トークシリーズ:「Artwords」で読み解く現在形
6. レム・コールハースの影響
──この十数年の間、レム・コールハース
。
藤村──「CITY2.0」はどちらかというとMVRDV の影響がありました。MVRDVがスタイロ模型を積み上げて、オランダの住宅地開発やルール地方の再開発をどうするかということをずっとやっていたので、大きく言えばコールハース文脈ですが、政治性に情報技術を前提とした対話でどう社会に入っていくかということをやっていたのがMVRDVだったと思います。
五十嵐──コールハースは、まさに今回話題にしている期間にビッグスターになりました。もちろん1995年当時も注目はされていましたが、本格的に大型のプロジェクトが実現してなおかつ著作・展覧会・リサーチプロジェクトで分厚いものがこの期間に幾つも発表されました。間違いなく20世紀末から21世紀初頭で最も重要な建築家になりました。コールハースはいわゆるモダニズムに対するアイロニーとしての巨匠というニュアンスが強いと思います。アイロニーがとにかくあって、なおかつ巨匠である。しかし、コールハースから下の世代というのは、アイロニーにはこだわらないというか、むしろ愚直であっても、どうストレートに作るかみたいな方に少しシフトしているのが世代の差なのかと思います。
コールハースは優秀なスタッフを大量に抱え、本も展示もやっていますが、いろいろと面白い試みがありますね。例えば、ネット上にアップされた素人が撮ったシアトルの公立図書館の写真をチョイスして、それを自分の作品集に乗せるということをやっています。普通の建築家ではこれまであり得なかったと思います。いかに美しく素晴らしい建築写真を自分の作品集のなかに残せるかというのがモダニズム的な建築家の作品集の一般的な役割だとすると、素人写真をネットから撮ってきて、それを並べる方法というのは画期的で、既存の作品集に対するアイロニー的な批評性もあります。よく言われているようにAny会議の10年間を通じて、結局、最後に生き残ったのはコールハースですし、隈さんもポストモダンと今の時代の両方をサバイバルしてきたイメージがあります。
藤村──重松象平 さんは、コールハースはアイゼンマン的な思想的な文脈に依拠して建築論を組み立てる建築家のあり方に対して、プロジェクトによって敷地が違うし要求が違うのだからそれに従えばいいんだという考え方で突き抜けたと言っていました。「ネクサスワールド」 のときも、敷地が道路を挟んで2つあってそこをどう秩序を作るかと問いを立てて設計を始めたというエピソードがありました。伊東豊雄さんや妹島和世さんはコールハースのそういったリードによって浮かび上がってきた印象があります。
ただ、コールハースはメタなアイロニーとベタにストレートなアプローチが同居しています。コールハースの弟子の中にもアイロニー軸の人が何人かいて、例えば、施主にファンズワース邸 など巨匠の作品をいろいろ見せて、それでこれがいいと選んでもらってそのまま建てましたということをやっていたONE ARCHITECTUREという人たちなどもいましたが、そういった人たちは消えてしまいました(笑)。逆にMVRDVとか、BIG などストレート軸の人が生き延びてますね。
同様の比較をすると、妹島さんはコールハースのストレート軸を受け継いでいて、青木淳さんはアイロニー軸を受け継いだと思いますが、青森県立美術館のアイロニーは日本でもあまり受け入れられなかったように思います。
五十嵐──青木さんは間違いなく知的な建築家なのですが、その複雑さゆえに、伝わりにくいと思うんです。青森県立美術館は偽装されたポストモダン建築だと思っていますけど、重層的にさまざまな仕掛けが施されている。今回あいちトリエンナーレで杉戸洋 とコラボレーションして、名古屋市立美術館の空間を読みかえるリノベーション的なプロジェクトも本当にすごいと思っているのですが、写真で簡単に表現ができない。海外メディアに情報が出るときに、遠藤秀平さんの作品のように一目で特徴的な形態を持っていれば、ポンピドゥーのフレデリック・ミゲルー なども理解してくれますが、青木さんの作品はそういう意味ではシンプルな強いかたちをめざしているわけではない。一方で隈さんの建築はとてもフォトジェニックですね。しかし、やはり複雑なデザインを行う坂本一成 がヨーロッパでも伝わるようになったのだから、青木さんも時間はかかるかもしれないけどもっと受容されるかもしれない。
藤村──坂本一成は篠原一男 とアトリエワンの間で浮かび上がってきたと思うので、その間をつなぐ文脈ができたんじゃないでしょうか。隈さんはアイロニー軸で出てきたんだけれど、その後ストレート軸に展開したのでようやく評価されたという一面もあると思います。中山英之さんは頭が良くて建築におけるアイロニーを理解して実践している数少ない人ですが、彼の最も知的な部分はあまり正当に評価されていないと思います。単なるファンシーな趣味が評価されてしまっている印象です。
天内──コールハース以後、建築をめぐるエネルギーが、言説ではなく感覚に移ったという五十嵐さんのお話がありましたが、それはコールハースの言説の手のひらの上で展開されているような事柄なのかなという気もします。つまりコールハース以後、建築は別に進んでいないのではないか。国内外の建築理論のアンソロジーを見ても、大体コールハース以後は「いろいろ」みたいな、現代のカッティングエッジみたいな適当なまとめ方でバラバラに並べられているだけ。体系的な進展というのが特に整備されていないというのがこの15年どころか30年くらいの状況なのではないでしょうか。
その中で伊東さんやSANAAが浮かび上がってきたという話だと思うのですが、感覚だけではハコモノという形で残るよりアートイベント的に消えてしまう可能性がある。建物が残るかどうかもそうですが、彼らの考え方や名前が残るかどうかという問題です。名前といっても名誉とか権威とかの話ではなく、思想に対するインデックスとしてです。その意味で立場の弱いかもしれない建築家が今メディアの表面に出ている人たちで、ロジックをもってクライアントに説明できる建築家像というのはしばらく放っておかれているところがあります。これをやりなおそうと叫んでいるのが藤村さんという位置づけもできる気もします。
ではアートイベント的なものからハコモノ的なものに戻るのかというと、違うと思うんですが、地道に語り続けて地域に必要な建物を説得できる建築家というのがこれからのあるべき姿なのかなという気がしています。
藤村──いま磯崎さんの論集を編集していますが、磯崎さんは、国家―企業を19世紀、20世紀、21世紀とおおまかに図式化して、建築家にとって広義のクライアントである権力の主体、組織、手法について、国家―官僚組織―計画が主流だった時代から、市場―民間企業―投機へと移ってきて、次は何なのかという問いを立てています。
磯崎さんは日本では45年から70年が官僚による「計画」の時代、70年から95年が民間による「投機」の時代、95年以後に新しい権力による「手法X」の時代だと述べています。その「手法X」が何だというのがこの論集の肝なのですが、その部分の原稿が待てども待てども来なかった(笑)。
私は新しい権力というのは「市民」なのではないかと思っていてます。市民というのはいまは官僚組織よりも民間企業よりも強くて、市民がこう言っていますと言うと企画が変わるくらい強くなっている。それを建築家として手なずけられるかというときに、集合知的な設計手法がイメージされるのではないかと考えています。それは情報化以後のひとつの権力像であり、都市像であり、設計者像です。それを整理するのがコールハース以後の重要な建築理論のあり方ではないかと思います。
7. コミュニティ・アーキテクト
天内──伊東さんや妹島和世
藤村──僕はあまり「コミュニティ」という言葉は民間の話になってしまうので使わないようにしていますが、行政単位でいう学校区にはコミュニケーションの基礎単位として注目しています。
今後の日本のガバナンスを考えると、JRの区分的な広域の経済圏の単位と、近隣住区論の学校区くらいの単位が重要であって、その2つをどう扱うかが重要になると思います
五十嵐──現在、コミュニティ・デザイナーの山崎亮 さんの活動が非常に注目されています。学生のあいだでいわゆる建築のオルタナティブとして高い関心をもたれていますし、一般メディアからも人気があります。当然、かたちやベタなデザインとは違うものがアウトプットになっています。そこで以前から「山崎亮問題」と言っているのですが、いわゆる従来の建築の指標からは記述しにくい、山崎亮のプロジェクトをどう第三者から説明し、評価可能なのかに興味があります。
藤村──山崎さんは関西出身かつ造園分野の出身で、建築を少し周辺から斜めに眺めながらキャリアを積み重ねた人だと思います。ある意味で極めて関西的な、安藤忠雄さんのような形で出てきたポピュリストだと思います。しかも主なフィールドとしているのが中山間・離島地域ですね。墨田区でも活動していますがそれはあくまでも食育など、官僚組織の中では最も周辺的な部署です。メディア的な注目度は高いとしても、その立ち位置の偏りについては背景として理解する必要があると思っています。
五十嵐──僕もまだよく言語化できないのですが、分からないということは僕の限界かもしれない。なので、それは市川紘司 君とか下の世代の人がやるべき仕事ではないか。山崎さん本人の言葉とプレゼンスが立ちすぎているので、それを第三者が言語化するとよいと思います。僕は建築・美術史的な素養を背景に自分が育ってきているので、例えば石上純也の仕事は100%説明可能だという自信があり、博打だと思っても推せる。だけど山崎亮さんのやり方は、自分がこれまで勉強していた言語体系とは少し違う。だから、それを誰かがきちんと語ることができれば、その世代の批評家として頭角をあらわすチャンスではないかと思います。僕だって、90年代の半ばにアトリエ・ワンやみかんぐみが登場したとき、それを上の世代の批評家が語らないから、その役割がまわってきて、批評を書くようになった経緯があります。
藤村──山崎亮さんを見るときには、神戸で活躍したアーバンデザイナーの水谷頴介 を介すると安藤さんと繋がるかもしれません。安藤さんももともとは水谷スクールに二年くらい所属をしていて、神戸の下町のまちづくりにも関わっていたそうなのですが、その安藤さんもフォルマリストに転向して躍進していきました。山崎さんの語りにくさは安藤忠雄のそれと似ているのではないかという気がしてます。
五十嵐──安藤さんはそれでもモノとしての明快なアウトプットができるので、安藤さんのキャラクターを抜きにしても語れなくはないし、作っているものは海外の批評的なコンテクストに接続するように出来ているので、そういう意味では説明が充分可能だと思います。
藤村──山崎さんは、アメリカの郊外で廃品などを駆使して建築作品を作っているルーラル・スタジオ の活動を最大限に評価しています。彼は今のところそういうものは作っていませんが、今、小豆島で醤油の容器を使って作品を作ったりしているので、そのうち転向があるのかもしれません。
天内──その神戸のまちづくりスクールみたいなものは役所の主軸みたいなものなんですか?
藤村──水谷頴介さんは変わった人で、30歳前後で神戸市のポートアイランドの計画策定委員会を仕切っていたという人なのですが、正式な役職としては神戸大学で非常勤をやっていたくらいで、アカデミックなポジションには就かずに民間人としてコンサルをずっとやっていました。神戸市はずっと水谷スクール一派にコンサルタント業務を発注し続けたのですが、震災以降は神戸市からの発注がぐっと減ってしまったそうです。水谷さんは晩年は福岡に移動して、福岡で「シーサイドももち」の設計をします。
ただ、彼は同時にフォルマリティックな建築家でもあって、「四国物産本社」はそれこそフレデリック・ミゲルが今回リストに加えるような、極めて形態の個性が強い作品です。住宅は最晩年まで設計し続け、最後は福岡の能古島に3つほど作品を残しています。