artscapeレビュー

2020年08月01日号のレビュー/プレビュー

バンクシー展 天才か反逆者か

会期:2020/03/15~2020/09/27

アソビル[神奈川県]

モスクワ、マドリード、リスボン、香港など、2018年から世界を巡回し、100万人が来場したという「バンクシー展 天才か反逆者か」を鑑賞した。会場はいわゆる美術館ではない。横浜駅からブリッジを経由し、ほぼ直結でアクセスできる、旧横浜中央郵便局別館をリノベートしたアソビルの2階だ。アソビルは、横丁をイメージした飲食店街、スポーツ、キッズテーマパークなどが入る複合施設であり、イベント・フロアの一角でバンクシーが展示されていた。いわば資本主義の空間において、反資本主義とされるアーティストの作品が並ぶのはややアイロニカルだと思いつつ、かといって反権威も標榜するから、会場が立派な公立美術館で開催したとしても微妙だろう。バンクシーは、ストリートで活動してきたわけだから、あまりきれいにリノベートされた建物ではなく、廃屋に近い状態の空きビルだったら、雰囲気が合っていたかもしれない。もっともその場合は、動員や来場者の制限などで、別の問題が生じるだろう。そもそも路上のアートを箱の中で展示する困難さを拭うことは難しい。


会場のアソビルに向かう通路


さて、資本主義、政治、戦争批判などを批判するバンクシーの作品だが、二次元アートとしての表現は、必ずしも新しくはない。既存のアートにおける手法を流用し、組み合わせたものと言えるだろう。また現場にない作品は、どうしてもアウラは剥がれ落ちる(これは建築展と同じ弱点だ)。ちなみに、会場にキャプションの説明はなく、スマートフォンで音声を聴くシステムとなっていた。


会場に展示されていた、バンクシーのアトリエのイメージ



世界各地のバンクシー作品



戦争批判のバンクシー作品

個人的に興味をもったのは、バンクシーによるリアルなプロジェクトである。例えば、パレスチナ自治区に世界一眺めの悪い「ザ・ウォールド・オフ・ホテル」を開業したり(ニューヨークの高級ホテル、ウォルドルフのパロディ)、期間限定のアンチ・テーマパーク「ディズマランド」を建設したことなどだ。前者は紛争地帯を観光するホテル、後者はディズニーランドへの明白なあてこすりである(著作権の侵害にうるさい同社は反応したのか?)。ところで、アソビル2階の会場出入口では、壁面に展開する梅沢和木の作品と遭遇し、思わぬ収穫があった。


「ザ・ウォールド・オフ・ホテル」


「ディズマランド」(部分)



会場出入口に展開されていた、梅沢和木の作品

2020/07/15(水) (五十嵐太郎)

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ヨコハマトリエンナーレ2020 AFTERGLOW—光の破片をつかまえる

会期:2020/07/17~2020/10/11

横浜美術館+プロット48[神奈川県]

ヨコトリはけっこう災難と縁が深い。2001年の第1回展では、開幕の約10日後にアメリカで同時多発テロが勃発、展覧会に影響はなかったが、世間的にはヨコトリの話題など吹っ飛んでしまった。2011年の第4回展では、記者発表が予定されていた日に東日本大震災が発生、その衝撃もさめやらぬ5カ月後に開催された。そして今年の第7回展は、言うまでもなく新型コロナウイルスだ。2004年に予定していた第2回展が1年ズレたにもかかわらず(というか、それゆえに?)、ほぼ10年にいちど訪れる災難にぴったりシンクロしてしまっている。これはもう1年延期するか、厄払いしてもらうほかないのではないか。

ともあれ今年、多くの国際展や芸術祭が延期・中止を余儀なくされるなか、ヨコトリは2週間ほど遅れたとはいえ開催にこぎつけた。もちろん長期の延期や中止も視野に入れていたはずだが、記者会見で組織委員会の近藤誠一委員長は、ステイホームやオンラインの生活を続けるなかで、考えるヒントを与えてくれるアートに触れる機会を失ってはならない、というのが中止にしなかった理由だと述べていた。えらいぞヨコトリ。問題は中身だ。

その前に概要を紹介すると、今回のアーティスティック・ディレクターは、インドを拠点とするラクス・メディア・コレクティヴで、テーマは「AFTERGLOW―光の破片をつかまえる」というもの。AFTERGLOW(残照=光の破片)とは、企画統括の木村絵理子氏によれば「思考と知恵の『茂み』の中に流れるエネルギーと、それを自らの手でつかみとろうとする行為を象徴する」ものだという。よくわかんないね。具体的に掲げたキーワードは「独学」「発光」「友情」「ケア」「毒」の5つで、これだとコロナ禍のいまならなんとなくわかった気分になれる。

出品作家は計67組で、極東からアラブ諸国までアジア系が大半を占め(日本人は13人)、あとはアフリカ、南米、欧米、オーストラリアが少しずつ。うち35組が日本で初めて作品を発表するという。はっきりいって、日本人アーティストを除けばディレクターも含めて誰も知らなかった。でも知らないというのはマイナスではなく、未知の作家が多いので期待できるということだ。会場は横浜美術館に加え、みなとみらい地区のプロット48と呼ばれる元アンパンマンミュージアムだった建物と、1人だけだが日本郵船歴史博物館にも展示される。内覧会は記者会見終了後のわずか2時間しかなく、ぼくは横浜美術館とプロット48の南棟を訪れただけで、北棟と博物館は見ることができなかった。


というわけで、まず美術館に入ると、正面の大空間に飾られたチャラチャラした光り物が目に飛び込んでくる。ニック・ケイヴの《回転する森》で、ガーデン・ウィンド・スピナーと呼ばれる庭の飾りを何千個も吊り下げたインスタレーション。よく見るとピースマークやニコニコマークのほかに、拳銃のシルエットも見える。暗い展示ケースの中に薄絹で包んだコップや電球を置いた作品は、竹村京の《修復されたY.N.のコーヒーカップ》。壊れた日用品を集めて、金継ぎのように光る絹糸で繕ったものだ。白い画面に、上下左右に動くノズルから水をかけるロバート・アンドリューの《つながりの啓示―Nagula》は、90日間かけてある文字を浮かび上がらせていく。この文字は作者のルーツであるアボリジニの言葉だそうだが、まだ初日なので赤茶色の滴りしか見えない。展示室の床に段差や斜面をつけて敷いた赤いカーペットは、ズザ・ゴリンスカの《助走》。つまずき、よろけながら助走してみろってか? おや、田中敦子や石内都らの作品もあるぞ。これは横浜美術館のコレクションをインティ・ゲレロがキュレーションしたもの。

まあこんな感じで次々と作品が展開していく。作品は多様性に富み、見た目にも光ったりカラフルだったりにぎやかで、これなら子供でも楽しめそうだ。要するに視覚をくすぐるチャラチャラした作品。でも大人はそんなもんで楽しめない。いざ理解しようとすると、まずどこからどこまでが誰の作品なのかわかりにくいし、解説プレートはあるものの文章が詩的すぎてとまどうばかり。しかもこのプレート、美術館だけでプロット48にはないのだ。

そのプロット48はイレギュラーな空間が多く(少なくとも南棟は)、ますます混沌とした様相を呈している。例えば2階にはいくつかの小部屋があるが、プレートもないのでどこが誰の作品なのかすぐにはわからない(会場マップを見て、それらがエレナ・ノックス1人の作品であることが判明)。元アンパンマンミュージアムだけに、おもちゃ箱をひっくり返したような楽しさといってしまいたいところだが、そういうわけにはいかない。

今回はコロナ禍で、海外のアーティストもディレクターも本番には来日できず、アーティストはプランを送り、ディレクターはオンラインで議論しながら展示したという。でも実際に来日して現場で作業していたら、絶対に違ったものになっていたはず。もし来日してもしなくても変わらないのなら、これからの国際展や芸術祭はオンラインで実現でき、アーティストと市民、アーティスト同士の交流もなくなってしまうだろう。さらに今回は「エピソード」と称して、会期前から会期終了後もオンラインでのパフォーマンスやレクチャーを行なっているが、これを推し進めれば、もはや展覧会を開いたり作品をつくったりしない、オンラインだけの国際展が乱立するかもしれない。そうならないことを願うばかりだ

2020/07/16(木)(村田真)

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開校100年 きたれ、バウハウス ─造形教育の基礎─

会期:2020/07/17~2020/09/06

東京ステーションギャラリー[東京都]

2019年に誕生100年目を迎えた、ドイツの造形学校バウハウスの記念すべき巡回展がいよいよフィナーレを迎えた。本展に限らず、これまでバウハウスに関連する展覧会や書籍などは数多く発表されてきた。造形学校を母体としながら、その教育理念や方針、初代校長のヴァルター・グロピウスをはじめ指導にあたった教師や卒業生の活躍、各工房で生み出された作品など、後世に与えた影響が計り知れないだけに、その切り口は実にさまざまである。では、記念すべき本展での切り口は何かと言うと、副題にもあるとおり、「造形教育の基礎」である。バウハウスに入学すると、学生はまず「予備過程」と呼ばれる基礎教育を半年(後に1年に延長)受けたという。この「予備過程」に携わった代表的な教師7人による授業内容と、授業を受けた学生が生み出した習作が、本展の「Ⅱ バウハウスの教育」で詳しく展示されている。これが大変興味深かった。

製図の授業(ロッテ・ベーゼ) 撮影者不詳、ミサワホーム株式会社

バウハウスでは、当時、まったく新しい造形教育を学生に施した。かの有名なグロピウスによる宣言「すべての造形活動の最終目標は建築である」のとおり、最終目標を同じにするには基盤を共通にしなければならない。その土台づくりのための普遍的で包括的な教育が「予備過程」だった。学生が持つ既成概念や先入観を払拭し、個々人の創造力を引き出すことを重視して、教師はそれぞれの信念や哲学のもと、独自に授業を組み立てたという。

例えばラースロー・モホイ=ナジはさまざまな材料をバランス良く組み立てる「バランスの習作」や、「触覚板」を使った触覚訓練を行なった。ヨゼフ・アルバースは、白い紙を切ったり折ったり曲げたりして形をつくる「紙による素材演習」がよく知られていた。ヴァシリー・カンディンスキーは、正確に対象を見ることと構成的に絵をまとめることを目的にした「分析的デッサン」を実施した。これらの習作を見ると、学生は手をよく動かし、身体を使って、言わば「汗をかいて」基礎教育を受けたことが伝わる。特にデザイン分野においてパソコンを使うことを前提としたいまの造形教育とは、この点が根本的に違うと感じた。これはただ単にツールの違いの問題でもない。新しい教育理念のもと、当時、教師も学生も自ら新しい時代を切り拓くという気概がおそらくあったのだろう。いま、美術やデザインを学んでいる学生が観たらどんな感想を持つだろうか。

フランツ・ジィンガー《男性の裸身(イッテンの授業にて)》1919、ミサワホーム株式会社

展示風景 東京ステーションギャラリー


公式サイト:http://www.bauhaus.ac/bauhaus100/
※来館前に日時指定のローソンチケットの購入が必要です。

2020/07/16(木)(杉江あこ)

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ヨコハマトリエンナーレ2020 AFTERGLOW─光の破片をつかまえる

会期:2020/07/17~2020/10/11

横浜美術館、プロット48[神奈川県]

ヨコハマトリエンナーレの内覧会に足を運んだ。イヴァナ・フランケによってふさがれたファサードを抜けて、グランドギャラリーの大空間に入ると、ニック・ケイヴによる大量の庭飾りを吊るしたインスタレーションや、青野文昭の独自の修復を施した作品群が出迎える。訪れたタイミングでは、アトリウムの天井はすべて閉じられていて、だいぶ暗かったので、むしろトップライトの開口を開けた方がいいのにと思ったら、時間によって照明が変化し、やがて明るくなり、あえて光のコントロールをしていることを理解した。


イヴァナ・フランケによってふさがれたファサード



ニック・ケイヴ《回転する森》


実は「AFTERGLOW──光の破片をつかまえる」というテーマから、どんな内容になるのか、事前にはなかなか想像しにくかったが、いざ会場で見ると、なるほど、ベタにきらめく作品や部屋の照明から、蛍光シルクや半減期まで、さまざまなレヴェルで「残光」を感じさせる作品が、美術館に集まっている。本展のキーワードでは、毒との共生もうたい、コロナ禍の現状も受け入れる、おもしろいコンセプトだ。新館長の蔵屋美香による「いっしょに歩くヨコハマトリエンナーレ2020 ガイド」も楽しい。また常連の日本人作家が少なかったり、日本になじみがない外国人の作家が多く、横浜に居ながら、まるで海外で国際展を見ているかのようだった。


青野文昭の作品群



ジャン・シュウ・ジャンの新作インスタレーション

今回のヨコハマトリエンナーレは、3人組の芸術監督も海外作家も来日できないまま設営され、当初の予定を遅らせながら、なんとかオープンにこぎつけたが、おそらく現場は大変だっただろう。実際、今度の12月にスタートする予定だった札幌国際芸術祭2020は、新型コロナウイルスの影響によって中止が決定された。

なお、ヨコハマトリエンナーレのもうひとつの会場、プロット48では、美術館にあったような作品の説明がほとんどなく(間に合わなかったのか?)、既知の作家でもないことから、さすがに消化不良だった。会場に使われた建物は、旧横浜アンパンマンこどもミュージアムである。丹下健三の横浜美術館と同様、にぎやかな形態をもつポストモダンのデザインだ。それが整備されないままのややラフな状態の展示会場で行なわれており、興味深い空間の使い方だった。これまで倉庫やモダニズム建築のリノベーションをアートの展示で使うことは多かったが、そうではないタイプの空間の再利用は、今後ほかでも増えていくだろう。


第二会場・プロット48の外観



ファラー・アル・カシミの新作インスタレーション



ファーミング・アーキテクツの展示風景


公式サイト:https://www.yokohamatriennale.jp/2020/

2020/07/16(木)(五十嵐太郎)

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東京クロニクル1964-2020展—オリンピックと東京をめぐる創造力の半世紀—

会期:2020/06/09~2020/08/10

町田市民文学館ことばらんど[東京都]

本当ならば、東京オリンピックの開催に合わせて、その関連イヴェントも多数企画されていたはずだ。新型コロナウイルス感染症の拡大で、それらの多くが影響をこうむることになった。町田市民文学館ことばらんどの「東京クロニクル1964-2020展—オリンピックと東京をめぐる創造力の半世紀—」展も開催が延期されて、ようやく6月9日にオープンした。しかも、内容的に1964年と2020年の2つの東京オリンピックが柱となっているので、ややタイミングがずれてしまったことは否定できない。

とはいえ、「1960年代:オリンピック前後の『東京』事情」、「1960〜1970年代:激動の季節の終焉と消費の時代」、「1980年代:新しい家族のカタチと『東京論』の誕生」、「1990年代:バブル崩壊と『個性』の時代」、「2000〜2010年代:ゼロ年代批評と新しいコミュニケーション」の5章構成で、それぞれの時代の文学、美術、写真、デザインなどを通して、「オリンピックと東京をめぐる創造力の半世紀」を読み解いていくという展示意図はしっかりと貫かれており、200点近い出品点数の充実した展示だった。

中心になっているのは、開高健、森村誠一から村上春樹、伊藤計劃に至る文学や、亀倉雄策、赤瀬川原平らの美術・デザインの仕事なのだが、そこに2人の写真家の作品が大きくフィーチャーされているのが目についた。春日昌昭(1943〜89)の「オリンピックのころの東京」の写真47点と、渡辺眸(1942〜)の「東大全共闘1968-1969」の写真24点である。どちらも貴重なヴィンテージ・プリントであり、その生々しい臨場感はただ事ではない。時間を経て写真を見直すときに、そこに写っている被写体だけでなく、それらを取り巻く空気感がありありとよみがえってくることに、あらためて驚嘆させられた。特に、春日昌昭が東京綜合写真専門学校在学中から、主観的な解釈を排して、客観性に徹して撮影したオリンピック前後の東京の街の写真群は、写真史的にも重要な意味を持つものといえる。画面の細部から、視覚だけでなく五感を刺激する情報が次から次へと立ち上がってくる。

2020/07/17(金)(飯沢耕太郎)

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2020年08月01日号の
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