artscapeレビュー

地点『罪と罰』

2020年04月15日号

会期:2020/03/20~2020/03/22

京都芸術劇場 春秋座[京都府]

原作小説の舞台、ロシアのサンクトペテルブルクにある国立ボリショイ・ドラマ劇場(BDT)から、劇場の所属俳優が上演するレパートリー作品として『罪と罰』の演出依頼を受けた地点の三浦基。2020年6月のロシア公演に先立ち、地点の俳優を中心とした日本人キャスト版が上演された。

長編小説の骨子を約2時間に抽出し、高利貸しの老婆とその妹を斧で殺害した青年ラスコーリニコフを中心に、彼の妹、金で結婚を買おうと言い寄る男、神への信心を説く母親、身代わりに罪を被ろうとする男、刑の軽減と引き換えに自首を勧める予審判事、そしてラスコーリニコフの自白を受け止める娼婦ソーニャらが織りなす人間関係のドラマが、ポリフォニックな発声と運動量によって紡がれていく。(ロシア語公演への引き継ぎということもあり)言葉遊びによるテクストへの介入と意味の脱臼は薄く、ダイジェスト的な要素が強く感じられたが、本作では俳優の身体運動と「階段」の舞台装置が特に目をひいた。俳優たちは台詞を発話しながら、あるいは無言のままで、ひたすら「歩行」に従事し、階段を昇降し続けるのであり、そこでは「ラスコーリニコフ」「ソーニャ」といった固有名詞は都市の匿名的な雑踏のなかにかき消されていく。「尾行」するように相手のあとをつけ、銃口の形をとった指を相手の頭に突きつける仕草や、「見てましたよ」「あなたですよ」という台詞の反復は、19世紀後半のロシアの裏さびれた街角を、匿名性と監視社会という現代に接続させていく。



[撮影:松見拓也]



[撮影:松見拓也]

「シラミを殺したって罪にはならない」と言いながら、ゴキブリを叩くように掌を床に打ち付けて転げ回るラスコーリニコフの姿は、神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」での殺害事件の被告に死刑判決が下されたタイミングと重なったこともあり、独善的な優生思想と肥大したエゴを戯画として突きつける。川への投身自殺を思いとどまった彼が、ソーニャの厳しい弾劾を浴びながら、「自分は特別で、劣った存在とは違うことを証明するために殺害した」ことを認め、のたうちながら自らの頭に「斧を振り下ろす」動作を繰り返すラストの告白は圧巻だ。彼の告白が欺瞞から真実へと近づくにつれ、「背後の街」は彼から切り離されて奥へと遠ざかり、建物に面した「街路」は「川に架かる橋」に変貌し、何もない空虚な空間が出現していく。その空白を埋めるように執拗に鳴り響き続ける鐘の音。そして、強固な存在に見えた「街」は真ん中で二つに割れ、彼の論理と世界の崩壊を告げる。



[撮影:松見拓也]

また、終盤で語られる、彼が見た「夢」の挿話は、コロナ禍とのあまりにも偶然の一致を見せ、預言的ですらある。「アジアの奥地で発生した恐ろしい疫病が、ヨーロッパ全土へと広がってやがて全世界を侵蝕し、大地を浄化する使命を帯びた選ばれた人々だけが生き残る」という夢だ。ラストシーンで彼は、「誰かいませんか!」と虚空に呼びかけるが、応答する者はいない。それは、選別思想によって淘汰が行なわれたあとの死の沈黙なのだろうか。それとも、コロナ禍による「自粛要請」によってもたらされた「文化的な死」の黙示録的な沈黙の光景なのだろうか。

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