村田真/原久子 |
|
11/9-11/12 |
|
|
|
|
INDEXLESS──ノブのないドアー
11/10〜/1/23 アサヒビール大山崎山荘美術館[京都] |
|
|
|
|
アサヒビール大山崎山荘美術館の民藝やモネ、ドガなどのコレクション作品の間に、日比野克彦、宮永愛子の作品が展示された。日比野はデビュー当時からダンボール紙を素材として立体作品などをつくる。宮永は防虫剤として使われるナフタリンを素材にしている。ナフタリンは時間がたつと昇華してしまう。ダンボールも日常的には消費される素材だ。この展覧会のサブタイトルは「永遠に残る名品と永遠に残そうとしない名品」とある。モノとして残すことが重要なのではなくて、人々のなかに魂としてなにかを残すことが大切なのだという意だろう。日比野がダンボールでつくったバッグのなかに、宮永の作品が入ったコラボレーション作品が1点ある。実はこの2人は、東京芸大の先端表現芸術科の教員と学生という子弟関係にもある。日比野さんにとっても、宮永さんにとっても、つぎになにかつながってゆくといいナと思いました。
[11月9日(火) 原久子] |
|
|
|
|
陳維錚展 制度の住人
11/2〜13 石田大成社ホール[京都] |
|
|
|
|
横断歩道のゼブラ模様が床に光と影でつくられ、そのうえを移動すると、信号機が赤になったり、青になったり反応する。以前に陳維錚の「制度の住人」という短編の映像を観たが、はるかに映像作品のほうがよかった。人が介在してインタラクティブに信号のサインが変化するインスタレーション作品に、これを表現せねばならないという必然性が感じられなかったことは残念だ。
[11月10日(水) 原久子] |
|
|
|
|
長崎県美術館 新館見学
|
|
|
|
|
来年4月にオープンする長崎の美術館は、出島にあって長崎港を一望できる。シンプルですっきりした隈研吾の設計による建物。コレクションはスペイン美術が主なるものという。出島貿易ではポルトガル・オランダと習ったような記憶があるが、出島と関係なくても、問題はないのでしょう。マドリッドのプラド美術館と修復や研究などの交流を正式にやるらしいし、けっこう本気の美術館かもしれません。
[11月11日(木) 原久子] |
|
|
|
|
三嶋りつ惠 「光の縁側」
10/22〜11/20 SHUGO ARTS[東京] |
|
|
|
|
ヴィネツィア在住のガラスの作家の個展。敷き詰められた砂は起伏がつけられるなどして、海岸のように見える。縁側のような場所から、砂のうえに点在するガラスの器を見る設定になっていた。自然に特設の縁側に腰をかけて、作品に見入ってしまったということは、よい展示だったのだろう。白い四角い台座に載っているような展示よりもちろんはるかによいはずだ。
[11月12日(金) 原久子] |
|
|
|
|
タイトル:イングリット・ヴェーバー「ファルブミッテル」
11/6〜12/18 タグチファインアート[東京] |
|
|
|
|
となりのギャラリーの前沢知子の作品とは対照的なもの。キャンバスのうえに重ねられた絵の具の凹凸の間を光が反射して複雑に色が浮かび上がるのが見えた。
[11月12日(金) 原久子] |
|
|
|
|
木村伊兵衛展 Ihei Kimura──The Man with the Camera
10/9〜12/19 東京国立近代美術館[東京] |
|
|
|
|
常設展示と木村伊兵衛の作品を見るだけで精いっぱいで、草間展も観たいけど、根気がもう続かなかった。たくさん作品はあったけど、京都で撮られた蓮池の写真がどういうわけか、あとあとまで脳裏に残っていた。
[11月12日(金) 原久子] |
|
|
|
|
西尾康之
10/30〜11/27 山本現代[東京] |
|
|
|
|
指を使って作った型にプラスターを流し込んでつくった彫刻。この指の触感付きの西尾パワーは止められない。手強い生命体のように、小さい作品も大きい作品も、無関係にどんな隙間にも浸食してきそうな気配がある。過激な言い方をすれば犯されそうっていうのかな。
[11月12日(金) 原久子] |
|
|
|
|
中山ダイスケ
10/30〜11/27 Kodama Gallery Tokyo[東京] |
|
|
|
|
西尾作品を観た後に中山ダイスケの絵画作品が並ぶギャラリー内を見渡すと、nightmareから抜け出したような気持ちになった。
[11月12日(金) 原久子] |
|
|
|
|
アントニー・ゴームリー「アジアン・フィールド」
11/6〜28 旧東京都立城南高等学校体育館[東京] |
|
|
|
|
体育館の床一面を高さ10〜20センチほどの素焼きの粘土像がびっしりとおおっている。約20万体あるそうだ。これはゴームリーの主導のもとに市民が制作・展示するプロジェクト「フィールド」シリーズのアジア版で、昨年中国を巡回したもの。実はこのインスタレーション、横浜のBankART1929で来年やらないかと打診があったのだが、別の組織によってひと足先に東京で実現したわけだ。こけしみたいな単純な形態にふたつの眼窩がうがたれているだけのこの粘土像、ゴームリーの名前ともあいまって、土からわき出た怪物ゴーレムを彷佛させる。それはともかく、疑問がふたつ。ひとつは、粘土像の大群のなかに机と椅子が並んでいるけれど、ふつう体育館に机と椅子は置かないんじゃないかしら。学校であることを強調したとすれば蛇足というべきだ。もうひとつは、このプロジェクトの目的が市民との共同制作にあるならば、中国でつくったものをもってくるより日本で新たにつくるべきではなかったか。もちろんたいへんな作業になるけれど、これが世界各地に増えていって地球上の人口を上まわれば、恐ろしくも痛快な事件になるのに。
[11月5日(金) 村田真]
粘土でつくった人形の一つひとつは、高さ15センチほどで小さいもの。だが、約20万体も目のついたやつらがこっちを見ていると、束になるとスゴイんだと思い知らされる。87年から継続して、世界のいろいろな地域で行なっているゴームリーのプロジェクト「フィールド」。中国で350人の一般市民がつくったオブジェは、上海ほか中国4都市でも、ボランティアの力で並べられた。東京でも延べ150人の人たちがこの体育館での設置に協力したという。壮観だった。オブジェが1体もなくなった体育館も見てみたい。
[11月12日(金) 原久子] |
|
|
|
|
アントニー・ゴームリーによるアーティスト・トーク
11/12 六本木アカデミーヒルズ49階 オーディトリアム[東京] |
|
|
|
|
作家自身による話というのは、やはりとてもリアリティがある。「フィールド」というプロジェクトについても、そのプロセスも追体験したような気分になった。ゴームリー自身が作家として、そのときどきにどのような気持ちでいたのか、これまでの作家生活を通してのこともきちんと説明が聴けた。欧米系の聴講者が全体に占める割合が高かったが、質問したい人も多くて、私もやっと最後に質問を受け付けてもらえた。挙手して、指されなくても皆は質問を大声で言いはじめる。そんな教育を受けなかったせいで、こういう場では負け犬になってしまう。まえにも外国でアーティストの後ろにいて、質問する順番を得られないまま、すごすごと帰った経験を思い出した。
[11月12日(金) 原久子] |
|
|
|
|
"live FAR"
11/12〜13 Super Deluxe[東京] |
|
|
|
|
志賀理江子の写真作品が、たんにスライドショーではなく、映像作品になったというので、見に行った。藤乃家舞のライブとの共演だったが、個人的にはチャンスがあればサウンドなしで観るか、まったく別なサウンドをつけて観てみたいというのが正直な感想である。
[11月12日(金) 原久子] |
|
|
|