トークシリーズ:「Artwords」で読み解く現在形
2. 2000年代半ばから現在──歴史の再検討、共感覚を問う
金子──「サウンディング・スペース」展の直前には、「E.A.T.──芸術と技術の実験」展
畠中──「サウンド・アート」展の時にあった批判を受け止め、再考しました。その成果が「サウンディング・スペース」展です。ひとつ前の展覧会が「E.A.T.」展でしたので、準備期間としては、並行していたことになります。「サウンディング・スペース」展を準備しながら、「E.A.T.」展のイヴェントとして、小杉武久さんらによる「デイヴィッド・テュードア《レインフォレストIV》」 の公演を行なったのですが、それは私が担当していました。デヴィッド・テュードアによる、ライヴ・インスタレーション作品で、小杉、ヤマタカEYE 、和泉希洋志 の3人が演奏しました。演奏する回路は小杉さんがつくったりしています。僕の中では、サウンド・アートの歴史をおさえるという意味では、「サウンド・アート」展と「サウンディング・スペース」展の中間に位置しており、ひとつにつながっているという印象でした。「E.A.T.」展のカタログにも「E.A.Tにおける音楽/インターメディアの実験」というタイトルのエッセイを寄稿しています。2000年の「サウンド・アート」展から見れば、現在から過去に視点を移したということで、後退したと見られたかもしれませんね(笑)。いや、実際まったくそんなことはないのですが、むしろそれが「サウンディング・スペース」展に大きな影響を与えています。
金子──2000年代半ばには過去を振り返る姿勢があったということですね。そして、音という抽象的なテーマから、より具体的な事象へ次第に関心が移り変わっていったと言えそうです。そして、2007年に「サイレント・ダイアローグ 見えないコミュニケーション」展(2007) がありました。これは「サウンド・アート」展とはまた違った、新しさのある展覧会でした。
畠中──「サイレント・ダイアローグ」展や2010年に開催した「みえないちから」展 では、あえてサウンド・アートとは銘打っていませんが、ともにサウンドにも焦点をあてた展覧会ということではつながっています。展覧会のテーマは特にサウンドのみによって表わされているわけではありません。むしろ、サウンドだけではなく、映像作品やインタラクティヴ・アート も、いろいろな要素を持った作品によって表現されている。そして、それがもう一度サウンドにフォーカスさせることにもつながっていると思います。「みえないちから」の発端になっているのは、オスカー・フィッシンガー の言葉とそれに触発されたジョン・ケージ です。フィッシンガーは、「すべてのものに精霊が宿っている」と言い、その精霊を解き放つためには「そのものを響かせればよい」と言いました。テーマは振動とあらゆるものに内在するエネルギーです。それは、ケージという音楽家のエピソードが契機になってはいますが、音だけで表現されるものではない。アーティストたちにもその傾向があったと思います。2000年に音の作品《置かれた-或いは置き換えられた音》をつくっていた志水児王 は、2010年にはレーザーを使った作品《クライゼンフラスコ》を出品しています。それは直接サウンドに関する作品ではありませんが、レーザーをフラスコに照射して、その透過、反射するレーザー光を空間に投影するものです。
金子──「サイレント・ダイアローグ」展は副題が「見えないコミュニケーション」で、「みえないちから」展が続きます。2000年代前半のICCの展示を象徴では「音」そのものが重要なテーマだったのに対して、後半は「見えないこと」というテーマが浮かび上がってきますね。
畠中──ここで言う「見えない」というのは、音が物理的に見えないということではなく、関係性みたいなものを指しています。また、音で考えれば「聞こえない」ということでもよくて、音は聴こえないのに、音の作品である、というような作品にもつながっていきます。
金子──確かに音を使わないけれど音をテーマにした作品は色々ありますね。抽象絵画が音楽や音を主要なモチーフにしたことはよく知られていますし、フルクサス のテキスト作品や、クリスチャン・マークレイ の初期のビジュアル作品もそうでしょう。三木富雄 さんの彫刻も思い当たります。
自分が関わったものですが、城一裕 さんがオーガナイズしたICCキッズ・プログラム 2010「いったい何がきこえているんだろう」 でした。聞こえているのか聞こえていないのか、または何が聞こえているのかわからない、そうした感覚を他の五感と組み合わせた作品がとりあげられていました。
畠中──大雑把に言ってしまうと、やはり2000年以前の音は「聴く」ことを主体としたものでした。つまり、聴くことを通じて思考を促したり、あるいは音に耽溺させたりする。実は「サウンド・アート」展の隠しコピーは「サウンドの快楽」でした。カタログでも、ロラン・バルト『テクストの快楽』(みすず書房、1977)を引用したりしています。一方、2000年以降になると、音は聴くため「だけ」のものではなくなっていきます。音を想起させる、あるいは可聴域外の音を使用する、音以外のもので音を表現する、などです。それはいわゆる音響派、つまりある種の音のマチエールを愛でるような態度への批判という側面もあるような気がします。聴くことに偏重しすぎたサウンド・アートへの批判というか。
金子──「見えないこと」は聴覚だけでなく視覚の問題でもありますね。
畠中──たとえば、藤本由紀夫さんはコンセプチュアルな作品を制作しますが、オルゴールを使った《HORIZONTAL MUSIC》(1986)や《屋上の耳》(1990)は、視覚的な要素もありますが、とりあえずは耳で聴くためにつくられていると思います。一方で音に限定されない作品を制作されてもいます。耳(鼓膜)の快楽だけではなく、テクノロジーやメディアを媒介した、いわゆる音とは違ったやり方での音の現れが追求されてきました。ですから、そういう意味では「サウンド・アート」展自体も実は「以前」の方に属していたのかもしれません。やはり2000年ころ(企画は1999年より)はまだ過渡期だったのでしょう。カールステン・ニコライが音の周波数で水面に波紋を起こすような作品はまさに中間的なものです。音が聴く楽しみだけではなく、単に低周波が鳴っているだけなのですが、それによって生じる水面の波紋という、視覚的な要素によって音が喚起される。音があることによって、視覚的に波が認識され、音に変化があれば、波にも変化が起きる。音を媒介するものが要素としてあり、音そのもの「だけ」が作品なのではない。スピーカーから聴こえてくるものだけがサウンドなのではない、ということもありますし、逆に、スピーカーから聴こえるものが、そのもの自体を表現したりするものではなく、それを通じてなにか別のものを表現しているような場合もあります。音が、その振動現象を通じて、ある現象や状況を知覚するための触媒になっているとか、そういったアルヴィン・ルシエ の流れをくむともいえる作品が現れてきました。
金子──「サイレント・ダイアローグ」展はまさにそうした触媒としての音の働きに注目した展覧会でしたね。ここで2000年代後半の世界の動向を見ておくと、大きな美術館でサウンド・アートをテーマにする展示が増えていきます。サウンド・アートが美術史の大きなコンテクストの中に位置を占めていったと言えるかもしれません。スーザン・フィリップス が2010年にターナー賞をとったり、ジャネット・カーディフ&ジョージ・ビュレス・ミラー らが国際展で活躍していますね。今年はMOMAでも「サウンディングス」展がありました。
日本では2003年にYCAMが開館し、国際的に見ても充実した環境で作品が発表できるようになります。東京都現代美術館では2009年に池田亮司さんの個展があり、昨年は「アートと音楽:新たな共感覚をもとめて」展がありました。そこにも参加された大友良英 さんたちのENSEMBLESは、2000年代後半に日本各地で展示を行ないました。ここではこうした流れのごく一部を振り返ることしかできませんが。
そのなかでもひとつの傾向を取りあげるなら、ICCでは「サウンド・アート」展以降、音を扱う若手作家の作品が展示される機会が増えていったようです。畠中さんは日本の状況をどのように見られていましたか。
畠中──日本で2000年以降そういう作品をつくる人が増えてきたのは、やはりコミュニティの形成があったからだと思います。城一裕くん、真鍋大度 くんたちと、Maxやnatoというソフトウェアの勉強会などを開催していました。natoの暗号のようなマニュアルを解読したり、みんなでお金を出しあってソフトウェアを買ったり。そういうコミュニティがなかったら、2000年以降の日本のメディア・アートは少しちがったものになっていたかもしれません。メゴとかラスターノトン の来日があり、そういう人たちとの交流があり、その中で自分たちもなにか新しいことをやらねばという意識が生まれていきました。そこで形成されたコミュニティに集まった人たちは、いまでも分野こそちがう人もありますが、変わらずにいろいろな試みを行なっています。
金子──ICCに作品を出品する方もいれば、音楽、広告など分野にとらわれない。
畠中──2003〜04年のシーンは構成員が濃いですね。むかし六本木ヒルズの隣にあった「NEW TOKYO LIFE STYLE ROPPONGI THINK ZONE」とかでいろいろなイヴェントが開催されていましたね。その後、クラブ仕様になる人もいれば、サウンド・アートへ向かう人もいて、それぞれ分化していきましたが、2000年以後、彼らがそうしたサウンドの領域を主導しています。
海外の大きな美術館での展示について言えば、ある種の歴史化が行なわれていたと思います。もちろん新しい動向との接点、接続をどう考えるかという、トゥープのような人もいますが。カーディフ+ミラーは、サウンド・アートでもありますが、よりナラティブな要素が強いですね。
金子──ナラティブな要素と言えば、2000年代初頭には姿を消していた「音楽」が近年は映像やインスタレーションのなかで引用されるというかたちでまた目につくようになりました。既存の有名曲を引用するという手法ですが、サンプリングとは異なるものです。キャンディス・ブレイツ の映像作品とか、2012年のドクメンタで展示されたスーザン・フィリップスやティノ・セーガル のインスタレーションもそうでした。
畠中──カーディフ+ミラーはビデオ・アートの拡張としても考えられますし、クリスチャン・マークレーは《Video Quartet》(2002)のように映像の作品の中に音楽をコラージュしていきます。かつてマークレー論でもそういうものを書いたことがありますが、彼は基本的には、コラージュの作家であり、特にサウンドを作ることに関心があるわけではないと。《Record Without A Cover》(1985)はサウンド・アートの作品ですが、そうではない作品も多くあり、それぞれの作品の出自を辿っていく分析は今後あり得ると思います。