トークシリーズ:「Artwords」で読み解く現在形

[シリーズ7:“映像”の現在形]脱領域的な表現手法と批評の展開

越後谷卓司/阪本裕文2014年01月15日号

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3. 個々の作家による映像作品へのスタンス

阪本──ジェームズ・ベニング★28が16mmフィルムを止めてデジタルで風景映画を撮るようになりました。また、今年のイメージフォーラム・フェスティバルでもやっていた『リヴァイアサン』(2012年)では「GoPro」が使われています。小さくても非常に高い解像度で撮れるカメラを使った漁船のドキュメンタリーで、今までにないような情報量の異様な映像ですよね。

越後谷──カメラを魚とか鳥に取り付けていて、まさに魚の眼、鳥の眼という、すごい視覚を提示していましたね。『リヴァイアサン』は公開前から情報が伝わってきて、関心を持っていました。確かにすごいと思いましたが、一方で「こういうカメラがあるのでやってみました」というニュアンスも感じました。それはある種の清々しさや健全さ、気持ちよさでもありましたが、作品としてはまだ荒いとも思いました。漁船の過酷な労働などが生々しく捉えられていて、『鉄西区』(2003年)などのドキュメンタリーを監督した中国の王兵(ワン・ビン)に近いものも感じましたが、やはり撮られた映像のインパクトをどう構成していくのかについてはまだこれからだと思いました。
 ジェームズ・ベニングについては、ハイビジョンを用いるようになった裏話として、現像所とトラブルがあったからだとも聞いています。かわなかのぶひろさんなどの作家もフィルムからビデオへ移行した理由として現像所の問題を挙げています。自分が思っていたような画が仕上がってこないという現像所への不信感があったそうです。そもそも現像所で扱うフィルムの量が少なくなって、一定の技術的水準を保つのが難しいという側面があるようです。

阪本──そういった制作条件の話以外にも、ベニングが風景映画を撮るようになって変わった部分もあると思います。観客としての実感で言えば、何の変哲もない映像でも高解像度だと一時間見ていても飽きないんですね。16mmよりもレンジの広いクリアな映像で、情報量の多さを感じます。

越後谷──確かにそれはあると思います。森をずっと撮っていても、木々のゆらめきや光の変化があり、高画質でないと、そういった映像の質は得られなかったと思います。16mmのフィルムが危機的ではありますが、今はフィルムで映写するよりもビデオに変換した方がクリアだという状況になってきています。どんな映写機を使うかとか、プロジェクターのクオリティといった条件にもよりますが……。

阪本──牧野貴★29さんは8mmやフィルムの一眼レフで素材を撮って、それをデジタルに変換して実験的な映像をつくっています。そういったスタイルが可能になったのは、フォーマットの解像度が上がったこと、制作環境の変化という背景があります。フィルムのスクラッチノイズや細かい粒子の運動がデジタルに置き換えられていて、スクリーンで見ていても、フィルム上映かデジタル上映か分からなくなります。

越後谷──牧野さんは批評家よりも端的に、映像の現在ある状況を、作品として提示できる作家だと思います。フィルムかDVかということではなく、表現したいものをどの手法で実現できるのかという現実的な選択をしています。フィルム的質感といったフェティシズムに溺れるのではなく、非常に正直にメディアに向き合っています。

阪本──新しい技術に飛びつくのでも、古いメディアにしがみつくのでもなく、状況に対して冷静ですね。牧野さんの映像はレイヤーが大量に重なっていますが、フィルムであれをやることは困難で、あれだけ多く重ねると、どのレイヤーもクリアに見えるということはないと思います。

越後谷──フィルムとビデオの移行期には、ビデオで撮影して、フィルムにして完成させるということがありました。たとえば、大木裕之の『3+1』(1997年)は、作品のベースになるコラボレーション公演『舟の丘、水の舞台』(1996年、於:愛知芸術文化センター・フォーラムⅠ)の記録をDVで撮り、ロケーション撮影した8mm・16mmフィルム、Hi-8ビデオの映像を重ね、最終的にしていました。当時はその方が画質は安定していました。ところが今はフィルムに変換すると逆に画質が落ちますね。牧野さんはフィルムにこだわってはいないから、デジタルで完成だというスタンスです。

阪本──アニメーションでのここ10年の新しい動きはどうですか。

越後谷──1960年代から自主制作と呼ばれるものは連綿と続いてきました。たとえば、16mmで実験映画をつくっている古川タク★30さんがいます。そういった流れがありましたが、1990年代のデジタル化によって現像処理をしなくてすむようになり、つくりやすくなりました。ビデオではコマ撮りがやりにくくて、アバウトなコマ撮りでアニメーションをつくってしまう人もいて、それはそれで味がありましたが。やはりデジタル環境になり、つくりやすくなって、自主制作の作家の裾野が一気に広がったと思います。

阪本──アプリケーションが安価になり、AdobeのAfter EffectsやAdobe Premiereが一般化して、2000年には「デジタル・スタジアム」が始まって裾野が大きく広がりました。

越後谷──1990年代に登場した石田尚志★31さんは元々は画家で、絵の中に運動や時間を導入したいということで、フィルムを学び、両者が融合したアニメーションへ移行していきました。私の見方では、石田さんは『部屋/形態』(1999年)や『フーガの技法』(2001年)まではフィルムにこだわる人だという感じがしていましたが、デジタルへの移行も意外にスムーズでした。牧野さんとはまた違うメディアとの向き合い方だという気がします。つまり、石田さんの作品自体もデジタルの導入に伴って変わっていきます。ドローイングの線を動かしたいということで、一枚一枚描いてアニメーション化していたのが、ドローイングを描くことそのものを一種のパフォーマンスのように提示する表現になりました。厳密なアニメーションという観点からは、雑に見えるところもあるかもしれませんが、元々画家だったことを考えると、ある種の原点回帰かもしれません。彼は元々、描くことそのものを提示したい、という志向があった。彼は、映像を手がける前に路上でライブペインティングをやっていましたが、絵よりもその行為に観客の目がいってしまうので、自分の身体を消してしまって、自分ではなく絵を見てほしいという欲求があって映像に向かったと言っていました。動機からさかのぼって考えると、今の作品はそれがようやく形になってきている感じがします。大山慶★32さんら、CALF(カーフ)★33の作家とは微妙に世代が違いますね。

阪本──石田さんはCALFとも山村浩二★34さんのようなアニメーション作家とも少し違っていて、あまり比較できる人がいません。私は、相原信洋★35さんと石田さんのふたりはアニメーションの異端だと思っています。

越後谷──相原さんと石田さんは一緒にライブペインティングイベントをやっていましたよね。石田さんは相原さんを敬意を払っていましたし、相原さんも描くことそのものをアニメーションにしようとしていました。相原さんの『STONE』(1975年)は、屋外で延々絵を描いていて、そのままアニメーションになるようなものでしたね。

阪本──あれは一番いい作品ですね。アニメーションという枠組みにとらわれず、動くことの喜びや驚きに素直ですね。
こつこつと動画を描いてゆくような、職人的なアニメーション作家ではどうですか。

越後谷──大山慶さんは、紙に描いてスキャンしてデジタル化するのではなく、パソコンに直接ドローイングした上で、人間の皮膚とかを実写素材で取り込み、細かく分断した上で、キャラクターの肌のテクスチャ等に再構成していく、という方法です。彼もデジタルとアナログを超えてしまったというか、ちょうど境界線にいるという意味で新しい作家だと思います。また、彼のような作家が、伝統的なアニメーションの文脈にも連なるところから出てきている点がおもしろいと思います。
 辻直之★36や和田淳★37は、もっと純粋なドローイングアニメーションの作家といえるでしょう。しかも抽象表現の石田さんとも違い、漫画のニュアンスが入っていたり、キャラクターのかわいらしさがあったりして、一般にもアピールする側面があります。彼らはどちらかと言えば、伝統的なスタンスに近いのかもしれませんが、1970年代のフィルム時代の実験映画だと、動画の枚数を必要とする動き主体で見せるアニメーションは大変だったので、どちらかというと止まった絵で見せていくものでした。動きのおもしろさやアニメーション特有のメタモルフォーゼや変化を見せることを追及するのも、1990年代以降の作家の特色ですね。
 アニメーションで言えば、クエイ兄弟★38が1980年代に日本で紹介されて衝撃的でしたね。それまで、1秒24コマで動かすという、クオリティの高い動きを見せる実験アニメーションは日本にありませんでした。クエイ兄弟はその後、実写の制作をしたりもしましたが、今でも人気があってある種神話化されています。ヤン・シュヴァンクマイエル★39も1960年代から制作を続けていますが、改めて光が当たってポピュラーになったのは1990年代からです。それまでは「広島国際アニメーションフェスティバル」や、自主上映会をマメにチェックしなければ見られなかったものが、ミニシアターでかかるようになったことが大きかったと思います。テレビアニメーションのように色が均質なセル画でなくても良いとか、ラフな線でも良いとか、すごく刺激になったと思います。シュヴァンクマイエルのアニメートは結構アバウトで、似たような映像を並べて意図的にギクシャク動かしたりもしていますが、ちゃんとアニメーションとして成立してしまうのはすごいと思います。

阪本──1990年代のデジタル化によって、商業アニメ的な表現をベースとして、個人レベルで作品をつくる人が出てきたのも新しい現象です。『ほしのこえ』(2002年)の新海誠★40や、吉浦康裕★41のような作家が出てきました。今の学生は、そういった商業アニメ的な表現と、シュヴァンクマイエルやクエイ兄弟のような表現の区別はあまりなくて、単にスタイルの違いとして捉えていると思います。

越後谷──ヴィデオ・アートを学んでいた学生が蓮實重彦の本を読んでいて影響を受けたという話もありましたが、見る側やつくり手はあまり区別がなくて、おもしろいものはおもしろい、取り込めるものは取り込むという態度だと思います。
 僕の実体験から言うと、先日引退宣言をした宮崎駿さんは、かつてNHKの『未来少年コナン』(1978年)や映画『ルパン三世 カリオストロの城』(1979年)を立て続けに発表したことが衝撃的でした。それ以前のテレビのアニメーションは、動きを省力化して、ストーリーのおもしろさで見せるという方向性でした。宮崎さんは動きそのもののおもしろさを提示し、その後のアニメーションの展開につながっていきました。それは自主制作の作家にも影響していると思います。裏話的なことですが、実は石田尚志さんも『カリオストロの城』が大好きで、台詞を全部言えるそうです。
 最近は、深夜アニメで実験映画に近いものもありますよね。

阪本──今でいうと『魔法少女まどかマギカ』を制作しているシャフトの演出なんかがそうですね。1990年代の『新世紀エヴァンゲリオン』TV版最終二話の演出あたりから、商業アニメの定型を外した演出が広まったように思います。

越後谷──『エヴァンゲリオン』に登場する敵〈使徒〉は、従来の怪獣的なものではなく、抽象的なオブジェのようなデザインでしたし、『まどかマギカ』の魔界の描写は実写素材を取り込んだりして、自主制作アニメーションのような感覚がありました。アニメのつくり手が実験映画やゴダールを意識しているのかはわかりませんし、知らぬ間に取り込んでいるのかもしれませんが、それらは不即不離なものだと思います。

阪本──僕らはつくり手のアウトプットを遠くから眺めて、どうしても分類的にジャンル化して見てしまいますが。

越後谷──映画は蓮實重彦さん以降の世代が、画面を細部にわたって分析していく研究を色々されていますが、細かくなればなるほど語れるジャンルが絞られてしまいます。例えば、『アンダーグラウンド・フィルム・アーカイブ』(2003年、河出書房新社)の編著者・平沢剛さんは、足立正生★42ら1960年代のドキュメンタリー系で実験的な活動を行っていた作家に再び光を当てた、という点で非常に有意義な活動を行いましたが、イメージフォーラムに代表される実験映画系の作家はほとんど取り上げていません。

★28──James Benning:1942- アメリカの実験映画作家。長時間の固定ショットによって風景を撮影する、風景映画の作家として知られる。主な作品に『ランドスケープ・スーサイド』(1986)、『RR』(2007)、『ルール』(2009)、『ナイトフォール』(2012)など。
★29──まきの・たかし:1978- 日本の映像作家。2001年、ロンドンのブラザーズ・クエイのアトリエで音楽と照明について学ぶ。2009年、『still in cosmos』が実験映画祭「25FPS 国際実験映画祭」でグランプリを獲得。第41回ロッテルダム国際映画祭において、愛知芸術文化センター・オリジナル映像作品として発表された『Generator』が短編部門タイガー・アワード(最高賞)を受賞。
★30──ふるかわ・たく:1941- 日本のアニメーション作家、イラストレーター、絵本作家。1963年、久里洋二実験漫画工房入社、アニメーションの技法と思考を学ぶ。70年に独立してタクン漫画BOXを設立。日本アニメーション協会(JAA)会長。
★31──いしだ・たかし:1972- 画家/映像作家。音楽の厳密な視覚化を試みた抽象映画「フーガの技法」(愛知芸術文化センターオリジナル映像作品)や、巻物状の絵画とその絵画の生成映像を組み合わせたインスタレーション「海坂の絵巻」、また、有機的な線描による壁画アニメーションやライブ・ドローイング、他分野の表現者とのライブセッションなど、領域を自在に横断しながら表現活動を展開している。2007年五島記念文化賞美術新人賞受賞。多摩美術大学准教授。[石田尚志HPより]
★32──おおやま・けい:1978- 日本のアニメーション作家。2008年、愛知芸術センターオリジナル作品として『HAND SOAP』を制作。オランダアニメーション映画祭グランプリ、アニメーテッドドリームスグランプリ、他、国内外の映画祭で多数受賞。2010年、インディペンデントレーベルCALFを設立。
★33──大山慶、水江未来、和田淳、土居伸彰の四人が中心となって2010年に設立されたアニメーションのインディーズレーベル。DVDの制作・販売の他、作品の劇場配給、上映イベントなども行う。
★34──やまむら・こうじ、1964- 日本のアニメーション作家。東京藝術大学大学院映像研究科教授。ヤマムラアニメーション代表取締役。2002年『頭山』がアヌシー、ザグレブをはじめ世界の主要なアニメーション映画祭で6つのグランプリを受賞、第75回アカデミー賞にノミネートされる。
★35──あいはら・のぶひろ:1944-2011 日本のアニメーション作家。
★36──つじ・なおゆき:1972- 日本のアニメーション作家。アーティスト。画用木炭を用いた『夜の掟』(1995)で注目される。2007年『影の子供』で、アメリカの「アナーバー映画祭」奨励賞を受賞。
★37──わだ・あつし:1980- 日本のアニメーション作家。2005年、『鼻の日』でノーウィッチ国際アニメーション映画祭短編部門グランプリ、2007年、『そういう眼鏡』でリオ・デ・ジャネイロ国際短編映画祭で最優秀若手審査員賞を受賞。2010年、『わからないブタ』でファントーシュ国際アニメーション映画祭Best film、文化庁メディア芸術祭で優秀賞等国内外の映画祭で受賞。2012年、最新作『グレートラビット』がベルリン国際映画祭短編部門で銀熊賞を受賞。
★38──Brothes Quay:1947- アメリカのアニメーション作家・映像作家。スティーブン・クエイとティモシー・クエイ(Stephen and Timothy Quay)の一卵性双生児の兄弟。幻想的な人形を使った、完成度の高いストップモーション・アニメーションの作品で知られる。1986年制作の『ストリート・オブ・クロコダイル』は彼らの最高傑作として、現在もカルト的な人気を博している。
★39──Jan Švankmajer:1934- チェコのアニメーション作家・映像作家、映画監督。シュルレアリスト。1965年「J・S・バッハ──G線上の幻想」でカンヌ映画祭短編映画賞を受賞。1983年「対話の可能性」でベルリン映画祭短編映画部門金熊賞と審査員賞を受賞。1990年、ベルリン映画祭で「闇・光・闇」が審査員特別賞。1997年サンフランシスコ映画祭で「伝統的な映画製作の枠組みにとらわれないで仕事をしている」映画監督の業績に対して授与されるゴールデンゲート残像賞を受賞。
★40──しんかい・まこと:1973- 日本のアニメーション作家。映画監督。2002年公開の『ほしのこえ』は、フルデジタルアニメーションで、第1回新世紀東京国際アニメフェア21公募部門の優秀賞を受賞。また、第7回アニメーション神戸・第6回文化庁メディア芸術祭 デジタルアート部門特別賞・第34回星雲賞 メディア部門・第8回AMD AWARD BestDirector賞なども受賞。
★41──よしうら・やすひろ:1980- 日本のアニメーション作家・映画監督。スタジオリッカ代表。作品に『ペイル・コクーン』(2005)、『イブの時間』(2008-2009)、『サカサマのパテマ』(2013)など。
★42──あだち・まさお:1939- 日本の映画監督。1966年、『堕胎』で監督デビュー。1969年、永山則夫を題材にした『略称・連続射殺魔』を佐々木守、松田政男らと共同制作(公開は1974)。1971年、若松孝二とパレスチナに渡り、『赤軍-PFLP・世界戦争宣言』を撮影。1974年、日本赤軍に合流、行動を共にする。1997年にレバノンで逮捕。3年の禁固刑の後、日本へ強制送還されて収監。2006年、赤軍メンバーの岡本公三をモデルにした『幽閉者 テロリスト』を制作。


越後谷卓司氏

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越後谷卓司

1964年生まれ。愛知芸術文化センター・愛知県文化情報センター主任学芸員。「あいちトリエンナーレ2013」映像プログラム・キュレーター。共著...

阪本裕文

1974年生まれ。映像研究。稚内北星学園大学情報メディア学部情報メディア学科教授。NPO法人戦後映像芸術アーカイブ代表理事。共著『アメリカン...

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