越後谷──フィルムの方が優れているとは言えなくなっていますが、ビデオでもフィルム的なニュアンスの画が撮れる、といった具合に、ビデオがフィルムを模倣しているという側面があるので、両方が融合していきているわけです。
阪本──まさに先ほどのマノヴィッチ『ニューメディアの言語』でも、ニューメディアとは、デジタルが古いメディアに取って代わるのではなく、デジタルが古いメディアの慣習を取り込んで、メタ的なメディアになるようなものだと指摘されています。
越後谷──この本に限らないのですが、最近の映画関係の研究書や評論集は、辞書のような厚みになっています。それがどういうことか気になっていたのですが、実は紙のメディアの最後ということかもしれない。僕は個人的には紙で読みたいタイプの人間ですが、現時点でも紙で収められる情報量ではなくなってきている感じがします。フィルムからビデオへという流れと同じように、数年後にはタブレットで読むことが当たり前になっていることも起こり得ると思います。
阪本──電子書籍も紙の本を模倣し、取り込んでいるといえますね。イメージフォーラムも、始めはビデオとフィルムを別部門として分けていましたが、それが1990年に一緒になり、制作環境の面から見てもフィルムとデジタルビデオの距離が近づいて行きました。
越後谷──1995年前後の出来事としては、『ゴダールの映画史』(1988〜1998年)が強く印象に残っています。ゴダール は1970年代からビデオを手がけていますが、延々と実験してきたことの集大成だと思います。編集技術が上がっていったことでようやくできたものです。
また、同時期の実験映画にはファウンド・フッテージ の作品が多かったのですが、それにも近いものがあり、そのことは何を意味するのか考えましたし、今でも思い返しますね。
阪本──ファウンド・フッテージという技法は実験映画の中では昔からありましたが、1990年代から顕著に増えたということでしょうか。1999年のイメージフォーラムでグスタフ・ドイチェ 『映画である』(1998年)の上映がありましたが、あれはまさしく映画史そのものがフッテージでした。
越後谷──そうですね。1960年代のブルース・コナー の作品などは、既存の映画の文法を壊して、全く関係ないものをつなぎ、映画の意味性を剥奪する、といった志向性でしたが、1990年代以降はマティアス・ミュラー など、ヒッチコックなどを対象にしながら、知的、戦略的にハリウッド映画に内在する構造を分析して暴くような作品が出てきました。ビデオにせよフィルムにせよ、メディアを使って映画を検証批評するような観点です。ゴダールもそれに近い。『映画史』はゴダールの個性が強く現れているので、選択されている作品が偏っているなどの批判もありますが、実は同時代的な共振があったのかなという感じがします。
2001年には「汚名──アルフレッド・ヒッチコックと現代美術」という展覧会がありました。
阪本──1990年代後半から段々と実験映画の作家がデジタルに移行するという例も増えていきましたね。
越後谷──かわなかのぶひろ さんや鈴木志郎康 さんといった、フィルムの質感にこだわっていたような人もデジタルビデオに移行していきました。
阪本──現在ではカメラの高画質化・低価格化も進みました。例えば「Blackmagic design」が市販している機種のように、単なるビデオカメラではない、35mmフィルムに匹敵するようなデジタル・シネマカメラが安価で買えるようになりました。また、デジタル一眼レフの高性能なレンズでHDのムービーを撮ることも一般化しています。フィルムに直接加工したり、特殊な自家現像を試みたりするような、フィルムの物質的特性をコンセプトとした作品を除くと、フィルムで実験映画を制作することの意味は薄れてきています。