artscapeレビュー

2021年12月01日号のレビュー/プレビュー

尾黒久美「HESTER」

会期:2021/10/20~2021/11/20

POETIC SCAPE[東京都]

尾黒久美は1995年に渡英して写真を学び、99年からはベルギーに在住して写真家としての活動を続けている。どちらかといえば寡作で、日本での個展も9年半ぶりということだが、着実に自分の世界観を投影した作品を制作し続けている作家といえる。

尾黒の作品の多くには、少女たちが登場してくる。だが、顔をはっきり見せることを注意深く避けているためもあって、彼女たちは人間というよりは人形めいた趣で写っている。尾黒自身も「生身の人間を使って人形遊びをしているようなもの」と表現しているようだ。だが、この「人形遊び」には、単なる絵空事ではないリアリティがある。投げ出された手足、長く伸びた、それだけが別の生きもののような髪の毛、時には不適切な着方をした衣装、断片的で儀式的ともいえるような身振り──それらが微妙な操作によって組み合わされるとき、謎めいた、どこかエロティックでもある雰囲気が生じてくる。演劇的な世界の表出には違いないが、それが最後まで全うされることなく宙吊りになっていることで、逆に観客の想像力を強く刺激するのだろう。

日本ではあまり見ないユニークな作風が、どのように展開していくのかが興味深い。尾黒の作品には、ベルギー(ヨーロッパ)の風土性が、色濃く反映しているようにも感じる。彼女が日本で制作したらどうなるのだろうか。そんなことも考えてしまった。

2021/11/17(水)(飯沢耕太郎)

日野之彦「窓辺」

会期:2021/10/15~2021/11/20

SNOW Contemporary[東京都]

タイトルどおり窓辺にたたずむ少女像を含む絵画4点に、小品やドローイングを加えた展示。最初の1点は、窓をバックにした少女の胸から上の像で、日野独特の大きく見開いた目が特徴だが、今回はその背後に描かれた窓の外の鮮やかな緑の風景にも焦点が合っている。また、窓の縁の垂直線を画面の左右端に入れることで、窓ガラスを挟んで屋内の少女と外の風景が別の世界であることを示すと同時に、矩形の絵画形式を強調してもいる。もう1点は窓辺に寄りかかり、片手を窓ガラスに触れた同じ少女の全身像。こちらは窓枠と床の線で縦長の画面が4分割され、そこに少女の長い手足が左上から右下へと斜めに横切る構図だ。目を引くのは窓の描写で、表面に手や雑巾の拭き跡が残っていて、その曇りガラス越しに外の風景がうっすらのぞいていること。それだけでなく、モデルの腕の反射まで描き込んでいる。

あとの2点は小太りの男性を描いたもので、「窓辺」とは関係なさそうに見える。1点は太鼓腹もあらわに上半身裸で横たわったもので、見開いた目が気持ち悪いが、対象に文字どおり肉薄していて、色彩や筆づかいはルシアン・フロイドを思わせる。最後の1点はおそらく同一人物の顔を描いたもの。こちらは眼鏡をかけているが、じつはその眼鏡に窓が反射し、さらに窓の外の風景まで描いているのが見て取れる。なるほど、彼も窓辺にいるのだ。その眼鏡の反射の奥には大きな目も描かれ、その瞳にはどうやらこちら側が映っている。つまり、眼鏡に反射して窓が見え、その窓を通して外の風景が見える一方で、眼鏡を通して目が見え、その目に反射してこちら側が見えているということになる。眼鏡のガラス面という小さなスペース内に、イメージの反射と透過が幾層にも織り重ねられているのだ。言葉でいうのもわずらわしいが、それを絵に描くとなるとさらに困難な作業だったに違いない。

2021/11/19(金)(村田真)

村上賀子「Known Unknown」

会期:2021/11/09~2021/11/22

ニコンサロン[東京都]

村上賀子(むらかみ・いわうこ)は、1986年、宮城県仙台市出身。2012年に武蔵野美術大学大学院造形研究科修了後、コンスタントに写真作品を発表するようになった。これまで、折り紙とそれにまつわる折り手の記憶を写真とテキストで浮かび上がらせた「Untitled Origami」(2015-)、「記憶の生成の場」としての家をいくつかの角度から撮影した「Home works 2015」(2015)などのシリーズを制作・発表してきたが、今回の「Known Unknown」も、発想から実際の展示まで、丁寧に手順を追って組み上げられたいい作品だった。

6×7判の中判カメラで撮影されているのは、女性のいる室内の光景である。それらの写真群は、彼女たちが「自宅などで(カメラがないかのように)いつも通りに過ごす」という設定で撮影されたものなのだという。村上はコロナ禍のステイホームの時期に、セルフポートレイトの延長のように、部屋にいる同世代の女性たちにカメラを向けるようになった。そこでは、通常のポートレイトのような、写真家と被写体との間の緊張感を孕んだ自己と他者との関係は解体し、自分であるとともに他人でもある(あるいはその逆の)、両義的だが、奇妙なリアリティを備えた存在が出現してくる。カメラをセットして、被写体となる女性たちに自由に動いてもらい、ストップ・モーションをかけることで、シャッターを切るタイミングを生み出しているということだが、その選択が的確なので、村上の意図がきちんと伝わる写真群になっていた。「見覚えのある自分と、見覚えのない自分」「想像通りの自分らしさ」「なぜ私だと言えるのだろう」といったテキストと、展示されている写真との間の関係・配置の仕方も、とてもうまくいっていたと思う。

村上は武蔵野美術大学で山崎博の教えを受けたのだという。コンセプチュアルな指向性を貫きながら、偶然性を取り込み、作品にふくらみを持たせるあり方は、たしかに山崎と共通している。派手な仕事ではないが、いい鉱脈を見出しつつあるのではないだろうか。

2021/11/19(金)(飯沢耕太郎)

橋本貴雄『風をこぐ』

発行所:モ*クシュラ

発行日:2021/09/28

福岡に住んでいた橋本貴雄は、2005年に白っぽい毛並みの犬が路上で倒れているのを見つけ、家に引き取ることにした。フウと名づけられたその犬は、事故の後遺症で後ろ脚が不自由になっていたが、既に二匹いた橋本家の飼い犬として暮らすようになった。橋本はその後、2006年に大阪に、2008年には東京に、2011年からはベルリンに移り住む。ベルリン在住の途中で、フウの後ろ脚の機能が低下し、車椅子が必要になるが、2017年に亡くなるまで12年間を共に過ごした。

『風をこぐ』には、そのフウの姿を福岡時代から折に触れて撮影した写真がおさめられている。特に「作品」として発表しようと考えていたわけではないようだが、結果的に犬と人との関係のあり方が細やかに、しかも奥深くとらえられた、あまり例を見ない「私写真」となった。後書きにあたる文章に「ただ、フウの歩いているほうに歩いていき、流されるように、そこに現れてくるものを撮った。12年間、私はフウのそばにいて、ただ見つめていたように写真が残った」と記しているが、その自然体の撮り方によって、橋本とフウとの一心同体の関係のあり方がじわじわと浮かび上がってくる。見終えた後に、心に沁みる余韻が残る写真集である。小さめの、ポストカード大の図版を配した岡本健+の装丁・レイアウト、大谷薫子の丁寧な編集も、写真のよさを最大限に活かしたものになっている。

2021/11/21(日)(飯沢耕太郎)

libido:Fシリーズ episode:01『たちぎれ線香』/episode:02『最後の喫煙者』プレビュー

会期:2021/12/10~2021/12/26

せんぱく工舎1階 F号室[千葉県]

theater apartment complex libido:は岩澤哲野、大蔵麻月、大橋悠太、緒方壮哉、鈴木正也による「演劇の拠り所」。「libido:Fシリーズ」はlibido:が拠点とする千葉県松戸市のクリエイティブ・スペース「せんぱく工舎」F号室を舞台に、所属する三人の俳優それぞれが持ち込んだ企画を演出家の岩澤が演出するひとり芝居のシリーズだ。

会場となるせんぱく工舎はもともと神戸船舶装備株式会社の社宅だった建物を改装したスペース。共有部のウッドデッキと芝生が開放的な1階にはカフェや本屋やバルが並び、室内すべてがDIY可能な2階のアトリエにはさまざまなアーティストが入居している。libido:が入居するF号室は1階の一番奥。今回の「libido:Fシリーズ」は2020年にF号室前の芝生を使って上演した『libido:AESOP 0』(原本:『イソップ寓話集』、構成・演出:岩澤哲野)に続く本拠地での公演となる。

episode:02として12月に上演されるのは緒方の企画による『最後の喫煙者』。ロロやKUNIOの作品でも俳優として活躍してきた緒方が筒井康隆による同タイトルの短編小説を演劇として立ち上げることを試みるという。『最後の喫煙者』の公演期間には5月にepisode:01として大橋の企画で上演された『たちぎれ線香』の再演もあわせて行なわれる。今回は両公演のプレビューとして5月の『たちぎれ線香』初演版を振り返る。


[撮影:畠山美樹]


『たちぎれ線香』は同タイトルの古典落語をもとにしたひとり芝居。『たちぎれ線香』というタイトルはかつて花街で芸者と過ごす時間、ひいてはその代金を線香の燃える長さで計っていたことに由来する。筋立ては以下の通り。ある商家の若旦那が小糸という芸者に惚れ、店の金に手をつけるほどに入れ上げてしまう。親族と店の者による会議が開かれ若旦那を懲らしめるためのさまざまな案が出るが、結局、番頭の案で若旦那は100日のあいだ蔵で暮らすことになる。その間、毎日のように小糸から旦那への手紙が送られてくるが、番頭はそれを自分のところで止めてしまう。80日目には「この手紙を読んだらすぐ来てください そうでなければもうこの世では会えないでしょう」という文面の手紙が届き、それを最後に小糸からの連絡は途絶える。100日を終えた若旦那はすぐに花街へ向かうが、小糸はすでに亡くなっている。小糸にあつらえた三味線と位牌を仏前に供えた若旦那が手を合わせると、三味線は若旦那の好きな「雪」という地唄を奏ではじめる。それを見た若旦那は小糸に許しを請うが、すると三味線の音は止まってしまう。小糸はもう三味線を弾けないと言う女将に若旦那が理由を問うと彼女はこう答える。「仏壇の線香がたちぎれでございます」。


[撮影:畠山美樹]


[撮影:畠山美樹]


もともとは上方落語で演じられていた『たちぎれ線香』の舞台となる花街は、上方では船場、東京では本所あるいは日本橋に設定されているという。今回のlibido:版ではかつて松戸にあった平潟遊郭に舞台をローカライズ。のみならず、芝居の導入として枕がわりに流れる映像にもせんぱく工舎周辺のさまざまな松戸情報が盛り込まれ、松戸での上演ということを強く意識させる演出となっていた。

せんぱく工舎は地元の人々の憩いの場となっており、『たちぎれ線香』の親密な客席の雰囲気も、libido:という団体が場所や地域に受け入れられているからこそだろう。娯楽として完成されている古典落語の演目をベースにしつつ地元の要素を入れ込んだ作品を上演するという選択も場所の性格に馴染んだものだ。「地元ネタ」には松戸駅からせんぱく工舎に至るまでに通りかかる場所も含まれており、松戸の外から訪れた私も興味深く聴いた。


[撮影:畠山美樹]


落語原作のひとり芝居らしく、大橋のひとり複数役は見どころのひとつ。元社員寮の一室という狭い空間をしかし巧みに活かし、観客を飽きさせない。照明による場面転換も効いている。悲恋にアイロニカルな結末をつける原作のサゲ(オチ)に対し自分たちなりのサゲを提示しようとする意欲にも好感をもった。

落語を現在形の演劇として立ち上げるためと思われる工夫のなかには効果的なものもあれば首を傾げたものもあり、全体としてはまだまだブラッシュアップの余地があるようにも思われたが、それが比較的容易なのもひとり芝居の強みだろう。俳優にとっては自分だけの武器ができることも大きい。俳優自身が企画を持ち込み、演出家と一対一で作品をつくる「libido:F」シリーズは、俳優・演出家双方にとって自らの役割や創作の方法を見直す契機となるはずだ。

『最後の喫煙者』は12月10日(金)から、『たちぎれ線香』は17日(金)から26日(日)までの各週末に上演される。詳しいスケジュールは公式サイトで確認を。


[撮影:畠山美樹]


[撮影:畠山美樹]



libido::https://www.tac-libido.com

2021/11/30(火)[2021/05/30鑑賞](山﨑健太)

2021年12月01日号の
artscapeレビュー