artscapeレビュー

grow UP! Danceプロジェクト:石川勇太『Time Difference』/捩子ぴじん『sygyzy』

2009年05月01日号

会期:2009/04/24~2009/04/26

アサヒ・アートスクエア[東京都]

若手振付家の育成を目指したプロジェクトが公募で選出した2人は、5カ月ほどの稽古や中間発表を経て応募作とはタイトルも内容も大いに異なる新作を発表した。
石川作品は、舞台奥に黒いテーブルと椅子が置かれ、コンロに火を付けると、紅茶を沸かしたり、ポップコーンを炒ったりと舞台美術が目立つ。とはいえ演劇的にはならず、あくまでそこからダンスを引き出そうとしていて、その姿勢に好感が持てた。オブジェが生む音と匂い、ダンサー同士の触れる、掴む、押すといった、シンプルなしぐさに、見る者の記憶が刺激される。5人のダンサーはいつも2人か3人で踊るから、他人との関わりが途切れない。舞台手前とテーブルのある奥とでレイヤーを分けた空間演出も、見る者のイメージを一元化させない。独特の暗さや重さ、水音やオブジェが振りまく匂いは、途切れなく複数の身体が繋がってゆく際の「ねちっこさ」を増幅させていた。もっとできるはずと思わせるものの、今後を期待させる個性が垣間見えていた。
捩子作品は、神村恵と福留麻里という名ダンサーを起用し、身の丈を超える板や1メートルほどの高さの4本の柱とともに、前代未聞のパフォーマンスを見せた。人間ブルドーザー?人間滑り台?人間トラック?人間リフト?踊る余裕を一切排除する「重労働」は、角度のついた板を滑るときが典型的なように、ダンサーの身体を気取りゼロの、物体に限りなく近い存在へと導いた。2人がL字型になって横たわり起きあがりまた床に寝そべるときなど、本当に板や柱と同等の単なる物体に見えてくる。可笑しくも怖しい光景。同じ動作の繰り返しは、労働の悪魔性を助長する。そう、これは悪魔的なダンスだ。捩子の悪魔的な徹底によってダンスは、楽器や絵筆を物として扱うのと同様に、ダンサーという道具を単なる物として扱う次元へ到達した。
grow up! Dance プロジェクト:http://gudp.exblog.jp/

捩子ぴじん「sygyzy」PV

2009/04/26(木村覚)

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