artscapeレビュー

2020年03月01日号のレビュー/プレビュー

Oeshiki Project ツアーパフォーマンス《BEAT》

会期:2019/10/16~2019/10/18

雑司ヶ谷 鬼子母神堂周辺[東京都]

東アジア文化都市2019豊島の一環として実施されたOeshiki Project ツアーパフォーマンス《BEAT》。参加者たちがやがて合流することになる「鬼子母神 御会式」は「享和・文化文政の頃から日蓮上人の忌日を中心とした、毎年10月16日から18日に行われている伝統行事」で、「当日は、白い和紙の花を一面に付けた、高さ3~4メートルの万灯を掲げて、団扇太鼓を叩きながら鬼子母神まで練り歩」くものだ。劇作家の石神夏希、中国出身のアーティストであるシャオ・クウ×ツウ・ハン、そして音楽ディレクターの清宮陵一らのチームは御会式連合会の協力のもと、多くの人を巻き込むツアーパフォーマンスをつくり上げた。

集合場所は西池袋公園。私はそれを東京芸術劇場のある池袋西口公園のことだと思い込んでいたので少々慌てたのだが、行ってみれば池袋西口公園からほど近くにあるごく普通の(やや広めの)公園に参加者たちが集まっている。月に数度は池袋を訪れるが、こんな公園があるとは知らなかった。受付で手持ちの太鼓とバチ、アンパンとミネラルウォーターのペットボトルが手渡される。

50人ほどの参加者はおよそ10人ずつに分かれて説明を聞く。参加者はまず、1人ないし2人ずつに分かれ、渡された地図をもとに「待ち合わせ場所」に向かう。そこで待っているのは「トランスナショナルな(国境を越えて生きる)市民パフォーマーたち」らしい。立教大学脇の路地でヴェトナムから来たシステムエンジニアのDさんと無事に落ち合った私は、太鼓の叩き方を習いながら次の会場へと導かれる。ホスト役はDさんだが、どうやら池袋については私の方が詳しいようだ。会話は日本語にときどき英語が混じる。

[撮影:鈴木竜一朗]

次の会場はビルの谷間の古民家、と呼ぶにはこざっぱりとはしているが風情のある一軒家。到着するとお茶がふるまわれる。私は蓮茶を選ぶ。Dさんによればヴェトナムではポピュラーなのだという。日本人好みの味なように思うが日本ではあまり飲めないらしい。参加者が揃ったところで「平舎(ひらや)」と呼ばれるその場所の来歴(池袋在住300年18代!)と、韓国でフラを教えているという在日コリアンの女性の話を聞く。参加者の何人かから募った言葉でフラをつくり(フラの振りは言葉と対応している)、みんなでそれを少しだけ踊ってみる。

平舎を出て次の会場へ。参加者+パフォーマーのおよそ20人で列をつくり、街中を練り歩きながら太鼓を叩く。参加者とパフォーマーとで異なるリズム。東京メトロ副都心線池袋駅改札のある地下通路を通り東口側へ抜ける。たどり着いた中池袋公園にはすでにほかのグループが揃っていた。グループごとにまた異なるリズムを披露したあと、その場にいたおよそ100人ほどが大きな輪になり、ぐるぐると回りながらともに太鼓を打ち鳴らす。そのまま大きな集団となってまた次の場所へと池袋の街を練り歩く。

[撮影:鈴木竜一朗]

御会式に合流する前に南池袋公園で小休止。フェスティバル/トーキョーの会場のひとつとして使われることもあり、私にとっては多少なりとも見覚えのある場所だ。聞けば、ここから先どうするのかはDさんも知らないらしい。考えてみれば当然のことだ。これから参加する「鬼子母神 御会式」は年に一度の本物の祭りなのだ。練習はできない。

都電荒川線都電雑司ヶ谷駅の近くまで移動し御会式連合会の方々から太鼓の叩き方のレクチャーを受ける。ヤキソバ、りんご飴、ケバブ、タピオカ、じゃがバター。屋台の並ぶ参道をゆっくりと練り歩く。お堂への参拝をクライマックスに、近くの集会所で各国のスナックをつまみチルアウトしてなんとなくの解散。Dさんとも別れ帰途につく。

[撮影:鈴木竜一朗]

4時間のなかで特に印象に残った場面が二つある。といってもそれはパフォーマンスとして用意された瞬間ではない。ひとつは中池袋公園でのこと。公園を占拠し、ぐるぐると回りながら太鼓を打ち鳴らす「私たち」の姿を多くの人がスマホで撮影していた。そのなかには海外からの観光客と思しき姿もあった。彼らは「私たち」をなんだと思っただろうか。それはその日初めて行なわれた、いわば「ニセモノ」の祭りだ。再開発されたばかりの真新しい中池袋公園に集ったヨソモノ同士の集まりも、はたから見れば地域の祭りと変わらなかったかもしれない。

もうひとつは御会式連合会の人の言葉だ。太鼓の叩き方をレクチャーしてくれたその人は「私たち」にこう言った。「東アジアの方はこちらへ」。これがけっこうな衝撃だったのは、まずもって自分が「東アジアの方」と呼ばれるとは思ってもいなかったからだということを白状しなければならない。もちろん日本は東アジアなのだから私をそう呼ぶことは正しい。そもそも《BEAT》は「東アジア文化都市2019豊島」の一環として実施された事業なのであって、「東アジアの方」という言葉はその参加者という意味で使われたのだろう。ならばその言葉を発したその人は「東アジアの方」ではない? さらに言えば、そこには東アジア以外の地域出身の人もいた。だがいずれにせよ、ひとたびお練りが始まってしまえば私たちはみな一緒くたになって太鼓を打ち鳴らすのだった。

[撮影:鈴木竜一朗]

[撮影:鈴木竜一朗]

ローカルであるとは、その場所にいるとはどういうことか。「鬼子母神 御会式」はもともと「日蓮聖人を供養するために行なわれる仏教の行事」だ。私は日本の東京の池袋の祭りに参加したつもりでいたのだが、そもそもは仏教も鬼子母神もインドに由来する。そうして縁はぐるぐる回っている。


公式サイト:https://www.beat-oeshiki.jp/

2019/10/16(水)(山﨑健太)

青年団若手自主企画vol.79 ハチス企画『まさに世界の終わり』

会期:2019/11/08~2019/11/24

アトリエ春風舎[東京都]

グザヴィエ・ドランによって映画化もされた戯曲『まさに世界の終わり』(映画邦題は『たかが世界の終わり』)。作者のジャン=リュック・ラガルス(1957-95)は現在、フランスでその作品がもっとも上演されている劇作家のひとりだ。

自らの死が近づいていることを知ったルイ(海津忠)はそのことを告げるため、何年も会っていなかった田舎の家族のもとに戻ることを決意する。老いた母(根本江理)、彼女と暮らす11も年の離れた妹・シュザンヌ(西風生子)、田舎に残り母のそばに住み工具工場で働く2つ下の弟・アントワーヌ(串尾一輝)、初めて会うその妻・カトリーヌ(原田つむぎ)。彼女たちは地元を離れたまま戻ってこない長兄に屈折した思いを抱いており、突然のルイの来訪は家族の関係を軋ませる。ギスギスし張り詰めた雰囲気と繰り返される言い争い。ルイはやがて訪れる自らの死を伝えることができないまま再び家を離れることになる。

[撮影:渡邉織音]

この戯曲にはト書きがほとんどない。台詞は基本的に家族の会話、あるいは彼らの独白だが、その境目は極めて曖昧だ。冒頭に置かれたルイの独白は実家に戻る決意を告げる。だがそれはいつ誰に向けて語られたものなのか。演出の蜂巣ももと舞台美術の渡邉織音は、舞台空間を「記憶の場」として上演を立ち上げてみせた。

会場となったアトリエ春風舎は地下にあり、観客は螺旋階段を降りて劇場に入る。観客が入って来たのとはちょうど逆側にも階段があり、舞台裏に通じるそちらは俳優やスタッフの出入り口となっている。冒頭、懐中電灯を手にしたルイがその階段を降りてくる。階段を降りてすぐの場所にはダイニングテーブルと椅子。舞台上方には屋根の枠組みのようなものが吊られているが、それは半ば分解しかかっている。少し外れたところに子どものおもちゃにしては大きい木製の馬。周囲にはガラクタが散らばっている。落ちかかる窓枠から射し込む光。

地下室に転がり埃をかぶったガラクタには、しかし家族の思い出があったはずだ。ルイは地下室=実家に足を踏み入れ、それを確かめようとする。だが、家族といえど必ずしも思い出が共有されているわけではない。ばらばらの記憶と思い。ある意味では長年のルイの不在こそが家族が共有する唯一のものだ。彼らはかつて共に過ごした時間をよすがに再び家族であろうとするが、互いに持ち寄ったピースがうまくはまることはない。ぶつかる破片が軋みをあげる。

[撮影:渡邉織音]

[撮影:渡邉織音]

戯曲に描かれているのは「もちろんある日曜日、あるいはほぼ丸々一年の間の出来事」だ。それはルイが家族と再会したある日曜日のことであり、それから彼が死ぬまでの一年間のことだろう。場面はときに突如として中断し、同じく中断した音楽とともに不自然に繰り返される(音響:カゲヤマ気象台)。AV機器の再生不良のようなそれもまた記憶の再生、あるいはその齟齬を思わせる。ルイは再会の記憶を、それがうまくいかなかったとしても、いや、むしろうまくいかなかったからこそ反芻し続ける。家族の記憶を映し出しうつろう光は美しくも切ない(照明:吉本有輝子)。

だが、家族との記憶を反芻するのはルイだけではない。第二部第三場には12ページにも及ぶアントワーヌの台詞がある。「ルイ?」という呼びかけで終わるその長い独白は死者への語りかけの響きを帯びる。ルイもまた、思い出される家族のひとりとしている。

戯曲の解説で訳者の齋藤公一は「この戯曲が確固としたメッセージを伝えてはいないのはどうやら明らかなようだ。何かが語られてはいる。だがその内実は聞こえそうで聞こえて来ない。うまく噛み合わない対話が続き、空しい独白があいだを埋めていく」と書いている。だがそれは無関心や憎しみではなく、愛ゆえのことだ。だからこそ不協和音は痛切に響く。蜂巣演出と渡邉美術、俳優たちの演技はそこにある哀しみを見事に可視化し触知可能なものとしていた。

[撮影:渡邉織音]

蜂巣はこれまで、イヨネスコやベケット、別役実やカゲヤマ気象台らの戯曲を演出してきた。難解な戯曲にも粘り強く取り組み舞台上にその核を立ち上げる手腕はすでに一部で高い評価を得ているが、ある意味ではスタンダードな家族ものである『まさに世界の終わり』の上演は演出家・蜂巣ももの力量を改めて示す結果となった。戯曲の魅力を引き出すたしかな力を持った若手演出家として、今後は外部企画での戯曲上演の機会も増えていくのではないだろうか。


公式サイト:https://www.hachisu-kikaku.com/
円盤に乗る派『おはようクラブ』(蜂巣もも演出)劇評:http://www.musashino-culture.or.jp/k_theatre/kangekisusume/2019/12/noruha.html

2019/11/11(月)(山﨑健太)

ドナルカ・パッカーン『女の一生』

会期:2019/11/06~2019/11/10

上野ストアハウス[東京都]

「誰が選んでくれたのでもない。自分で選んで歩き出した道ですもの。間違つてゐたと知つたら自分で間違ひでないやうにしなくちやあ」。

森本薫『女の一生』の主人公・布引けいの有名な台詞だ。2019年、ドナルカ・パッカーンは、文学座が杉村春子の主演で繰り返し上演してきた森本薫による戦後の改訂版(補訂:戌井市郎)ではなく、1945年4月に初演された「戦時下の初稿版」(『シアターアーツ』第6号掲載)を上演することを選択した。冒頭に引いた台詞は戦後すぐのものとして受け取るか敗戦間際のそれとして受け取るかで帯びる響きが変わってくる。そこにあるのが痛烈な皮肉であるならば、それは現在の日本にこそ有効だ。

『女の一生』はそのタイトルの通り、布引けい(内田里美)という女性の少女時代から初老に至るまでを描いた「大河ドラマ」だ。背景にあるのは日清戦争から太平洋戦争までの複数の戦争。日清戦争で親をなくしたけいはある偶然から堤家に引き取られ、長男・伸太郎(田辺誠二)と結婚し、やがて支那貿易に手腕を発揮する女傑となっていく。

[撮影:三浦麻旅子]

この作品が繰り返し上演されてきたのは、それが現在にも通用する、ある意味でベタなメロドラマとして書かれているからだろう。密かに思いを寄せていた次男・栄二(鈴木ユースケ)とは結ばれず、堤家への恩返しのために伸太郎との結婚を選ぶけい。しかし堤家のためと商売に注力するほど家族とはうまくいかず夫とは別居状態に。久しぶりに帰ってきた栄二をけいが特高に引き渡してしまったことをきっかけに娘・知栄(海老沢栄による人形遣いのかたちで演じられた)も家を出ていってしまう。時が経ち、再会した夫との間に再び思いが通い合うかに見えるが直後、夫はけいの腕のなかで息を引き取るのだった。改訂版ではさらに、戦後、帰ってきた栄二と堤家の焼け跡に佇むけいとが劇的な再会を果たす場面が物語の全体を挟み込むように冒頭とラストに置かれている。

「戦時下の初稿版」に戦後の場面は当然ない。冒頭とラストは1942年の正月、つまり真珠湾攻撃の直後に設定されている。栄二が不在の間、堤家は彼と中国人の妻との間にできた4人の娘(辻村優子、宇治部莉菜、城田彩乃、大原富如)を預かっている。家の外から軍歌が聞こえくるなか、けいは言う。「あなた方はみんな中国へ帰つて、新らしい時代を造る、お母さんになる人達です」。正月はけいの誕生日であると同時に彼女が堤家にやってきた日であり、そして先代しず(丸尾聡)の誕生日でもあった。ここには明確に「母」の継承の構図がある。

[撮影:三浦麻旅子]

改訂版では家を失ったけいが栄二と再会し、再びひとりの女として栄二の手を取り踊ろうとするところで幕となる。「私の一生ってものは一体何だったんだろう。子供の時分から唯もう他人様の為に働いて他人様がああしろと言われればその様にし、今度はそれがいけないと言って、身近の人からそむいて行かれ、やっとみんなが帰って来たと思ったら、何も彼もめちゃめちゃにされてしまい、自分て言う者が一体どこにあるんだか」と言うけいに栄二は「今までの日本の女の人にはそう言う生活が多すぎたのです。しかしこれからの女は又違った一生を送る様になるでしょう」と応じる。敗戦は同時に家からの解放となる、はずだった。

実際はどうか。「女も三十を越して一人でゐるといふことは、精神的に工合が悪いやうだな」「男つてほんとうに勝手なものだわ。結婚するまではさんざ気嫌をとつて、人の後からついて廻つておきながら一度一緒になつてしまふと、とたんに威張り出すんですからね。二言目には大きな声を出して怒鳴るし」「女には、どうしても女しかもつてゐないつていふものがある。お前にはそれがないのだ」。これらの台詞は初演から75年が経ついまなおリアルなものとして聞こえ得る。その事実はこの作品の普遍性ではなく、ある面において日本社会が一向に変わっていないということを如実に証立ててしまう。女傑として家を切り盛りするけいも結局は「家」に取り込まれた存在に過ぎず、さらにその営為を次代につなごうとする。構造の再生産。それはいままでのところ十分にうまくいっているようだ。

[撮影:三浦麻旅子]

「私は今感じるのです。自分よりも、家よりも、もつと大事なものがあるつてことをね」。栄二を特高に引き渡したけいはこう言っていた。『女の一生』は家という、国家という装置によって駆動するメロドラマだ。国策的なプロパガンダ組織である「日本文学報国会」の委嘱によって書かれたこの作品は極めて「教育的」であり、同時に痛烈にアイロニカルでもある。

家からの解放を結末においた改訂版ではなく「教育的な」初稿版をこの時期に上演するという選択は企画者であり演出を担当した川口典成のアイロニカルな慧眼であり、それはおそらくいくばくかは初演時の森本の意図とも重なっていたのではないだろうか。一部男女逆転の配役や人形遣いによって演じられる子どもなど、「普通」から外れた人々がひとりまたひとりと物語から退場していくのも不穏だ。ドナルカ・パッカーンはこれまでにも「日本における演劇と戦争の蜜月にあった『歓び』を探求」するという宣言の下、平田オリザ『暗愚小伝』、太宰治『春の枯葉』、森本薫『ますらをの絆』を上演してきた。ある大きな流れがあったとき、単にそれに反対するのではなく、そこに向かう動きをこそ注視すること。「同質性とは別の『異質の演劇』を志向する」川口の試みにはまだまだ見るべきものがあるだろう。

[撮影:三浦麻旅子]


公式サイト:https://donalcapackhan.wordpress.com/
ドナルカ・パッカーンブログ:https://note.com/donalcapackhan(作品背景についてはこちらを参照のこと)
森本薫『女の一生』(青空文庫):https://www.aozora.gr.jp/cards/000827/files/4332_21415.html

2019/11/8(金)(山﨑健太)

ゲッコーパレード『ぼくらは生れ変わった木の葉のように』

会期:2020/01/10~2020/01/20

旧加藤家住宅[埼玉県]

埼玉県蕨市を拠点に活動を展開してきたゲッコーパレードが新たな演劇祭を立ち上げた。その名も「ドメスティック演劇祭」。ドメスティックは「国内の、家庭内の、業界内の、家畜化された」などの意味を持つ英単語だ。第0回と銘打たれた今回は唯一のプログラムとしてゲッコーパレード『ぼくらは生れ変わった木の葉のように』(作:清水邦夫、演出:黒田瑞仁)が彼らの本拠地である一軒家・旧加藤家住宅で上演された。

舞台はとある一軒家。物語はそこに自動車が突っ込む事故が起きた直後から始まる。「よく見ると、自動車が壁を突き破って、ある家のリビングルームにめり込んでいた」。乗っていたのは学生運動崩れの男(堀井和也)と家出してきたらしい女(鶴田理紗)。居合わせた夫(浅見臣樹)と妻(河原舞)とその妹(崎田ゆかり)はしかしなぜか彼らを歓待し、男と女はずるずるとその家にいることに──。

[撮影:瀬尾憲司]

これまでにもさまざまな作品を旧加藤家住宅で上演してきたゲッコーパレードだが、一軒家が舞台となっている作品を上演するのは今回が初めてなのだという。当日パンフレットには「多くの演劇は劇場で上演され、舞台の上には王宮なら王宮の舞台セットが作られて上演されます。(略)なら私たちもゲッコーパレードとして活動5年目の節目に、ほかの多くの演劇がするようなことをしてみようと思いました。日本の一軒家が舞台の物語を、日本の一軒家で演劇として変わったことをせずに上演しようと思ったのです」と記されている。しかしこれは明らかにおかしい。なるほど、一軒家を舞台とする戯曲を劇場で上演するためには舞台セットを立て込まなければならない。だが、一軒家でそれを上演するならば舞台セットは必要ない。一軒家を舞台にした戯曲を一軒家で上演するというのはたしかに捻りのない企画ではあるかもしれないが「ほかの多くの演劇がするようなこと」にはなっていない。

しかも、本物の一軒家での上演を選択した結果、舞台からは自動車の姿は消えてしまった。本物の一軒家に本物の自動車を突っ込ませるわけにはいかず、舞台美術として自動車が用意されることもなく、それが「ある体(てい)」で演技は行なわれる。本物の一軒家というリアルとあからさまな虚構の奇妙な同居。

[撮影:瀬尾憲司]

もちろん、演劇というのは大なり小なり嘘をつくもので、どこまでを「リアル」とするかについては作品ごとに線を引かなければならない。自動車を「あることにする」というのは許せる嘘の範疇にも思える。だがそれでも、本作における果物の扱いはあまりに奇妙だ。劇中、食べ物が登場する場面では基本的に本物が用いられている(飲み物だけは「ある体」なのだが、百歩譲ってそこはいいとしよう)。バナナにせよみかんにせよ、登場人物たちはそれを食べようと皮を剥くのだが、彼らはそれを実際に食べることはなく、「食べた体」で芝居は進行する。皮を剥かれたバナナやみかんはテーブルの上にゴロンと置かれたままだ。その演出に明確な意図や効果があるとも思えず、私は釈然としないままその約束事を飲み込むしかない。

[撮影:瀬尾憲司]

そもそも、なぜこの戯曲がドメステッィク演劇祭の演目に選ばれたのだろうか。第0回の開催にあたりゲッコーパレードは「誰にとっても我が事のような演劇を」という言葉を掲げているが、1972年に初演され、学生運動の気配を引きずるこの戯曲の上演が果たして、「誰にとっても我が事のような演劇」になり得るのだろうか。

戯曲が描くのは非日常=外部が日常=家=内部に侵入し、やがて絡めとられていくまでの時間だ。この戯曲が収録されているハヤカワ演劇文庫『清水邦夫Ⅰ』の解説で古川日出男は「劇場には外がある。体制にも外がある」と書いている(「外」にはそれぞれ傍点)。だが、外部など本当にあるのだろうか。

ゲッコーパレード版の上演では、そもそも自動車はリビングルームに突っ込んでいない。外部ははじめから侵入などしていない。リビングルームの外にあるべき劇場はなく、そこには地続きの一軒家があるだけだ。観客である私も奇妙な約束事を飲み込んで共犯者としてそこにいる。外部はない。

この戯曲の上演が「誰にとっても我が事のような演劇」となり得るとしたらそのようなパラドックスにおいてだろう。内部の論理が肥大し外部を飲み込みんでいくその様子はたしかに、あまりに2020年の日本的だ。

[撮影:瀬尾憲司]

[撮影:瀬尾憲司]


公式サイト:https://geckoparade.com/

2020/01/11(土)(山﨑健太)

「DOMANI・明日2020 傷ついた風景の向こうに」展

会期:2020/01/11~2020/02/16

国立新美術館[東京都]

「DOMANI・明日展」は、サブタイトルに小さく「文化庁新進芸術家海外研修制度の成果」と書かれているように、文化庁の海外研修(かつて「芸術家在外研修」と呼ばれていたため、以下「在研」)に行った作家たちがその成果を発表する場であり、いわば個展の集合体。と思っていたら、最近は在研の経験のないアーティストも出すようになって、企画性を強めている。とくに今回は11人中5人、つまり半分近くが在研とは無縁の作家たちに占められ、「傷ついた風景の向こうに」というテーマのもと、いつになくメッセージ性の強い作品が並んだのだ。

最初の部屋こそ、これまでの派遣国や地域別人数を記した表を掲げ、同展が在研の展覧会であることを示しているが、次の展示室の石内都とその対面の米田知子は、ともに在研の経験がない作家だ。石内は身体の傷跡を撮った「Scars」シリーズをメインに出しているが、トップを飾るのは、被爆後まもない広島を撮った写真の中央に写る原爆ドームを切り抜き、再度テープでとめて撮影した「ひろしま」シリーズの1点。石内は「傷跡を撮ることは写真をもう一度撮るのと同じかもしれない」と述べているが、被爆地を撮った写真を切ってもういちど撮った写真は、まさに傷だらけ。その向かいの米田は、穏やかな田園や海岸を写した風景写真を出している。が、《道──サイパン島在留邦人玉砕があった崖に続く道》や《ビーチ──ノルマンディ上陸作戦の海岸/ソードビーチ・フランス》といったタイトルを読むと、一見平和そうな風景に潜む傷ついた過去が浮かび上がる。どうやらあまり平穏な展覧会ではなさそうだ。

次の藤岡亜弥は在研経験者で、現在の広島を撮った「川はゆく」シリーズを発表。いまの広島を撮りながら、原爆ドームの写真や被爆者の描いた絵などを画中画のように画面に写し込み、過去と現在を同居させている。その次の大きな部屋は、彫刻家の森淳一と若林奮。森は出身地である長崎を襲った被爆を、光と影の視点から彫刻化した作品を出品。若林は、東京都下の山林に計画されたゴミ処分場に反対するために制作した《緑の森の一角獣座》のマケットやドローイングを出している。どちらも地形に印された傷跡を立体的に作品化したものといえるだろう。

ここまでくると、いつもの「DOMANI」展らしからぬ重苦しさを感じるかもしれないが、全体のちょうど真ん中へんに栗林慧の超ドアップの昆虫の映像が流れ、自然の生み出すユーモラスかつ驚きの姿かたちと動きにしばし見とれるはず。その後、被災後の福島をモチーフにした佐藤雅晴のアニメ、枯れ枝と葉のついた枝を対比した日高理恵子の絵画、キンモクセイの葉6万枚を葉脈だけにしてつないだ宮永愛子のインスタレーションと続き、東北3県の津波被災地を撮った畠山直哉の風景写真で終わる。畠山の写真で印象的なのは、荒涼とした背景に部分的に葉を茂らせて立つ1本の木の姿だ。大半が昨年撮ったものだそうだが、自然は7、8年かけてようやくここまで再生したと見ることもできるし、逆にまだここまでしか再生していないと見ることもできるだろう。背景に写る防潮堤や宅地造成地との対比が象徴的だ。

同展のサブタイトルにはもうひとつ、「日本博スペシャル展」というのもついていた。東京オリンピック・パラリンピックの開かれる今年、「日本人と自然」をテーマに、「日本の美」を体現する展覧会やイベントを体系的に紹介していく「日本博」の特別展として、「傷ついた風景」をねじ込んだのはある意味快挙かもしれない。

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2020/01/22(水)(村田真)

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2020年03月01日号の
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