トークシリーズ:「Artwords」で読み解く現在形

[シリーズ7:“映像”の現在形]脱領域的な表現手法と批評の展開

越後谷卓司/阪本裕文2014年01月15日号

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5. アーカイブの現在──美術館/DVD/インターネット

阪本──プリント(上映用フィルム)やヴィデオ・アートのテープのアーカイブについて、ここ10年ほどの状況はいかがでしょうか。

越後谷──美術作品と映像作品では、保存の条件が違っていて、本来は絵画や彫刻とは一緒に置けません。専用の保管庫を設けなければいけませんが、わざわざ一部屋をつくることは現実的には難しいです。福岡市総合図書館にはフィルム専用の保存庫がありますが、川崎市民ミュージアムは一度見学させていただいた時に収蔵庫に版画や写真、映画フィルムが雑多に置いてありました。川崎市民ミュージアムは、インディペンデント映画も記録映画も貴重なものがありますが、専用の室がないことに驚きました。他の美術館でも、現代アートにおける映像作品を無視できなくなり購入しているけれども、後から保存をどうするか考えている状態だと思います。ちゃんとしているのは東京国立近代美術館フィルムセンターの保存庫で、劇映画からドキュメンタリー、プライベートフィルムも収集対象になっていますが、実験映画まではなかなか手が回っていません。

阪本──松本俊夫さんの作品の原版(ネガフィルム)も大半はフィルムセンターが所蔵しています。フィルムセンターは原版を保存管理する機関としては理想的ですが、やはりクラシックな劇映画が主で、松本俊夫クラスでないと実験映画はなかなか収集されません。また、ビデオについてはそもそも対象となりません。他の美術館の収集点数についてはいかがですか。福岡市総合図書館は開館当初(1996年)は開館時には沢山のプリントが集められましたが、その後はあまり点数は増えていないようです。
 
越後谷──愛知芸術文化センターも状況は厳しいです。開館から数年間は予算が減りつつも収集を続けてきました。たとえば、ナム・ジュン・パイクやビル・ヴィオラは主要な作品を押さえることができましたが、ゲーリー・ヒルは一本買って予算が尽きてしまいました。映像はいわゆる美術作品に比べると明らかに安いのですが。他の美術館で、かつては年度末の端数のような金額でヴィデオ・アートの作品を買っていた、という話も聞きます。1980年代のテープ作品は、エディションなどなく、いくらでもコピーされていましたが、最近は版画のようにエディションを付けて、コレクター向きにアーティストが手掛けたケースを作るなど、付加価値付けるように変化してきています。

阪本──イメージフォーラムはかつては貸出リストがあって実験映画やヴィデオ・アートの配給を活発に行っていました。また、閉廊してしまったビデオギャラリーSCANもヴィデオ・アートの普及に努めていました。

越後谷──作家の意識も変わってきています。かつてのイメージフォーラムは、かわなかのぶひろさんとかが、拠点をつくるんだという意欲があって、作家が集まる場所でした。経済的に厳しくなれば、中島崇さんが肉体労働をしてお金をつぎ込んだという話も聞いたことがあります。そういった共同体的なあり方が、世代の移り変わりとともになくなってきています。若い世代は自分で配給に近い仕事までやってしまっています。

阪本──牧野さんら若い世代の作家は、積極的に海外の映画祭に出て行っていますし、今や海外での上映機会の方が多いようです。

越後谷──観客の立場からすれば、厳しい状況です。かつてはイメージフォーラムに行けばある程度押さえられたのですが、今はそれぞれ個別に作家を追いかけたり、マメにインターネットで上映会を調べたりしないと見ることができません。

阪本──情報が集約される場がないですね。ニューヨークだと、実験映画はアンソロジー・フィルム・アーカイヴス、ヴィデオ・アートについてはエレクトロニック・アーツ・インターミックス(EAI)★66があります。西海岸にはキャニオン・シネマがあり、フランスにはライト・コーン、イギリスにはラックスなど、各国にディストリビューター(配給元)が存在してますね。

越後谷──ただ、海外でもデジタル化の進行に伴って、フィルムを借りられる頻度が減ったようです。借りられないと配給側も困ってしまうようです。

阪本──EAIなどもネット上で有料のプレビューを見せる試みをしているようです。

越後谷──『月刊イメージフォーラム』があった頃は、学園祭で実験映画の上映を行ってみませんか、といった広告が載ったりしていましたね。大林宣彦★67さんの『EMOTION 伝説の午後 いつか見たドラキュラ』(1967年)は学園祭で頻繁に上映されて、規模としては一般の映画館で公開されるくらいの人数に見てもらったと自ら語っています。

阪本──プリントを借りるということが一般的ではなくなってきたことと、配給が厳しいという状況はつながっていますね。そうなってくると、インターネット上のアーカイブの可能性がありますね。「UbuWeb」は著作権を半ば無視して、実験映画やヴィデオ・アートを沢山アップしています。例えば松本俊夫でも、無許可でいろいろと公開されています。本人にそのことを話してみると、「見られないより見られる方がいいから黙認する」と言っていましたが…。

越後谷──アーカイブにあっても上映できなければ意味がないという問題も関わりますね。シネマテーク・フランセーズやフィルムセンターのコレクションも、実際いつ見られるのかはわかりません。もちろん研究者レベルではアプローチすることはできると思いますが。『フィルムメーカーズ』(2011年)を著した金子遊★68さんは、本を書くため、インタビューをするために、自分で作家に直接アプローチして見せてもらっているそうです。世代的に僕はギリギリヴィデオ・アートの定期的な上映会などを体験できましたが、それ以降の人はどうやって見たらいいのかということから始めなければいけません。

阪本──今ならネットを活用すれば、作品にアクセスすることは難しくないと思っています。作家自身がVimeoやYouTubeにアップしている場合もありますし、ライトコーンなどは小さいサイズでのプレヴューをネット上で公開しています。

越後谷──確かに作家の意識も随分変わっています。

阪本──スクリーン以外の公開を厭わなくなってきたということですね。「post」というウェブサイトはご存知でしょうか。ニューヨーク近代美術館が戦後日本美術を紹介するプロジェクトで、映像作品を含め、様々な資料を公開しています。

越後谷──1920年代のアヴァンギャルド映画が伝説化したのは、見ることが困難だからという理由もあります。誰も見たことがないけれどすごいらしい、というような噂が実際の作品から離れてひとり歩きしていました。そういった状況は良し悪しあります。伝説化したために、アヴァンギャルド美術の歴史としては残っていますが、やはり見られないということには意味がないと思います。

阪本──インターネットによって状況は、多少は好転していくと思っています。問題はあれど、UbuWebもその可能性のひとつを開いたといえます。接する機会が増えることで、上映会などにつながっていけばいいなと思います。

越後谷──実験映画やヴィデオ・アートは短い作品が多いので、実はネットに適しているとも言われますね。

阪本──私の話で恐縮ですが、2010年に「Vital Signals(ヴァイタル・シグナル)」のカタログ刊行に関わりましたが、まず始めに、とにかくDVDを付けたいと考えました。美術館がアーカイブを持つことが難しいとすれば、とにかく作品が観たい人は誰でも安価にDVDを手に入れられるようにしたかった訳です。作家にDVD化の許可をもらって販売しましたが、意外と作家も理解を示してくれました。今や海外には実験映像専門のDVDレーベルが幾つかあって、美術館などとは違ったかたちで実験映画やヴィデオ・アートを広める役割を背負っています。オーストリアには「INDEX」というレーベルがあって、ペーター・チェルカススキー、クルト・クレン、ピーター・ウェイベルなど、色々とリリースしています。フランスの「リヴォワール(Re-Voir)」も古くから実験映画のリリースを行っています。アーカイブでは手が届かない部分をパッケージで頒布していくのは良いアプローチだと思います。

越後谷──美術館も実験映画に関心がないとか対象ではないということではなく、収めなければいけないと思っているようですが、手が回らないのが現状です。そういう意味では、個々にDVDをつくって流通させていくのは現実的なやり方ですね。一方で、レーザーディスクの時代に初期のCGを網羅的に集めて出されたりして、アーカイブ化できたと関係者が喜んでいたけれど、その後メディア環境の変化によって見ることが困難になった、という事例もあります。

阪本──DVDも100年後にはないでしょうね。そうすると結局フィルムで保存するのが一番いいという話が出てきています。

越後谷──35mmフィルムは100年もつことが実証されていますね。

阪本──しかし、何でも35mmフィルムで保存するというのは、ちょっと無理があるんじゃないかなとも思っています。現実的には4Kなどの高画質でフレームごとにスキャンして、非圧縮の静止画像としてデータを保存するのが良いのではないでしょうか。もちろんオリジナルメディアであるフィルムも残しておくことは言うまでもありません。ところで、インターネットになると著作権の問題も出てきます。

越後谷──映像作品の著作権については作家それぞれのスタンスがあると思います。ファウンド・フッテージ系の作家には、著作権を戦略的に無視してサンプリングやリミックスをする人もいますね。
 問題は難しくて、たとえば、初期映画のメリエスは違法コピーが流通したがために没落したという面があります。その後、遺族が散逸したフィルムを収集したり、新たに発掘するという地道な活動をされているので、現在、まとまった形で見ることができる。そういった活動をしている人たちがいることを知っていて、100年以上前の映画だから、著作権フリーで上映してもいいじゃないとは、映像に携わる人間であれば倫理的には言えません。

阪本──ネットでの配信や動画共有サイトなどはどうでしょうか。YouTubeやニコニコ動画で流通している映像そのものを、あえて作品として捉える必要はないかもしれませんが、初期ヴィデオ・アートにみられるオルタナティヴ・メディアの理念は、今やUstreamやYouTubeのなかで実現されているといえます。宇川直宏のDommuneもひとつの運動として興味深いです。

越後谷──ジョナス・メカスは毎日一本短編をつくって公開することをやっていましたね。表現の特性として、インターネットに適した作品があり得ると思います。

★66──「Artwords」内、阪本裕文+足立アン執筆項目を参照。
★67──おおばやし・のぶひこ:1938- 日本の映画監督。倉敷芸術科学大学客員教授。作品に『HOUSE ハウス』(1977)、『ねらわれた学園』(1981)、『展校生』(1982)、『時をかける少女』(1987)、『青春デンデケデケデケ』(1992)など。
★68──かねこ・ゆう:1974- 日本の映像作家、映像批評家。著書に『フィルムメーカーズ 個人映画のつくり方』(アーツアンドクラフツ、2011)など。

6. 3.11以降の映画/映像

越後谷──東日本大震災は、現地の人はそれぞれ被災者としての体験がありますが、それ以外の人でも地震や津波による強烈なインパクトを持った映像体験がありました。そういった体験をどう自分の中に受け止めるかという問題があると思います。僕が思ったのは、子どもの頃に見た特撮映画や、都市が崩壊するアニメーションと現実とは違うということです。高速道路の支柱が折れたり、津波によって家が流されて積み木のようになったり、フィクションではそうは描かれていませんでした。その時にリアリティとは何かを改めて考えざるを得ません。
 また、表現者や映像を扱う人間がそういう体験を踏まえて、どう乗り越えるのか。濱口竜介さんと酒井耕さんの『なみのおと』は、直接的に被害状況を撮らずにインタビューだけで記録するというアプローチでした。また、牧野貴さんの『Generator』(2011年)は、制作の終盤で東日本大震災に遭遇してしまったために完成が危ぶまれたり、必然的に不可避的に巻き込まれて、文脈が変わってしまいました。

阪本──『Generator』というタイトルは原発とは無関係に震災前から考えていたそうですが、まさしく福島第一原発事故が起こってしまいましたね。

越後谷──二度目の「あいちトリエンナーレ」ではディレクターの五十嵐太郎★69さんが「揺れる大地」という東日本大震災を意識したテーマを掲げました。震災から二年が経って、少し風化しつつもあり、生々しさもあり、美術家がどう受け止めて、どうアプローチするかはデリケートな問題です。われわれも悩みながらキュレーションをしています。作家もそうで、直接現地へ行ってボランティア活動をするとか、ワークショップをやるとか、展示をして勇気づけるとか、音楽家がライブをやるなど、いろいろな試みがありました。

阪本──水戸芸術館では「3・11とアーティスト: 進行形の記録」という展覧会がありました。ここで紹介されたのは、これまでの現代美術の作家の映像とは違った映像作品でした。同展で取り上げられた作家は、映像を社会内での直接的な媒介として使用しています。そのなかには、いわゆる映像作品とは呼びづらいものもあり、映像表現の問題よりも、それが社会の中でどう機能したかや、何を媒介にしたのかが主眼になっていると思います。それは、初期のヴィデオ・アートが持っていた社会的側面を、日常生活のレベルで実践したものだといえるでしょう。今思い返すと、2009年の「ヨコハマ国際映像祭CREAM」はそのような意味で、今日的な映像の社会的側面を先取りする展覧会だったといえます。従来型の映像作品に併置されるような形で、新港ピア会場の奥には一般来場者が参加する映像発信のためのコーナーが設けられていて、ツイキャスなどで映像が配信されていました。震災以降の試みと重なるものがあります。また、首相官邸前をはじめとするデモについても秋山理央さんなどが記録映像をYouTubeに残しています。廃炉作業が行われる福島第一原発のライブカメラを通して批判的に映像メディアの構造を可視化した『指差し作業員』(竹内公太)の行動もありました。これらのスタンスは初期ビデオアーティストの理念に通じると思います。
 前田真二郎★70さんの『BETWEEN YESTERDAY & TOMORROW』も興味深い例だといえます。これは、ある指定されたルールに従って、作家の日常と思考の移ろいを記録するという作品で、震災以前から開始されていました。震災以降は多数の作家が同一のルールで制作を行っており、多くの作家の状況に震災の影響が不可避的に入り込んでいることが分かります。その中では池田泰教さんのものが最も印象的でした。放射線量が上がってしまった地域に住む兄弟家族へ訪ねて行くというものでしたが、日々の生活に不可避に入り込んできた震災と原発事故の影響が見て取れました。

越後谷──前田さんの作品は震災そのものではなく、制作プロセスの中に出来事が入り込んでしまったもので、日常的な出来事を撮っているシーンも混在していて、僕はそれが良いと思いました。大きな出来事もありつつ、日常は日常としてあって、並行して進んでいくことが作品に反映されていました。
 他にも、震災に関する企画としては、河瀬直美★71さんの呼びかけによるオムニバスの『3.11 A Sense of Home Films』や、被災地支援のために41人の監督が震災の経験を、各3分11秒にまとめたオムニバス「311仙台短篇映画祭制作プロジェクト『明日』』などがありました。いずれもオムニバス形式という共通性があります。

阪本──オムニバスということであれば、松本俊夫さんの『蟷螂の斧』(2009〜2012年)もありました。この作品は複数の映像作家との集団制作をコンセプトとしています。そこでは参加作家から提供された映像を松本さんが再編集することで、主観性を超えた共同体的なものの表現が目指されていました。その第三部「万象無常」では、現代美術家のタノタイガさんが被災地で行ったボランティアの実践である「タノンティア」の映像が多く使用されています。社会内における直接的な媒介物としての映像を皆で共有するという方向は、ある側面において震災以降の文化的な現れだと思えます。

越後谷──『蟷螂の斧』は、第一部から第三部へと進むにつれ、監修者である松本さんの編集権が強くなってゆくことが、当初から決まっていたのですが、第三部は作家の映像もほとんど素材扱い、という感じの過激さでした。コンセプトを立てた松本さんもすごいけれど、それを受け入れた作家もすごい。ネット時代の非人称的な映像が氾濫するという状況の反映にもなっているし、映像における主体性とは何かを考えさせる好企画でした。

★69──1967年生まれ。東北大学教授。建築史、建築批評。著書=『終わりの建築/始まりの建築』『新宗教と巨大建築』『戦争と建築』『過防備都市』『現代建築のパースペクティブ』『建築と音楽』『建築と植物』など。http://www.cybermetric.org/50/50_twisted_column.html
★70──まえだ・しんじろう:1969- 日本の映像作家。情報科学芸術大学院大学(IAMAS)准教授。代表作に「オン」(2000/香港国際映画祭)、「日々"hibi"13 full moons」(2005/山形国際ドキュメンタリー映画祭) など。2005年よりDVDレーベル"SOLCHORD"の監修を務める。
★71──かわせ・なおみ:1969- 日本の映画作家。奈良県出身・在住。8mmの自主映画『につつまれて』(1992年)で山形国際ドキュメンタリー映画祭国際批評家連盟賞受賞、『かたつもり』(1994)山形国際ドキュメンタリー映画祭奨励賞受賞。1997年、『萌の朱雀』で、第50回カンヌ国際映画祭カメラ・ドール新人監督賞。『殯(もがり)の森』(2007)で同審査員特別グランプリ受賞。

[2013年11月5日(火)、DNP五反田ビルにて]

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越後谷卓司

1964年生まれ。愛知芸術文化センター・愛知県文化情報センター主任学芸員。「あいちトリエンナーレ2013」映像プログラム・キュレーター。共著...

阪本裕文

1974年生まれ。映像研究。稚内北星学園大学情報メディア学部情報メディア学科教授。NPO法人戦後映像芸術アーカイブ代表理事。共著『アメリカン...

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