2018年11月15日号
次回12月3日更新予定

artscapeレビュー

KYOTO EXPERIMENT 2018 ジゼル・ヴィエンヌ『CROWD』

2018年11月01日号

会期:2018/10/06~2018/10/07

ロームシアター京都 サウスホール[京都府]

舞台上に敷かれた土の上にゴミが散乱し、欲望の残り香のように銀色に煌めいている。野外フェスかパーティーが終わった後を思わせる、享楽の名残りと虚無的な荒廃感が漂う空間。幕開けとともにアンビエントなテクノサウンドが大音量で流れると、フードを目深に被った女性が下手奥の暗がりから登場し、荒廃した空間を極端に引き延ばされたスローモーションで横切っていく。電子音の反復が刻む浮遊感、時間が引き延ばされたような極度のスローモーション、宗教画のような崇高感さえ漂う光と陰のコントラスト。音響、身体表現、照明の相乗効果により、異次元的な時空間へと一気に引き込まれる幕開けだ。女性はゆっくりとリュックを下ろし、缶飲料を飲み干す。日常的な動作が、意味を脱色され、神話的な荘厳さすらまとって見える。



ジゼル・ヴィエンヌ『CROWD』2018 ロームシアター京都
[撮影:松見拓也 提供:KYOTO EXPERIMENT事務局]


やがて同じく下手側の闇のなかから、2人、3人と、若者たちが集まり始める。すべては無言のまま、極度にスローな動きで行なわれる。嬉しそうにハグし合う者、相手の頭にビールをかけてはしゃぐ者。群れ集う彼らに背を向け、1人タバコを吸う者の頭上には、白い煙が軽やかな重圧でのしかかる。再会の喜びと出会いは、孤独を埋める相手を求める衝動へと集団的に展開していく。上着を脱いで下着姿を見せつける女性。髪をいとおしげに撫で合う恋人。恋人に肩を抱かれながら、別の男性に誘惑的な視線を送る女性。台詞は一言も発せられないものの、散りばめられた身振りと視線のベクトルが、レイヴ・パーティーで踊り狂う熱狂のなかに15名の群像的な物語を紡ぎ出す。それは、不穏さと昂ぶりが共存したビートに乗せて、次々と欲望の相手を入れ替えながら、いつ果てるともなく続く集団的な陶酔と疎外の物語だ。それぞれの欲望を、それぞれが孤独に刹那的に生きている。その提示は、さまざまな感情が身振りのパッチワークとして凝縮された中盤のシーンでひとつのクライマックスに達する。砂や水をぶっかけ合う対立に始まり、キスによる愛情表現、はねつける拒絶、煽るような怒号、牽制し合う威嚇、挑発、醒めた傍観、誘惑が渦を巻くように奔出する。やがて1人の女性を残して全員が力尽きたように倒れ込み、死のような沈黙が訪れる。取り残された女性は、相手の性別にかまわず追いすがるように愛撫するが、彼女の孤独が癒されることはない。



ジゼル・ヴィエンヌ『CROWD』2018 ロームシアター京都
[撮影:松見拓也 提供:KYOTO EXPERIMENT事務局]

こうした『CROWD』を見ていて参照項として連想したのは、ビル・ヴィオラの映像作品と、太田省吾の「沈黙劇」だ。本作の「振付」における構造的な特徴は、ヴィオラを想起させるスローモーションに加え、一時停止、反復、早送りといった映像の技法を援用し、生身の身体表現にインストールすることで、時間感覚を自在に操作する点にある。舞台上の時間は自在に伸縮する。0.1秒以下が延々と引き伸ばされた時間。対照的に、全員が静止したまま、光と陰が移ろっていくシーンは、一日の経過、いや百年が過ぎ去ったようにも感じさせる。時間感覚の操作を駆使することにより、「熱狂を冷静に切り取り、分析し、観察する」というアンビヴァレントさがより強調される。


また、本作の基底には、暴力やドラッグをテーマとする作家デニス・クーパーによるサブテキストが用意されているものの、台詞としては一言も発声されない。それは群像的なムーブメントに置き換えられ、かつスローモーションによる動きの緻密な分析により、心理や感情の襞を繊細に構築する。この手法は太田省吾の「沈黙劇」を想起させるが、例えば、KYOTO EXPERIMENT 2016 AUTUMNでインドの演出家シャンカル・ヴェンカテーシュワランにより上演された代表作『水の駅』は、水飲み場に往来するさまざまな年齢、家族構成、社会層の人々を描くことで(ヴェンカテーシュワラン演出の場合、さらに「多民族」というレイヤーが付加される)、人生という「旅」の諸段階や社会の構成層の多様性、さらには戦争や災害、難民といった社会的出来事をも包摂するものであった。

一方、本作『CROWD』は、一見すると、均質な若者の集団(閉鎖的集団のなかの関係性)を描いているように見える(カルチャーの共有、似通った年齢層、すべて白人という人種的構成)。だが、個々をよく観察すれば、ヘテロセクシャルの男女のなかに、ゲイ、レズビアン、バイセクシャルの人物が配され、引きこもりのような風体で周囲と関わりを積極的に持とうとしない男性もまぎれている。均質性のなかに織り込まれた(性的嗜好としての)多様性、対立はあるが決定的な排除へは至らない微妙な緊張感。ここに、単に若者の集団的熱狂を高密度に再構築したダンスという一面的な見方を超えて、現代社会の縮図としての本作の意義がある。


若者たちは全員、同じ方向(下手奥)から現われ、再び同じ方向に向かって去っていく。彼らの均質性を暗示するラストシーンだが、2人の男性のみ舞台上に留まり、1人は脱ぎ散らかされた服を拾い集め、もう1人はまだ陶酔の余韻に浸っている。その様子を振り返って奥の暗がりから見つめる者がいる。上空を通り過ぎる「飛行機のジェット音」は、現実への帰還、覚醒を告げる音なのか。集団とは別の方角に歩み出す一歩は提示されないまま、すべては闇に包まれる。


ジゼル・ヴィエンヌ『CROWD』2018 ロームシアター京都
[撮影:松見拓也 提供:KYOTO EXPERIMENT事務局]

公式サイト:https://kyoto-ex.jp/2018/


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