artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

バウハウスへの眼差し EXPERIMENTS

会期:2019/10/21~2019/11/22

東京綜合写真専門学校ギャラリー(1F+4Fギャラリー)[神奈川県]

今年(2019年)は、ドイツ・ヴァイマールに総合的なデザイン教育を目標とする芸術学校、バウハウス(Bauhaus)が誕生して100周年にあたる。それを記念して「開校100年 きたれ、バウハウス──造形教育の基礎──」(新潟市美術館、西宮市大谷記念美術館、高松市美術館、静岡県立美術館、東京ステーションギャラリーに巡回)などいくつかの展覧会が実現したが、東京綜合写真専門学校で開催された「バウハウスへの眼差し EXPERIMENTS」展は、その中でも最も注目すべき企画といえる。

同校校長の伊奈英次のプロデュース、同校講師の鵜澤淑人のディレクション、元川崎市市民ミュージアム学芸員で同校講師の深川雅文のキュレーションによる本展は、二部構成になっている。1階では、伊奈英次がドイツ・ヴァイマールとデッサウで撮り下した歴史的な建築群の写真が「バウハウスを訪ねて」と題して展示され、4階に新設されたギャラリー・スペースでは、バウハウスの活動にインスパイアされた青木大祐、伊奈英次、倉谷拓朴、相模智之、進藤環、竹下修平、原美樹子の7人の作品による「7 EXPERIMENTS」展が開催されていた。

特に注目すべきなのは、4階の「7 EXPERIMENTS」展である。バウハウスは、1923年に教授(マイスター)として招聘されたハンガリー出身のラースロー・モホイ=ナジによって、写真教育の機関としても大きな成果を挙げた。フォトグラムやフォトモンタージュのような新たな技法を駆使した実験的、前衛的な写真群は、多くの写真家、写真関係者に大きな影響を及ぼしていく。写真評論家として健筆を揮い、1958年に東京綜合写真専門学校の前身、東京フォトスクールを設立する重森弘淹もそのひとりで、彼は同校の設立理念として「写真教育のバウハウス」を掲げている。その伝統は、同校を卒業後にさまざまな分野で活動している7人の出品者たちにもしっかりと受け継がれているようだ。デジタル画像の「バグ」を積極的に取り込んで風景を再構築する伊奈英次の「残滓の結晶〈Crystal of debris〉」、1995年に撮影した多重露光の路上スナップ写真を再プリントした原美樹子の「Scatter 1995/2019」、コラージュと複写というこれまで使ってきた手法をより過激にヴァージョンアップした進藤環の「condition」など、どの作品も意欲的に自らの表現領域を拡張し、深川雅文の「デジタルテクノロジーが蔓延しつつある現在、写真は新たな実験の戦場にならなければならない」というマニフェストを実践しようとしていた。

バウハウスの活動を過去の遺産として称揚するだけでなく、未来へと照射しようとする彼らの試みは、さらに継続していってほしいものだ。

2019/10/21(月)(飯沢耕太郎)

レスリー・キー「Bookish」

会期:2019/10/17~2019/11/04

札幌PARCO 5階特設会場[北海道]

北海道在住の写真家たちによって2007年に設立された団体、THE NORTH FINDER(NPO法人 北海道を発信する写真家ネットワーク)は、2007年から毎年秋にSapporoPhotoを開催している。今年も、市内大通りの札幌PARCOの特設会場で、本展をはじめとして、The North Finderのメンバーたちが「食」をテーマにした作品を出品した「Story of Hokkaido Foods」展、「平成最後の一日」と「令和最初の一日」の写真を一般公募した「時代を超えて MILESTONE 〜最後で最初の48時間〜」展などが開催された。また、別会場の新さっぽろギャラリー(札幌市厚別区)では、本年度の東川賞特別作家賞を受賞した奥村淳志の「「弁造」から「庭とエスキース」へ」展も開催されていた。

その中でも、一番見応えがあったのが本展で、シンガポール出身でアート、広告、ファッションなど多彩な分野で活動しているレスリー・キーが、アート・ディレクターの井上嗣也の企画で「本好き」をテーマに撮り下した作品が並んでいた。『みづゑ』、『ヤミ族の原始美術 その芸術学的研究』、『Leica Photographs』など、渋いラインナップの書籍と、ファッションモデルっぽい男女の取り合わせが絶妙で、被写体の魅力がうまく引き出されている。元々は東京、京都のライカギャラリーで展示されたシリーズだが、ほぼ全作品を一堂に会するのは今回が初めてだという。ちょうど札幌PARCOが改装中なので、閉店したテナントの什器をそのまま使って会場を構成している。だが、逆にそのややチープな仮設会場の雰囲気が、レスリー・キーのざっくりとしたカメラワークとうまくフィットして、開放的で生命感あふれる展示になっていた。

SapporoPhotoの企画としてはやや異色だが、広告やファッションの領域をより積極的に取り込んでいくことも今後の可能性として考えられそうだ。

2019/10/20(日)(飯沢耕太郎)

トマス・ファルカス──ブラジルを見つめた近代的な眼差し

会期:2019/10/04~2019/10/31

駐日ブラジル大使館[東京都]

トマス・ファルカス(Thomaz Farkas, 1924-2011)は、ブラジルの近代写真を代表する写真家のひとりである。ハンガリー・ブダペストで生まれ、幼い頃にブラジル・サンパウロに移った彼は、8歳の時に父親からカメラを与えられて撮影を開始し、18歳で当時の最も先鋭的な写真家たちが所属する団体だったバンデイランテ写真・映画クラブ(FCCB)に参加して、ブラジルにおける近代写真形成の一翼を担った。戦後、1948年にアメリカを訪れ、ニューヨーク近代美術館の写真部門を統括していたエドワード・スタイケンや写真家のエドワード・ウェストンの知遇を得て、さらにその写真のスタイルを磨き上げていった。1960年代以降は、ドキュメンタリー写真への傾倒を強め、「サンバ」、「サッカー」、「国内移住」、「カンガッソ(地方盗賊団)」の4部作を発表している。

今回、東京・北青山の駐日ブラジル大使館で開催された個展には、1940〜60年代の彼の代表作20点余りが展示されていた。それらを見ると、スタイケン、ウェストン、さらにポール・ストランドなどがアメリカで確立した近代写真の原理が、いかに強い浸透力を備えていたのかがよくわかる。ネガに手を加えない「ストレート・プリント」、レンズの描写力を活かしあくまでも鮮鋭なピントにこだわる姿勢、被写体のフォルムを造形的に処理していく画面構成などは、第二次世界大戦以後の写真表現のスタンダードとして、世界中の写真家たちに影響を与えていった。ファルカスの作風は、アメリカ・シカゴから1953年に日本に来た石元泰博にとても近い。そして石元と同様に、ファルカスも1960年代以降は近代写真の呪縛から徐々に脱して、それぞれの風土に根ざした写真のあり方を模索するようになっていくのだ。

今回は会場の関係で出品点数が少なく、彼の写真世界の全体像を把握することはできなかった。同時代のブラジルの写真家たちの作品もあわせて見ることができるような、より大きな規模の写真展を期待したいものだ。

2019/10/08(火)(飯沢耕太郎)

イメージの洞窟 意識の源を探る

会期:2019/10/01~2019/11/24

東京都写真美術館2階展示室[東京都]

複数のアーティストが参加するグループ展は、出品者の組み合わせや展示会場の配分がうまくいかないと後味の悪いものになることがある。だが、今回の「イメージの洞窟 意識の源を探る」展に関していえば、それがかなりうまくいったのではないだろうか。北野謙、志賀理江子、フィオナ・タン、オサム・ジェームス・中川、ゲルハルト・リヒターという出品者の顔ぶれを見る限りでは、およそまとまりがあるとは思えないのだが、互いの作品がとてもうまく絡み合って、見応えのある展示空間になっていた。キュレーターの丹羽晴美の能力が充分に発揮されたともいえるが、それ以上に、それぞれの展示作品が出会うことで、思いがけない化学反応を起こしたのではないかと思う。

同じ会場で2019年に開催された、志賀理江子の「ヒューマン・スプリング」展からの1点をイントロダクションとして、沖縄の洞窟(ガマ)の内部を照らし出して撮影したデジタル画像を合成してプリントしたオサム・ジェームス・中川の「ガマ」、生後間もない乳児を印画紙の上に寝かせて、フォトグラムの手法でその姿を浮かび上がらせた北野謙の「未来の他者」、古いニュース映画をつなぎ合わせて、どこか寄る辺のない人類の記憶を再現するフィオナ・タンの映像作品「近い将来からのたより」、写真のプリントの上に直接エナメルや油彩でドローイングするゲルハルト・リヒターの「Overpainted Photographs」シリーズが並ぶ。そのあいだに、初期の写真研究者、ジョン・ハーシェルがスケッチ用光学器械のカメラ・ルシーダを用いて制作した「海辺の断崖にある洞窟」のドローイングが挟み込まれていた。それらの作品が、「意識の源を探る」という展覧会のテーマに直接的に結びついているわけではない。それでも、まさに写真家/アーティストたちのイメージ生成の現場に立ち会っているような歓びを味わうことができた。

2019/10/05(土)(飯沢耕太郎)

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風間雅昭「『路上の記憶』1968-1971」

会期:2019/09/07~2019/10/13

kanzan gallery[東京都]

本展に展示されているのは、1960年代後半から70年代初頭にかけての「政治の季節」における路上の光景を撮影した写真群である。作者の風間雅昭によれば、「いわゆる全共闘運動と称される学生を主体とした運動」には三つの側面がある。「学生と学校当局との対立に端を発しそれが全国の大学に波及した運動」、「その運動に外から参加して運動を実質支配しようとしたセクトの運動」、「集団というほどに組織化されていない……「ノンセクトラジカル」と称される人々の運動」である。そのうち「ノンセクトラジカル」の運動は、「政治運動というよりは文化行動という側面」が強いものだった。風間がその「文化運動の側面」に強い共感を抱いていることは、タイトルを「路上の記録」ではなく「路上の記憶」としたことからもわかる。単なる記録ではなく、記憶として共有し、保持し、想起すべき出来事ということだ。

会場には、1968年6月の「60年安保記念」のデモ、69年1月の「東大紛争」、同2月の「日大奪還」、同10月の「国際反戦デー」、1971年4月の「沖縄デー」など、東京の路上で繰り広げられた「闘争」の過程を撮影した写真群が壁にびっしりと貼られていた。その数は300カット余りだが、実際には9000カット以上が撮影されたという。風間は当時Asia Magazines社の特派カメラマンとして取材にあたっていたので、これらの写真は元々報道を目的として撮られたものだ。だが50年の時を隔てて見ると、政治的なバックグラウンドを事細かに読みとるよりも、学生・労働者と警視庁機動隊員の肉体とが激しくぶつかりあう現場のあり方が気になってくる。風間の当時の意図とは違うかも知れないが、これらの写真群は路上に溢れ出し、うねりをともなって広がっていくエネルギーの場を、その細部に目を凝らして撮影したドキュメントといえるのではないだろうか。写真のカット数をさらに増やし、ぜひ写真集にまとめてほしい。

2019/10/02(水)(飯沢耕太郎)