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うるしの近代──京都、「工芸」前夜から

2014年09月01日号

会期:2014/07/19~2014/08/24

京都国立近代美術館[京都府]

明治初期から昭和初期の京都の漆工に生じた変化を、社会環境や教育制度の変化、漆工家、図案家たちの活動の軌跡とともに辿る展覧会。器、屏風、棚など300点に上る作品と資料による充実した内容。
 江戸末期から明治のはじめ、西洋からさまざまな技術や知識が流入し、工芸にも影響を与えた。西陣の織物にはフランスからジャガード織機が導入され、より複雑な織物が効率よくつくれるようになった。陶芸には西洋の化学的知識が導入され、釉薬や窯が変化した。しかしヨーロッパに存在しない天然の漆を使った工芸は、素材や技術、製造工程のほとんどが変化しなかった。もっとも、なにも変化がなかったわけではない。明治維新を迎えて工芸家たちの多くが国内のパトロンを失った一方で、明治政府の殖産興業・輸出政策により海外あるいは日本を訪れる外国人向けの工芸品需要が高まる。優れた技術が高く評価されると同時に、マーケットの変化は、結果的に漆工の図案、意匠の変化をもたらすことになった。明治8年から18年まで、内務省には製品画図掛という部署が設置され、全国の工芸家に図案を貸与したり、工芸家が提出した図案を修正するという事業が行なわれた。図案の重要性が高まると、図案を創出する人材の育成も急務になる。京都においてその任にあたったのが、京都府画学校で教諭を務めた神坂雪佳や、京都高等工芸学校に赴任した浅井忠であり、彼らが図案を創作するなかで繰り返し参照されたのが琳派の作品であったことが示される。図案のほかに漆器商の果たした役割に言及されている点も重要である。工程毎に分業が徹底されていた漆工では図案の選択から職人の取りまとめまで、漆器商が果たしたプロデューサーとしての役割が大きい。近代工芸においては作家性が強調されるあまり、そのような商人、問屋の存在は忘れられがちなのである。他方で、市場の変化についてもう少し具体的な考察があればと感じた。図案教育が成果を出し始める明治後期には政府の政策は工芸から工業へとシフトする。そのような環境の変化に京都の工芸はどのように対応したのか。漆製品の新しい図案はどのような顧客・市場に受容されたのだろうか(史料が乏しく実証は難しいというが)。
 ポスター、チラシ、図録などのデザインは西岡勉氏。さまざまな器から意匠をトリミングして構成したデザインは美術展の広報物としてはとても大胆。中尾優衣・京都国立近代美術館研究員によれば、所蔵者の許可も得て、本展の企画にふさわしく「図案」を強調したデザインになったという。黒、金、朱で構成された美しいチラシ(A4判横開き4頁)に惹かれて京都まで足を延ばしてしまったが、展覧会自体もすばらしかった。期間が短く、また他館に巡回しないのが残念である。[新川徳彦]

2014/08/17(日)(SYNK)

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